『オズの魔法使』と『ウィキッド』:アメリカ文化となった“名画”と正義を考えさせる“前日譚”

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©Universal/Courtesy Everett Col

2024年11月22日に海外で公開された実写映画『ウィキッド ふたりの魔女』(原題:Wicked)。日本では来春に公開されるこの映画は、『オズの魔法使い』が下地になった原作、そしてその演劇化を経て、今回初めて映画化となり、ミュージカルを映画化した作品では全米歴代1位となる1億1400万ドルという興行収入を記録している。

この映画化に際して、アメリカ演劇・日本近現代演劇を中心とする演劇史・演劇批評が専門の成蹊大学文学部教授、日比野 啓さんに、以下の5つを中心に解説頂きました。

・小説『オズの素晴らしい魔法使い』(1900年刊行)
・映画『オズの魔法使』(1939年公開)
・小説『オズの魔女記』(1995年刊行)
・舞台『ウィキッド』(2003年初演)
・映画『ウィキッド ふたりの魔女』(2024年公開)

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舞台版『ウィキッド』(2003)ほど、人の心の闇をあざやかに描き出したミュージカルがあっただろうか。

世相を反映してか、エンターテインメントを基調としながら、登場人物たちが深く苦しみ、傷つき、もがくさまを描き切るダーク・エンタメは近年ことに人気だ。映画でいえば、先日続編も公開された『ジョーカー』(2019)や、その元になった『バットマン』ダークナイト三部作(2005、2008、2012)。後者を監督したクリストファー・ノーランの最新作『オッペンハイマー』(2023)も、伝記映画という体裁をとりながら、原爆開発の父・オッペンハイマーをただ偉人として讃えるのではなく、周囲の人間との軋轢も含め、得体の知れない「暗さ」を画面に漂わせるものだった。だが『ウィキッド』は歌もダンスもあるミュージカルなのだ。それに舞台初演は2003年とずいぶん早い。

なるほど、舞台ミュージカルでも、ただ恋の楽しさや純愛の美しさを歌い上げて終わる作品ばかりではなかった。『ジプシー』(1959)や『キャバレー』(1966)のように、あるいは主人公の一人の死で終わる『ウエスト・サイド・ストーリー』(1957)のように、ハッピーエンディングであることをはっきりと拒絶する作品もあった。けれども『ウィキッド』は「めでたし、めでたし」で終わるように一見思わせるところが恐ろしい。異論を封じ込めるために、「めでたし、めでたし」で無理やり終わらせようとする「善良な」多数派の、暴力を伴わない暴力がどんなものであるかをはっきり示している。

結論が先になってしまった。『ウィキッド』は『オズの魔法使』(1939)の「前日譚」として1995年に出版された小説『オズの魔女記』(Wicked: The Life and Times of the Wicked Witch of the West)をもとに作られた舞台ミュージカルで、2003年10月にブロードウェイで初演されて以来、現在でもロングランを続けている大ヒット作だ。日本でも劇団四季が2007年6月から上演したので、舞台版を見たことがある人もいるだろう(2024年11月現在、大阪四季劇場で続演)。さらにこの舞台版をもとに、アリアナ・グランデとシンシア・エリヴォがそれぞれグリンダとエルファバを演じた映画版が、日本で2025年春に公開が予定されている『ウィキッド ふたりの魔女』だ。

ややこしいのだが、映画『オズの魔法使』にもライマン・フランク・ボームの『オズの素晴らしい魔法使い』(The Wonderful Wizard of Oz)という原作がある。こちらも1900年に刊行されて以来、世界各国で版を重ねている児童文学のベストセラーだが、『ウィキッド』は小説版・舞台版ともに、映画版『オズの魔法使』にしかない設定も取り入れている。ボームの小説では、ドロシーが戦うことになる西の悪い魔女には目が一つしかないと語られるけれど、肌の色への言及はない。だが映画『オズの魔法使』では西の悪い魔女は暗い緑の肌をしている。『ウィキッド』では、のちに西の悪い魔女となるエルファバが、全身緑色で生まれてきたことが物語の展開上重要な意味を持つことになる。

 

アメリカ文化の一部となった映画『オズの魔法使』

『オズの素晴らしい魔法使い』は何度も映画化されてきたし、ボーム自身が関わったものも含め、舞台版も多く作られてきた。だがジュディ・ガーランドが主演し、「虹の彼方に」を歌った映画『オズの魔法使』はアメリカ人にとって特別な意味を持っている。ここで説明したように、公開当時はそれほど話題にはならなかったものの、第二次世界大戦後、家庭にも普及していったテレビで度々放映されるようになると、『オズの魔法使』は原作小説以上にアメリカ文化の重要な一部となった。

小説『ウィキッド』の作者グレゴリー・マグワイアは、それまでも数多くの児童文学作品を世に送り出してきたから、初の大人向け作品を書くにあたって子どもばかりでなく大人にもよく知られている映画の設定を使ったわけだ。

 

“正義”とアメリカと『ウィキッド』

緑色の肌をしたエルファバが正義を求めたためにかえって迫害を受けるはめになり、「西の悪い魔女」と言われるようになる、という『ウィキッド』の基本的な筋立ては、小説刊行時の合衆国民にとってとりわけ痛切に感じられるものだった。何が正義で何が悪かわからなくなってしまう。正しいと信じていたものが全面的に正しいわけではなく、邪悪な存在だと憎んでいたものにも、そうなるだけの正当な理由があることがわかる。

第二次世界大戦以降自他ともに認める「世界の警察官」の役割を果たしてきたアメリカは、この時期パナマ侵攻(1989)や湾岸戦争(1990)といった軍事介入を内外から批判される。1960年代になし崩しに始まったヴェトナム戦争(〜1975)のときも、反戦平和運動は世界中に広がったが、こちらは「アメリカが悪い」ということで(少なくとも批判者にとっては)意見が一致していた。だが独裁者として強権的政治を行なったマヌエル・ノリエガを逮捕するためのパナマ侵攻や、クェートに侵攻したイラクとその独裁者サッダーム・フセインに打撃を与えるために多国籍軍の一部として始めた湾岸戦争は、アメリカにも大義がないわけではなかったから、人々はどう対応してよいか戸惑った。

さらに舞台版『ウィキッド』はエルファバとグリンダの友情に焦点を当て、ひとひねり加えることで、この主題を小説とは別の方向で深化させた。小説でもエルファバとグリンダはシズ大学で出会い、親交を深めるが、あくまでも物語はエルファバを中心に展開していく。一方、舞台版では、数々の作品でシスターフッドを称揚してきたアメリカン・ミュージカルの伝統を受け継ぎ、「白人」で育ちが良く、そのかわり少し感性の鈍いグリンダと、「有色人種」でこれまでも差別を受けてきたエルファバが取り結ぶ関係を二人の数々のナンバーで綴っていく。

名門高校の「スクールカースト」で最上位に位置していたはずのグリンダと、田舎の高校の優等生然としたエルファバ。アメリカの大学の「民主的な」ところは、そんな二人が出会えるところにあるが、その出会いはまた、生まれや育ちの違いをはっきりさらけ出してしまうことにもなる。だが二人は当初の反目や誤解を乗り越えて一対一の人間としての関係を取り結ぶ。このエピソードにアメリカ人の良心が託されていることはいうまでもない。私たちはみな平等だ。だからこそ、私たちは仲良くなれる。

しかし『ウィキッド』はそこで終わらない。ともに過ごした時間と場所によって育まれた、心の奥底でつながっているという感覚は変わらないものの、二人の関係は大きく変わっていく。それは社会の偽善にたいする二人の態度の違いによって引き起こされる。

思えばボーム『オズの素晴らしい魔法使い』もまた、オズの魔法使いが「ペテン師」(humbug)であり、オズの国に迷い込んだ人間が魔法を使えるふりをしているだけだったことを暴くことで「まことしやかな嘘」の恐ろしさを子どもにも教えるものだった。映画『オズの魔法使』でも、オズの大王の正体が暴かれる場面が物語の重要な転換点となっている。

 

独善と偽善の間

アメリカの社会はペテン師に厳しい。本来その資格がないものがその資格があると言い張ったり、善でないものが善だと偽ったりすると、みんな一斉に怒り出す。先日終わったばかりの大統領選挙でも、相手の候補が大統領になるだけの資質のないペテン師だと互いに言いつのることで盛り上がった感がある。

偽善の告発になると、アメリカ人は頭に血がのぼる。だがそれはぎゃくに、アメリカ人がふだん偽善をどれだけ受け入れて暮らしているか、ということでもある。日本人以上に、建前と本音を区別し、人前では建前しか言わない。社会的地位の高い「立派な」アメリカ人ほど、そういうところがある。『ウィキッド』では、そういう偽善を受け入れて生きるようになったグリンダが南の善い魔女となり、偽善を告発し続けるエルファバが西の悪い魔女となることが示される。だがグリンダは偽善者であっても悪者ではないし、エルファバも独善的になるところがある。二人とも心に少しの闇を抱え、それでも自分たちなりに善をなそうとして、迷走する。

女性二人の友情と、障害を乗り越えて結ばれる愛。ミュージカルには欠かせないそうした要素をたっぷり織り込みながらも、正義とは何かを考えさせる、そんな深みをそなえた作品が『ウィキッド』だ。『ウィキッド ふたりの魔女』は二部作で、来春日本公開される第一部は舞台版の第一幕に相当するものだと聞く。エルファバとグリンダの関係が舞台版よりさらに緻密に描かれることになるのではないかと今から楽しみだ。

Written By 日比野 啓


『Wicked: The Soundtrack』
2024年11月22日配信
CD&LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify

<収録曲>
1. 「No One Mourns the Wicked」Ariana Grande ft. Andy Nyman, Courtney Mae-Briggs, Jeff Goldblum, Sharon D. Clarke & Jenna Boyd
2.「Dear Old Shiz」Shiz University Choir ft. Ariana Grande
3.「The Wizard And I」Cynthia Erivo ft. Michelle Yeoh
4.「What Is This Feeling?」Ariana Grande & Cynthia Erivo
5. 「Something Bad」Peter Dinklage ft. Cynthia Erivo
6.「Dancing Through Life」Jonathan Bailey ft. Ariana Grande, Ethan Slater, Marissa Bode & Cynthia Erivo
7.「Popular」Ariana Grande
8.「I’m Not That Girl」Cynthia Erivo
9.「One Short Day」Cynthia Erivo & Ariana Grande
10.「A Sentimental Man」Jeff Goldblum
11.「Defying Gravity」Cynthia Erivo ft. Ariana Grande

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