ビリー・アイリッシュ最新作『Happier Than Ever』の“真価”と待望のライヴでの新曲の“鳴り”
2021年7月30日に発売されたセカンド・アルバム『Happier Than Ever』が英米を含む全世界15カ国で1位を記録、そして主題歌を担当した映画『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』が10月1日から公開されるなど話題が続くビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)。
そんな彼女のアルバムの内容やサウンドの変化について、音楽・映画ジャーナリストの宇野維正さんに寄稿いただきました。
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2021年7月30日にビリー・アイリッシュがリリースしたセカンド・アルバム『Happier Than Ever』は、2年前のデビュー・アルバム『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』リリース時の勢いがまったく減速することなく、前作同様の圧倒的な支持を受けて世界中のアルバム・チャートで1位を獲得した。アルバムのリリース以降もディズニープラスでの『ハピアー・ザン・エヴァー:L.A.へのラブレター』の配信、全世界で同時配信された「2021 Global Citizen Live」への出演を含むライヴ活動の再開をはじめとして精力的に動き続けているビリー。『Happier Than Ever』のリリースから約2ヶ月を経た今、ようやくこのアルバムの真価が見えてきたのではないだろうか。
ツアーの中断で生み出された赤裸々な楽曲
そもそも、今回のセカンド・アルバムはビリーにとってキャリア上の綿密な計算や計画に沿って制作された作品ではなかった。日本での初単独公演を含むワールドツアー「WHERE DO WE GO? WORLD TOUR」はアメリカ国内でたったの3公演を終えた段階で、新型コロナウイルスの感染拡大によって中断、やがて正式に残りの数十公演はすべてキャンセルに。
そのツアーで初披露されてセンセーショナルな映像とともに議論を巻き起こしたスポークン・ワードによるステートメント・ソング「Not My Responsibility」は『Happier Than Ever』のちょうど真ん中に収められているが、昨年のうちにリリースされた「my future」「Therefore I Am」を含む本作収録曲の大半は、突然のツアー中断によってぽっかり空いた時間にビリーとその兄フィニアスの共同作業から生み出された楽曲だ。
『Happier Than Ever』の第一印象は、アルバム直前のリード曲「NDA」や表題曲「Happier Than Ever」のリリックに象徴的なように、デビュー・アルバムでいきなり大成功を収めたアーティストの典型的な次のアルバム、つまり「突然手にした名声と、それと引き換えに失ったもの」について歌ったセカンド・アルバム・シンドローム的作品というものだった。
これは、特にビリーのような同世代からの共感をベースに強固なファンダムを築いてきたアーティストにとっては、なかなかリスクの高い「次の手」だったのではないかと思う。何故なら、当たり前のことだが、ビリーと同世代のファンは誰もビリーのように世界的な名声も巨万の富も手にしていないわけで、本来ならそこに「共感」を覚えるのは難しいからだ。逆に言うと、もし予定通り2020年の秋までワールドツアーで世界中のファンと時間と空間を共有してきて、そこからじっくりと腰を落ち着けてセカンド・アルバムの作業が本格的にスタートしていたなら、ここまで赤裸々な作品にはならなかっただろう。
広がった音楽性の幅
一方、ビリーとフィニアスは『Happier Than Ever』において、「サブベース」や「ASMR」といったキーワードで語られることも多かったデビュー・アルバム『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』のDTM特有の密室的なサウンドプロダクションから--それをアルバムの一部では進化させて引き継ぎながらも--飛躍的に音楽性の幅を広げることに成功している。Vevoがおこなったオフィシャルインタビューでビリーは次のように語っている。
「タイムレスなレコードが作りたかった。リスナーがどう思うかということだけではなく、自分自身にとってタイムレスなレコードにしたかった。自分がずっと好きだった、ジュリー・ロンドンやフランク・シナトラやペギー・リーといった昔のアーティストたちから多くのインスピレーションをもらった」
そうしたポピュラーミュージックのレジェンドたちに馳せた想いは、そのサウンドだけでなく、ビリーの歌にも強い影響を及ぼしていて、ジュリー・ロンドンやペギー・リー、さらには(フランクではなく娘の)ナンシー・シナトラを思わせるような、ムーディーでソフトな歌唱を今作で完璧に会得してみせている。『Happier Than Ever』最大の聴きどころは、そんなビリーのシンガーとしての「タイムレス」な魅力のポテンシャルが一気に開花したところにあるのではないか。
地上で最もゴージャスな無観客ライヴで見えたもの
そんな思いをさらに強くしたのは、ディズニープラスの『ハピアー・ザン・エヴァー:L.A.へのラブレター』における、ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団やギタリストのロメロ・ルバンボらを迎えたロサンゼルス・ハリウッドボウルでの「地上で最もゴージャスな無観客ライヴ」のパフォーマンスだった。無観客であること、そしてライヴ作品ではなくあくまでも映像作品であることから、おそらくは周到なリハーサルや撮り直しも可能だったのだろう。同作におけるアルバム『Happier Than Ever』楽曲のライヴ演奏は、レコードの音源とも違う、来年2月から始まる仕切り直しのワールドツアー「Happier Than Ever The World Tour」とも(おそらく)違う、ディズニーと超一流ミュージシャンたちのバックアップによって実現したたった一度だけの「夢の世界の『Happier Than Ever』」と言うしかない、まさに「タイムレス」な輝きと完成度を誇るものだった。
『ハピアー・ザン・エヴァー:L.A.へのラブレター』の中で、ビリーはロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団が奏でる「Halley’s Comet」の優雅なイントロにのせて、ロサンゼルスの街について深い感慨を込めて次のように語っている。
「今の私を作った街なのに、その価値に気づいてなかった。大人になるにつれてロサンゼルスへの愛が増した。この街で子供時代を過ごし、人として成長できた。ロサンゼルスが私を育てた」
これは、元恋人への怒りと失望を叩きつけるように歌ったアルバム表題曲「Happier Than Ever」のコーラスの締めのパート「You made me hate this city / あなたのせいでこの街のことが嫌いになった」への自己アンサーととることもできる。アルバム制作時に18〜19歳だったビリーにとって、すべては成長の過程。彼女にとって、作詞・作曲をする中で感情を吐き出すことも、曲をパフォームすることも、大きすぎる成功とその反動に対する精神的なリハビリテーションなのだろう。
想定されていた大観衆と大合唱の中での新曲の“鳴り”
9月19日、ラスベガスでおこなわれたフェス「Life is Beautiful 2021」で、昨年3月に中断した「WHERE DO WE GO? WORLD TOUR」以来1年半ぶりに大観衆の前でフルセットのライヴをおこなったビリー。そのステージを生配信で見ていて、レコードで聴いた時には内省的でパーソナルすぎるようにも思えたアルバム『Happier Than Ever』の楽曲が、ファンの大合唱とそれに満面の笑顔で応えたビリーの開放的なエネルギーに満ちたステージングによって、まったく別の表情を見せることに驚かされた。
デビュー・アルバムを特徴づけていた獰猛なサブベースがフィーチャーされていることで『Happier Than Ever』の中では少々居心地が悪そうにしていた「Oxytocin」は、引き伸ばされたアウトロのビートにのせてビリーがオーディエンスを煽りまくることによって、ライヴにおいては「bad guy」と並ぶ狂乱のパーティー・アンセムに。「Happier Than Ever」は、終盤のビリーのシャウトとフィニアスのギターがグランジ色を帯びることでよりヘヴィでエモーショナルな楽曲となって、ライヴセットの終盤を飾る新たなクライマックスに。新型コロナウイルスによる自己隔離期間中、「タイムレスなレコード」にするべく『Happier Than Ever』のレコーディング作業に邁進していきたビリーとフィニアスだが、当然のように彼らの頭の中では大観衆と大合唱の中での「鳴り」も入念にシミュレートされていたわけだ。
新型コロナウイルスのパンデミックによって音楽界以上の「停滞」を余儀なくされていた映画界もようやく完全に再始動して、発表から実に1年8ヶ月越しに、ようやくこの10月にはビリーが史上最年少で手がけた『007』のテーマ曲「No Time To Die」も全世界の映画館で鳴り響くことに。ビリーの二度目の快進撃はここに全方位的に幕を開けた。あとは、現在2022年の7月までの日程が発表されている「Happier Than Ever The World Tour」の追加日程に「JAPAN」の文字が加わることを待つばかりだ。
Written By 宇野維正
2021年7月30日発売
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