『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』で歌われた曲と歌詞:“実像”と“虚像”のコントラストを表現した歌
本国では10月4日に公開、日本では10月11日に公開された映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』の劇中では、ホアキン・フェニックス演じるアーサー・フレックことジョーカー、そしてレディー・ガガが演じるリーことハーレイ・クインの二人が多くの楽曲を歌いあげます。
二人が歌う楽曲、そしてその歌詞について、音楽ライターの石川真男さんに解説いただきました(ネタバレもあるので未見の方はお気をつけください)。
また、今回のサントラの楽曲とオリジナルや有名となったヴァージョンを聴き比べられるプレイリストも公開となっている(Apple Music / Spotify / YouTube)。
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アーサーの歌は心から放たれた”純愛”声
2019年の大ヒット映画『ジョーカー』の続編として制作された『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』。当初「ミュージカル映画になる」という噂があったが、監督のトッド・フィリップスは「ミュージカルではない」と明確に否定していた。だが、実際に映画を観てみると「ミュージカル映画」と呼んでしまってもいいほどミュージカル・パートが頻出する。とはいえ、作品を通してよくよく観てみると、「ミュージカル映画を作りたかった」のではなく「ミュージカル・パートが必要だった」のではないかと感じられる部分が多々あった。
前作『ジョーカー』は、孤独で心優しきアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)が社会の歪みの中で数奇な運命を辿りながら、やがて内なる狂気を覚醒させ、邪悪なカリスマ“ジョーカー”と化す様を描いていたが、『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』は、その2年後、アーカム精神病院に収容されたアーサーが、謎の女リー(レディー・ガガ)と出会うことで、再び狂気のカリスマへと祭り上げられていく様を描いている。
フィリップス監督曰く「アーサー・フレックとは誰なのか、ジョーカーとは誰なのか」を解き明かすものとのこと。ゆえに、社会に虐げられた人々の賛同を得た“狂気のカリスマ”が暴走の限りを尽くす、といったカタルシスを感じさせるものにはならず、自分自身という“実像”とジョーカーという“虚像”の間で揺れ動くアーサーの心情を丹念に描写するものとなった。
だからこそ、歌の力が必要だったのではないだろうか。周囲との関わりを持とうとしない孤独なアーサーは、台詞で雄弁に心情を語るのではなく、歌を介して心の内を吐露するのだ。例えば、アーサーが音楽療法のクラスでリーと出会った後、病棟に戻って娯楽室で収容者たちとTVを観ているシーン。画面を通してハービー・デント検事から「必ずアーサーを死刑にする」と宣言されるも、希望に満ちた表情で「生まれて初めて、僕を必要としてくれる人に巡り合った」と歌う。その曲は「For Once In My Life」である。
あるいは、外界で一躍“時の人”となっていた“ジョーカー”が病院内でTVインタビューを受けた際に歌う「Bewitched」。そこでは「魔法にかけられ、心奪われ、当惑している」とリーへの想いを吐き出す。
また、護送車で法廷に向かう際には「君が笑えば、眩い太陽が姿を現す」と希望に満ちた歌「When You’re Smiling」を歌う。アーサーが不在のリーへのメッセージとして留守電に吹き込んだ「If You Go Away」では、「君の影になりたかった、そうすればそばにいられたかもしれない」という悲痛な気持ちが吐露される。
いずれの場面でもアーサーの心の声が、あるいは、心から放たれた声が描写されているゆえに、極めて高い純度で伝わってくる。アーサーが露わにする想いは、ある種の純愛というべきものだ。
リーの歌声は“偏愛”
一方、リーも歌でダイレクトに心情を綴る。法廷に向かう際に歌い踊る「That’s Entertainment」では「何だって起こり得る」と言い放つ。
また、アーサーとの面会時に歌う「(They Long To Be) Close To You」では「みんな、あなたに近づきたいのよ」とアーサーを慰め励ますような言葉を投げ掛ける。
再び法廷に向かう際に歌う「I’ve Got The World On A String」では、リー自身もピエロのようなメイクを施しながら「世界は私の思うがまま」と豪語する。
リーの歌にもアーサーと同じような強い想いが込められている。それを“愛”と呼ぶことも可能かもしれないが、それはアーサーの“純愛”とは異なり、虚像あるいは偶像を妄信するかのような“偏愛”というべきものが感じられる。いや、そこには何らかの“思惑”が潜んでいるようにも思える。
リアルとファンタジーを分けるミュージカル・パート
ミュージカル・パートはリアルとファンタジーを描き分けるためにも使用されている。前作『ジョーカー』でも虚実入り混じる描写がいくつかあったが、今作ではアーサー(あるいはアーサーとリー)の妄想をミュージカルで描くことで、虚実のコントラストを鮮明に打ち出しているのだ。
例えば、リーが病棟に火を着け、火事に乗じてアーサーを連れて脱走を図った際、二人が雨の中で「If My Friends Could See Me Now」を歌い踊るシーン。彼らは「今の自分を仲間たちに見せてやりたい」と高らかに歌い上げる。
そして、脱走に失敗し、懲罰房へと乱暴に放り込まれたアーサーは、いつしか夢の中へと陥り、ホテル・アーカムの屋上でのリーとダンスに興じている。不穏なイントロから夢見心地のワルツへと一変するこの曲は、ショウビズ華やかなりし頃のミュージカル・ナンバーやスタンダード曲が並ぶサントラの中で唯一のオリジナル曲「Folie a Deux」(作詞作曲はレディー・ガガ)。だが、それはミュージカル・ナンバーのような煌びやかさと夢想的な儚さを纏っており、二人はその歌詞で「私たちが語るのは真実の物語」と嘯く。
また、法廷で隣人ソフィーが証人尋問を受ける中、アーサーは現実に目を背けるかのごとく妄想の世界へと逃げ込み、ジョーカーへと豹変するシーンでは、「The Joker」を歌い上げ、「自分がジョーカーだ」と名乗りを上げる。
あるいは、リーがアーサーを連れて法廷を後にし、ステージ上で「Gonna Build A Mountain」をデュエットするシーン。それまでにもリーはたびたび「山を作る」という象徴的な言葉を発していたが、ここでようやくその真相が歌によって明かされる。「二人の天国を築こう/小さな地獄から/二人の天国を築こう」「山を築こう/心を込めて/その頂きまで二人で描いた夢を運べば/天国がそこで待っている」と。
「それは虚像に過ぎない」と「現実とはそんなもの」
物語が進むに連れ、虚像と実像のコントラストが次第に鮮明になっていく。いや、虚実が拮抗しているとでもいうべきか。虚像への偏愛を示すリー。対して、虚像として祭り上げられそうになるがどうにか実像に戻ろうとするアーサー。リーは盛んに「That’s Entertainment」を歌い、それに対してアーサーは「That’s Life」と歌う。意訳をすれば「それは虚像に過ぎない」と「現実とはそんなもの」と解釈できるかもしれない。
象徴的なのは、アーサーがTVインタビュー時にリーへの想いを込めて「Bewitched」を歌ったシーン。その想いは紛れもなくリアルであるが、リーはそれを街中のショーウィンド内のTVに映る“虚像”という形で受け取る。しかも、リーはガラスを割ってTVを持ち去るのだ。受信機というただの機械を、だ。
また、法廷が爆破された後、アーサーが支持者たちの車に乗せられ、逃亡を促されるのだが、アーサーは隙を見て車から逃げ出す。ジョーカーという虚像を拒んだのだ。そして、終盤の階段でのシーン。リーが再び「That’s Entertainment」を歌うと、アーサーは「歌はよせ」と拒絶反応を示す。つまり、ここでも虚像を受け入れようとしないのだ。
支持者たちによる逃走を拒んだことによって再び塀の中へと戻されるが、そこではアーサーは“実像”でいられる。だが、そこには悲劇的なラストも待っていた。虚像を完全に終わらせるにはこれしか選択肢がなかったのかもしれない。
人は他人を一側面だけで判断するものだ。とりわけマスメディアやSNSで一部分だけが切り取られる昨今では、それがいっそう顕著である。一部分が独り歩きし、肥大化し、そこから虚像が生まれ、モンスターと化す。そうした場面を(これまたマスメディアやSNSを通してではあるが)我々も目の当たりにしている。人間というものはもっと複雑であり、ちょっとやそっとでは理解できない。そして、切り取られた一部分で理解した気になることは、モンスターを生む危険性を孕んでいる。
アーサーはその複雑な人間としての“自分”を理解してもらいたかったのだ。そして、受け入れてもらいたかったのだ。リーにそれを夢見たが、その夢は儚くも砕け散った。そして、ラストの悲劇的な結末によって、ようやく“自分”を取り戻したのかもしれない。
エンドロールでは、まずは レディー・ガガの歌う「That’s Life」が流れる。「That’s Entertainment」ではない。ここでは「これは虚像に過ぎない」ではなく「現実とはそんなもの」と歌うのだ。そこにはいくらか諦観も感じられるものの、「諦めようと思った時もあったけど、この心がそれを受け入れない」と力強い歌が聴こえる。
最後に流れるダニエル・ジョンストン
続いてアーサーの歌う「True Love Will Find You In The End」。いにしえのミュージカル・ナンバーがずらりと並ぶ中、こうしたローファイ・フォーク・バラードが最後の最後に置かれたのはなぜなのだろう?オリジナルは、孤高の天才ダニエル・ジョンストンが1984年に作った楽曲。躁鬱病を患い、誇大妄想に苦しんだこの純粋かつ繊細なアーティストは、その波乱に飛んだ生涯が『悪魔とダニエル・ジョンストン』という伝記映画にもなっている。
フィリップス監督がそこに「アーサーとジョーカー」を重ね合わせても不思議はない。ダニエルもアーサーのごとく、“自分”という実像を追い求めていたのかもしれない。儚げな歌声ではあるが「最後には真の愛にきっと出会える」という希望が歌われるこの曲。そこには純粋無垢な願いとかすかな希望の光が見える。“自分自身”でありさえすれば、それが見えるのかもしれない。
Written By 石川 真男
2024年10月4日発売
国内盤CD:2024年10月9日発売
CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
楽曲聴き比べプレイリスト
Apple Music / Spotify / YouTube
【映画情報】
映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』
日本公開日:2024年10月11日(金)
監督:トッド・フィリップス
出演:ホアキン・フェニックス、レディー・ガガ
配給:ワーナー・ブラザース映画
https://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/
レディー・ガガ『Harlequin』
2024年9月27日発売
iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
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