エイミー・ワインハウスの時代:彼女が遺したレガシー【映画公開記念連載第3回】

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Photo by Mishca Richter

エイミー・ワインハウス(Amy Winehouse)の伝記映画『Back to Black エイミーのすべて』が日本でも2024年11月22日に公開となった。これを記念して、映画の字幕監修を担当したライター/翻訳家の池城美菜子さんによる3回にわたる短期連載を掲載。

最終回となる第3回は、エイミーから影響を受けたアーティストたち5組を紹介。

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音楽業界、もしくは英語で“ミュージック・ビジネス”と言われるように、類まれな歌声も美しいメロディも、それを広げる商業的なシステムのバックアップが必要だ。サウンドやスタイルにも、時代ごとにトレンドがある。売り出す側は、さまざまな要因を注意深く見守って発掘〜育成〜パッケージ化して、それがうまく行った時のみ新たなスターが生まれる。ごくたまに、トレンドの要因はすべて無視して、本人の才能だけで突然変異のような大ヒットを放つアーティストが出現する。エイミー・ワインハウスは、まさにそのタイプであった。彼女が登場する前と後で潮目が変わり、新たなトレンドさえ生み出した。

00年代前半は、MV映えするダンサブルなR&Bが主流となり、それらを取り入れたアイドル要素の強いポップとの境目が曖昧になっていた。ジャズをバックグボーンに、ガール・グループのレトロなサウンドとヒップホップ、レゲエの要素を混ぜたエイミーのサウンドは、驚きをもって迎えられた。エイミー本人は、1999年の『The Miseducation of Lauryn Hill』でやはりシーンを刷新したローリン・ヒルに心酔していた。同様に、『Frank』と『Back To Black』からインスピレーションを受けたアーティストは多いのだ。たとえば、サム・スミスやラナ・デル・レイは、エイミー・ワインハウスからの影響を公言している

 

映画公開を記念した連載の最後は、さまざまな影響を受けたシンガーたちのなかから、エイミーと活躍した時代が被る4人を取り上げる。エイミーは1983年生まれ。2024年現在、41歳になっている計算だ。彼女と近い世代のイギリス人のエステルと、カナダ出身のメラニー・フィオナは、売り出すにあたってエイミーの成功から恩恵を受けたタイプだ。

 

1. ジョン・レジェンドが売り出したエステル

2008年、ジョン・レジェンドのホームスクール・レコードと契約して、カニエ・ウェストをフィーチャーした「American Boy」でブレイクしたのがエステルだ。1980年、ロンドン生まれ。セネガルとグレナダからの移民を両親にもつ。彼女の場合、エイミーのスタイルに影響を受けたというより、アメリカ進出の追い風になったと捉えるほうが正確だ。

ヒップホップとレゲエの要素が強く、ロンドンっ子特有の大人っぽい雰囲気をまとっていたのが、エイミーと似ていた。『Back To Black』からのシングルがヒットするなか、「American Boy」もラジオでよくかかっていたため、「ロンドンから新風が吹いている」というムードに一役買ったのだ。

エステルは、ロンドンで偶然出会った元カニエ・ウェストに「ジョン・レジェンドを紹介してほしい」と話しかけた強者。それが実を結び、ジョンがプロデュースしたセカンド・アルバム『Shine』がインターナショナル・ヒットになる。マーク・ロンソンがプロデュースした「Magnificent」が収録されたのは、エイミーを参考にしただろう。エステルはその後もレゲエ・アルバムをリリースするなど、自分のルーツに忠実な活動を続けている。

 

 

2. ジェイ・Zも目をつけていたメラニー・フィオナ

2009年のデビュー・アルバム『The Bridge』のアートワークとレトロなR&Bを押し出したスタイルで、エイミー・ワインハウスを彷彿とさせたのが、トロント出身のメラニー・フィオナだ。2002年から本格的に音楽活動を始め、超人気者になる前のドレイクと一緒に4人組のザ・ルネッサンスに在籍していた時期もある。

生まれた年もエイミーと一緒である彼女は、南アメリカ・ガイアナ出身の両親をもち、アフリカ系とインド系の血を引く。長い間、チャンスを待っていたところ、SRCグループの社長、スティーヴ・リフキンが契約。同じユニバーサル グループ傘下のデフ・ジャム社長だったジェイ・Zも興味を持っていたそうだ。彼女自身の歌唱力の高さと、エイミーのおかげでじっくり歌声を聴かせるソウル寄りのシンガーに注目が集まっていたからだろう。

デビュー・シングル「Give It To Me Right」のMVを観ると、雰囲気やサウンドをエイミーに寄せている、と取られてもしかたがない。ゴシップ欄を賑わせるばかりで、エイミーの新曲の噂がまったく入ってこない時期だったため、なおさらそう感じさせた。

デビュー・アルバムには、エイミーの盟友プロデューサー、サラーム・レミも曲を提供している。2作目『The MF Life』はより正統派のR&Bだった。この作品から「4AM」が大ヒット。グラミー賞のベスト・トラディショナル・R&Bパフォーマンスを受賞している。

じつは、筆者はエイミー愛が強すぎたため、本人の思惑はさておき、メラニーやアデルといった「ポスト・エイミー・ワインハウス」枠で売り出されたシンガーに少し反感を抱いていた時期がある。

ところが、キッド・カディのリリース・パーティーですぐ隣にメラニーが立ったため、自己紹介をして話しかけたとき、「日本の人たちも私を知っているの!」とすごく喜んでくれたのだ。気さくに近況を知らせてくれた彼女を前に、大いに反省した。メラニー・フィオナはしばらく活動休止をしていたが、2024年10月に新曲「Say Yes」と「I Choose You」をリリース、R&Bファンを喜ばせている最中だ。

 

3. エイミーからバトンを受け取ったレディー・ガガ

アバンギャルドなダンス・ミュージックと近未来的なファッションで出現したレディー・ガガは、大ブレイクした2008年当時、エイミー・ワインハウスとは対極にいるように映った。だが、個性的な外見と声質で、型にはまらない点は似ている。自分のスタイルを変えずに大ヒットを放った3歳年上のエイミーに、ガガは勇気をもらったと再三、口にしている。彼女が亡くなったとき、48時間何も言えないくらい、打ちひしがれたそう。

「安らかに眠ってね、エイミー・ワインハウス。あなたのことをずっと想い続けます、もっと幸せな天国でブルースを歌っているところを想像しながら。あなたが大好きだったし、いまもそれは同じ」

エイミーの目印だった太めのキャットアイのアイラインを施した写真を、インスタグラムに投稿したこともある。輪郭が似ているため、バイオピックではガガがエイミーを演じるのでは? という噂さえ出た。

ふたりは、2011年にトニー・ベネットの85歳の誕生日を記念してリリースされた『Duet Ⅱ』に参加している。まず、シングル・カットされたエイミーとの「Body & Soul」は、彼女の生前最後のレコーディングとなってしまった。この曲は翌年のグラミー賞最優秀ポップ・デュオ/グループ・パフォーマンス部門を制した。

次にシングル・カットされたのがガガとの「The Lady Is A Tramp」のカヴァーだ。ベネットとガガは、ジャズ・スタンダードを吹き込んだ『Cheek to Cheek』(2014)と『Love For Sale』(2021)とリリースしている。

 

4. エイミーが開いたドアから羽ばたいたアデル

ユダヤ系イギリス人の白人だったエイミーが、黒人の音楽とされていたソウル・ミュージックを歌ったことで励まされたがのアデルだ。彼女自身、「エイミー・ワインハウスがいなかったら、きっと歌手を目指さなかった」とインタビューで答えている。ガガはエイミーの個性に励まされ、アデルは肌の色でジャンルを特定される悪習をはねのけた点に勇気づけられたのだ。

エイミーより5つ年下だが、ともにロンドンっ子で同じ芸術高校ブリット・スクール・フォー・パフォーミング・アーツ&テクノロジーに別々の時期に通ってもいた。もっとも、問題児だったエイミーは数ヶ月間いただけだが。

『19』で注目を集めたエデルは、2008年のBritアワードにおけるマーク・ロンソンのパフォーマンス・セットで共演もしている。まだ初々しいアデルがコールド・プレイの「God Put a Smile upon Your Face」をカヴァーし、ダニエル・メリウェザーを挟んで、エイミー・ワインハウスが「Valerie」とで締めた。

じつは、アデルはエイミーの友人を通して、プール・バーにいたエイミーに会いに行ったという逸話もある。このとき、エイミーは紹介されたアデルを無視したそうだが、アデルはその件について沈黙を貫いている。

機嫌とタイミングが悪かっただけかもしれないし、お手本にしていた先輩アーティストに初めて会った新人が冷たくされるエピソードは意外と多い。それだけ脅威に感じたとも取れる。

アリアナ・グランデがブレイクした当初、インタビューでアリアナについて聞かれたマライアが「そんな子、知らない」と発言してニュースになった。それでもアリアナはラヴ・コールを送り続け、くり返し共演する仲までになったのだ。エイミーとアデルの共演も聴いてみたかった。アデルはコンサートの途中で、エイミーへのトリビュートとしてボブ・ディランの「Make You Feel My Love」を歌っている。

 

5. マーク・ロンソンとダップトーン・レコーズ

『Back To Black』の成功で、2000年にスタートした、ミュージシャン自身が運営しているブルックリンのレーベル、ダップトーン・レコーズにも注目が集まった。

ブッシュウィックにレコード・ショップとプロトゥールズを置かないアナログのスタジオを擁し、シャロン・ジョーンズ&ザ・ダップ・キングス、マンハッタン・ストリート・バンドなどが在籍、R&B/ソウル・ミュージックのファンの間では根強い人気がある。

中心人物のガブリエル・ロス(別名ボスコ・マン)とニール・シュガーマンと同じユダヤ系であり、DJらしいアンテナがあるマーク・ロンソンは、このレーベルのファンだった。エイミーはザ・ダップ・キングスの面々と、古いソファーがあるこのスタジオで、昔ながらの手法でレコーディングした。ロンソンはその後、ザ・ダップ・キングス所属のミュージシャンを、ブルーノ・マーズの「Uptown Funk」と「Locked Out the Heaven」でも起用している。

エイミーのプロモーションに力を入れるのと同時期に、ラッパーとして復帰していたジェイ・Zは、同レーベルのインスト・バンド、マンハッタン・ストリート・バンドの『Make The Road By Walking』のタイトル曲をサンプルして、2007年の秋に「Roc Boys (And the Winner Is)…」をヒットさせた。

彼は、2008年の元旦に社長を辞任している。この動きに続くように、キッド・カディ、50セント、ケンドリック・マラー、カランシー、リュダクリスも同アルバムの曲を使用した。エイミー・ワインハウスの人生は27年と短かったが、彼女の曲が生んだ音楽的遺伝子は、多くのミュージシャンの曲で生き続けているのだ。

Written By 池城 美菜子(noteはこちら



『Back To Black: Songs from the Original Motion Picture』
2024年4月12日配信
日本盤CD:11月15日発売
CD / LP /Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music



エイミー・ワインハウス『Back To Black』
2006年10月27日発売
CD /Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music



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