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【座談会】デビュー10周年を迎えたThe 1975を振り返る【前編】
今年デビュー10周年を迎える英ロック・バンド、The 1975。この10周年を記念して、日本オリジナル企画として7インチヴァイナル5枚が収録されるBOXセット『(2013 – 2023) Singles』が2023年12月15日に発売される。
この発売を記念して、この10年間The 1975を担当してきた日本のレコード会社の担当、そして二人の音楽ジャーナリスト(新谷 洋子、粉川しの)の3人による座談会を実施。その模様を前編・後編の2回にわたって掲載します。
後編はこちら。
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・The 1975がリスナーを魅了する5つの理由
・デビュー・アルバム『The 1975』。当時の評価やマシューが語ったこと
・マシューが語る、5作目の新作『Being Funny In A Foreign Language』
The 1975との最初の出会い
――では今回参加頂く、皆さんにまず一人ずつ自己紹介をお願いします。
川崎:ユニバーサル ミュージックの日本でThe 1975を担当しているインターナショナルのレーベルヘッドの川崎です。彼らとの出会いは、2012年に彼らが『Facedown EP』を出したぐらいに、1975のシングルやEPを拝聴しまして。で、もう「好き!」となって。一聴して一目ぼれしまして。で、当時の上司に「担当をしたいです」と言って担当させてもらって今に至ります。という10年間を過ごしました(笑)。
――で、もう誰にも渡していない。ずっと自分で。
川崎:自分が担当しているアーティストでは、ほぼ唯一ぐらいかな? 途中からは同じ部署の岩本と一緒に2人でやらせてもらってます。というところで、音楽はもちろん、彼らと何度も一緒に時を過ごしてきましたので、そういったお話をできればと思います。
――では次に粉川さん、お願いします。
粉川:私が初めて1975に出会ったのは『Sex EP』ですね。その後、2013年の初来日の時に取材をして。その取材がデビュー・アルバムが出る直前だったんですかね? 当時のRO69というロッキング・オンのサイトがありまして。そこで4人に『The 1975』を全曲解説してもらうってところが最初の取材ですね。そこからコンスタントに取材をさせていただいてるという感じです。
――では最後に新谷さんお願いします。
新谷:はい。ライターの新谷です。あんまり最初は覚えてないんですけども(笑)。この頃ってちょうど、音楽をチェックするのは、雑誌のNMEだけじゃなくてブログになった頃だったんですよね。いろんなものをチェックしなきゃいけなくなって。しきりにこの名前が2012年に出てきて。「なになになに?」って。どれを最初に聞いたのかはちょっと覚えてないんですけど。私もやっぱり根が80年代なので、刺さりまくりで。あと、もう見た目も含めて。それで、川崎さんから幸運なことに声をかけていただいて。私も初来日の時に取材をして。原宿アストロホールのサウンドチェックの時にたしか……。
川崎:はい。立ちでしたね(笑)。
新谷:そう。結局マシューしかしゃべらないみたいになっちゃって(笑)。
川崎:2013年ですね。
新谷:10年前でしたね。あれはもう、強烈でしたね。
――そこからずっと、日本で支えていらっしゃる3人なんですけど。まず簡単に……今、ちらっと出会いをお話いただきましたが、最初に聞いた曲は覚えていますか?
川崎:曲だと「Chocolate」です。当時、ストリーミングも日本においてはあまりなかったので、輸入盤を取り扱うかどうかという判断のために、輸入盤の担当者に一番早くリリース前の音源が行くという時期だったんです。この時代って。で、当時の輸入盤担当がデスクでめちゃくちゃ「Chocolate」を一生ループで聞いていて。で、私が「えっ、なんすか、この曲?これ、誰の何ですか?」って言ったら「えっ、The 1975っていうアーティスト。今度、出るみたい。いいよね」「えっ、最高っすね!」って言って。そこが私の出会いです。
――粉川さんは当時、RO69編集長でしたっけ?
粉川:いや、当時はもう辞めてフリーになっていて。で、ある程度暇だったので、イギリスにも言ったりしていて。それで、向こうのたしか、ロンドンのラフ・トレードで、端っこの方に1975って書いてあるジャケットがあって。「なんだろう、これ?」と思って見たのが『Sex EP』で。で、お店の人が「これ、最近出てきて、Radio 1とかでもかかり始めたよね」みたいなことを言っていて。それで「へー」と思って買ったのが最初です。それでホテルに戻って聞いてみたら、「なにこれ?」みたいな。「えっ、LCDサウンドシステムの“All My Friends”じゃん?」っていうもう身も蓋もない感想なんですけども。そこからちょっと気になって掘り出したっていう感じですね。
ーー『Sex EP』の中には、アーティスト写真とかはなかったですよね?
粉川:ありませんでした。だから最初は顔がわからなくて。当時、なんだっけな? ブログとか、Tumblrとかで1975をディグったら、「えっ、なにこのボーイバンド?」って思って(笑)。くくりとしては、それこそなんかマクフライやバステッドのようなボーイバンドとインディーのフュージョンみたいな、そういう戦略的な産物なのかな?って最初は思って。で、レーベルを見たら、まだたぶんユニバーサルとははっきり明示されてなくて。
川崎:されてなかったと思います。
粉川:で、「Dirty Hit」って書いてあるけれど、Dirty Hitって何?って。それがたぶん2012年の終わりのほうかな? 置き場がないまま気になるみたいな。
ーージャンル分けはカチッとはまらないっていう感じですね。新谷さんは?
新谷:私は本当に曖昧なんですが、最初に好きになったのは「Sex」だったっていうのだけは覚えているんです。たぶんBBC。当時、BBCの6 Musicは絶対にかけなかったんですよ。BBCは音楽、ロックをかける局って1と6なんですけども。
川崎:6はちょっとね、敷居が高い。
新谷:お高い感じで。で、「どうしてかけないんだろう?」ってずっと思いながらCDをかけて聞いて。私もジャンルの分け方がわからなかったんですよ。この人たちアイドルで楽器やってるのか、オルタナバンドなのかっていう、その位置づけが本当にわかんなくて。でもそこがすごくハマる……あとは本当にさっきも言いましたけど、80年代的なサウンドが思い切り刺さって。
粉川:2012年の辺りはUKバンド・シーンがかなりシュリンクしていた時期ですよね。2000年代のガレージ・ブーム、アークティック・モンキーズ周辺のバンドブームが落ち着き始めて、ポップの時代が本格的に始まっていって。UKでもみんなテイラー・スウィフトを聴いているみたいな。そういう時流に合わせて、苦肉の策でこういう……ボーイバンドにインディーズをやらせてみようみたいな、そういうチャレンジなのかな、と最初は思っていたんです。
新谷:うんうん。情報、すごく少なかったですよね。当時。
川崎:少なかったですね。
粉川:NMEも全然フォローしてなかったですよね?
川崎:だってワースト・バンドに挙げていましたよね? 3人が共通なんですが、私も最初はジャンルがわかんなくて。ただ、とにかく「Chocolate」が大好きすぎて(笑)。というだけで。で、顔を調べたら「あっ、イケメンじゃない?」って(笑)。
ーー大切ですよね(笑)。
粉川:全員イケメンで(笑)。
川崎:全員、それぞれ違うタイプのイケメンじゃん、みたいになって。で、海外に問い合わせてみたら「これからアルバムを出す」となって。でも、どういう作品になるのかとか、いろいろとよくわからなくて。でも、よくわかんないけどなんか凄いから担当しようって。
ーー洋楽ではよくあると思いますが、海外からのプレッシャーで「やれ!」っていうようなものも全くなかったですか?
川崎:全くなかったですね。もう自ら、勝手に日本だけプライオリティにするみたいな。UKに対してもすごいグイグイで。「日本、やるから!」みたいなのを国内でも上司にも宣言して。UKにも言ってましたね。だから「日本を優先してくれ」みたいなことは最初から言っていて。
粉川:その川崎さんの圧があって、UKバンドとしては珍しく日本と海外の状況がほぼ同時進行で。
川崎:同時でしたね。プレスが引っ張ってるんじゃなかったのもいいと思うんですよ。ファンが先行して、どんどんネットで支持を広げて。よくあるNMEが「これがベストニューバンドだ!」っていうのじゃなかったっていう。
ーー逆にワースト・バンドとして批判していました(笑)。
川崎:そうメディアじゃなくて、完全にファンが「かっこいい! かっこいい!」っていう風に集まっていって大きくなってましたね。
初めての来日公演
ーー3人が初めて単独公演を見たのは2013年8月14日原宿アストロホールだと思いますが、チケットは売り切れていたんですか?
川崎:たしか……当日に売り切れてました。
ーーじゃあ、ギリギリで?
川崎:ギリギリ。当時、某上司にめちゃくちゃガン詰めされて。「どうするんだ、これ? あんた、やりたいって言ったけど全然売れてないじゃん!」ってガン詰めされてライヴの前日は「ヤバい、ヤバい、ヤバい……」って。当時は入社して数年のペーペーだったので。泣きながら帰ったのを今でも覚えてます(笑)。「このバンド、絶対に売ります!」とか結構、大口を叩いていたのに、ヤバいって。
ーーアストロって会場のキャパは200人ぐらいでしたよね?
川崎:しかもメディアや関係者の招待もいたから、実券では、100枚? たぶん150かな? なので「ヤバい。私、なんか間違ったかな? このバンド、信じていたけれども過信していたかな?」とかって思っていたんですけど。当日券かなんかでギリギリソールドアウトしたんですよ。
ーーで、新谷さんも粉川さんもそこはいらっしゃったんですか? そこで見たライヴの印象はどうでしたか?
粉川:ライヴで見て、アイドルバンドじゃないんだなってちょっと印象が変わって。
川崎:ロックバンドだった。
粉川:本人たちの意識もそうでしたよね。
新谷:でも入り待ち、出待ちがすごくて。
川崎:すごかった!
ーーへー! 男性?女性?
新谷:女性の方が。
川崎:でもまだ、おじさんが多かったですよね?
新谷:ああ、おじさんもいましたよね。80年代っぽさがある音だから。でも、女子は正しいんですよ(笑)。
川崎:いつの時代も(笑)。
ーーアンテナがね。
新谷:特に日本は。かつてのクイーンやデュラン・デュランもそうだったように女の子が先にキャッチするから。
ーーそこで初めてちゃんとインタビューもしたんですか? どんな印象でした?
粉川:最初はロッキング・オンから「The 1975をちゃんとやっていきます」って聞いた時に「えっ、やるんだ?」って思った記憶があるんですよ。っていうぐらい、当時の、なんて言えばいいんだろう? アイドルロック的なものだと思っていて。それは、いい意味でですよ? その、文字通りのアイドルじゃなくて、棲み分けとしてもうちょっとポップなものっていう。で、当時のRO69の編集長も「これはきそうだから、RO69もやることにしました」と。「じゃあ、やりますよ」みたいな感じで。
ーーインタビューで話してみてどうでしたか?
粉川:RO69の取材の時は4人全員が来て、ワチャワチャしていましたね。でもその時の取材でかなり強烈な印象を受けまして……私、マシュー・ヒーリーって会うたびに印象は違うんですけども。
川崎:ああ、でもそれはわかります。言うことも、すぐに翻るみたいな(笑)。
粉川:切り口がデビュー・アルバムの全曲解説だったので、「あなたたち、すごい80’sのパクリじゃないですか?」みたいなことを……オブラートに包みながら訊いていったんですけど。こっちが包んでいるオブラートを全部むいてくるみたいな(笑)。「そうだよ。この曲とこの曲の参照で。この曲はあれの参照で。この曲はこの曲を参考にしました」みたいな。「“Girls”ってやっぱり、あれですよね? シンディ・ローパーの“Girls Just Want to Have Fun”ですよね?」と聞いたら、マシューが「うん、その通り!」って(笑)。「あ、肯定しちゃうんだ?」って思いました。当時のインディー・ロックのバンドとは、マインドが全く違うんだなって。
ーーかっこつけないっていう?
川崎:つけない、つけない。
粉川:今思えば本当にストリーミングやSNS、Tumblrに象徴される時代性、どんどん情報がカットアップされていく時代性みたいなものを、先取りしたマインドだったのかもしれないですよね。半分は意識的に。半分は無意識にやっていたのかもしれないけれど。結構びっくりしました。「こんなことを言ってるけど、いいのかな?」ってこっちは思っちゃうじゃないですか。でも、それを載せたらすごい反響があって。ロッキング・オン本誌も、どんどん取材していって。
ーーリリースや来日も何も関係なく?
川崎:(レコード会社としては)本当にありがたかったです。ビハインド・ザ・シーン的に言うと当時、編集部にいた羽鳥麻美さんが「大好き」っておっしゃってくれていて。で、私がロッキング・オンに何回かプレゼンしに行ったんですよ。そこで、私は勝手に1年計画と10年計画を作っていって(笑)。「◯月、ヘッドライン。△月、◯ページ。※月、1万字インタビュー、◇月はディスクレビュー」とか。
ーー勝手にロッキング・オン10年間のスケジュールを作って(笑)。
川崎:(笑)。「◯年後に表紙1回目」とかって勝手に作って持っていったら、「やりましょう!」って言ってくださって。本当にありがたかったなと思って。
新谷:その10カ年計画って割とその通りになってるんですか?
川崎:いっています。もちろん、コロナがあったんで3年はちょっと前後したんですけども。でも、表紙も、やらせていただいて。2回も。本当に最初からもう握手して、やらせていただいたバンドなので、メディアとしてはロッキング・オンと歩んできた10年間だと本当に思ってますね。
ーー新谷さんは最初、インタビューされてどういう印象でしたか?
粉川:どんな環境だったんですか?
新谷:楽屋じゃなくて、開場前のフロアの真ん中で、なぜか立ったまま4人と向き合って喋って、うしろでその様子を川崎さんが撮影していて……
川崎:フロアで立って、こうやって(笑)。
新谷:とにかくマシューがしゃべり倒して。あれは強烈でした。あんなしゃべる人っていうのもしばらくいなかったんですよ。雑誌のヘッドラインになるような言葉を言うようなフロントマンって。それこそジャーヴィス・コッカーとかデーモン・アルバーンとかギャラガー兄弟とか。だから「ああ、この子はヘッドラインを作れる」って思ったんですよ。歌い手、書き手としても素晴らしいんだけども、しゃべり手にもなるって思ったのと。あとはやっぱり上昇気流に乗ってるバンド特有の輝きとか勢いって、みんなまとっているじゃないですか。もうそれが明らかにあった気がします。
川崎:生意気でしたよね?
新谷:生意気でしたよ。言うことが全部。一丁前に(笑)。
川崎:「NMEとか眼中にないから」みたいな(笑)。
新谷:そうそうそう(笑)。
川崎:なんか、イキってた(笑)。
初めてのサマーソニック
ーーアストロホール公演の直前、2013年8月11日サマソニに出演しました。サマソニは皆さん見られましたか?
新谷:見ましたね。
粉川:サマソニ、盛り上がってましたよ。
新谷:盛り上がっていました。
ーーどのステージでした?
川崎:ソニックの朝10時とか。東京だけ、クリマンにお願いしてぶっこんだんですよ。6月とかギリギリに。「東京、朝イチでいいんで、ぶっこんでください!」って、上司とプレゼンしに行って。それを軸にショーケースとか、プロモとかを組んでいきました。でも正直、集客は不安だったけど……結構人、入ってましたよね? ライヴも立派だったし。
ーーへー! 大きいステージでも?
川崎:ソニックの朝イチでしたね。無理やり作ってもらった枠でした。なんか私、印象的だったのがとにかくThe 1975を初見の女子たちが結構いて。私、いろんなところで見ていたんですけど。後ろの方とかに行った時に「えーっ、なんか知らないけど、イケメン!」ってみんなが言っていて(笑)。
粉川:それも大事ですね(笑)。
川崎:ステージの移動の間でちょっとチラッと見てるだけの子たちが何曲か見入っていたので、それが嬉しくて。「だろう?」って心の中で思いましたね。思う壺だって。
粉川:ロックバンドで色気のあるバンドって、当時はなかったですよね。
川崎:本当にいなかったですよね。
粉川:音は知っていても、顔は知らないバンドばっかりでしたよね。USもUKも。
川崎:そうでしたね。
デビュー・アルバムの発売
ーーその後、9月にファーストアルバムが出たわけですが。日本盤は10月発売。アルバムとして初めて聞いてみてどうでしたか?
新谷:割とEPの延長だったんですよね。だから正直言ってあんまり驚きはなかった。大好きですけどね。
川崎:アルバムらしいアルバムじゃないですからね。
新谷:そうですね。コンピっぽかったですね。
川崎:「こんなこともこんなことも、こんな曲も僕たち、できます」みたいな。プレゼンみたいなアルバムで。
新谷:そうそう。だからセカンド以降に本領を発揮っていう。だけど十分にインパクトはあったと思う。
ーー担当としては、どうですか? 売れましたか?
川崎:売れました、売れました。売れましたし、「やっぱりファースト、いいよね」って結局今もね、みんな言ってくれますね。
粉川:すごい再評価が来てますよね。
川崎:ですね。だから「はい、こんにちは。1975です」っていうアルバムとしては最高だと思いますし、今も思っていますね。あとMVもいっぱいここから出していて。なんか「Girls」ではじめてだっけな? カラーになったりとか。そこらへんの持っていき方、演出とか見せ方もうまいなって思いましたね。
2014年:2度目の来日公演
ーー翌年、2014年にいきなりジャパンツアーが決まって、東京公演はアストロホールから赤坂BLITZという大きいところに変わりました。
粉川:満員でしたよね?
川崎:はい。いっぱいでした。
ーー改めて半年ぶりにライヴを見て。皆さん、印象とか、変わっていたものはありましたか?
粉川:いまだに強烈に覚えているのはステージからマシューが「ダーリン」って客に呼びかけていて。私、マンチェスターのバンドで「ダーリン」って言う人、初めて見たなって……。
ーーフレディ・マーキュリー以来の(笑)。
粉川:フレディ・マーキュリーが言うならわかるんですけども(笑)。「ダーリン」ってマンチェでも言うんだ、みたいな。すごい驚きだったのを覚えています。でも、デビュー・アルバムはUKで1位を取ったけど、批評家とか年間のベストアルバムとかでは厳しい感じでしたよね。
川崎:「なんなんだ?!」っていうぐらい、厳しかったですね。
新谷:やっぱりマシューが芸能人の子供っていうのが偏見を招いたのか(父は俳優のティム・ヒーリー、母も俳優のデニース・ウェルチ)、ものすごくメディアが敵視していて。「ファン対メディア」みたいなところがこのバンドの場合、ずっとあったりして。
粉川:ファンは一生懸命ブログで反論するみたいな(笑)。そのブログカルチャーが後に、もっとSNS的なものになっていって、一気に拡散していく。この人たちはインスタでも映えるじゃないですか……っていう、そのちょうど分岐点ですよね。
ーーSNS前夜ですね。
粉川:SNS前夜でしたね。あと、本当にSpotify。
川崎:そうですね。でも、UK1位を取ってから日本に帰ってきたから、やっぱり自信に満ち溢れてましたよね。それが伺えましたね。あとはたしか、この来日はすごいスケジュールがタイトで、やってパッと帰ったという感じではありました。でも出待ちのお客さんの数とかも多くて、ライヴはソールドアウトでしたし……まだまだこれからすごいものになるなっていうのは思いましたね。
2度目のサマーソニック
ーー2014年の夏にまたサマーソニックに来て。これ、ステージはどこでしたか?
川崎:マリンですね。
粉川:アリーナの前の方にすごいおしゃれな女の子たちがひしめき合っていて……。
川崎:そうそうそう!
ーーどういう格好ですか?
川崎:お花みたいなのが。
ーーヒッピーみたいな?
川崎:ヒッピーっていうか、なんかインフルエンサーみたいな見た目の。
粉川:やたらきれいな、おしゃれな、かわいい……。
川崎:美人な子たちがガツン!って。
ーー日本人ですか?
粉川:そう。他のバンドのファンと全然違うみたいな。
川崎:汗臭さがない(笑)。
粉川:その子たちが前の方で「キャーッ!」って。「これはもう、来るな!」って。
川崎:ねえ! 私も「これは来る」って思いました。
新谷:ワン・ダイレクションと同じでしたね。
粉川:そう。まさに。
川崎:いい意味で。
粉川:当時、本人たちも1Dのカバーとかをしていて。なんかそこらへんの、自分たちはそもそもインディーとしてカテゴライズされなくても結構なんですよ、みたいな。ポップで結構です、みたいな感じでやっていたので。
川崎:自分のジャンルを確立してましたね。そのポジションと。あのお花はすごい覚えてる。
粉川:私もすごい覚えてます。なんかワイプで抜かれていましたよね。
川崎:そうそうそう! 映像で(笑)。
粉川:タンクトップキャミみたいな格好の(笑)。バンドTじゃないんですよ。その子たちが前にいて。「えっ、誰のライヴ?」みたいな。
2015年:3度目の単独来日公演
ーーそして2015年の1月に再度来日。なぜかZepp Tokyoの1日だけでした(1月7日に実施)。
新谷:結構不思議な来日パターンですよね?
川崎:そう。いつもやっぱりオーストラリア、ニュージーランドのがあるじゃないですか。あのオーストラリアのフェス……。
新谷:ビッグ・デイ・アウト?
川崎:ああ、そうそう。それとのガッチャンコな影響で、いつも単発が多かったんですけど。でもまあ、半年ごとにコンスタントに来てくれていたんで。そこはよかったかなっていうところと……あれ、Zeppはソールドアウトしなかったのかな?
ーー日程もね、1月7日っていう、まだお正月感がある時で。
粉川:「すごい時に来るな」っていう。
川崎いつもすごい時に来るんですよね。「来ないよりはいいか」って思っていましたけれども。
粉川ほぼ仕事始めがZeppみたいな。
川崎:本当ですね。
ーーこの時のライヴの印象とかって、ありますか?
新谷:覚えてない。
川崎:私も覚えてない。粉川さんしかいない(笑)。
粉川:なんか、「ちょっと変わったな」っていう記憶があって。
新谷:新曲、やりましたっけ?
粉川:新曲、やってない気がして。
ーーセカンド・アルバムが2016年の2月なのでちょっと遠いですもんね。
川崎:やってないから、あんまり印象がないんだ。
粉川:ただステージ上の本人たちの佇まいがだいぶ変わったっていう印象があって。今思えば、たぶんドラッグの影響なんですよ。それは翌年になるとより強烈に感じるんですけど。良くも悪くもロックバンドの爛れた感じが出始めていて……。
ーー悪い流れ…
粉川:セックス、ドラッグ、ロックンロール的なノリになってきたなっていう記憶があります。
ーーその時に、取材はされましたか?
川崎:ちょっとしたと思いますけど。でも、この1月の来日シリーズは本当に時間がないんで。ちょっとしたインタビュー……もしかしたら「ロッキング・オンとプラス1枠」みたいな感じだったか。
粉川:ロッキング・オンはたしか、やっていた記憶がある。
川崎:ねえ。ですよね。
2016年:4度目の来日公演も一夜限り
ーー2015年は大きな動きは特になく、2016年の1月に六本木のEXシアターで来日。1年も経たずにまた来ちゃったっていう。
粉川:でもこの時も盛り上がって。
川崎:この時、盛り上がりましたね。お花の子たちがまた来てくれて(笑)。
ーーお花の子たち(笑)。
新谷:もうセカンドの曲があったし。
川崎:そう。何曲かやっていましたね。
粉川:で、ファーストの曲はみんなちゃんと歌うっていう。「日本人はおとなしくてあまり歌わない」っていう従来のイメージを覆す、若いオーディエンスが増えたと感じて。
新谷:増えましたね。
粉川:しかもすごくハードコアですよね。熱心なファン。流行り物だから聴いているんじゃなくて、本当にThe 1975が大好きで聴いてますよっていう。いい意味でそういうコア感が出てきたかなって。
新谷:そうですね。この時にもうファン層が確立されていましたね。ただ、ちょっと残念だったのが、このツアーのフルのステージセットを日本で見れなかったんですよね。結構面白いことをやっていたんですけども。
ーーステージセットを全部、持ってこれなくて?
新谷:そう。まだ本格的なツアーが始まる前で。もう1回、来てくれるのかな?って思ったら。
川崎:ネオンの時ですよね。
新谷:そう。ネオンの時。そうそう。あれがちゃんと見たかったなって。
粉川:長方形ネオンの初出しがこのツアーでしたね。
川崎:でも、まだチラ見せみたいな。
新谷:そうそうそう。ちょっと雰囲気は見えたけども。
川崎:全部、見たかったですね。私も思いました。だから本当に見たい子は海外に行ったりしてたし。
セカンド・アルバムの発売
ーー翌月の2016年2月にセカンド・アルバム『I Like It When You Sleep, for You Are So Beautiful Yet So Unaware of It』が出ました。まず聞きたいのは、邦題『君が寝てる姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに全く気がついていないから。』をなぜつけたのか?
川崎:あ、出た! ドキッ!
粉川:これは川崎さんがつけられたんですか?
川崎:はい、そうです。全ての邦題は私がつけてるんですけど。なぜつけたか?っていうと、これだけ長いタイトルの英語の邦題をそのままカタカナにしても、なんのことかが全然わかんないからっていうので。「どうしよう? じゃあ、なんか意訳した短いのをつけようかな?」とかいろいろ考えたんですけど。「いや、もう、直訳しよう。長くてインパクト勝負だ!」って。もっと厳密に言うと英語が一文だから一文にしようと思ったんですけど、日本語的に無理だったんですよ。で、2行みたいな形になりました。で、これを発表しましたところ、まあ、燃えまして(笑)。Twitterで。だけどまあ、話題になるからって、ポジティブに捉えております。はい。それは全部に共通しますけど。
ーーメディア側のお二人はこの邦題を聞いた時の印象は覚えていますか?
川崎:本当に率直に、もう正直なご感想を。
粉川:今までの日本盤の伝統としては、こういうややこしいタイトルが来たら、日本独自のワンワード。いわゆる、なんだろう?
川崎:ピンク・フロイドみたいなやつですよね(笑)。
粉川:もしくは、「どこからそれを持ってきたんだ?」みたいな。ベル・アンド・セバスチャン『天使のため息(原題:If You’re Feeling Sinister)』みたいな。そうしてくるのかなって思っていたら、こっちなんだ! みたいな(笑)。
ーー直訳で。
粉川:でも、らしいかなっていう気はしました。誤植しないように常にカットアンドペーストで原稿を書いていたっていう記憶があります(笑)。
川崎:すいません(笑)。お手数をおかけしました。
ーーセカンド・アルバムについてお二人はどう感じられましたか? ライヴでやっていたっていう曲もあったと思いますが。改めて、スタジオアルバムで聴いてみて。
粉川:正直、このアルバムで本気にギアが入った感じですね。
新谷:私もです(笑)。
粉川:そう。なんか「Love Me」のビデオクリップなんか、衝撃でしたね。
新谷:はいはい! 「Love Me」でまず最初のギアが入って……。
粉川:「これはちゃんと原稿に書かなきゃダメでしょ!」っていう感じになって。「ホイットニー・ヒューストンのパクリとか言ってちゃダメでしょう。これは。パクリとかじゃないよ!」っていう感じになったのを覚えています。アルバム、素晴らしかったですね。
新谷:素晴らしい。
川崎:いよいよそのジャンル横断ぶりがとんでもないことになっていて。
粉川:コンセプトアルバムですよね。
川崎:そうですね。いかにも……ツアーのアルバムなんですけども。いわゆる、旅先で何があって……っていう。それをこういう音楽性でやっていくっていうのはそんなになかった気がする。
ーー全米でも1位っていう。ブリティッシュバンドがアメリカで成功するなんていうのはかなり珍しいですよね。
新谷:アメリカでハネた理由って、どのシングルなんですかね?
川崎:「Love Me」で最初にドカンと。どの国でも同じだなっていう印象ですね。で、そこから、「Love Me」でアテンションがあがって。で、次に「The Sound」っていう認識かな? 私もその当時「なんでこんなにアメリカで売れているの?」って海外に聞いたら、担当者から明確な答えが来なくて。なんか「People like it」みたいな(笑)。
ーー海外からのプレッシャーはどんどん大きくなってきた感じでしたか?
川崎:いや、もうやることをやっていたから。なんなら……。
新谷:先行してたぐらいですよね?
川崎:そうそう。先取りしてたんで。だからなんなら「継続をお願いします」みたいな感じでしたね。あと、なんか個人的にはとにかく「Love Me」のビデオが衝撃だったのと、あとはこのネオンピンクの世界観に圧倒されて。で、それに紐づくマーチャンダイズとかも全部……やっぱりすごいバンドだな。想像を超えてくるなっていう。で、ジャケ写も同じだけど、色を変えて、とかも含めてですね。
新谷:そしてイントロがファーストと同じだったという。
川崎:そう。1曲目もね、ここから。
粉川:ここでやっと気づいたんですね。「こういう仕掛けなんだ!」っていう。
ーー困るやつですね(笑)。*註:それぞれのアルバム1曲目「The 1975」は同じ曲の再録
川崎:で、なんか最初、工場に送る前の音試をした時に、やっぱり1stアルバムの1曲目と同じだから。「うん?」と思って。「あれ?」みたいな。「ああ、こういうことか!」みたいな。そういうそのひらめき、気づきと。
粉川:「サウンドロゴだったんだ!」みたいな(笑)。
川崎:そう。本当にやっぱり想像を超えてくるなって思ったのと。あと、その「She’s American」っていうのが個人的に大好きなんです。この曲も歌詞も。マンチェスターのちっちゃいところから出てきたバンドが、ロンドンからUKって大きくなっていくわけですけど、このアメリカ人の話、こういう歌詞の楽曲を作るっていうのにも、勝手に「ああ、成長してるな」みたいな進化を感じました。あらゆる点で。
粉川:当時、インスタでハッシュタグ「#1975」ってチェックしてると、本当にアメリカ人の女の子が「She’s American」を聴いてどうだった、こうだったみたいなのを一生懸命に書いていて。やっぱりそういう刺さり方もあるんだなって。
川崎:そうですね。
新谷:これ、なんかテイラー・スウィフトの曲だとか、そうじゃないかとか……。
川崎:ありましたよね。
粉川:そのちょっと前に最初、噂があったんですよね。
川崎:そう。2015年にあったんです。最初の、1回目のテイラーとの。で、「テイラーに言われたんじゃないか? 歯をきれいにしろって」みたいな(笑)。
*「If she says I’ve got to fix my teeth, Then she’s so American / 歯並びを直さなきゃって言うんだったら、彼女はアメリカ人だね」という歌詞がある
ーーアメリカ人は、すぐに矯正をするから(笑)。
川崎:それでセレブ感もすごい出て、染み付いた感じですね。
2016年:サマソニ、ソニック・ステージでのトリ
ーー2016年8月に凱旋するようにサマーソニックのソニック・ステージのトリを務めます。
粉川:ソニックのヘッドライナーでしたね。
ーーどうでした? 何か変わっていましたか?
新谷:まさにさっき、粉川さんが言ったようなロックバンドの危険さが出てきたショーだった気がします。
粉川:この『君が寝てる姿が好きなんだ。~』自体もロックバンドの刹那的な部分を描いていて。シャンパンを飲んで、飛行機の中で自分のゴシップを読んで。ドラッグの暗喩や直喩に溢れていて……。
新谷:で、色んな女性たちの存在が背後に感じられて。
粉川:その爛れた刹那がテーマのアルバムだと感じていました。実際に、マシューは当時ドラッグで深刻なダメージを経験受けて、リハビリにも行ったりしていたんですよね。でも、当時は我々にはわからなかったんです。とにかく、表層的なポップを意識してやっていたデビュー・アルバムとは違って、良くも悪くも自分たちを全部曝け出します、みたいな感じになってきたっていう。
川崎:そうですね。この人たち、なんにも隠せないんですよ(笑)。言っちゃうし、やっちゃうし。
粉川:ロッキング・オンの当時のインタビューの時にも、本当に曝け出してましたね(笑)。マシューは目が据わっていて、アイシャドウも崩れていて、それがまた色っぽくて。途中でソファーに気だるげに横になりだした彼にカメラマンが興奮して、「それそれそれ! それを撮影していいですか?」って。たしか、付録ポスターにもなったと思うんですけど、読者から大好評だったと聞きました。でもこっちとしては「インタビュー……大丈夫ですか?」みたいな。
ーーちゃんとしゃべってはくれたんですか?
粉川:しゃべってくれる。しゃべらずにはいられないっていう(笑)。
ーー横になりながら(笑)。
新谷:そう。別にライブが悪いわけでもなく、……だからあんなに長い間、みんな気づかなかったというか。ファンにはわかんなかったんだと思います。やることをやっていたから。
セカンド・アルバムの評価
ーーアルバムが出たあと、メディアはまさに手のひら返しになりました。
粉川:NMEがね、あんなに……。
新谷:ねえ! 本当に。Qは最初からフォローしていたんですよね。
粉川:最初はQとかガーディアンとか、ある意味インディーど真ん中でないところが普通に評価していて。
川崎:6 MusicとNMEだけは本当になんか、抵抗を……。
粉川:「これを認めたら負け」みたいな。それがここで降参をしたっていう。
ーーで、年明けの2017年のブリット・アワードでベストバンドに。
粉川:この時のステージでしたっけ? 後ろに自分たちの悪評を……。
川崎:そうそう! この時です!
粉川:これまで様々なメディアに叩かれた記事を後ろのモニターにガンガン流しながらやるっていう。「ざまあみろ!」っていう視覚演出(笑)。
川崎:これまで何年も我慢していたことをあれでバーンと。やってやったっていう感じでしたね。
粉川:感動的なステージでしたね。全員、ちゃんとタキシードみたいな。
川崎:そう。おめかしして。あんな彼ら、たぶんここがはじめてでしたね。
新谷:「おしゃれバンド」って言われている割に、あんまりメンバーはファッションにこだわってるようにはそれまでずっと、見えなくて(笑)。
粉川:ここではじめて、ちょっとクラシックな感じに……タイとかもしてやったっていうのがすごい強烈な印象でした。
日本に来なかった2017年
ーー2017年はもうずっとツアー三昧。日本にも来ず、ずっとワールドツアーをやって。
粉川:そうそう。セカンドの発売後には来てくれなかったんですよね。
川崎:この時、アメリカではもう完全に状況ができているような感じでしたね。イギリスは当然ですけども。
ーーそれで翌年になって『Music For Cars』のツアーが始まるけれども、これでも来なかった。
粉川:そうですね。
新谷:ここがちょっと空いたんですよね。
川崎:ここはちょっとね、はじめて空きました。
ーーそれはなにか理由は?
川崎:いや、オファーは出してもらったんですけど。クリマンさんに。
粉川:それまでにね、アメリカで盛り上がって。
川崎:そう。やっぱりアメリカで……。
ーーなるほど。たしかに。アメリカってツアーでまわる都市も多いし。
川崎:「でも、先にやってもらっていたし、しょうがないかな」みたいな感じでしたね。
粉川:あと、ペール・ウェーヴスのプロデュースとか、レーベルのお偉いさんとしての仕事が……(笑)。
川崎:そうそうそう(笑)。ビジネスマン(笑)。
粉川:プロデュース業務でマシューとジョージは忙しかったみたいですね。
新谷:ようやく彼らが所属するDirty Hitというレーベルがなんなのか?っていうのがわかってきて。
川崎:ああ、本当にそうですね。この年ぐらいですね。
*後編はこちら。
Transcribe by みやーん/Written by uDiscover Team
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