スーパーボウルハーフタイムショーに出演するリアーナは改めて何が凄いのか?その4つの魅力
リアーナ(Rihanna)が日本時間2月13日(月)に行われる第57回NFLスーパーボウルのハーフタイムショーに出演する。スーパーボウルは全米の最高視聴率を叩き出すテレビ番組であり、今年からApple Musicが初のスポンサーとなり「Apple Music Super Bowl Halftime Show」と冠してハーフタイムショーでパフォーマンスすることがミュージシャン達にとって大きな名誉となっている。
2018年のグラミー賞授賞式以来のパフォーマンスとなるリアーナについて、改めてその凄さを彼女のキャリアをともに4つの項目にて、ライター/翻訳家の池城美菜子さんに寄稿いただきました。
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1. 世界でもっとも稼ぐ女性エンターテイナー
「2190日ぶり‥まったくどれくらい待たせれば‥」
世界中でもっとも視聴されるライヴ・パフォーマンス中継、NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)のスーパーボウルのハーフタイム・ショーまであと2週間強。NFLは長年組んできたペプシの代わりにApple Musicと提携、「Apple Music Super Bowl Halftime Show」となった今年、満を持してステージに立つのがリアーナだ。
冒頭の言葉が最初に流れるティーザー・ビデオでは、2015年のメットガラで話題をさらった黄色いガウンを思わせるネオン・カラーのコートに身を包んだリアーナが、「まだ内緒だよ」と言いたげに人差し指を口もとに立てる。「2190日ぶり」は、黒幕のジェイ・Zの声だ。
2022年の彼女は、数カ月置きにヘッドラインを騒がせた。まず、5月にラッパーのエイサップ・ロッキーとの第1子の息子が誕生。夏過ぎに2年続けてビリオンを超える、総資産1.4ビリオン・ドル(1,800億円以上)を稼いだとフォーブス誌が報じ、9月末に第57回ハーフタイム・ショーのヘッドライナーに決定。リアーナにとっては、5年ぶりのライヴ・パフォーマンスである。そのうえ、2016年に選手たちが人種差別へ抗議する姿勢を試合前に見せたことに対し、NFLが選手を罰した際、多くのセレブリティとともにリアーナもボイコットを表明していたため、大きな話題になった。国歌斉唱を拒み、膝をついたポーズで有名になったクォーターバックのコリン・キャパニックは昨年より練習に招かれている。暮れには、6年ぶりの新曲として『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』の主題歌「Lift Me Up」をリリース、記録的な再生回数を稼いだ。
ちなみに、アメリカの長者番付でエンターテイナーとしては、メディアの女王、オプラ・ウィンフリーの次。そのあいだに、テレビ・タレントでもあるキム・カダーシアンがいるが、彼女は実業家枠らしくエンターテイナーのリストには入らない。最年少のビリオネアーでもあるリアーナは、新しい音楽を6年間出していなかった=ツアー収入もなかったわけだが、現在の彼女はトップ・シンガーのほかに、コスメ・ラインのフェンティ ビューティーと、ランジェリーのサヴェージxフェンティを成功させた実業家の顔をもつ。
2. バルバドスの「いい子」から「バッド・ガール」に変身
8作目『ANTI』がリリースされたのが、2016年1月28日。じつに7年の月日が経っている。20代前半以下で、彼女のスーパースターぶりがピンとこない人もいそうなので、ざっくりキャリアを振り返ろう。
1988年2月20日に、ロビン・リアーナ・フェンティとしてカリブ海に浮かぶバルバドス島で生まれた。高校の友だちとトリオのガールズ・グループを組んでオーディションを受けたものの、島に訪れたアメリカ人のプロデューサー、エヴァン・ロジャーズの目に止まったのはリアーナだけだった。高校に通いながら、休みの間にニューヨークに訪れてレコーディングをし、2005年にデフ・ジャムの社長だったジェイ・Zと、アイランド・デフ・ジャム・ミュージック・グループのトップだったLAリードが彼女の才能を見抜き、その場で契約した話は有名だ。
デビュー・シングル、「Pon De Reply」はダンスホール・レゲエを取り入れ、エレファント・マンを招いたリミックスとともにヒット。デビュー作『Music of the Sun』、翌2006年セカンド・アルバム『A Girl like Me』は、西インド諸島出身であるのを強調し、レゲエやソカの要素を入れたポップ寄りのR&Bが多かった。セカンドからのシングル「SOS」は、1981年のソフト・セルによる「Tainted Love」(この曲も米ノーザン・ソウルのカバー)を大胆にサンプリングした曲。いまふり返ると、2010年前後にリアーナがダンスポップの女王になる片鱗が伺えるが、この頃のリアーナは「作られた感」が強かった。
10代後半、人口30万人ののどかなバルバドスから大都会に出てすぐの歌手活動は本人も手探りだったのだろう。Ne-Yoとスターゲイトが組んだドラマティックなバラード「Unfaithful」では表現力の豊かさを見せつけ、徐々にリアーナの方向性が固まってくる。
大転機は、2007年の「Umbrella」の大ヒット。髪をボブに切り揃え、それまでのフリフリ、ふわふわした部分を削ぎ落とし、80年代のサウンドを取り入れたサード・アルバム『Good Girl Gone Bad』で大胆にイメージ・チェンジ。ダンスポップとR&Bに特化したこの作品から、トレンド・セッターとしての頭角を表す。
翌年には曲を足した『Good Girl Gone Bad: Reloaded』をリリース、ここから「Take a Bow」と「Disturbia」も1位になった。ファッショナブルで自在にイメージを変えるミュージック・ビデオも、つねに話題になった。
だが、2009年のグラミー賞授賞式直前に、まったく意味が異なるニュースで知名度を上げてしまう。当時、リアーナよりさらに大きなセンセーションを起こしていたクリス・ブラウンが車中でリアーナに手を上げて、警察沙汰になったのだ。
類まれなダンスの才能をもつクリスは子どもとティーンネイジャーからの人気が高く、ふたりの交際は世間に好ましく受け入れられていた。当然、ふたりともグラミー賞を欠席。このドメスティック・ヴァイオレンスのニュースはアメリカ中を震撼させた。
3. 生身のアイコンとしての快進撃
クリス・ブラウンとの事件の約半年後にリリースした4枚目の『Rated R』は、ヒップホップやダブステップを取り入れたヘヴィなサウンドが特徴だった。全体に怒りで震えているような暗さがあり、ファンを驚かせた。たとえば「Rude Boy」。それまでのようにレゲエを取り入れても、思いきってBPMを落として、大人っぽさを強調。このあたりから、リアーナの快進撃が始まる。
5作目『Loud』(2010)から、スターゲイトが作った「S&M」と、カナダからのニューカマーだったドレイクを招いた「What’s My Name?」もヒット。客演としてコーラスを担当したT.I.「Live Your Life」、エミネム「Love The Way You Lie」、カニエ・ウエスト、ジェイ・Zとの「Run This Town」が、軒並みその年を代表するヒットとなった。リアーナはさしずめ「ヒットをもたらすミューズ」のように映った。
無名時代、リアーナは好んでマライア・キャリーやホイットニー・ヒューストン、そしてデスティニーズ・チャイルドのバラードを好んで、オーディションで歌っていた。彼女の本質は、力強い歌声で歌い込むスタイルの、伝統的なバラッディアなのだ。パンチの効いたコーラスで存在感を示したのが、共演曲のヒットに一役買ったのはまちがいない。
一方、北米以外のトレンドを嗅ぎつける嗅覚にも長けていて、6作目『Talk That Talk』(2011)からはカルヴィン・ハリスが作った「We Found Love」が、7作目『Unapologetic』(2012)からはオーストラリアのシーアが書いた「Diamonds」が桁ちがいのヒットとなった。「Diamonds」は、気心の知れたスターゲイトとヒット職人のベニー・ブランコのプロデュース。
「We Found Love」はEDMの寵児であったカルヴィン・ハリスを、「Diamonds」はシンガーとしてはくすぶっていたシーアの才能をより広いマーケットに紹介する結果になった。リアーナは、新しいサウンドを解釈して自分のものにすることで、トレンド・セッターの役割を果たしていたのだ。
並行して、問題児扱いされていたクリス・ブラウンとひんしゅくを買いながらも復縁してはまた別れるなど、ゴシップも提供していた。当時、リアーナは20代前半。全力で歌い、踊り、恋をし、つまり「必死で生きている」姿をなにも怖れずにさらし続けた。悪びれない、弁解しないことを意味する“Unapologetic”な生きざまそのもので、ファンを惹きつけたのだ。
つぎつぎと最新のモードを吸い込む、ファッション・アイコンに成長したのもこの時期だ。2009年から参加しているメットガラの装いを見比べると、よくわかる。ストリート・ファッションでも、ハイ・ブランドによるクチュールでも、着こなすというより自分の一部にするパワーをリアーナは持っている。これが、2010年代後半の実業家としての成功につながっていく。
4. ビジネスパーソンとしての成功
それまで年に1枚のペースでアルバムをリリースしていたリアーナは、ここでペースを落とす。2014年にデフ・ジャムを離れ、2010年からマネージメントを担当していたジェイ・Zのロック・ネイションと契約。2016年、8作目の『ANTI』は彼が深く関わっていたストリーミング・サーヴィスのTIDALで先行リリースされた。
ドレイクとの「Work」がNo.1になり、ツアーも成功。1曲目の「Consideration」で、いま現在、セカンド・アルバム『SOS』でチャートのトップを走っているシザを招き、彼女の音楽性を取り込んでいる。リアーナと彼女のチームは、つねに時代の1歩半を先に進んでいる。
『ANTI』は韓国のサムソンがスポンサーにつき、キャンペーン『ANTIdiaRY』を展開。K-POPでリアーナの曲名やダンスがわかりやすく取り入れられているのは、ほかのアーティストより露出が多かったからかもしれない。2017年から2019年までは、ほぼ完成していたらしいレゲエ・アルバムをお蔵入りにし、新たにレコーディングしているとの噂が伝わってきたが、結局、アルバムは出なかった。
トラップを取り入れた2015年の「Bitch Better Have My Money」は、実際に会計士に金を持ち逃げされたリアーナの体験からヒントを得ている。2010年後半以降のリアーナが、自分のキャリアを見直し、兄貴分のジェイ・Zのような実業家として才覚を発揮したのは、マイナスの痛い経験をプラスに転じさせるガッツがあったからだろう。
クリス・ブラウンら元カレとの恋愛を、歌で昇華するパワーも出どころは同じだ。コスメティック・ラインのフェンティ ビューティーは日本では取り寄せでしか買えない。それまでさまざまなブランドが軌道に乗せようとしては失敗した有色人種向けのファンデーションを、50色も揃えたのが成功した大きな理由だ。
親会社は、ヘネシーやルイ・ヴィトンなど高級品を扱うLVMHグループ。じつは、フェンティの名を冠したクロージング・ラインも始動したのだが、パンデミックと重なったため取りやめになっている。また、サブスクリプション型のランジェリー・ブランド、サヴェージxフェンティも2018年に始動。プラスサイズを多く展開、コンサートと組み合わせたファッション・ショーを催すなどリアーナらしさを発揮している。
アリゾナ州ステートファーム・スタジアムで開催される第57回スーパーボウルは、フィラデルフィア・イーグルスがサンフランシスコ49ERSを下し、カンザスシティ・チーフスと対戦するのが決定したばかり。
昨年は、史上初のヒップホップ・アクトとして、ドクター・ドレーの功績を称えながら、スヌープ・ドッグ、エミネム、メアリー・J.ブライジ、そしてケンドリック・ラマーがヘッドラインを飾り、50セントとアンダーソン・パークがゲスト出演したエポック・メイキングなショーであった。
そのあとの大役となると荷が重いだろうが、リアーナなら持ち前のファッション・センスとパワーで大いに盛り上げてくれるはず。とりあえず、エイサップ・ロッキーは出てくるだろう、と予測を立てておく。
Written By 池城美菜子(noteはこちら)
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