音楽史に残る特徴的なグルーヴの誕生秘話:リズムを生み出してきたアーティスト達
かつてディー・ライト(Deee-Lite)は自身のデビューアルバム収録曲にて「グルーヴは心の中にある (groove is in the heart)」と歌ったが、それ以前に、グルーヴは聴く者の腹の底に響くものだ。これは、どんな音楽を聴いている場合にも。たとえそれがレゲエだったとしても、メキシコのランチェラだったとしても当てはまる。リズムがなければ、それは中身のない音楽も同然である。
しかし、たちまちにして新たな音楽ジャンルを創始してしまった一連の革新的なグルーヴは、いったいどのように生まれたのだろうか? 特徴的なビートを中心とした独自のジャンルが突如として誕生する ―― そんな手品のような出来事が、音楽の歴史の中で幾度も繰り返されてきたのである。
一方で、しかしその新しい音楽が流行すればするほど、騒動の中でその起源が忘れ去られてしまうことも多くなる。ここでは、まったく新しい音楽の世界を切り開いた特徴的なグルーヴを取り上げ、その誕生秘話に光を当てていこう。
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ボ・ディドリー・ビート / The Bo Diddley Beat
自分の名前がそのままリズムの名前に付けば、それは確かな爪痕を残したことの何よりの証左となるだろう。ボ・ディドリー・ビートを初めて使用したのはボ・ディドリー本人ではなかったが、このビートを世間に定着させたのは間違いなく彼の功績だった。
(良い意味で) 腹に3回、顔に2回パンチを食らったようなその力強いグルーヴのルーツは、アフリカで広まったジュバ・ダンスというスタイルに遡る。それが、アメリカに渡った黒人奴隷たちの手で、ポリリズムで手を叩くハンボーンというスタイルへと進化していったのだ。さらに、これがのちにハンド・ジャイヴへと発展した。
このリズムが初めて使用されたレコードは、シカゴ出身のドラマー/バンドリーダーであるレッド・サンダースが1952年にリリースしたシングル「Hambone」だったと考えられる。
この「Hambone」では、ボ・ディドリーならではのリズムがトラックの中心に据えられているのだ。しかし、ディドリーは自身の名を冠した1955年のヒット・ナンバー「Bo Diddley」にこのビートを導入。音楽界の様相を一変させたのだった。
ブギウギ / Boogie Woogie
安定感のあるブギウギのリズムは、ブルースを語る上でも欠かせない要素の一つになっている。このリズムは、レコードというメディアが存在する以前に、ピアノ・プレイヤーたちによって生み出されたものだった。そのため、その本当の起源をはっきりと遡ることはできない。しかし、ブギウギのビートが初めて登場したレコードは、1924年にジミー・ブライスがリリースした「Chicago Stomps」である可能性が高い。
そしてブギウギのリズムを用いた楽曲を初めてヒットさせたのは、ブルース・ピアニストの巨匠の一人、パイントップ・スミスだった。このスタイルの名称を初めてレコードに使用したのもまたこの人である。
その楽曲というのが、彼が1928年の末にレコーディングし、翌年にリリースした「Pine Top’s Boogie Woogie」である。これがすべてのきっかけとなり、カントリー・ブギや、ブルース・シャッフル、ジャンプ・ブルース、そしてロックンロールといった音楽がブギウギから派生していったのである。
ホンキー・トンク・シャッフル / Honky Tonk Shuffle
数十年のあいだ、カントリー・ミュージックを演奏する際に基調とされるリズムの選択肢は、基本的に二つしかなかった、ツー・ステップ、あるいはワルツである。しかし、1956年にレイ・プライスが発表した「Crazy Arms」はそうした状況を劇的に変えた。
ハンク・ウィリアムズの無二の親友だったプライスは、ハンク・ウィリアムズが亡くなったあと、彼のバンドをそのまま引き継いだ。一方で、テキサス出身だったプライスは、ボブ・ウィルズ&テキサス・プレイボーイズが奏でる軽快なウェスタン・スウィングを愛好していた。
そこで1956年、彼はハンクのホンキー・トンク・サウンドに、ウィルズのスウィングやロックンロールの四つ打ちビートを組み合わせたのである (ロカビリーの登場に触発されたというのも、このコンビネーションが採用された一つの理由だった) 。そしてその演奏は、それ以降のホンキー・トンク・サウンドに多大な影響を与えたのだった。
ファンクのグルーヴ / The Funk Groove
ジェームス・ブラウンがファンクの生みの親であることには疑いの余地はないだろう。しかし、一般的に語られている話だけでは不十分な点がある。「官能的で、シンコペーションを多用したタイトなリズム」というのがファンクのグルーヴの特徴だ。そしてほとんどのファンク研究家は、ブラウンが1965年に放った大ヒット曲「Papa’s Got A Brand New Bag」をその起源に挙げる。
しかしながら、実のところ、先に挙げたような特徴は、それより以前、1964年にマイナー・ヒットを記録したシングル「Out Of Sight」にすでに聴き取ることができる。
「Papa’s Got A Brand New Bag」と同じズム・セクション (ベースのバーナード・オーダムと、ドラムのメルヴィン・パーカー) を迎えてレコーディングされた「Out Of Sight」は、前者とほぼ同一のリズム・パターンで進んでいく。一拍目を大きく強調したそのリズムは、ダンスに不慣れな人びとを整体院に殺到させたことだろう。
メキシコ風のロックンロール・ビート/ Tex-Mex Rock ‘n’ Roll Stomp
この分野においては、テキサス出身の“はみ出し者”二人がしのぎを削った。メキシコ系アメリカ人によるチカーノ・ロックは、ロックンロールそのものとほぼ同時期に生まれている。
だが、テハノ・ミュージックやコンフント・ミュージックといったメキシコ風の音楽が本当の意味でロックに接近したのは、60年代中期のことである。それに近い音楽を最初に奏で始めたのはリトル・ジョー&ザ・ラティネアーズだと考えられるが、彼らはそれら二つのジャンルを融合させるというより、二つをそれぞれに演奏していた。
メキシコ風のロックンロールに革命が起きたのは1965年2月のこと。サム・ザ・シャム&ザ・ファラオズとサー・ダグラス・クインテットの二組が、デビュー・シングルとなる「Wooly Bully」と「She’s About A Mover」をそれぞれ発表したのだ。
ドミンゴ・”サム”・サムディオとダグ・サームの二人が書く両グループの楽曲は、オルガンが演奏をリードする点でも共通していた。そのリズムはテハノ/コンフント・ミュージックではアコーディオンが担うような演奏だが、彼らはそれをロックンロールの枠組みに落とし込んだのである。
レゲエのビート / The Reggae Beat
どの時代も、レゲエの根幹にはビートがあった。レゲエは、そもそもは1950年代後半に生まれたスカの飛び跳ねるようなリズムから派生して生まれたものだった。簡単に言えば、これはジャマイカ人たちがR&Bのグルーヴを裏ノリに変えたことで生まれた音楽だった。彼らはアメリカで生まれたR&Bに憧れを抱いていたのである。
1960年代の半ばごろには、スカのリズムを基に、より落ち着きのあるサウンドを特徴としたロックステディが誕生。そして1960年代の末期には、そこから滑らかなシンコペーションが特徴のレゲエが生まれたのである。
実際、1968年に発表されたいくつかのシングルはロックステディとレゲエとの境を越え、よりレゲエに近いサウンドを鳴らしていた。モンティ・モリスの「Say What You’re Saying」や、リー・”スクラッチ”・ペリーの「People Funny Boy」、ボブ・アンディの「Unchained」といった楽曲は、どれも”最初にレゲエのリズムを導入した作品”の有力候補に挙げられている。そのうちどれが本当の一番手なのかを解明するのもいいが、実のところ、この変化をきちんとレコードに落とし込んだのはトゥーツ&ザ・メイタルズ (シンプルにメイタルズとも呼ばれる) の「Do The Reggay」が最初だったと言える。
「Do The Reggay」は、“レゲエ”という単語を初めて使用した楽曲だった。しかし、それだけが、これを一番手とする理由ではない。マーサ&ザ・ヴァンデラスは「Dancing In The Street」の中で「新しいビートを聴く準備はいいか? (Are you ready for a brand new beat?)」と世界に問いかけているが、「Do The Reggay」は、そのジャマイカ版と言っていい作品だったのである。
ダンスホール・レゲエ / Dancehall
レゲエのジャンルにおいては、特徴的なグルーヴのパターンを「リディム (riddim)」と呼ぶ。その中でも影響力のあるリディムは、数え切れないほどのアーティストによって流用されることもあった。
1985年、電子音を使用したダンスホール・レゲエのスタイルが誕生したことで、シーンの様相が大きく変化した。そのきっかけになったのは、キーボード・プレイヤーのノエル・デイヴィーがシンガーのウェイン・スミスと手を組み、小さなカシオ製のキーボードでベースとドラムのビートを作り出したことだった。そして、キング・ジャミーがそこに少々の装飾を加えて完成したのが、「Under Me Sleng Teng」という楽曲である。
もっとも広く流用されたリディムと考えられているこの曲のグルーヴは、これまでテナー・ソウ、イエローマン、スーパー・キャットらのほか、誇張ではなく約100組ものアーティストの作品に使用されてきた。そうしてこのグルーヴはダンスホール・レゲエを代表するリディムとなり、レゲエの次なる進化への可能性を切り拓いたのである。
*豆知識:このリディムの基となったカシオ製キーボードのプリセットは、デヴィッド・ボウイの「Hang On To Yourself」にヒントを得て考案されたものだと言われている。
アフロビート / Afrobeat
ナイジェリアが世界に誇る音楽であるアフロビート、ポリリズムを取り入れたその力強いビートは、革新的なバンド・リーダーと、発想力豊かな打楽器奏者による音楽的な対話の中で生まれたものだった。
1969年、マルチ・プレイヤーのフェラ・クティとドラマーのトニー・アレンは、アフリカ70というバンドを結成。ナイジェリア発のその新たなサウンドは、しなやかで官能的でありながら、激しく容赦のないリズムを中心に据えたものだった。
アフロビートのリズムは、 (西アフリカの) ヨルバ流のドラミングやハイライフの特徴であるポリリズムに、セクシーで曲がりくねったジェームス・ブラウン・スタイルのファンク・グルーヴを組み合わせ、そこに政治的な怒りのパワーを加えることで生まれた。そうしてアフロビートというジャンルは誕生したのである。そしてその影響力は現在もなお衰えてはいない。
ディスコ・ビート / The Disco Beat
70年代後半は、ディスコ音楽がポップ・カルチャーを席巻した。その原動力であった四つ打ちのバス・ドラムは急速に広まっていったため、登場間もないにもかかわらず、ずっと前から存在していたように感じられたものだった。
ディスコのグルーヴを用いた最初の大ヒット曲は、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツが1973年に発表したフィラデルフィア・ソウルの名曲「The Love I Lost (愛の幻想)」である。同曲でドラムを叩いていたのは、フィラデルフィア・インターナショナル・レコードの専属ビート職人だったアール・ヤングだ。
だが、1972年の時点でその前兆はみられていた。というのもその年には、イントゥルーダーズの「(Win, Place Or Show) She’s A Winner」とトランプスの「Zing Went The Strings Of My Heart」が数週間違いでリリースされていたのだ。いずれの曲でもヤングがドラムを叩いていたと聞けば、すべて納得がいくだろう。
Hi-NRG / ハイ・エナジー
ディスコ音楽からの派生ジャンルの中でも異彩を放つHi-NRGはその呼称そのままに、ディスコの特徴を極端に強調したような音楽だ。スピード感のあるテンポで進むそれらの楽曲においては、ファンキーなシンコペーションが完全に排されている。そのため特にベースラインにおいては、機械的 (かつ電子的な) 響きがするのである。
そんなHi-NRGは80年代のポップ・ミュージックの可能性を大きく広げるとともに、ダンスフロアには欠かせない音楽となった。このスタイルが本格的に人気を博したのは80年代のことだが、その起源はドナ・サマーによる1977年の重要曲「I Feel Love」に遡る。
ジョルジオ・モロダーがプロデュースしたこの曲は、Hi-NRGに分類されるその後の楽曲群より些かゆったりとしたテンポにはなっているものの、同ジャンル (に限らずさまざまな音楽) の起源であることに疑いの余地はない。
Written By Jim Allen
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