『エルトン・ジョン:Never Too Late』で描かれた人生の教え、そしてもっとも革新的で尊いレガシー

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2024年12月に配信されたドキュメンタリー『エルトン・ジョン:Never Too Late』。この作品についてについて、様々なメディアに寄稿される辰巳JUNKさんに解説いただきました。

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次にブレイクする洋楽スターを知りたいなら、サー・エルトン・ジョンに聞いてみればいいかもしれない。ラジオ番組を持つ70代の歌手は、レディー・ガガからリナ・サワヤマ、リンダ・リンダズまで、数々の才能を早くからサポートして世に紹介してきた「音楽界の大叔父さん」だ。インディーズ時代のエド・シーランと契約を結び、助言を授けていった経歴もある。

「エルトン・ジョンの影響は、現代のミュージシャンのほとんどに行き渡っています」
エド・シーラン

もちろん、エルトン・ジョン自身が偉大な音楽家だ。ポップロックの伝説として打ち立てた記録は凄まじい。米Billboardチャート60年の歴史でもっとも成功した男性ソロアーティストであり、2023年には史上最高の収益をあげたツアーミュージシャン(当時)となった。楽曲人気も世代をこえており、ストリーミングのリスナー層は六割が若年層だ。

音楽界への影響は、莫大で多岐にわたる。たとえば、カニエ・ウェストやラナ・デル・レイも、自身の楽曲でエルトンの名曲を引用している。2019年公開のディズニー映画『ライオン・キング』でビヨンセが歌った主題歌「Can You Feel the Love Tonight」も、もともとは彼の歌だ。ファンタジックなファッション面でのフォロワーには、ハリー・スタイルズが挙げられるだろう。

影響力に反して、エルトンの功績の説明は、難しい面もある。彼の革新性は、現在「ポップスターの当たり前」と化しているため、すごさに気づきにくいのだ。そんななか、新規ファン向けに制作されたのが、ドキュメンタリー『エルトン・ジョン:Never Too Late』。第一の全盛期たる1970年代の5年間を当時の映像と再現アニメーションをまじえて総括しているため、約100分で基本を知ることができる。

エルトンの物語は、アーティストにかぎらず、一般の視聴者にも人生の教えを授けるものだ。ドキュメンタリーから、その一部を紹介してみよう。

 

1. 仲間を探す

「私たち全員がいなくなったあとの世界でも、エルトンの音楽は聴き継がれていることでしょう。彼がバーニーと書いた傑作が色褪せることはありません」(レディー・ガガ)

1947年イングランドに生まれたエルトン・ジョンは、3歳ごろからピアノを奏でる神童だった。11歳で王立音楽院に入り、その後バンドを組んだりしたものの、作詞はからきし駄目だった。

1960年、音楽系の面接で運命的に授かったのが、作詞家バーニー・トーピンの歌詞。その文学的な表現を見てすぐさまメロディが浮かんだエルトンは、彼と共作チームを結成した。自分の苦手分野を補ってくれる仲間との協力を選んだことで、音楽史に刻まれるコンビが生まれたのだ。

 

2. 好きなことに挑戦する

「”Your Song”を初めて聴いた瞬間は忘れられません。『これは傑作だ。僕らビートルズ以来、はじめての新しい音楽だ』。あの曲が時代を拓いたんです」
ジョン・レノン

エルトンとバーニーは、2年間なかずとばずだった。成功するため、売れ線の曲ばかり書こうとしていたのだ。そんなとき、プロデューサーの助言をきっかけに、自分たち好みにあわせたピアノロックアルバム『Empty Sky』を制作。あまり成功しなかったものの、次の道がひらけた。本当にやりたいことに挑戦したことで、まとまったものを完成させる経験を得られたし、必要なことも見えてきたのだ。

豊満な音と繊細な詞による作風を身につけたエルトン・ジョンは、1970年、語りかけるようなバラード「Your Song」を完成させた。ワン・ダイレクションからレディー・ガガ、山崎まさよしまでカバーした永遠の名曲だ。

 

3. コンプレックスを武器にする

「エルトンのピアノは、一瞬で彼の演奏だとわかります。とにかくリズムがすごいのです。心臓の鼓動そのもの」
ジャン=イヴ・ティボーデ (ピアニスト)

1970年代のロックスターのイメージといえば、デヴィッド・ボウイを筆頭に、セクシーなカリスマだった。一方、容姿にコンプレックスがあったエルトンは、ステージパフォーマンスを磨きあげる方向に突き進んだ。

参考にしたのは、リトル・リチャードなどの激しい演奏。跳びあがったりしながら鍵盤を叩く自己流ピアノ演奏をショーにしてみたことで、ライブ王の評判を築き上げた。

衣装も派手にしていき、代表曲「Rocket Man」さながらな巨大な羽やきらめくサングラスを目印にしていった。こうして、エルトンの等身大の親しみやすさは、スターとしての魅力へ昇華されたのだ。

「僕はロックスターの真逆で、容姿に恵まれていない。そんな僕が(派手に)やるから人に勇気を与えられるんだ」

 

4. 本当の自分を愛する

スーパースターになったものの、ドラッグに依存する孤独な日々を送っていたエルトン。1975年、20代にして11万人の観客を集めた米ドジャースタジアムの伝説コンサートの直前も、死の寸前だったという。

ライブに私生活を持ち込まない主義のエルトンだったが、キャリア絶頂のさなか、自身の幸福のため休養を決意。さらに、インタビューで名声の裏の孤独を語り、男性も恋愛対象であることを明言することで「本当の自分」を明かした(1992年に『ローリングストーン』誌のインタビューで同性愛/ゲイであることを正式にカミングアウト)。同性愛差別が非常に厳しかった当時、彼のレコードを燃やしたラジオ局もあったというが、音楽界、そして世界にはかりしれない進歩をもたらしたことは言うまでもない。

休業以降、人として成熟したエルトンは、あらたな全盛期を迎えていった。セクシャルマイノリティや後輩アーティストへの支援も行っていくなか夫と出逢い、2人の息子にも恵まれている。

 

『エルトン・ジョン Never Too Late』に込められたメッセージ は、幸福の大切さだという。1970年代、音楽に生かされている状態だったエルトンは、いくらお金と名声を得ても孤独だった。休業を経たことで得られた家族こそ、音楽よりも大切な存在になったと明かしている。これこそ、芸術と成功を追求しつづけるポップスタービジネスにおいて、もっとも革新的で尊いレガシーかもしれない。

エルトン・ジョンの伝説は、2020年代でも更新されつづけている。「音楽界の大叔父さん」として、後輩とのコラボも豊富だ。自身の名曲をリメイクしたデュア・リパとの「Cold Heart (Puna remix)」とブリトニー・スピアーズとの「Hold Me Closer」、そしてエド・シーランと歌うクリスマスソング「Merry Christmas」などで、70代にしてチャートもさわがせた。

今回のドキュメンタリーでは、ロック歌手ブランディ・カーライルと共作した新曲「Never Too Late」がお披露目されている。題名さながら、エルトン・ジョンの音楽を聴くのに、遅すぎることはない。

Written By 辰巳JUNK


エルトン・ジョン&ブランディ・カーライル「Never Too Late (From The Film “Elton John: Never Too Late”)」
2024年11月15日配信
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作品情報

『エルトン・ジョン:Never Too Late』

ディズニープラスで2024年12月13日より独占配信
監督:R・J・カトラー、デヴィッド・ファーニッシュ



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