【レビュー】洋楽畑の音楽評論家のおじさんが『気になってる人が男じゃなかった』を読んでみた
2023年4月19日に第1巻が発売され、単行本発売直後に重版となっている新井すみこ氏による漫画『気になってる人が男じゃなかった』。先日発表された「次にくるマンガ大賞 2023」の「Webマンガ部門」にもノミネートされ、さらに話題となっている。
この漫画に名前や楽曲が登場するアーティストの取材経験もあり、ヘヴィ・メタル専門誌『BURRN!』の副編集長、そして洋楽専門誌『ミュージック・ライフ』の編集長を務め、それ以降はフリーランスとして現在も第一線で活躍している音楽評論家の増田勇一さんによるレビューを掲載。
この漫画に登場する楽曲を収めた公式プレイリストはこちら(Apple Music / Spotify / YouTube Music)
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正直に告白すると、僕には基本的に漫画を読む習慣がない。ただ、好きじゃないわけではない。何かに一度嵌まると夢中になりすぎて他のことが疎かになりがちなタイプであることを自認しているので、ギャンブルと同様、ちょっと距離を置いているのだ。だから逆に、何か思いがけない切っ掛けに恵まれたりすると、新たなマイ・ブームが始まることになる。
『気になってる人が男じゃなかった』を読んでみたのは、単純にユニバーサルの某氏からの勧めがあったからだ。仮にT氏としておくが、彼は僕がちょうどそのタイミングで書きたかったものや、自分の守備範囲ギリギリの領域にあるもの、他の同業者はあまり憶えていないはずの逸話などに関する記事などを依頼してくることがよくあり、そんなことからも彼から「ちょっと読んでみてもらえませんか?」などと言われれば気にならないはずがないのである。
で、実際に読んでみたら、案の定、嵌まってしまった。しかも、思っていたような漫画じゃなかった。きっとバンドマンとかミュージシャン志望者を主人公とするロック漫画なのだろうと思っていたら、そこに描かれているのは女子高生の日常。ただ、いわゆるギャル系の主人公の音楽趣味が、周囲の級友たちとは掛け離れている。彼女は放課後に自分好みのロックが流れるCDショップに通うのを楽しみにしていて、そこの店員である黒ずくめのクールなお兄さんに心惹かれていくのだが、実はそれが同じクラスで隣の席にいる目立たない女子だった、というのが物語の発端なのだ。
作品タイトルそのままのそうした設定についてこの場で遠慮なく書いたのは、それがごく序盤のうちに明らかにされるからでもあるし、そうした設定の意外性をあらかじめ把握していても、この物語の世界に没入していくうえで少しも邪魔にならないと思えるからだ。
ギャルだけどロック趣味の大沢あやと、ふたつの顔を持つ古賀みつき。この2人の高2女子を中心に繰り広げられる物語には、ごく自然に音楽が登場し、それが登場人物たちの距離感とその変化を示唆していたりもする。ごく普通に「フー・ファイターズのアルバム、神すぎて!」「聴いたことないわ」みたいな会話が飛び出してくるのだ。ダメモトで申し込んだレッド・ホット・チリ・ペッパーズの公演チケットが当たるという事件も起きる。彼女たちのクラスでロックを聴いているのはごく少数派。プロローグ部分で大沢あやが心の中でつぶやく「音楽はひとりで聴くに限る」「自分だけのリズムは自分だけの領域。そう思ってた」という言葉がとても象徴的だが、そうした感覚が古賀みつきとの出会いにより変わっていく過程がこの物語では描かれている。しかもこの先、それが少しずつまわりを巻き込んでいくことになるのを予感させる部分があるから気になるのだ。
こうした物語に、どこか身におぼえのある読者も少なくないのではないだろうか? 実際、僕自身も洋楽ロックに興味を持ち始めた中学時代や、それが頭の中を占領するようになっていた高校時代のことを思い出さずにはいられなかった。
当時、新しいフェイヴァリット・ソングができたり、気になるアーティストの最新情報を手に入れたりすると、それは自分しか知らない宝物のようにも思えたものだ。ちょっと冷静に考えれば、自分と同じようにラジオや音楽雑誌を通じて同じものに心惹かれている人は世の中にたくさんいるはずだとわかるはずなのに。ただ、たとえば、気になるアーティストの写真をカードケース式の下敷きに忍ばせていたら、毎日顔を合わせているのにろくに話をしたこともない級友から「あ、君も好きなの?」なんて声を掛けられたりするケースがある。そんな時には「こんなに身近なところに同じ趣味の持ち主がいたなんて!」と感動することもあれば「いや、俺はおまえとは違う理由で好きなんだ」と意地を張りたくなる場合もある。
そのあたりはケース・バイ・ケースというか相手次第ということになるわけだが、当時はそうしたことが日常的に起きていたものだ。結果、そうした連中が毎月『ミュージック・ライフ』の発売日には昼休みに集っていたものだし、僕が毎週欠かさず付けていた『全米トップ40』のチャート・ノートを覗きにくるやつもいた。授業のノートを見せてくれと頼まれることはほぼ皆無だったけども、そうしたノートの隅にはクイーンやキッス、エアロスミスなどの似顔絵を描いていたものだった。
当時ももちろん、級友たちが共通して読んでいる漫画はいくつかあった。僕が好きで読んでいたのは『マカロニほうれん荘』だった。改めて調べてみたら、鴨川つばめによる同作品が週刊少年チャンピオンに連載されていたのは1977年から1979年にかけてのさほど長くない期間だったようだが、1976年の春に高校生になった僕にとっては間違いなく高校生活の後半を彩るもののひとつだった。なにしろクイーンのディスコグラフィでいえば『News Of The World』から『Jazz』にかけての頃だ。いわゆるギャグ漫画ではあるのだが、さまざまなロック・スターが唐突に登場するのでニヤリとさせられたり、「次は誰が登場するのかな?」などと想像してみたり、それこそノートの隅に落書きなどすると、どことなく鴨川先生風になったりしたものだ。
『気になってる人が男じゃなかった』は『マカロニほうれん荘』とはまったくタイプの異なる作品だが、ロック・ファンに寄り添ってくれるものであることは間違いないはずだし、かつてクイーンやキッス、エアロスミスに夢中になりながら「今度出てきたチープ・トリックという新人はすごく人気が出るかも」「イギリスのパンク・ムーヴメントって何?」などと考えていた僕の高校生当時の記憶に、当時の漫画やTV番組、さらには文化祭や修学旅行といったさまざまな想い出がリンクしてくるのと同様に、今、ロック・ファンであることを学生生活の一部としている人たちにとって大切な作品になる可能性があるように思う。
同時にこの作品は、僕のような世代にちょっとした懐かしさを味わわせてくれるものでもあるし、90年代にロックに夢中になった世代にとってもリアリティを伴うものであるはずだ。なにしろ主人公のプレイリストにはボン・ジョヴィからニルヴァーナ、ブラック・サバスまで名を連ねているのだから。もちろんそうした音楽的背景は作者である新井すみこ自身の音楽遍歴とも無関係であるはずがないし、それは現在、Apple MusicやSpotify上に公開されているこの作品の公式プレイリストの内容からもありありとうかがえる。
この作品に触れて思い出した言葉のひとつに「自分のファンにとっての“隣の兄ちゃんのレコード棚”でありたい」というのがある。これは1997年、僕が『ミュージック・ライフ』編集長だった当時、hideの取材をした際に彼の口から聞いた発言だ。要するに「自分の感性を信頼してくれている人たちに、新旧やジャンルを問わず自分の好きなものを紹介したい」ということだ。もっと噛み砕いて言うなら「せっかく僕のファンになってくれたのなら、こういうのも聴いてみてよ」というポジティヴなお節介みたいなものである。
この物語の中で、少なくとも現時点において古賀みつきはそこまで大それたことを考えてはいないはずだが、根源にあるものはとても近いように思えるし、のちに彼女が卒業後の進路について考える時には、音楽雑誌の編集者なんていう選択肢も出てくるのかもしれない。実際、僕自身が音楽を紹介する仕事に就きたいと思うようになった動機もそんなところにあった気がする。
というわけで、第1巻を読み終えただけだというのにずいぶんいろいろと考えさせられたし、記憶をほじくり返すことにもなったが、今はとにかくこの先の物語の行方が気になって仕方がない。だからやっぱり漫画に手を出すのは怖いのである。
Written By 増田勇一
Apple Music / Spotify / YouTube Music
「次にくるマンガ大賞 2023」ノミネート中
著者:新井 すみこ
定価:1,210円(本体1,100円+税)
発売日:2023年4月19日(電子書籍同時発売)
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