60年代だけじゃない、モータウンは80年代もすごかった
ヒップホップやR&Bなどを専門に扱う雑誌『ブラック・ミュージック・リヴュー』改めウェブサイト『bmr』を経て、現在は音楽・映画・ドラマ評論/編集/トークイベント(最新情報はこちら)など幅広く活躍されている丸屋九兵衛さんの連載コラム「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第43回。
今回は、80年代のモータウンについて。
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唐突だが、40年前を振り返ってみよう。
1983年の『ビルボード』誌チャート。そのTop Black Albums(現在のTop R&B/Hip-Hop Albumsチャートにあたる)の各週1位ランキングを見てみると、興味深いことに気づく。
曜日のマジックにより、この1983年の同チャートは53週分ある。最初の4週(1/1、1/8、1/15、1/22)は奇跡の復活を遂げたマーヴィン・ゲイの『Midnight Love』が1位を独走。続く1/29から9/10までの33週のうち、アイズレー・ブラザーズの『Between the Sheets』が1週だけ首位を獲得した7/23を除いた32週でマイケル・ジャクソン『Thriller』(前年11月末発売)が1位を独占している。まあ、ここまでは順当だろう。
だが、今からちょうど40年前の9月後半からは様相が異なってくる。9/17から11/19までは10週連続でリック・ジェームスの『Cold Blooded』が首位を独走! 続く11/26から12/31までの年末6週はライオネル・リッチーの『Can’t Slow Down』が1位独占! 言い換えれば、1983年の秋から冬はモータウンの季節だったのだ。
モータウンといえば全盛期は60年代。それ自体は正解だろうが、そのイメージのせいで以降の同社の功績が軽視されている気がする。ここでは、この1983年を例として80年代のモータウンを考えてみたい。
湖の異端児
ニューヨーク州なれど五大湖に面した酷寒の地バッファロー市で生まれ育ち、海軍入り&脱走&ニール・ヤングとの活動&オツトメを経て、1978年にモータウンからアルバム『Come Get It!』でデビュー。生え抜きアーティストでありながら、モータウンの品行方正なイメージとは正反対のペルソナで異彩を放ってきたのがリック・ジェームスだ。
「Super Freak」の印象が強すぎるせいか、「1981年のアルバム『Street Songs』で燃え尽きた人」と思われることもある彼だが、いや、それは全くの誤解である。80年代後半までチャート上で存在感を保ち続けたのだから。確かに件の『Street Songs』に続く『Throwin’ Down』——ジャケット写真はおそらく同年公開の『コナン・ザ・グレート』を意識したもの——には、「Super Freak」の焼き直しみたいな曲もあった。しかし、それに続くアルバムで、彼は新時代に向けて自分の音楽性を再定義することに成功したのだ。
それが1983年秋のTop Black Albumsチャートを独走した『Cold Blooded』である。そこで際立つのは、バンド的アンサンブルからドラムマシン中心のアレンジへの移行。それでも、単細胞なコーラスと生々しいホーンの相乗効果で、新たなリック・ジェームス流ファンクを堪能させてくれる曲「U Bring The Freak Out」もあった。
団結した誘惑たち
そのリック・ジェームスと関連して。1982年には、出戻りテンプテーションズによる画期的なアルバム『Reunion』があった。
この『Reunion』が画期的なのは、
(1)テンプス先輩に憧れてモータウン入りしたリック・ジェームスが、本作のリード曲「Standing on the Top」で遂にソングライト&プロデュース&客演を果たしたこと(目立ちすぎだが)。
(2)アトランティック・レコーズではうまく行かずモータウンに戻るも、なかなか浮上できなかったテンプスにとって、ひさびさのトップ40ヒットとなったこと。
(3)タイトル通りのリユニオン作品であること。
最後のリユニオンについて、もう少し書いておこう。
もちろんテンプテーションズといえばメンバーの出入りが激しく、1971年の時点でオリジナル・メンバーがメルヴィン・フランクリン(低音担当)とオーティス・ウィリアムズ(音楽的には目立たないが事実上のリーダー)しか残っていなかったグループ。とはいえ重要なのは、往々にしてオリジナルではなく「クラシック」、つまり全盛期のラインナップだ。
そんな全盛期、1964〜1968年のテンプテーションズで目立っていたデイヴィッド・ラフィン(リード)とエディ・ケンドリックス(ファルセット)が1982年に復帰し、その時点のメンバー5人に加わった驚愕の7人体制となったのがアルバム『Reunion』なのである。ヘヴィメタル・リスナーなら、クラシック期の代表的メンバー2名が復帰し、Pumpkins United(団結したカボチャたち)として親しまれる現在の7人編成ハロウィンを連想するだろう。
ただしハロウィンと違い、テンプテーションズのリユニオンは長持ちしなかった。この時点でデイヴィッド・ラフィンはコカインに耽溺しており、コンサートに現れないことも多々。また、エディ・ケンドリックスの方は長年の重度喫煙のせいか、ファルセットの衰えが隠せなかった。よって1982年末を待たずして、両名とも解雇されるのだ……。
テニス王子の旅立ち
ここからはライオネル・リッチーの話をしよう。
19世紀末から活躍した黒人教育者ブッカー・T・ワシントンと縁深い名門一族の子としてアラバマ州のタスキーギ大学キャンパスで生まれ育ち、10代後半をシカゴ近郊で高校テニスのスター選手として過ごしたおぼっちゃま。同じく1983年のモータウンを代表する顔でありながら、リック・ジェームスとは昼と夜ほども違う、対極に位置する存在であった。
そんなライオネルも元々はコモドアーズのメンバーで、サックス&キーボード担当。いつしかファンクではなく「Easy」や「Three Times a Lady」といったバラードが受けるようになったコモドアーズの中で、その路線の中心を担っていたライオネルがやがてソロに転向、よりポップ化して今に至るわけだ。
だが、ライオネルにとってソロ第2作に当たる1983年の『Can’t Slow Down』はバラードとポップだけのアルバムではない。冒頭のタイトル曲は高速/軽量級ファンクだし、「Love Will Find a Way」もキャミオに通じる抑えたモードが都会的なアップナンバー。大ヒットした「All Night Long (All Night)」はカリビアン調(ラテンではなく)パーティ・アンセム。バラード群にしても、「Penny Lover」は普遍的な魅力を備えた好曲である。
マイケルとマーヴィンと
この1983年の春には象徴的な『Motown 25: Yesterday, Today, Forever』もあった。タイトルどおり、モータウンの25周年を祝うTV特番である。当時のモータウンの若手代表としてデバージ、まだ現役感が強かったスティーヴィー・ワンダーや、人気絶頂のライオネル・リッチー(コモドアーズとは別枠)、レジェンド枠ではミラクルズ、テンプテーションズ、フォー・トップスらが出演した。
ここで注目したいのは「元モータウン」組だ。特に、ムーンウォークの初披露パフォーマンスとなったマイケル・ジャクソンとジャクソン5、黒人音楽史についての弾き語りスピーチをしんみりと聴かせた後で「What’s Going On」を歌ったマーヴィン・ゲイである。
決して友好的とはいえない形でモータウンを去ったものの、古巣の祭典にきっちり顔を出した両アーティストは、「70年代にモータウンで開花した」という点でも共通している。
再び1983年のTop Black Albumsチャートに戻ると……年始〜春〜夏の1位を爆走したのが、そのマーヴィン・ゲイとマイケル・ジャクソンだったこと。これもまた、モータウンのレガシーと言えるのではないか。1週だけ1位だったアイズレー・ブラザーズにしても、元モータウンである。
※正確にはモータウンの創業は1959年1月。なので、1983年は「25年目」であって「満25年」ではない
そして最後のドラゴン
君知るや、1985年の映画『ラスト・ドラゴン(The Last Dragon)』を。
アメリカ黒人がカンフー映画に対して抱く愛の深さはよく知られているが、そのブームも落ち着いたかと思われた1980年代半ばに、なぜかモータウンが放ったマーシャルアーツ映画である。現在から振り返ると、いかにも「興行的には失敗したが、物好きたちに愛されるカルト作」に見えるが、制作費1000万ドルに対して興行収入が3300万ドルらしいから、実はヒット映画なのだ。
この映画自体も脱力しながら楽しめる快作だが、ここではサウンドトラックに注目したい。80年代モータウンの在り方の一例として。
ヒロインを演じるヴァニティ自身が歌う「7th Heaven」あり、バラード自慢だったデバージのダンサブル路線開眼曲「Rhythm of the Night」あり。
前年に「Somebody’s Watching Me」を大ヒットさせたばかりのロックウェル(創業社主ベリー・ゴーディの息子)による不思議な「Peeping Tom」も収められていた。
スティーヴィー・ワンダーの新曲「Upset Stomach」は、80年代半ばの彼らしい妙にメカニカルなアレンジが際立つナンバーだ。
さらに、60年代後半から70年代前半のテンプテーションズを手掛けるも一時はモータウンを離れ、しかし出戻ったノーマン・ホイットフィールドの仕事あり。そのホイットフィールドと共に出戻ったウィリー・ハッチがテンプテーションズと共演する「Inside You」あり。
時代の荒波にもまれながら新しい血を入れ、同時にレガシーにも目を向け。激動の1980年代を生き抜かんとしていたモータウンの姿勢が伝わってくるではないか。
Written By 丸屋九兵衛
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