ジャネット・ジャクソン『Rhythm Nation 1814』:明らかに例外的なアルバムであり、独自の「何か」
ヒップホップやR&Bなどのブラックミュージックを専門に扱う音楽情報サイト『bmr』を所有しながら音楽・映画・ドラマ評論/編集/トークイベントなど幅広く活躍されている丸屋九兵衛さんの連載コラム「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第13回は、今年発売30周年を迎えたジャネット・ジャクソンのアルバム『Rhythm Nation 1814』について。このアルバムが持つ魅力を解説頂きました。
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サンキュータツオがキュレーターを務める渋谷らくごで講談師・神田松之丞による『慶安太平記』を見て、導入部でハッとした。「今の我々は江戸時代が250年以上も続いたことを知っている。だが、17世紀半ばの由井正雪の時代、徳川幕府は成立後たかだか半世紀。まだ転覆可能と思われていた」というくだりだ。
そう、その後の展開を知っているのは我々未来人の「特権」であり、最初からネタバレしているという意味では「呪縛」でもあるのだ。
音楽史も同様である。例えば、1980年代のある時期に大ブレイクしたアーティストが次作でさらなる飛躍を遂げたこと、あるいはせっかくの成功も長くは続かなかったこと。2010年代末に生きるわたしたちなら知っている。
だが、前作『Control』で真のブレイクを果たしたジャネット・ジャクソンが次作でどうなるのか、リアルタイムに生きる人々はわからなかったのだ。地位を維持するのか、支持を失うのか、それともさらなる成功をつかむのか。1989年の夏までの時点では、皆目不明だった。
つまり、その後の成功は約束されていたわけでは決してない、ということ。特に我々のジャンルではワンヒット・ワンダーが多いだけに。
コントロールはカミング・アウトだった
世の中には、原石の輝きに惹かれる人と、練りに練られた作品の完成度を愛でる人がいる。前者が好むのは前作『Control』であり、後者を魅了するのは本作『Rhythm Nation 1814』だろう。
ここで、ダイアナ・ロスの1980年作『Diana』を思い出そう。同アルバムを象徴する曲は「I’m Coming Out」だ。ゲイ応援アンセムであると同時に、それは「わたしは出て行きます」という宣言でもあった。どこを出て行くのか? ベリー・ゴーディが支配するモータウンを、である。
一方、ジャネットの『Control』のタイトル曲は、自分の人生を決定する権利(コントロール)を取り戻すことがテーマ。誰から取り戻すのか? 父ジョゼフ・ジャクソンから、である。
その意味で、ジャネットにとっての『Control』は、ダイアナ・ロスにとっての『Diana』。それぞれに独立宣言であり、キャリアを再定義した重要作でもある、という意味でよく似ている。ただし、大きな違いがあるのだ。ダイアナとナイル・ロジャーズ&バーナード・エドワーズ(Chic)との作業は『Diana』のみ、すぐに袂を分かつことになった。他方、ジャネットとジャム&ルイスとの蜜月は『Control』に始まり、長く続くこととなる。
見事だったのは、コントロールを手に入れた彼女の冒険心だ。
我々ブラック・ミュージック・ファンは、ワンヒットで味をしめたアーティストが、自ら二匹目のドジョウを狙って失敗する例をたくさん見てきた。キャミオの「You Make Me Work」とかリック・ジェイムズの「Hard to Get」とか。
だがジャネットは、レーベル側から提案・推奨された『Control 2』的な方向性をきっぱり拒んだ。
ジャネットをブラック・ミュージック界のフロントランナーに押し上げた『Control』だが、いま聴いてみると、ティピカルなミッド80s曲調もいくつかある。つまり、ずば抜けた秀作ではあったが、例外的な傑作ではなかったかもしれない、ということだ。
だが、『Rhythm Nation 1814』は明らかに例外的なアルバムであり、独自の「何か」だった。他の何にも似ていない作品。少なくともアルバム単位では。
前作では一部の曲に見られるのみだった社会意識を前面に打ち出しているのも大きな挑戦だ。ただ、これには時代背景を考慮する必要がある。主にパブリック・エネミーのおかげで、「コンシャスであること」が「今っぽさ」に繋がる、そんな稀有な時代だったのだ。
それでも、ジャネットが望んだその路線に関係各位は難色を示したらしいが。
移ろいゆく時の中で
前作『Control』は1986年2月4日に本国リリース。
一方、本作『Rhythm Nation 1814』は1989年9月19日。
この3年半の違いは大きい。
まずは媒体(メディア)というか、音盤の形態の違い。つまり、まだまだLP中心だった1986年と違い、1989年はかなりCDに移行した時代である。
それは作品にも表れる。前作『Control』と本作『Rhythm Nation 1814』の間に横たわる、圧倒的な物量の差! 単純に曲数も時間も増えている。前者の9曲38分から、後者の20トラック(実質12曲)64分へ。同時代の偉人に喩えると、兄マイケル・ジャクソンの『Bad』と『Dangerous』の差。プリンスで言えば『Batman』と『Graffiti Bridge』の違い、となろうか。
そのぶん、メッセージやストーリーを内包したコンセプト・アルバムは作りやすくなったのだ、と思う。その好例が『Rhythm Nation 1814』だ。ちょっとしたインタールードやナレーションを挟んで曲をつないでいく本作の形式は、『Love Symbol』(1992年)以降のプリンスに通じるものがあったりする
そして、この時期からの20年ほどは、「アルバムは60分超えが当たり前!」の時代となる。特に2000年前後のニューオリンズ産ヒップホップ・アルバムはほぼ80分、長かったよな……。
もちろん、時代のサウンドも一変している。
『Control』は、1984年から続くミネアポリス・サウンド・ブームに再び気合を入れた、いわば「中興の祖」的な作品である。ジャム&ルイスの元同僚、ジェシー・ジョンソンの「She (I Can’t Resist)」なぞは、「What Have You Done for Me Lately」の影響下に生まれた曲と言っていいだろう(たぶん)。
もっとも、そのアルバムによって刷新されたはずのブームは、翌1987年に終焉を迎えるのだが。
このアルバム『Rhythm Nation 1814』のレコーディング期間は、1988年9月から1989年5月。昨今の音楽業界基準では長く感じられるかもしれないが、ジャクソン家の基準では短い。しかも、大半の曲は1988年の冬に録音されたもののようだ。
こんな短期制作のメリットは時代の音に対応できる、ということ。そう、1987年からはニュー・ジャック・スウィング(NJS)の大ブームが始まっている。これを素早く取り入れないと、時代遅れに聞こえてしまう。フットワークの軽さが生命線のブラック・ミュージック界でのサヴァイヴァルは、赤の女王のように厳しいのである。
もっとも、NJSの原点はジャネットの『Control』にあるという説が有力だ。特に「Nasty」。3連ビートに加えて、曲のトーンを決定づけるパーラメント「Flash Light」直系の気持ち悪いシンセサイザー音は、確かに後のテディ・ライリーの作風に通じる。とすれば、ジャム&ルイスとジャネットにとってのNJSは「3年前に取った杵柄」だったのかもしれないが。
NJSのSを問え
ここでスウィング・ジャズの話。
このジャンル名から思い浮かぶイメージは、「明るく楽しく健康的」「金管と木管が鳴り響く風景」「古き良きアメリカの吹奏楽部」だろうか?
実際には、とてもイリーガルな匂いがするデンジャラスな音楽だったのだ、スウィングは。なんといっても、禁酒法時代の違法酒場(スピークイージー)で愛されていたのだから。「Hi De Hi De Hi De Ho~」で有名なキャブ・キャロウェイの「Minnie the Moocher」に至っては、コカインにもアヘンにも言及する、ドラッグ節全開の歌なのである。
ニュー・ジャック・スウィング(NJS)が「スウィング」とつけられたのも、「そのイリーガルな匂い」からである。
このタームは、バリー・マイケル・クーパーが『Village Voice』誌に書いた記事から生まれた。クーパーは、「禁酒法時代のスピークイージーで響くスウィング」と「現代(80年代後半)クラックハウスを背景に鳴るテディ・ライリーのビート」に共通点を見たのだ。
そのスウィング、このスウィング。両者を繋いでしまったのが本作『Rhythm Nation 1814』。正確にはシングル・カットされた「Alright」のビデオである。
スウィング・エラ(ハーレム・ルネッサンスとも重なる)の街を舞台に、新聞を見て「この街でキャブ・キャロウェイが公演?!」と浮かれるジャネットたちが、時代を反映したズートスーツ姿で歌い踊る。そんな7分以上のビデオに、ホンマもんのキャブ・キャロウェイが出てくる展開が美しい。
インダストリアル・マジック
本作『Rhythm Nation 1814』の印象が「攻めてるアルバム」なのは、メッセージを前面に打ち出したことのみに起因するものではない。サウンド面もアグレッシヴなのだ。
実際、昨今のヒップホップやR&Bのサウンドに慣れている耳に、『Rhythm Nation 1814』の一部曲はかなりの異物に聞こえるのではないか。
特にタイトル曲。音が悪いことで有名なスライ&ザ・ファミリー・ストーンの「Thank You (Falettinme Be Mice Elf Agin)」——ボーイズIIメンがブラインド・テストで「スティーヴィー・ワンダーの”Superstition”だと思った」と言っちゃったやつだ——から、前奏のジャギジャギしたカッティング・ギターをサンプル&ループ。そこにかぶさるビートたちも、なんだかとても金属的。パーカッションもハイハットも金物のような響きだ。
このアルバムの音像が時として「インダストリアル」と評されることに違和感を覚えるが、それがEinstürzende Neubauten(編注:アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン:ドイツを代表するインダストリアル、ノイズミュージックのグループ)のような意味だとしたら、頷いてもいい……のか?
なのに、尖りすぎていないのは、ヴォーカルの絶妙なサジ加減に由来するのだろう。
兄マイケル・ジャクソンの何作かと比較すると、リード・ヴォーカルの音量はかなり大きい。いくつかの曲ではシャウト気味のこともある。にもかかわらず、全体としてジャネットの歌唱自体の印象はとても柔らかい。エコー&リヴァーヴ等を駆使した、録音物としてのヴォーカル・マジックなのだと思う。
黒猫が多過ぎる
イアン・ギランやポール・スタンレーがソウルを歌いたがるのと同様、逆のアプローチだって歴史を通じて何度も試みられてきた。例えばマイケル・ジャクソン。「Thriller」でエディ・ヴァン・ヘイレン、「Bad」でスティーヴ・スティーヴンス、「Dangerous」でスラッシュ(ガンズ・アンド・ローゼズ)と、錚々たるギタリストをフィーチャーしたロック寄りな曲を作ってきた。
そしてジャネットには本作の「Black Cat」がある。これがジャネットにとって初めての独力作曲というから、とても興味深い。また、「ロック的な曲を加えることでアルバムを完成させたい」という彼女の強い意志により、最後に作られた曲でもある。もっともギター・リフこそディープ・パープルの「Smoke On The Water」調だが、そこに乗る大コーラスはPファンク的な妙味を漂わせているが。
この曲をジャネットと共にプロデュースしたジェリービーン・ジョンソン(やはりザ・タイム組)はドラマーでギタリストという無茶な才人だが、メインのリフは——前作『Control』にも参加していたギタリスト——デイヴィッド・バリーが弾いたもの。ジェリービーン・ジョンソンもギターで参加し、A&Mの重役だったジョン・マッケイン(本作のエグゼクティヴ・プロデューサー)もスライド・ギターを弾いた。
すでにギタリストが3人参加しているが、ここからさらにややこしくなる。やはり元ザ・タイムのジェシー・ジョンソンによるギター・ソロをフィーチャーしたリミックスが何種かあるが、「Guitar Mix」というバージョンではリヴィング・カラーのヴァーノン・リードがギター・ソロを担当。また「Video Mix」ではエクストリームのヌーノ・ベッテンコートがリズム・ギターで参加しているのだ。ギタリストだけで総勢6人! やっぱりPファンクなんちゃうか?
余談。
この『Rhythm Nation 1814』でジャネットが打ち出した、ポップなのにハードなアティテュード。恐らくは、そんなジャネットの姿勢に学んだ異形の歌姫街道を驀進することになったのがリアーナだろう。この10年ほど、そのリアーナのツアー・バンドでギタリストを務めるのはヌーノ・ベッテンコートなのである。
in closing
もちろん、音楽にはしんみり/しっとり/しっぽりする瞬間も必要だ。特にアメリカのソウル/ファンク〜R&Bのアルバムは、バラード/スロウなしには成立しない(まあPファンクは例外だろうが)。9曲構成の前作では最後の2曲だった終盤のスロウ・セクションは、20トラック(12曲)の本作で3曲に。順当な増加である(これ以外に中盤の「Livin’ in a World (They Didn’t Make)」がある)。
ラヴ・バラードは他の人を交えない空間での親密さを謳うものだから当然かもしれないが、実はこれらの曲に限らず、全体として「閉じた」音に聞こえるアルバムでもある。私それは、「歌っているのはジャネットひとり」と思えるヴォーカル・アレンジメントに起因するものでもある。バックにはリサ・キースらも参加しているが、スティーヴィ・ワンダー「Part-Time Lover」におけるルーサー・ヴァンドロスほどにも主張しない。このアルバムが——一部のナンバーはやかましいのに——とてもパーソナルというか、小説的というか、作家性が強いというか、そんな風に思えるのは、この音像に由来するところが大きいように思う。
ただ、「フィーチャリングをしない」はこのころまでのポップ・ミュージックの通常フォーマット。黒人音楽の世界でもそうだった。もっとも、ジャネットが次作『janet.』を出す頃には、状況が大きく変わっているわけだが……それはまだ先の話である。
Written by 丸屋九兵衛
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■著者プロフィール
丸屋九兵衛(まるや きゅうべえ)
音楽情報サイト『bmr』の編集長を務める音楽評論家/編集者/ラジオDJ/どこでもトーカー。2018年現在、トークライブ【Q-B-CONTINUED】シリーズをサンキュータツオと共に展開。他トークイベントに【Soul Food Assassins】や【HOUSE OF BEEF】等。
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