トゥパック伝記映画公開記念 映画を見る前の基礎知識(前編)
トゥパックの伝記映画「オール・アイズ・オン・ミー」12月29日からの日本公開を記念して、連載「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第6回は、この映画を見る前に知っておくとより映画が楽しめる、または、映画を見た後に知るともう一度映画を見に行きたくなるというようなトゥパックの基礎知識を語っていただきました。まずは前編を公開。
*丸屋九兵衛コラムの過去回はこちら
こちらのトークの書き起こしは以下
映画を見る前の基礎知識
──今から映画を見ようと思っているけど、トゥパックを全然知らない人や、名前だけ知ってる人、ヒップホップは好きだけどトゥパック知らない人などいっぱいいると思うので、そういう人たちに向けて、これを知っていたら映画面白くなるよっていうようなことを、字幕監修者でありbmrの編集長である丸屋さんにお聞き出来たらなと。
丸屋 それだけじゃなくてこの機に乗じて、私は自著「丸屋九兵衛が選ぶ、2パックの決めゼリフ」は出すわ、おまけにトゥパックが残した詩集を翻訳はするわ。2冊同時進行で大丈夫なのか丸屋九兵衛!
──「決め台詞」以外に詩集の翻訳もされているんですね。
丸屋 詩集はパルコ出版から発売ですね。現時点(11/13)でパルコ出版は積極的に情報をオープンにしていないのに、なぜが我が社(スペースシャワーネットワーク)のリリースには載っているという(笑)。
──詩集はどういう風な経緯でされることになったんですか?
丸屋 映画「オール・アイズ・オン・ミー」自体がパルコ系列の配給っていうこともあって、その昔別の出版社から出ていたトゥパックの詩集の和訳をもう一度訳しなおして出そうという動きがあって。
──河出書房から出ていたやつですね。
丸屋 せっかく名前を出していなかったのに(笑)。なぜなら今から悪いことを言うからだ。
──(笑)。
丸屋 「コンクリートに咲いたバラ」(*「ゲットーに咲くバラ」として12月27日発売予定)は昔、2000年ぐらいに出たのかな。それの翻訳は、“立派な”方が訳していたんだと思うんですけど、「スクラッチ」というものを知らないっぽい。
──と、いいますと?
丸屋 原文で「scratch」のところを「切り傷」と書いているんですね。
──なるほどー。英語の訳としては正しいけれども。
丸屋 でも、その後に「DJ」って出てくるんで。それでその後に原文では「カットアップはDJダイズにまかせてる」っていうセリフがあるんだけど、その「カットアップ」も「切り刻む」っていう和訳になっているんです。
──(笑)。
丸屋 これは非主流派文化への無理解というか、いかなる教養人といえどもそれなしでこんな非主流派文化のものを訳しちゃダメねと思いましたね。
マンデラの妻の自伝を暗唱するトゥパックと恩師レイラ・スタインバーグ
──映画にもこの詩集の中の詩はでてきますね。
丸屋 ジェイダ・ピンケット・スミスのために書いた詩とか。あの詩はあの時点でああいう風な形であったのかはわからないけれど。トゥパックの詩の才能というのはカリフォルニアのオークランドに移ってからそこでレイラ・スタインバーグというポエトリーの先生と知り合って、そこで磨かれていくんです。ポエトリーのワークショップを毎週毎週自宅でやっている凄く志の高い先生がいて。
──寺子屋とか町の塾みたいですね。
丸屋 そうそう、わりとそのノリで。っていう先生なんですけど、その人が元シンガー&ダンサーで、教育者であり、音楽業界人で、いくつかのレコード会社のためにも働いていた人で。最近だと、今まさに自分の本に書いているんですが、オッド・フューチャー・ウルフ・ギャング・キル・ゼム・オールのアール・スウェットシャツ君が最初にミックステープを出した時にお母さんに怒られて「お前アメリカにいたらダメね」ってサモアに追放されるんですね。
──凄い(笑)。
丸屋 たまに、悪いことをしたから少年院か、テキサスの親戚の家がどっちが選べっていうのは、たしかレイジー・ボーン(ボーン・サグズン・ハーモニー)がやられた刑だと思うんだけど、サモア行けっていうのなかなかですよね。もちろんサモアをバカにしているわけではなくて、我々のブーヤー・トライブの出身地だしね。でもサモアに行けっていう、まさか太平洋をなかば超えるっていう。
──えらいサウスですね。
丸屋 サウス・ウェストね。なかなか凄いことになったんですけど、そんなアール君を助け出したのはレイラ・スタインバーグらしく。
──20年後の今もその先生は活動をしてるんですか?
丸屋 今も業界でガンガン活躍中とのことで。あとこの25年ぐらいの間、サン・クエンティン刑務所っていうカリフォルニアいちハードな、私の先輩では入れない刑務所があるんですね。私の先輩は飲酒運転しかしてないんで(笑)。そんな刑務所があるんですけど、そこで25年間ずっと教鞭をとっているという。
──中にいる人に教えてるんですね。
丸屋 囚人の心を開くために教えている、そんなレイラ・スタインバーグ先生がいて、彼女とトゥパックの出会いのエピソードがなかなか素晴らしくて。これは、トゥパックのお母さんの教育が凄いと思ったんですけど、レイラ・スタインバーグは既にその時には何らかの先生だったんですね。たぶん学校の校庭の芝生の上で、ウィニー・マンデラ、つまりネルソン・マンデラの妻の自伝を読んでいたレイラ・スタインバーグ。そしたらその本を暗唱するやつがいたと。
──読んでる横で?
丸屋 読んでる横で、中身を暗唱するやつがいて、ぱっと見たら見たことがない睫が長い黒人少年がいた。で彼がトゥパック・シャクールと名乗ったので、友達から聞いてた才能のあるラッパー志望の少年っていうことがわかって。
──引越ししてきた段階で既にちょっと有名だったんですね。
丸屋 たぶん88年にカリフォルニアに引越してるんだけど、彼らは89年に出会ったらしいですね。その時点で多少のレピュテーション(評判)があったらしいですね。まぁなんのレピュテーションもない人間があんなにはならないだろうという。だってネルソン・マンデラの妻の自伝を暗唱できる少年ですよ。
──自伝って結構厚いですよね。
丸屋 それは教育凄すぎますよね。それで、レイラはポエトリーとかライティングの教室やってるから、来てみない? ってと言うと、そしたら週末にトゥパックが現れて、溶け込むや否やその場を仕切るようになってしまい、その日のテーマまで勝手に決めてしまったという。
──リーダーシップというかカリスマがあったというか。
丸屋 それは強引な手腕と見るのではなくて、たぶんチャームですよね。それがあったと思うんです。その時代に手書きで書いた詩がいっぱいあったんです、それを偉いのはレイラ・スタインバーグが全部とってあったという。
──先生が保管していたんですね。
丸屋 だからあんな詩の本が出たんです。
──本は結構ボリュームありますよね。
丸屋 それでレイラは出会って4週間後にトゥパックのマネージャーになってたんです。トゥパックが当時ストリクトリー・ドープっていうグループをやってて、レイ・ラヴというラッパー、これもベイエリアのヒップホップを相当聞いてないと知らないような人ですけど、実はレイ・ラヴはキャブ・キャロウェイ(*)の孫なんだよ。全然顔似てないんだけど。
(*30-40年代に台頭したジャズのシンガー/バンドリーダー。映画「ブルース・ブラザーズ」の出演でも有名)
──実の孫ですか?
丸屋 実の孫で、レイ・ラヴのツイートで「俺のグランドファーザーのキャブ・キャロウェイ」っていうのがあったりして。で、そのレイ・ラヴとストリクトリー・ドープのライヴもレイラ・スタインバークが主催で開かれて、それによってデジタル・アンダーグラウンドに注目されることになったんです。
ブラック・パンサーとは何か?
──デジタル・アンダーグラウンドの話に入る前に、今お母さんの教育という話もでましたが、お母さんはどういう人だったんですか? お母さんはブラック・パンサーに入っていましたが、ブラック・パンサーとはいったい何でしょうか?
丸屋 お母さんではなくおばさんの話なんですけど、まさにこの「オール・アイズ・オン・ミー」がアメリカで封切された2017年6月16日、トゥパックの誕生日ですが、この日に”我らが”ドナルド・トランプ大統領がですね、演説をかましまして。ご存じのとおりオバマ時代って、歩み寄りの時代だったじゃないですか。これまで犬猿の仲だったキューバに対してお互い色々やりとりしようと歩み寄った時代ですね。それをトランプは覆しちゃったわけですけど、それを6月16日に行われた演説の中で、「キューバ政府よ、政治犯を釈放せよ」とか言ったあとに、「キューバに逃亡しているアメリカの政治犯を返せ」と。言ってること逆やろ、舌の根も乾かぬうちに! そのキューバに逃亡しているアメリカの政治犯の中に、アサータ・シャクールという人物が入ってまして、血縁はないんだけどトゥパックのゴッドマザーにあたる通称おばさんなんですね。この人は、70年代に逮捕され、しかしトゥパックの義理の父であるムトゥル・シャクールの援助によって脱獄し、
──脱獄なんですか?!釈放じゃなくて?
丸屋 脱獄してキューバに逃げたの。どうやったら脱獄したうえに国外逃亡できるんだろ。
──凄いですね、金なのか仲間なのか。
丸屋 で、キューバにいってカストロに政治亡命をOKされ今でもキューバに住んでます。こんな一族。
── 凄いですね(笑)
丸屋 ムトゥル・シャクールもアサータ・シャクールの脱獄は手伝うわ、銀行は襲うわで色々ありまして80年代に捕まってしまうわけですが、今もオツトメ中ですよね、たしか。たぶん60年ぐらいの刑で。だから映画の中でトゥパックが面会に行くシーンもありますけど。そういったアメリカ政府から睨まれるブラック・パンサーという団体ですが、1966年10月に設立かな。
──結構昔に設立したんですね。
丸屋 「スター・トレック」が始まった1か月ぐらいあとですね。間違っていたら申し訳ないんだけど64年に公民権法が成立してるんですけど、公民権法が成立はしたがそれだけでは済まないものは色々あるじゃないですか。
──まだまだ差別は続いているという。
丸屋 その前にマルコムXが殺されてるし、それから68年になるとキング牧師が殺されるわけで。もともとブラック・パンサーが設立したのはオークランドなんですが、オークランドのような黒人が凄く多い都市ですら、人種差別的な警官による黒人への暴力が絶えなかったわけです。それをこちらも武装して見張って止めさせるっていうのが基本的な発想です。
──過激派集団ですか?
丸屋 武装集団ですね。キング牧師は非暴力主義だったが、ブラック・パンサーはキング牧師のことを尊敬しつつ、この物騒なアメリカという国で理性ある人間が武装しないでいられるだろうかっていう発想で、武装したうえでそれで脅して警官の暴力を止めさせる運動をやりながら、それはそれとしてコミュニティを良くするために、子供たちのために給食を作ったり、「みなさん、鎌形赤血球もってませんか? 我々鎌形赤血球多いですからね」って言ってみんなの血を検査したりとか。そういう福祉活動もやっていた集団ですね。
──アメリカに住む黒人にとってはいい集団ですね。
丸屋 体制側にとったらたまったもんじゃないでしょうが、それまでなすすべもなく苦しめられていた、もちろんマルコムとかキング牧師はいたけれども、そうじゃなく組織として、しかもブラック・ムスリムのような宗教団体でもなく、色々をケアしてくれるブラック・パンサーというのは素晴らしかったと思います。しかも宗教は関係ないんだけど、なぜか空手を教えてくれて、空手道場もやっているという。
──護身術として?
丸屋 銃がなくても身を護れるものとして。しかも道場の名前がね「47 Samurai」、赤穂浪士ですね。
──(笑)。好きな人がいたんですか?
丸屋 実はですね、初期のブラック・パンサーの中にアオキさんという日系人がいたんです。だから決して黒人至上主義じゃないんですよ。ブラック・パンサーの代表だったヒューイ・P・ニュートンが捕まった時に、アジア系の活動家、我々東アジアの血をひく活動家も「ニュートン釈放しろ」ってデモをしてて、「Free Huey」とかプラカードがあって、その中に「Yellow Peril Supports Black Power」って書いている看板を持った人がいて。
【イエロー・ペリル】
こういう時代があった。
ブラック・パンサーを支援するアジア系アメリカ人の会。 pic.twitter.com/WH9Fne91w3
— 丸屋九兵衛 (@QB_MARUYA) 2017年6月26日
──イエロー・ぺリル?
丸屋 かつて白人が、アジア人というのは世界にとっての禍であるという考えを持っていた時代に、黄色い禍(Yellow Peril)とアジア人を呼んでたんです。それを逆手にとって「Yellow Peril Supports Black Power」って看板持ってるおじさんもいたので、ブラック・パンサーは黒人至上主義とか民族主義って語られがちですが、黒人であることを確認しつつも、基本的には平等主義を謳っていた団体ですね。なおかつ平等主義だけではなく、反帝国主義、反人種差別主義、反ファシズム、あとマルクス・レーニン主義なんですね、アンド、毛沢東主義っていう。
──凄いですね。
丸屋 バッキバキですよね。Wikipediaの英語を見ると「Far Left」ってはっきり書いてある。「むっちゃ左」って(笑)。
トゥパックの母の凄さと息子に与えた影響
──そんなブラック・パンサー党にトゥパックのお母さんは入って、お母さんはどれぐらい活動していたんですか?
丸屋 彼女は40年代後半の生まれで、たぶん20歳ぐらい、1970年ぐらいには、色んな政府の建物を爆破した容疑で逮捕されるが、弁護士をつけずに自分で弁護して無罪を勝ち取るという、どこまで頭ええねんっていう。
──相当頭いいですよね。アメリカの弁護士って、日本でもそうですが、相当な専門知識いりますよね?
丸屋 特にアメリカって基本的に頭のいい人は全員弁護士になってしまうので、理系がやばいと言われている国で、しょうがないから理系の部分はほぼインド人でまかなっている国で。裁判の原告側もそうとうやり手が来ただろうに、それをやり込めて無罪を勝ち取るという。そういうお母さんですね。
──過激派、武装派でありつつも非常に頭がよかったんですね。そういうお母さんがいたからこそのトゥパックが生まれたんですね。
丸屋 そう、ネルソン・マンデラの妻の自伝を暗記させられるいう。まぁ暗記させられたのかっていうのはわからないですけど、この「オール・アイズ・オン・ミー」という映画でも、お母さんが息子(トゥパック)に「新聞読んだ? 何が書いてあった?」って聞いて、「ネルソン・マンデラが刑務所を移された」っていうシーンがあって。11歳でそれか。凄い英才教育ですね。
──そこらへんが他のストリートあがりのラッパーと一味違うバックグラウンドですね。
丸屋 そうですね、彼は高校時代に学生共産主義連盟に入っていたんですけど、そんな人そうそういないよ(笑)。1960年代後半~70年代前半に10代後半だったらわかるんだけど、それぐらいの時期に生まれている人で、80年代後半にそういうグループに入っているっていうのは尋常じゃないですよね。
──そこもお母さんの影響ですね。
丸屋 トゥパックが凄く特異なのは、って彼だけじゃないんですが、彼は芸術系の高校にいっていたんですね。パフォーミング・アートスクールかな。基本的にはシェイクスピア・アクターだったんですね。
シェイクスピアを好きなギャングスタラッパー
──なかなか珍しいですね。
丸屋 実際にはシェイクスピアをやる黒人なんていっぱいいるんだし、シェイクスピアっていうのは歌舞伎と同じ時代に成立したにもかかわらず、歌舞伎と違って基本的に門戸は開かれているんでやりたい人は誰でもできるんですね。だけど、例えば、70年代初頭の「スーパーフライ」っていう映画があるんですが、あれの主役のロン・オニールも実はシェイクスピア俳優で、そんな彼がドラッグ・ディーラーの役!?ってみんなビックリしたっていう。
──海外だと役者はシェイクスピアや演劇上がりが多いですよね。
丸屋 これがイングランドだともっといるんでしょうけど、もちろんアメリカにもそういう人はたくさんいて、黒人でももちろんいて。今でも生きてるラッパーだとUGKのバン・Bも演劇の奨学金で大学に来ないかと言われていた人物で、たぶんあの声の質を考えるとシェイクスピアなんじゃないかと。おそらくオセロの役でもやってたんじゃないかな。トゥパックもシェイクスピアが大好きで、シェイクスピアのストーリーテリングに凄く影響を受けたそうです。
──ストーリーテリングに惹かれたんですね。
丸屋 あとはもちろん言葉の使い方とかも。彼が言ったセリフで凄くいいのがあって、「『ロミオとジュリエット』はゲットー・シットだ」と。そういう解釈も凄いなと。
──なるほど、確かにそのあと映画化される「ロミオ+ジュリエット」(1996年)は現代版でマフィアの話でしたもんね。
丸屋 対立する二つの集団に属するヒーローとヒロインが結局無駄死にしてしまうという話ですね。パフォーミング・アートのスクールでシェイクスピアとポエトリーとあとはバレエですね。
──踊るバレエですか?
丸屋 そうです、バレエもやってたみたいで。家庭の事情で西海岸に移ったあとも、レイラ・スタインバーグというかけがえのない先生との出会いによってポエトリーとライティング・スキルも相当磨いていって。それをやりながらラップをやっていたという。
──その流れでラップっていうのは珍しいですよね。普通ならそのまま演劇の世界にいくと思いますが。
丸屋 彼がもし、メリーランド州にいて、ボルチモアのパフォーミング・アーツのハイスクールにいたならそのまま俳優のほうがメインになっていったでしょうね。ポエトリーもやるけど、基本的にはアクターでっていうのになって。それこそ同級生のジェイダ・ピンケットと同様に俳優になっていたんじゃないかな。しかし家庭の事情で西海岸に移り、そこではポエトリーに、レイラ・スタインバーグっていう先生との出会いがあって。彼女は音楽とポエトリーは理解しているだろうけど、演劇系の人間じゃなかっていうこともあって。
──なるほど、音楽寄りの人だったんですね。
丸屋 音楽の人、ポエトリーを題材にした教育者であり、音楽事業界人だっていうこともあり、そんなわけで彼は音楽の道を歩むようになったと。
*次回へ続く
『2Pac Greatest Hits』
品番:UICY-15691/2 発売日:2017年12月6日発売 価格:¥2,500 (税込)
国内盤のみ:英語歌詞・新規対訳(渡辺志保)、新規ライナー(長谷川町蔵)