丸屋九兵衛 連載第2回「誰にだって修行時代はある」
音楽情報サイト『bmr』の編集長を務めながら音楽評論家/編集者/ラジオDJなど幅広く活躍されている丸屋九兵衛さんの連載コラム「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第2回です。コラムの過去回はこちら。
連載第2回【誰にだって修行時代はある】
去る3月にわたしが出した『丸屋九兵衛が愛してやまない、プリンスの決めゼリフは4EVER(永遠に)』という本がある。わたしの著書だから、真っ当な音楽評論ではない。
例えば「性格が悪い伝説」という章では、プリンスとリック・ジェームスの確執について書いた。その犬猿の仲は、プリンスがリックの前座を務めている時代の事件に起因する……という話だ。そのツアーは、リック・ジェームスの『Fire It Up』リリースを受けてのものらしいから、79年から80年にかけての出来事だろう。
それにしても。プリンスですら、かつては他人の露払いだった……という事実が、わたしの胸を熱くする。
そう、誰にだって修業時代はある。「前座」は、いかなるアーティストも一度は通る道。というわけで今回は、前座というものについてあれこれ書いてみる。
最近、マイルス・デイヴィスの甥にインタビューする機会があった。(映画『MILES AHEAD』special)
このヴィンセント・ウィルバーン・ジュニアという人物、「マイルスの甥」にして「マイルス財団のエグゼクティブ」というだけではない。彼はファンクもジャズも股にかけて活躍してきたドラマーであり、80年代ファンクの歴史に輝かしい足跡を残した――というより、80年代ファンクがメインストリームで輝いた最後の瞬間を刻んだ、というべき?――キャメオのメンバーでもあった人物だ。
とはいえ、彼が同バンドに在籍していたのは、ごく短期間だったという。
「キャメオが『Street Songs』ツアーの前座を務めている頃だ」
おお!
ここでわたしが妙に感動したのは、「キャメオもリック・ジェームスの前座だったのだ」と知ったから。ファンク史家として秘められた瞬間を知った!という想いに起因するものだ。
『Street Songs』ツアーということは81年だろう。となると、プリンスの後釜に座ったのがキャメオということか。続く82年には、当時プリンスのガールフレンドだったヴァニティがキャメオの『Alligator Woman』のジャケットでモデルとしてタイトルの「ワニ女」を体現することを思えば、なかなかの縁(えにし)を感じさせる展開である。
キャメオは、確かバーケイズと共にパーラメント/ファンカデリックのツアーで前座だったこともあるはずだ。パーラメントが『Funkentelechy Vs. the Placebo Syndrome』をリリースした後だから、78年の年始のはずだ(ただしバーケイズのジェイムズ・アレクサンダーはキャメオを嫌っている)。
それ以前のPファンク軍団のツアーでは、「ファミリー前座制度」が人事のカナメ。つまり、パーラメント/ファンカデリックがメイン、ブーツィーズ・ラバー・バンドが前座、で全米を回っていたのだった。だが、“Bootzilla”の大ヒットをもって、ブーツィーズ・ラバー・バンド(とホーニー・ホーンズ)は独り立ちし、メインとしてツアーすることになる。
ツアーは、広いオーディエンスに向けて期待の新人を紹介する場になる。そう考えれば、仲間を前座に据えた布陣は理にかなっている。リック・ジェームスがティーナ・マリーやメリー・ジェーン・ガールズを、プリンスがザ・タイムやヴァニティ6を、それぞれ引き連れてツアーしたのは、その好例だ。
だが、「軍団に君臨するソロ・アーティスト」と「その子飼いのバンド」によるパッケージは、時に下克上の危険もはらんでいる。プリンスの例で言えば、ザ・レヴォリューション(と正式命名される前)にバックアップされても所詮はソロのプリンスと、バンドとして一蓮托生のザ・タイムでは、ステージでの一体感が違ったらしい。結果として、前座のはずのザ・タイムが大盛り上がり、それがプリンスのショウを色褪せて見せた、とか。この一件が殿下の性格のさらなる悪化につながった……とも伝えられている。
大西洋もアイルランド海も跨いだハードなロックの世界に目を転じてみよう。わたしが好きなのは、「フィル・ライノットがヒューイ・ルイスをフックアップしてシン・リジィの前座に抜擢」伝説である。正確には、70年代にヒューイ・ルイスが在籍していたクローヴァーというバンドだ。
とはいえ。そもそも、前座の人選にメインのアーティストに意志はどれほど作用しているのだろうか? この疑問に対しては、「ケース・バイ・ケース」と答えるしかなかろう。ヒューイ・ルイスの場合は、そのシン・リジィのライブ名盤『Live and Dangerous』でハーモニカを吹いているくらいだから、目をかけられていたのは間違いないのだが。
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ……と書きそうになったが、いや違う。シンプルに「ザ・ウェイラーズ」だった。ピーター・トッシュとバニー・ウェイラーが在籍していた時代。70年代前半、そんなウェイラーズは、北米大陸でスライ&ザ・ファミリー・ストーンの前座を務めたことがあるはずだ。
それは、かつて凄腕ラジオDJとして知られたスライのアンテナがレゲエに惹きつけられた結果の抜擢だったのかどうか。不幸にして、わたしは知らない。
ところで。
ここ日本では前座を「フロントアクト」と書くヤツがいるが、直訳にもほどがあるぞ。下町をダウンタウンと訳した戸田奈津子みたいだ。正しくは「オープニングアクト」である(サポーティングアクトとも)。そもそも「フロント」という語彙は「時間的にアーリー」の意味ではなく、フロントラインやフロントマンのように「前の方」「最前線」のニュアンス、結果としてむしろ「メイン」に近い語彙なのだ。
なんにしても、ツアーのメインアーティストは「ヘッドライナー」である。
■著者プロフィール
丸屋九兵衛(まるや きゅうべえ)
音楽情報サイト『bmr』の編集長を務める音楽評論家/編集者/ラジオDJ/どこでもトーカー。2017年現在、トークライブ【Q-B-CONTINUED】シリーズをサンキュータツオと共にレッドブル・スタジオ東京で展開中。
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手作りサイト :https://www.qbmaruya.com/
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