ジャネット・ジャクソン『janet.』を振り返る:今年で30周年、再評価される最も売れたアルバム
ジャネット・ジャクソン(Janet Jackson)が1993年に発表した5作目のスタジオ・アルバム『janet.』の30周年記念デラックス・エディションが2023年7月7日にリリースされた(国内盤は7月14日発売)。
マルチ・プラチナ・セールスを誇る同アルバムには、ダブル・プラチナ・シングルの「That’s The Way Love Goes」やプラチナ・ヒットとなったバラード曲「Again」のほか、 「If」「Because Of Love」「You Want This」「Anytime, Any Place」などのヒット曲が収録。それに加えてボーナストラックには「And On And On」「70’s Love Groove」「One More Chance」といった当時リリースされた貴重な7インチ・シングルからの様々なオルタネート・ミックスなどが含まれている。
この『janet.』の30周年記念盤について、ライター/翻訳家の池城美菜子さんに解説いただきました。
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ドキュメンタリーとジャネットの再評価
ジャネット・ジャクソンの功績の見直し、再評価が止まらない。彼女自身の第一線への復活が始まったのが、10年代の後半。2015年に11作目『Unbreakable』が、2019年には『Rhythm Nation 1814』の30周年記念版がリリースされた。同時期にワールド・ツアーやラスヴェガスでのレジデント・ショーなど、ステージにも戻ってきた。熱心なファンたちは彼女のサポートをやめたことはなかったものの、移り気な世間はどんなスーパースターだろうがすぐに過去に追いやろうとする。
その世間からの再評価のきっかけとなったのが、2022年1月に放映された『ジャネット・ジャクソン 私の全て』だろう。英米合作で制作された、4回シリーズのドキュメンタリー。ケーブル・テレビ局、ライフタイムと親会社A&Eでまず放映され、2023年6月現在、アマゾン・プライムなどで世界に向けて配信されている。
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そこでは、ブラック・ミュージックでもっとも有名な家族、ジャクソン家の末娘として生まれてショウビズのなかで「しか」生きられない運命に流されず、しかし逆らうこともしないで、新しく自分の潮流を作り上げた彼女の紆余曲折に富んだキャリアが映り出された。
兄・マイケル・ジャクソンの一生と、ジャクソン家の話はアメリカ中と世界の音楽ファンのあいだで広く共有されている。だが、ジャネットとなると、噂話が先行して、所々わからない点があったのだ。口数が少なくプライバシーを重視するジャネットの性格、3度の結婚/離婚で元夫たちとのあいだに生じたと思われる守秘義務、2004年のスーパーボウル・ハーフタイムショーでの衣装替えの誤作動事件後のバックラッシュに対して、ジャネットが貫いた言い訳をしないという方針などが、主な理由だ。20年近く前の誤作動事件は、インターネットが世論形成には使われていなかった時代における、マスコミ主導の炎上事件として大きかった。
30周年を記念してリリースされた、通算5作目の『janet.』を語るうえで、どうしても外せない人物がいる。2人目の夫、メキシコ出身の振付師/映像作家のレネ・エリゾンドだ。彼とジャネットが出会ったのは、80年代初頭。レネは姉のラトーヤ・ジャクソンのバックダンサーであり、1985年にジャネットがジェームス・デバージと離婚した翌年から交際し、1991年に極秘入籍した。1999年に別居し、2003年に離婚成立。
レネとのハネムーン期が本作、『janet.』の制作とリリースからプロモーションの時期と重なっている。そのため、多くのファンは歌詞の背後に彼の存在を聴き取ってしまい、正当な評価を下しづらい面があった。7作目『All for You』の「Son of a Gun (I Betcha Think This Song Is About You)」が、レネへのディス・ソングであるのも有名だ。
最も売れた「ジャネット、以上」
だが、今回のドキュメンタリーではレネの貢献についても客観的に述べていた。30年近くの年月を経て、改めて『janet.』をやっとフラットに評価できるようになったとも言える。それは、2022年の秋、25周年を記念してストリーミングでリリースされた『The Velvet Rope』のデラックス版も同じだろう。
英語では「ジャネット・ピリオド」と読む–直訳して邦題をつけるなら「ジャネット、以上」になる–5作目『janet.』は、火を吹く勢いで進化していた27歳前後のジャネットを切り取ると同時に、ブラック・ミュージックとポップ・ミュージックを見事に融合させ、女性性の解放というフェミニズムの観点からも歴史を刻んだ重要作である。彼女の最高傑作はどれか、という議論は決着がまずつかないだろうが、本作がもっとも売れたアルバムであるのは事実だ。リードシングル、「That’s the Way Love Goes」が、ジャネットのもっとも売れたシングルなのだ。
この曲や「Any Time, Any Place」で見せたソフトでセンシュアルな面が、すでにスーパースターであったジャネットをセックス・シンボルに押し上げていく。それは、男性に媚びるセクシーさではなく、性を含めて恋愛を楽しもうとする能動的、かつオープンな新しい女性像であった。
本作についてよく取り沙汰されるのは、「ジャクソン」というラストネームを削ったタイトルだろう。それも重要だが、ファースト・ネームだけにしてより自分をわかってもらおうとの意図をもって、親密な空気を湛えているのも特徴だ。
たとえば、イントロを含めて13もあるインタールード。気だるい「朝」を切り取ったモノローグから、「おやすみなさい」を意味する「Sweet Dreams」まで、ゆるく1日の流れと感情の揺れをなぞっている。さらに、冒頭から10曲目の「Throb」まではセックスそのものの展開なのだ。インタールードの「Be a Good Boy…」では、「いい子だから、コンドームをつけてね」とまで言っている。2人きりの世界に、リスナーを招き入れている構成。後半に入ってほかの人や、ジャネットが好きな自然の風や雨の音が入ってくる。
アルバムのサウンドの特徴とは?
本作のサウンドの特徴を見てみよう。「What’ll I Do」以外は、ジェームス“ジャム“ハリスとテリー・ルイス、それからジャネット本人がプロダクションにクレジットされている。「What’ll I Do」は、ジョニー・デーがスタックスからリリースした「What’ll I Do For Satisfaction」(1964)のカヴァー。ザ・ローリング・ストーンズ「(I Can’t Get No) Satisfaction」の元ネタでもあり、ジャネットもそれを踏まえて解釈している。
ファッションからしてミリタントで金属的な音が多かった『Control』や『Rhythm Nation 1814』より、ヘヴィーな曲は少なめ。時代の流れに合わせ、ニュージャック・スウィングからヒップホップ・ソウルに移行していた当時の流行に目配せもしている。シングル「If」と、「You Want This」、「Funky Big Band」がそれに当たる。
80年代から売れたR&Bをベースにしたスーパースターという括りで、ジャネットはマライア・キャリーやホィットニー・ヒュートンとよく比べられていた。パワー・バラードを得意とする彼女たちのような力強い歌声を持たない代わり、ジャネットにはダンサブルな曲で楽器のサウンドと一体化する歌唱力、リズム感がある。ハウス・ミュージックを取り入れたセクシーな「Throb」も、時代を先取っていた。
また、メイン・ストリームになりつつあったヒップホップ勢からは、「New Agenda」でパブリック・エネミーのチャック・Dが参加。その前のインタールード「Racism」では、「レイシズムという病に冒された世界へ 早く良くなってね」と優しく皮肉を言っていて強烈だ。これは、前作『Rhythm Nation 1814』で強まった、音楽を通して社会的なメッセージを発するジャネットの特異性が出ている。
俳優に復帰した『ポエティック・ジャスティス』と後世への影響
このリズム感と、歌詞とイメージで新しい女性像を打ち出してきたのが、ジャネット・ジャクソンが特別なアイコンである理由だ。そして、彼女は本作と同時期に別の角度から革新的な動きを見せた。ジョン・シングルトン監督の映画『ポエティック・ジャスティス/愛するということ』で俳優業に復帰したのだ。
彼女は元子役である。隣の家に住んでいそうな女性(ガール・ネクスト・ドア)に戻って恋人を殺された辛い過去がある美容師、ジャスティスを演じた。相手のラッキー役を演じたのが、2パック・シャクール。彼もセカンド・アルバム『Strictly 4 My N.I.G.G.A.Z.』をリリースして、そのカリスマ性が広く知られ始めたばかりのタイミングであった。
『Strictly 4 My N.I.G.G.A.Z.』のリリースが2月、『janet.』が5月で、映画の公開が7月。ジョン・シングルトンは、1991年のデビュー作『ボーイズ’ン・ザ・フッド』でアカデミー賞の最優秀脚本部門と監督部門のノミネートを受けており、スパイク・リーと肩を並べる存在だった。
そのシングルトンの2作目がスーパースターのジャネットと、ヒップホップ・ファン以外にはまだあまり知られていなかった2パックという組み合わせだったため、公開前からブラック・コミュニティと、ブラック・カルチャー・ファンは大騒ぎしていた。本作は、いまでも根強い人気があり、とくに後輩アーティストに大きな影響を与えている。
ジェネイ・アイコとビッグ・ショーンは2020年に「Body Language」のビデオでジャスティスとラッキーに扮し、ケンドリック・ラマーはドレイクを招いて2012年に「Poetic Justice」という曲を作ったうえ、2022年の『Mr. Morale & The Big Steppers』のセカンド・シングル「We Cry Together」でのスポークン・ワードの部分は、レジーナ・キングが演じたサブカップルの痴話喧嘩にわざわざ寄せている。
『janet.』からのサード・シングル「Again」は映画のエンドロールで使われ、映画のシーンを入れたミュージック・ビデオがMTVなどでよくかかっていた。ジャネットはアカデミー賞の最優秀オリジナル・ソングにノミネートされるなど、各アワードで高く評価された。この曲と、「That’s the Way Love Goes」のビデオを監督したのがレネ・エリゾンドであり、可憐さとセクシーが同居するジャネットの魅力を最大限に引き出している。
じつは、A&Mからヴァージン・レコードへの契約金の額がニュースになったせいか、『janet.』にたいする音楽雑誌、評論家の当時のレビューは厳しい意見も混ざっていた。音楽メディアもしょせん人の子、妬みといった感情に左右されるのだ。だが、その後、ビデオを含めてジャネットが与えた影響は多大で、本作の評価はどんどん上がっている。
「90年代のベスト・アルバム」といったリストに入るのはもちろんのこと、ビヨンセ、リアーナ、ブリトニー・スピアーズにいたるまで、ジャネットの歌い方やアプローチ、ファッションを参考にしている。それを、さらに孫引きのようにK-Popのアーティストたちまで取り入れているのが。2023年の真実だろう。ジャネット・ジャクソンとは、それほどのオリジナル性をもったアイコンなのである。30年を経て改めて本作を聴く人も、じつはきちんと聴いたことがない人も、ぜひじっくり向き合ってほしい。
Written By 池城 美菜子(noteはこちら)
ジャネット・ジャクソン『janet.』
2023年7月7日発売
CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
ジャネット・ジャクソン『JANET JACKSON Japanese Singles Collection』
2022年8月24日発売
CD購入
2SHM-CD+1DVD(CD全38曲/DVD全44曲収録)
- ジャネット・ジャクソン アーティストページ
- ジャネット・ジャクソン『The Velvet Rope』25周年記念盤がiTunes R&B/SOULで1位に
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