米ミュージカルの歴史を変えた『レ・ミゼラブル』: 映画でも大成功した歌の秘密と歴史
2012年12月に公開されると全世界で大ヒットを記録し、日本でも興行収入約60億円を突破したトム・フーパー監督による映画『レ・ミゼラブル』。
2024年12月27日から日本で初となるデジタルリマスター/リミックス版全国劇場公開にあわせて、アメリカ演劇・日本近現代演劇を中心とする演劇史・演劇批評が専門で、先日『「喜劇」の誕生:評伝・曾我廼家五郎』で第51回大佛次郎賞を受賞された、成蹊大学文学部教授の日比野 啓さんに本作品について寄稿頂きました。
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二つの意味で米ミュージカルの歴史を変えた
1987年3月にブロードウェイで初日を迎えた『レ・ミゼラブル』は、二つの意味でアメリカン・ミュージカルの歴史を変えた。
一つには、全編を歌で通す(sung-through)ミュージカルでありながら、ジャン・バルジャンやマリウス、ジャベール警部らのドラマを深く描き切っていたこと。なるほど、1982年10月ブロードウェイ初演の『キャッツ』もほぼ全てが歌われたが、筋はあってないようなものだった。地の台詞を使わずに、歌だけで複雑な物語を語るのは難しい。それでも、『黄金のリンゴ』(1954年4月)『ザ・モスト・ハッピー・フェラ』(1956年3月)のように、それまでもミュージカルをオペラに近づける試みはされてきたが、全編を歌で通すことにアメリカ人観客はそれほど大きな意義を感じていなかった。
だが『エヴィータ』(1979年9月)とそれに続く『レ・ミゼラブル』は、楽曲(ナンバー)と対話を交互に重ねていくアメリカン・ミュージカルの伝統を危うくするほどの成功を収めた。『ミス・サイゴン』(1991年4月)なども含めてそれらが当時「ロンドン・ミュージカル」と呼ばれたのは、ロンドンで初演されたのちにブロードウェイに上陸したから、プロデューサーのキャメロン・マッキントッシュがイギリス人だから、という理由だけではない。ナンバーと物語をうまく統合することに心を砕いていたアメリカン・ミュージカルが60〜70年代になると人気が衰えるのを尻目にして、オペラのように朗々と歌い続けることで物語が展開する面白さをアメリカ人に教え、大人気になったことが大きな理由だった。
『レ・ミゼラブル』が革新的だったもう一つの理由は、それがクロード=ミシェル・シェーンベルクとアラン・ブーブリルという二人のフランス人の手によるものだったことだ。アメリカ英語の特性を活かし、歯切れの良いリズムで短いフレーズを繰り返すようなナンバーをメインにするのではなく、広い声域と息を長く続かせることを必要とする難度の高い楽曲を次々と繰り出すという発想は(クラシック音楽の作曲家でもあったレナード・バーンスタインを除けば)アメリカ人の作曲家にはなかった。
また一つの歌詞で、その時の感情だけではなく、その人間がたどってきた人生を示す(「星よ」”Star”/ 「夢破れて」”I Dreamed a Dream”)スケールの大きさもアメリカン・ミュージカルの作詞法では生まれなかった。フランスで上演された作品に目をつけたマッキントッシュが、ジョン・ケアードとトレヴァー・ナンという二人のイギリス人演出家の力を借りて、アメリカ人ハーバート・クレッツマーがブーブリルの歌詞をアメリカ人の耳に馴染みやすいアメリカ英語に変えていく。そうした国際的協力体制が生まれたのも、『レ・ミゼラブル』ならではだった。
日本での成功
1987年6月、ブロードウェイ初演から三ヶ月足らずして『レ・ミゼラブル』は帝国劇場で日本初演を迎える。東宝はすでに『マイ・フェア・レディ』(1963年9月)で初めて翻訳ミュージカルを手がけ、森繁久彌主演『屋根の上のバイオリン弾き』(1967年9月)でロングランを経験してきたが、オペラ歌手並みの歌唱力と三時間近く大作ゆえの演技力を要求する本作を成功させるためには入念な準備が必要だった。
滝田栄と鹿賀丈史という劇団四季出身の二人にジャン・バルジャンとジャベールを交互に演じさせるという奇策、斉藤由貴(コゼット)、野口五郎(マリウス)、岩崎宏美(ファンティーヌ)等芸能界のスターを擁したキャストはそのためだ。だが開演前の懸念を吹き消すほどに好評だったのは、そのせいばかりではない。戦前から日本人は浅草オペラを通じてオペラやオペレッタのように朗々と歌う唱法に慣れていた。子音は必ず母音を伴って発音される言語的特徴ゆえに、日本語の歌詞はどうしても間延びして聞こえるから、アップテンポのアメリカン・ミュージカルのナンバーより、ロングトーンを多用してドラマティックに歌う『レ・ミゼラブル』の楽曲のほうが好まれたのだ。
「いいとこどり」の楽曲
合衆国ではよく、ミュージカルの成功は観客が劇場からの帰り道に思わず口ずさんでしまうようなキャッチーなナンバーがどれだけあるかで決まる、という。メロディラインが美しいというだけではない。単純な歌詞、リフレインの多さ、そして何よりも軽快なリズムが必要だ。だが日本ではむしろ、見終えた後何日も頭の中でずっと鳴っているような、金管楽器の伴奏によって厚みが加えられた劇的な斉唱の有無が作品の印象を左右する。「囚人の歌」(”Work Song”)と「民衆の歌」(”Do You Hear the People Sing?”)はそんな日本人好みの曲であることは言うまでもない。
もっとも『レ・ミゼラブル』の偉大さは、アメリカン・ミュージカルの潮流をオペラのように「気軽に口ずさむことはできないものの、その重厚さでいつまでも印象に残る楽曲」をフィーチャーするという方向に向けた、というだけではない。アメリカン・ミュージカル本来の特徴である、一語一語を区切るようにはっきりと発話することで軽快なリズムを作り出す楽曲も入れて、「いいとこどり」をしているところにもある。
テナルディエ夫妻が歌うユダヤ音楽ふうの「この家の主」(”Master of the House”)はそんな曲の一つだが、「あいつはどんな悪魔だ/俺を捕らえてまた放すとは」から始まる「ジャベールの自殺」(”Javert’s Suicide”)の冒頭もまた、『ウェスト・サイド・ストーリー』「クラプキ巡査どの」(”Gee, Officer Krupke”)と同様、早口でまくし立てることで劇的緊張を作り上げるアメリカン・ミュージカルの骨法を踏まえたものだ。
トム・フーパーによる映画での徹底したリアリズム
さらにデジタルリマスター/リミックス版がこのたび公開されるトム・フーパー監督の映画版では、ダニエル・ハトルストーン演じるガヴローシュが中盤で歌う「囚人の歌」のリプリーズにも注目したい。軽快なリズムを生むためには歌詞を明瞭に、歯切れよく発話することが必要だが、息の長さは必ずしも必要ない。一方、オペラ的に歌うためにはメロディラインに沿ってできるだけ息を伸ばしていかないと劇的緊張が伝わらない。ロンドン・ミュージカルの快進撃をブロードウェイの演劇人に思い知らせた『キャッツ』のナンバー「メモリー」はその一つの例だろう。だがこのハトルストーンの「囚人の歌」は、テンポよく単語を区切って発音しながら、次第次第に息を詰めていくことでテンションを高めていく。
冒頭で斉唱で歌われる「囚人の歌」と同じぐらいこのリプリーズがドラマティックに聞こえるのは、ただ子役が健気に歌っているから、ということではなく、公開当時13歳だったとは思えないハトルストーンの高度な技術の賜物だ。ソロの部分は30秒足らずだが、息を長く続けながらはっきり発音することで昂揚した調子と拍の感覚を両立させる『レ・ミゼラブル』の楽曲の、もっともすぐれた達成を象徴する唱法だと言える。
トム・フーパーは舞台に由来する様式性をできるだけ解体して、徹底したリアリズムを持ち込んだ。ハリウッドの大作映画でありながら手持ちのカメラで撮影するのは『プライベート・ライアン』(1998)など前例はあるし、ミュージカル映画に限っても(特殊な使い方とはいえ)『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)が先行している。
だが「プリレコ」(撮影前に録音した自分の歌を聞きながら演技し、歌う)を排してライブで歌わせたのは、録音技術の飛躍的な向上があったにしても初めてのことではないか。そしてそれもまた『レ・ミゼラブル』の高揚感ある数々の楽曲に独特のリアルさを加えることになった。デジタルリマスター/リミックス版でそれがいっそう明らかになることを期待したい。
Written By 日比野 啓
『レ・ミゼラブル~サウンドトラック <デラックス・エディション>』
2013年3月18日発売
CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
映画情報
『レ・ミゼラブル デジタルリマスター/リミックス』
上映日:2024年12月27日
製作国:イギリス上映時間:158分
配給:東宝東和
公式サイト
第51回大佛次郎賞
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