ラッパー、キッド・カディによるアニメ『Entergalactic』と同名アルバムに描かれたもの
ラッパー、キッド・カディ(Kid Cudi)が原案、プロデュース、主演声優を担当したNetflixのアニメーション『キッド・カディ: Entergalactic』が2022年9月30日に公開され、同日に同名であり自身8枚目となるスタジオ・アルバム『Entergalactic』が配信された。
10月17日には初の来日公演が決定していることでも話題のキッド・カディによるこのアニメーションとアルバムについて、ライター/翻訳家の池城美菜子さんに寄稿いただきました。
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デビュー以来の世界観を映像化
キッド・カディの世界観、視点をそのまま焼き付けたアニメーション作品『キッド・カディ: Entergalactic』が公開された。コンセプトの元ネタは、2009年のデビュー作『Man on The Moon :The End of Day』に収録された「Enter Galactic (Love Connection Part I)」。つまり、デビュー以来、カディの頭にあったテーマが映像化された、ともいえる。本人は同日にリリースされた同名のアルバムと連動したヴィジュアル・アルバムと言っており、Netflixは「テレビ・スペシャル」としている。アルバムはあくまで8作目のスタジオ・アルバムで、サウンド・トラックではないとも明言している。
彼がNetflixと組んで、大人向けのアニメを制作するニュースが初めて出たのが2019年。そのあいだ、パンデミックがあり、トラヴィス・スコットと「ザ・スコッツ(THE SCOTTS)」を結成し、エミネムとは「The Adventures of Moon Man & Slim Shady」を作り、Nigo『I Know NIGO!』に参加し、2018年に大傑作『Kids See Ghosts』を生み出した(元)カニエ・ウェストとは再び仲たがいをし、Amazonでドキュメンタリー『スコットという名の男』が公開され、アカデミー賞の最優秀作品賞にノミネートされた『ドント・ルック・アップ』でアリアナ・グランデとバカップルを見事に演じた。
紆余曲折がありながらも、キッド・カディに再び注目が集まり、メディアやジャンルを軽々と飛び越えたり、掛け合わせたりできる独自性が広く理解された3年間だったのだ。筆者は、時代がやっと彼に追いついてきたのだと思っている。キッド・カディはいつだって0.5〜0.75歩だけ進み過ぎているアーティストなのだ。
この大活躍には明白な理由がある。キッド・カディはこれまた曲名から取ったプロダクション・カンパニー「マッド・ソーラー」を2020年に立ち上げた。『Entergalactic』も『スコットという名の男』もマッド・ソーラーが制作している。また、マッド・ソーラーは今年公開された連作ホラー『X エックス』と『Pearl』の制作にも関わっている。配給はサイコロジカル・ホラーの傑作『ミッドサマー』を作ったA24。製作費100万ドルの低予算映画なのだが、すでに約15倍の興行収入を記録した。アメリカの口コミサイトでも高評価なので、ストリーミングに回ったらさらに成果を上げそうだ。
まず、1979年の農家を舞台に、ポルノの撮影隊が狂った老夫婦に狙われる設定がおもしろい。文章にしたらなかなかバカバカしいプロットだが、カメラワークは凝っているし、きちんと怖いし、特殊メークも強力だし、かなりお勧めできる。ちなみに、プロデューサーの筆頭に名前が出ているカディは、海兵隊上がりの絶倫ポルノ男優役だ。
ヴァージル・アブローに捧げた作品
『Entergalactic』は同名アルバムと同日、9月30日の金曜日にリリースされた。カディが9月30日にこだわったのは、この作品にもコスチューム・デザイナーとして関わった友人、故ヴァージル・アブローの誕生日だから。まだ公開されて1週間と少ししか経っていないが、アメリカではアルバムもアニメも評判がすこぶるいい。ここから、アニメの詳細解説を記す。ここで、Netflixに加入している人に提案がある。同作を未見の場合は情報を入れないまま、一度鑑賞してからぜひこの記事に戻ってきてください。
王道のラヴ・ストーリーである本作は、ニューヨークのマンハッタンと一部のブルックリンを正確に描写し、細部に貼り巡らせたディティールや会話のニュアンスを読み取ることで、いまどきのアメリカの20〜30代のライフスタイルや考え方、そして普遍的な価値観を表現している。筆者はその年代ではないが、登場人物の造形と場所の解説はできる。それくらい、ニューヨークのエンターテイメントやアート・シーンの描写が正しく、「あ、こういう人いた」と思えたし、ワシントン・スクエアやユニオン・スクエアなど、はっきり特定できる場所が多く出てくる。
監督はアニメーション畑のフレッチャー・ムールズ。原作と制作がカディと人気コメディドラマ『ブラッキッシュ』のケニヤ・バリスだ。当初、数回のエピソードがあるシリーズものとして紹介されていたが、ふたを開けると92分のテレビ・スペシャルだった。連作を意味するシリーズでも映画でもない、その中間の位置づけ。もともと、実写の予定がアニメーションになり、数回のエピソードのはずが6つのチャプターに分かれた1つの作品になった。おそらくだが、キッド・カディの「やりたいこと」を優先させた結果、既存の型、カテゴリーにはまらない作品になったのでないか。
主人公は分身、声優は友だち総出演
主人公のジャバリは、顔からしてもろにキッド・カディの分身である。顎のしゃくり方、話すテンポ、人を傷つけないような言葉選び、ヒップでおもしろい友人たち、そしてマリファナ。チャプター1「犬笛」は、ジャバリの引っ越しから話が始まる。
マンハッタンの南、トライベッカのロフトが舞台なのだが、あの広さだと家賃がとんでもないはずなので、そこはマンハッタンが舞台のほかのドラマと同じで天井知らずの家賃はあえて無視している。ストリート・アーティストのジャバリは、自分のキャラクター「ミスター・レージャー」がマーベルを思わせるコミック会社、コズミック・コミックの目に止まり、入社したばかり。隣に住むメドゥは写真家。NYU(ニューヨーク大学)を出ているらしい元カノ、カルメンはチャイナタウンのスタジオ(ワンルーム)に住んでいる設定は細かい。
キッド・カディの仲よしが演じる、ジャバリの友だちはさらに実物に近い。カイはもろにタイ・ダラー・サインだし、ジミーも眉毛が完全にティモシー・シャラメだ。この二人以外の前情報を入れないで最初に見て、メドゥの友人アーティスト、ナディアをどこかで見たな、と思ったら070シェイクだった。親友カリーナの声はヴァネッサ・ハジェンズだし、ミスター・レージャーは最近では『NOPE/ノープ』の父親役を演じたキース・デイヴィッド。そして、カディと仲がいいプロデューサー、プレイン・パットを思わせる「ダウンタウン・パット」の声はなんと『ホーム・アローン』のマコーレ・カルキン。カルキンは声優も上手で、もっと演技を観たいと思った。ジェイデン・スミスもほぼ本人役だ。
カディの妄想と現実的な視点
ジェシカ・ウィリアムズが声を担当しているメドゥがもっとも「いそうでいない」女性だろう。なぜなら、彼女はカディの理想の恋人だから。「実生活では恋愛関係でいいことがないから、そのファンタジーをこの作品に託した」とキッド・カディは身もふたもない発言をしている。
実在するスタジオ・ミュージアム・イン・ハーレムのグループ展でデビューする予定のフォトグラファーと、自分が街中にスプレーで描いたキャラクターがアメコミになるグラフィック・アーティストのラヴ・ストーリーはたしかに夢物語だ。
アパートの隣人と恋に落ちる設定で、ジャネット・ジャクソン「Any Time, Any Place」のミュージック・ビデオを思い出した。1993年『Janet.』からのシングルで、さすがに参照元として古いかな、とも思ったが、ビデオを見直すと雰囲気に共通点がある。90年代前半のジャネットの曲はケンドリック・ラマーやドレイクもサンプリングしたり、引用したりしているし、カディがインスピレショーンを得ていてもおかしくない。
友人はマルチ・レイシャルだが、人種間の軋みは無視しないで丁寧に描写している。チャプター2「Bright, Lite and White (明るくライトで正統派)」では、プエルトリカンの同僚、レンがジャバリに仲間意識をちらつかせながら、ミスター・レージャーのキャラクターをもっと「白っぽく」しろとアドバイスする。カディはメキシコ系も入っているので、ヒスパニックにも見えるのだ。レンはジャバリの作風を「rawでダークすぎる」と指摘。おそらく字幕の文字数の関係で「raw=粗野」と訳されていたが、これは「生々しさ」を意味し、引いてはストリートやフッドといったヒップホップの根幹に関わる空気感を否定しており、ジャバリは気にしてしまう。
ここで出てくる「日本の心配草」は架空の植物だ。精神的なものにアジアの文化を当てているのがおもしろい。2020年に閉店したテーマパーク型レストラン、ニンジャ・ニューヨークも出てくる。このシーンは、わざわざ日本のアニメ風にキャラクターを変換させて芸が細かい。
「Bright, Lite and White」の「Lite」は、アルコール度数の低いビールや低カロリー食品に使われる際、Lightのスペルを変える風潮を取り入れている。つまり、企業主導のメインストリームに取り入れられると、「薄まってしまう」と指摘し、資本主義への猜疑心をさりげなく織り込んでいるのだ。また、中近東のアクセントが強いタクシーの運転手が自転車で遮ったジャバリを配達人と決めつけて「メッセンジャー・ボーイ」と罵り、メドゥのエージェントである金持ちの白人男性、リードも初対面で不審者扱いするあたりも、日常に潜む差別一歩手前の偏見をよく表現している。
夜遊びとファッション
『Entergalactic』は、「銀河系(星雲)へ入る」を意味する造語で、アメコミの会社名にも宇宙が入っているあたり、カディが最初から名乗っていた「man of the moon(月男)」の世界観だ。ニューヨークの街を自転車で走り回るジャバリは、しばしば宇宙に飛んでいく感覚に襲われる。そのトリガーになるのは、ニューヨークで合法のマリファナや、新しい恋を見つけた高揚感。Sexを含めて快楽主義を追求するライフスタイルだが、ティンダーを思わせる出会い系アプリ、スウォッシュには否定的。
チャプター2の冒頭、ジミーとカイと一緒にくり出す夜遊びの描写もかなり正確だ。エクスタシーを摂ってダウンタウンのクラブからミッドタウンのペントハウスのハウスパーティーへ。セキュリティが客を選ぶスノッブなスポットでは揉めてから、橋を渡ってウェアハウスの地下にあるクラブへタクシーで乗り付ける。ブルックリンのクラブにボブ・マーリーらしき絵があるのはやり過ぎだが、建物やバーカウンター、ソファの配置も想像で描いたのではない。
厚めの赤いカーテンの向こうで招待客だけのパーティーがくり広げられる様子も、ほんの数回だが経験したことがある。ダイナーもニューヨークの旅行に行った人なら思い当たるプレウォーの建築物の細長い造りを生かしている。しっかりシナリオ・ハンティングをして制作された作品なのだ。
キャラクターの服も同様にリアルである。ヴァージル・アブローがZoomでカディら制作陣とやりとりをし、キャラクターに合わせた服を自分のコレクションやクローゼットから引っ張り出してきたという。男性のキャラは最先端のストリート・ファッションもまとっているし、女性たちのパーティー・ドレスは素材の質感まで伝わってくる凝りよう。本作のマーチがStapleとのコラボで出ている。『Entergalactic』は、ファッション自体をチェックできる珍しいアニメーションなのだ。
ヴィジュアル・アルバムとしての使い方
ジャバリの頭の中が映像化されるサイケデリックな雰囲気、セックス・シーン、会話も大人向けであるため、16歳以上推奨になっている。どれくらい効力があるかわからないが、ペアレンティング・コントロールの設定をしていたら、見られないはずだ。水彩画のような色使いのアニメーションはハッとするほど美しく、なるべく大画面で見たほうが楽しめる。
そして、音楽。アニメ作品と連動した8作目は、映像の前に仕上げたという。盟友のドット・ダ・ジーニアスとプレイン・パットが中心になったサウンドは、2020年にリリースされた7作目『Man On The Moon III: The Chosen』同様、月男シリーズの延長線上にある。完全にカディが歌っている「In Love」みたいなラヴ・ソングは、アニメと絡めたからことで出来たそう。客演はタイ・ダラー・サインとドン・トリヴァーが2曲ずつ、それ以外に2チェインズ。スティーヴ・アオキとスクリレックスの名前もある。
アニメではアルバムの15曲の収録曲のうち、順番に12曲目「She’s Lookin’ for Me」までが使われている。これ以外に使われているのは、6作目『Passion, Pain & Demon Slayin’』からアンドレ3000との「By Design」。メドゥがレコードで持っているミニー・リパートン『Adventures in Paradise』(1975)から「Inside My Love」と、ジャバリがホームパーティーの選曲に疑問を呈する流れでかかるドゥルー・ヒルの「In My Bed (So So Def Mix)」。
ミニー・リパートンはクラシックとして、1996年のドゥルー・ヒルで盛り上るあたり、ふたりはアラサーだと思って見ていたがもう少し歳が上なのかな、と思った。ちなみに、レコードを探すときに一瞬、ザ・キュアー『Disintegration』とビースティー・ボーイズ『Licensed to Ill』のアルバム・カバーが見える芸の細かさだ。さらに書けば、『Entergalactic』はビースティーの名曲「Intetgalactic」(1998/東京で撮影されたMVが最高)のタイトルとコンセプトも参照にしているはずだ。
場面設定から会話までとことんスタイリッシュな『Entergalactic』だが、前の恋人とのつき合い方(もしくは縁の切り方)、昔の悪い恋愛から発生する相手を信用できない問題(トラスティング・イシュー)、応援してくれる友人のありがたみなど、万国共通の普遍的な切り口を盛り込んでいて、世界中の視聴者を置いてけぼりにしない。最後に背中を押してくれるのがお姉さんというのもいい(声もカディの実姉だ)。ヴィジュアル・アルバムはまずビヨンセが先に成功させているが、今回、よりくっきりした筋書きをもつアニメーションを作ったキッド・カディもこのジャンルの先駆者として歴史に名を残した。一度、しっかり観たあとは、部屋のなかで「かけっぱなし」にできる作品なのだ。とにかく、一度見てほしい。
Written By 池城美菜子 (noteはこちら)
キッド・カディ『Entergalactic』
2022年9月30日発売
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