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ケンドリック・ラマー『To Pimp a Butterfly』徹底解説:伝えたかった壮大な世界観と黒人らしさ
日本時間2025年2月10日に開催されるアメリカ最大の視聴率を誇る第59回NFLスーパーボウルのハーフタイムショーへの出演が決定しているケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)。
彼の個々の作品について、ケンドリックのアルバム『good kid, m.A.A.d city』から『Mr. Morale & the Big Steppers』までの日本盤ライナーノーツのリリック対訳を担当し、『バタフライ・エフェクト:ケンドリック・ラマー伝』(河出書房新社、2021年)の翻訳を担当したヒップホップジャーナリストの塚田桂子さんに連載として徹底解説いただきます。
第2回は、2015年に発売された3枚目のアルバム『To Pimp a Butterfly』について。
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「黒人らしさ」がテーマ
デビュー作『good kid, m.A.A.d city』が世界的な成功を収め、ケンドリック・ラマー期待の2作目では、ジャズやファンクの革命的な黒人アーティストを聴き込み、「黒人らしさ」をテーマにすることに徹底的こだわった『To Pimp a Butterfly』。
ツアーで訪れた海外、特に2014年に訪れた南アフリカでの経験がケンドリックの世界観を大きく変え、その世界を地元で一緒に育った友人たちに見せ、経験させてあげたいという想いが、『To Pimp a Butterfly』のアルバムカヴァーにも反映されている。ここで喜びを表現するホーミーたちは、「社会の脅威とみなされているが、実は皆いい人たちであり、そんな彼らを裁けるのは神のみ。裁判官などに裁かせはしない。カネはなくとも精神的に豊かな同胞の黒人たちのことも、このアルバムを通して世界に伝えたかった」とケンドリックは語る。
そしてケンドリックが思い描くサウンドを実現するために、偉大な現代ジャズ・ミュージシャンや演奏家、シンガーたち~カマシ・ワシントン、サンダーキャット、ロバート・グラスパー、マイルス・モーズリー、ジョセフ・ライムバーグ、レイラ・ハサウェイなど~を集めたサックス奏者でLAのジャズ隊長、テラス・マーティンの貢献なくしては、このアルバムは実現しなかっただろう。もちろんサウンウェイヴを始めとして、タズ・アーノルド、フライング・ロータス、サンダーキャットなどのプロデューサーの尽力も不可欠だった。
またジャズに系統した『To Pimp a Butterfly』では、しばらくヒップホップから遠ざかっていたジャズを大々的、そして大胆に取り入れたことで、ジャズが再び、若者やメインストリームに注目されるようになった貢献も計り知れない。
ケンドリックは2パックに多大なるリスペクトを捧げるあまり、最初はタイトルを「Tupac」という頭文字になるように『To Pimp A Caterpillar(青虫を搾取するには)』にする予定だったという。しかし、命の輝きを感じさせる「Butterfly(蝶)」に変えて、攻撃性のある「Pimp(ポン引き、利用/搾取する)」と合わせて、『To Pimp A Butterfly(蝶を搾取するには)』に変えている。自らのセレブ力を良いことに「利用(Pimp)」し、音楽業界に「摂取(Pimp)」させないという意思も示しているのだという。ケンドリックがこのアルバムで伝えたかった壮大な世界観を、1曲ずつ紐解いてみよう。
1. Wesley’s Theory feat. George Clinton and Thundercat
古いヴァイバルのノイズと共に始まる、「すべてのニガーはスター(Every Nigger is a Star)」という英雄的なサンプリングは、ジャマイカ人のボリス・ガーディナーというシンガーの曲であり、彼には70年代にこの曲を通してネガティヴにとらえられがちな「Nigger」という言葉の認識を変え、黒人であることに誇りを持つよう勇気づけたいという思いがあったという。
このサンプリングにはケンドリックが最初にメジャーデビュー契約を交わした時の気持ちが、この「Wesley’s Theory」には最初に大金を手に入れた時の気持ちが込められており、また、「Wesley’s Theory」はアルバムカヴァーにもインスピレーションを与えたという。ラップの世界を「初めての彼女」と表現し、金銭的な成功を手に入れた喜びを、純粋な愛情が急速に欲望に変わっていく様子に例えながら、このアルバムのテーマである、いかにアーティストが音楽業界に利用されるかを示唆している。
メジャーデビューの契約当初、夢にまでみた大金を手に入れてみたものの、金銭の扱い方なんて学校で教わったこともなければ、実際にはどう扱っていいのか分からない。だからこそ音楽業界が無知なアーティストを利用するのは実に容易い。結果、自分やホーミーたちに散財しまくってトラブルの種を撒いてしまったケンドリック。彼のとまどいを見透かしているかのようにドレー師匠が登場し、「トップにのし上がることは簡単だ、その地位を守ることが難しいんだ」と諭す。
次にケンドリックを魅了しようとするアメリカ政府、白人アメリカを擬人化したキャラ、アンクル・サムが登場し、あれもこれもどんどん買えとケンドリックを誘いこむ。そして2ヴァース目の最後で、この曲のタイトルにも繋がる「お前もウェズリー・スナイプのように、35才になる前に標的にしてやる」というラインで締めくくる。これはどういう意味なのか?
大物黒人俳優のウェズリー・スナイプスは、所得税の虚偽申告による脱税で、3年刑務所に入っている。とある税金反対派の人物による「賃金は所得ではない、金だけが貨幣である。よって法律的に納税の義務はない」という(とんでも)アドバイスに従ったと主張しており、政府は彼らの理論を「税金抗議者セオリー」と呼んでいる。このラインでは、大統領になれる条件の年齢35才になる前に、ウェズリーのように財政的な過ちを犯したヤツを標的にしてやると締めくくり、この音楽業界の犠牲者となる可能性を示している。
するとこのアルバムにおけるサウンドの方向性を担う重要準人物であり、ジョージ・クリントンを研究するフライング・ロータスやサンダーキャットの影響で迎えたクリントン本人が登場し、トップからどん底に転落する危険性を示唆しながら警告を与える。
2. For Free? (Interlude)
テラス・マーティンのドラマティックなトランペットで始まり、セクシーな彼女がケンドリックに向かって「あんたなんてろくでなし、あれもこれも買ってくれない」と欲求を投げつけると、ケンドリックはまるでジャズのスキャットのようなライムで矢継ぎ早に反論する。「俺のアレはタダじゃねぇ」と性的表現を使って彼女を攻撃しているようで、実は「俺を誰にも利用させやしない」という決意を込めたメッセージを奴隷制度、音楽業界、アメリカそのものに送っている。
アフリカからアメリカ南部に強制的に奴隷として連れて来られた莫大な人数の黒人とその子孫たちは、無償で大農場の綿花生産や国中の道路や建物を造る過酷な労働を強いられ、アメリカに大いなる繁栄をもたらした。政府が奴隷解放後に、建前上は自由の身になった元奴隷たちに「40エーカー(16ヘクタール)の土地とラバ1頭」を補償すると謳ったが、奴隷制度が始まって400年以上過ぎた今でも、その約束は果たされないままだ。それを、「俺のアレも労働もタダじゃない」と表現し、黒人の才能を奴隷のように搾取する音楽業界に対し、自分の価値を熟知しているからこそ、応戦する覚悟を見せているのだ。
この曲のジャズ演奏は、ケンドリックがテラスに誘われてスパイク・リー監督の映画『モ’・ベター・ブルース』を一緒に観て、その中の熱狂的なジャズ演奏のシーンに強烈な感銘を受け、テラスがそれにインスパイアされて作曲したものだ。ロバート・グラスパーなどのミュージシャンを集めて一発録りで録音されたというだけあって、ジャズのグルーヴ感、醍醐味が息づいている。
3. King Kunta
この曲は、アレックス・ヘイリーの小説『ルーツ』の主人公である、奴隷にされていた農園から逃げ出そうとして右足を切り落とされたクンタ・キンテをモチーフにしている。そのクンタにキングの称号を与えることで、ケンドリックがアメリカ社会ではまだ奴隷のように扱われている黒人であると共に、どんな扱いを受けようともヒップホップ界で王座に相応しい人間であり、「どんな困難が立ちはだかろうとも、神の力で走らされている自分の足を何者にも切らせはしない」、という強い決意が込められているという。
楽曲的には、アフマドというLAラッパーの「We Want The Funk」というサンプリングを利用し、DJクイック制作で、日の目を見ることがなかったコンプトンのラッパー、マウスバーグの「Get Nekkid」という曲のビートを使い、ダブル・ファンク使いでこの曲のテーマを最高にファンキーに盛り上げている。
この曲はぜひ、ヘッドホンを付けて腹に響くぶっといベースラインを感じてみていただきたい。ちなみにこの曲は、プロデューサーのサウンウェイヴ(『Section.80』以降ケンドリックの全アルバムに参加)とサンダーキャットが、『北斗の拳』を観て、吉野家の牛丼を食べながら制作したというから、なんだか親近感が湧いてくる。
リリックにおいても、ジェイムス・ブラウンの「The Payback」、ジェイ・Z『The Blueprint 3』内の「Thank You」、さらにマイケル・ジャクソンの「Smooth Criminal」からそれぞれラインを拝借している。ブラックミュージック界の巨匠を取り上げることで、音楽業界、ひいてはアメリカが、黒人アーティストから搾取してきた歴史を強調している。
さらに興味深い事実として、この曲のバックヴォーカルには、ケンドリックのパートナーのホイットニー・アルフォードが参加している。またMVでは、地元の仲間たちが応援する中、ケンドリックはコンプトン・スワップ・ミートの屋根で踊っている。彼はまだ8歳の頃、父の肩車に乗って、2パックとドクター・ドレーが「California Love」のMVを、まさにこのコンプトン・スワップ・ミートで撮影する現場を目撃しているが、その20年後、故郷で彼の英雄たちの足跡を辿っているのだ。
4. Institutionalized feat. Bilal, Anna Wise and Snoop Dogg
ケンドリックは前アルバムで手に入れた成功と影響力で、ヒップホップ界の王座に君臨したことを自信満々に主張しているものの、静かな曲調に変わったこの曲では、「新たに得るものがあれば、失うものがある」と、自分の影響力をうまく使いこなせていない、という内なる葛藤を表現してく。
自分が成功して新しい立場にレベアップし、地元のホーミーたちにその新しい世界を見せたいという理想がある一方、例えば、友人をBETアウォーズに連れて行けば、セレブの高級腕時計を盗もうとして、ケンドリックに問題を引き起こす。そういう本人だって、富が与える堕落的な魔力に翻弄されている。誰もが制度化された社会、慣行化された思考回路にとらわれているのだ。
そんなジレンマを鋭く指摘するのがスヌープの「フッドから抜け出すことはできても、ホーミーからフッドを抜き去ることはできない」というラインだ。フッドから脱出したつもりでも、フッドに深く根差した物の考え方や行動パターンはどこまでもついて回る。人間、そうそう簡単に変われやしないのだ。そしてケンドリックの祖母の「(夢を叶えるためには)やるべき事をきちんとやらないと人生なんて変わりやしないんだよ」という言葉を思い出す。
5. These Walls feat. Bilal, Anna Wise and Thundercat
この曲から、イントロとアウトロにある詩の朗読が登場する。アルバムを通してこの詩が朗読され、曲が進むごとに1、2行ずつ追加されていき、曲との関係性が徐々に解き明かされていく。
「もしこの壁が喋れたら」と始まるこの曲は、女性の膣の壁、刑務所の独房の壁、そしてケンドリックの心や良心の壁について語っていく。ケンドリックはある女性といい関係になり、彼女の壁の住人になっていくのだが、その壁には痛みと恨みが溢れていることに気づく。そして彼女には子供がいて、その父親は獄中にいるのだ。
3ヴァース目に壁のステージが獄中の壁に変わり、その壁が独房の中の住人に(『good kid, m.A.A.d city』の)「Sing About Me」を聴けと言う。ケンドリックの親友デイヴが銃殺され、デイヴの兄(または弟)が、「俺が死んだら俺のことを歌ってくれ」とケンドリックに伝える曲だ。
ケンドリックが女性とのセックスを楽しんでいたはずのこの曲では、実はデイヴを殺した犯人がその獄中の住人であり、セックスしていた女性の子供の父親だったことが判明し、聴き手は思わずゾッとさせられる。アップテンポなテラスのキーボードとサンダーキャットのベースラインが、そのメロディとは相反するストーリーを強調する。ケンドリックは自身が手に入れた名声を悪用して、セックスと復讐を手に入れようとしていたのだ。その男は終身刑で、その女は有名ラッパーとのセックスを楽しんでいる。
その詩でケンドリックは語る。
自分の力を悪用して
憤りでいっぱいになった
その腹立たしさが深い鬱に変わり
ふと気が付くとホテルで叫んでいた
復讐と怒りで苦しんでいたのは、実はケンドリック自身だったのだ。
6. u
絶望的な叫び声で始まるこの曲は、ケンドリックが深い鬱の苦しみにのたうち回り、自分に課した重荷を吐き出す様子が描かれている。「u(You)を愛することは複雑」と繰り返すその言葉は、他でもない、ケンドリック自身のことだ。今まで高々と自慢していた自信はすっかり消え失せ、心の痛みを忘れるためにアルコールに溺れて鬱に陥り、気が狂ってしまいそうだ。
10万人のファンの前で説教しても、ティーンエイジャーの妹の妊娠を防ぐことができなかったら、何のための影響力なのか? 全国ツアーで忙しく、親友が病気なのに見舞いにも行けないまま死んでしまったのは、お前の裏切り行為だ。彼は次から次へと自分を責めていく。偽善者、生き残った者としての罪悪感がケンドリックの心を蝕み、アルコールからは距離を置いていたはずの彼が、正気を失うほど飲んだくれ、自殺にさえ考えが及ぶ。カネや名声を手に入れるうちに、故郷の大切な人たちからの距離は離れていくばかり。
この曲のレコーディングの様子を振り返り、TDEのエンジニアのアリは『リヴォルトTV』に、「彼はスタジオに入って来るとすべての照明を消して、ブースに入ったんだ」と語り、プロデューサーのサウンウェイヴは、「そして彼は三時間も出て来なかった。あのセッションに入った人はみんな、目に涙をためていたよ」と語っている。
この「u」と8曲目の「For Sale?」は、後に「God Is Gangsta」というタイトルの2部構成のMVとして発表されているが、その中でのケンドリックの苦しみぶりも、観るに堪えないものがある。しかしケンドリックは後にMTVのインタビューで、「この曲なくしてこのアルバムを完成させることはできなかった」とも語っている。
「このアルバムの全般的なテーマは『リーダーシップ』であり、自分のセレブ力をどうポジティヴに利用していくか。それが“u”で俺がいかに苦しんでいるかを、“i”で結局は今でも自分を愛していることを見せることなんだ」
7. Alright
おそらくこのアルバムで最も有名な曲が、この「Alright」だろう。ファレル・ウィリアムスが制作したインストを基盤にしたビートに、すぐにアイディアが思い浮かばず、半年寝かせた上で生まれたこの曲は、「気持ちを高める挑戦的なアプローチで、被害者ぶるのではなく、どんな辛いことがあっても俺たちは強いんだ」というメッセージに相応しい言葉を探していたのだという。
時を同じくして、あまりに多くの黒人の命が警察によって奪われ、「黒人の命も大切」と掲げたブラック・ライヴズ・マター運動がさらに活発化すると、この曲は自然発生的にこの運動のアンセムとなり、社会に広く影響を及ぼすことになる。
「u」では、鬱に苦しみ、アルコールに溺れ、自分を見失った様子を赤裸々に打ち明けたケンドリック。映画『カラー・パープル』でのオプラ・ウィンフリーの台詞「今までずっと闘ってきた」というラインで始まる「Alright」では、自分の悪癖や悪魔の誘惑と必死で闘い、黒人に対する警察の蛮行に物申し、自分を愛することの複雑さを繰り返しながらも、どん底まで落ち込んだからこそ這い上がってきた強さを武器に、「それでも神のご加護があれば何とかなる、俺たちは大丈夫、俺は上を向いて生きていく」と、自身や仲間たちを奮い立たせる。そして再びアウトロに登場したあの詩には、「自滅はしたくなかった/悪魔のルーシーが俺を取り囲んでいた/だから答えを探しに走った」というラインが追加されていく。
さらに第58回グラミー賞では、「Alright」で最優秀ラップ・パフォーマンス賞、「These Walls」で最優秀ラップ・ソング賞を受賞したケンドリックは、鎖に繋がれた囚人姿で登場した「The Blacker The Berry」と共に「Alright」では炎が燃え盛る中でアフリカのダンサーとアメリカの囚人たちが共に踊る姿を披露して、奴隷制度が終わっても今なお続くこの国の人種的不平等について力強く訴えた。パフォーマンス終了後こそ熱狂的な拍手喝采を受けていたが、パフォーマンス中、主に白人アーティストが揃った会場の観客は、どう反応していいか分からないという表情をしていた。
彼ほどのメジャーアーティストが、ここまでメジャーなステージで、ここまで政治的な発言をするのは非常に珍しいことだが、これが正に彼の言う「いかに自分のセレブ力をポジティヴに利用するか」ということであり、アメリカ社会に大きな波紋を投げかけたのは間違いないだろう。セレブの声を利用して社会問題を訴えることの重要さは、ヤシーン・ベイも常に主張してきたことだ。
同じく2015年に行われたBETアウォーズのオープニングでも、ケンドリックは「Alright」を披露した。はためく巨大な星条旗をバックに、グラフィティで塗りつぶされたパトカーの上に乗って登場するケンドリック。パトカーの上の非常灯と同じ赤と青がステージ全体で点滅し、緊張感を煽る。この絵面だけを見て、彼を権威への冒涜者だと批判することは容易い。しかし、アメリカ黒人がどれだけ日々、警察から嫌がらせや暴力を受けているかは、メディアで大きく取り上げられたり、対策を講じられることは少ない。
また、グラミー賞との大きな違いは、BET(黒人エンタメ専門TV局)アウォーズでの観客の熱狂と一体感だ。どんなに有名になろうとも、会場にいる黒人(特に男性)セレブの多くがパトカーに停められ、警官に人種差別的、暴力的、屈辱的な扱いを受けた経験を持つからこそ、「俺たち、きっと大丈夫さ」というチャントに心底共感し、勇気づけられたのだろう。
8. For Sale? (Interlude)
明るいコーラスの後に、ケンドリックは荒く息を切らせている。「お前、これがやりたかったんじゃなかったのかよ? 怖かったら教会に行けと言うが、悪魔だって聖書は知ってるんだぜ?」という深い声がケンドリックの脳裏に囁く。これはトランペッターとして参加していたが、その深い低音ヴォイスがケンドリックから注目され、このアルバムの至る所で教訓的なナレーションで登場する、ジョセフ・ライムバーグの声だ。
夢の中に浮かんでいるような、高揚感さえ与えるメロディに乗ったこの曲では、実は悪魔のルーシー(ルシファー)が次から次へとケンドリックに罠を仕掛け、名声や富がいかに誘惑的か、そしていかに悪に根差しているかを表現している。
2曲目の「For Free?」(俺の労働/才能はタダじゃない)とは対照的な「For Sale?」(売り出し中)では、たとえ神を愛していようとも巧みにつけ込んでくる悪魔のルーシーが、まるでアメリカ政府を象徴するアンクル・サムのようにケンドリックが欲しい、ママを豪邸に住まわせてあげたいよね? さあ、契約書にサインを交わそう、と熱烈に言い寄ってくる。これはケンドリックに限らず、成功を遂げて富を手に入れたセレブなら、誰もが通る道なのだろう。
そしてあの詩には、「家(ホーム)に帰って来るまでは」というラインが追加されていく。
9. Momma
前曲の終わりにあった「家(ホーム)に帰って来るまでは」の中の「ホーム」とは、いったいどこなのか。そしてこの「Momma(ママ)」とは誰なのだろうか?
この「ママ」は必ずしもケンドリックの母親のことではなく、『good kid, m.A.A.d city』の世界ツアーで訪れた母なる大地、マザーランド、祖国アフリカのことを指している。祖国(ホーム)に戻って自らのルーツを知る体験が、名声や富を手に入れることであらゆる体験をして、自分を見失いかけていたケンドリックに謙虚さを取り戻させ、本来の自分に戻り、浮足立った足を地に着ける助けとなる。彼が本当に欲しかったのは、実は富でも名声でもなく、謙虚な本当の自分(ホーム)、そして温かい歓迎を受けて故郷コンプトン(ホーム)に戻ることだったのだ。
今までケンドリックの精神の浮き沈みや、自分の中に潜むいろいろなペルソナを描くために、声を操作して何役ものケンドリックが登場してきたが、この曲では落ち着きと正気を取り戻した彼の声が聞き取れる。
2ヴァース目では、過去の経験から俺は「すべて」(コンプトン、道徳性、ストリートの掟、尊敬、命の対価、自分の価値…)を知っていると豪語する。しかし心が寛大ならば人から認めてもらう必要もないし、すべては神の判断にゆだねればいい。実は何を知っているかよりも、自分は何も知らなかったのだと気づいた時に、ついにホーム(我)に返ることができたのだった。
3ヴァース目では、ケンドリックにインスピレーションを与えた南アフリカで出会った自分にそっくりの黒人の男の子との会話について語る。君のことはTVで観て知ってるよ。西洋教育で君の本来の文化遺産を忘れてしまったんだね。君の先祖に会っていってよ。そしてアメリカのホーミーに伝えてあげて、ホーム(祖国アフリカ)に帰っておいで、と。
曲全体にレイラ・ハサウェイの温かく浮遊感のあるコーラスが流れているが、この曲、このアルバムに彼女の声が必要だと判断したのは、やはりテラス・マーティンだ。レイラの父である伝説的ソウルシンガー、ダニー・ハサウェイが、ある日レイラの夢に表れて彼女に渡したのが、レイラの『Self Portrait』(2008)収録の「On Your Own」という曲であり、それがこの「Momma」でサンプリングされている。ある意味、この曲にはハサウェイ親子が参加しているのだと思うと、何とも感慨深い。
10. Hood Politics
この曲のアウトロで読み上げる彼の詩は、こう続く。
それでも生き残ってしまった罪悪感は消えなかった
自分が勝ち取ったリスペクトや、いかに自分が最高かを
自分自身に認めさせようと必死になったり
でも愛する仲間たちが絶え間なく地元で戦い続けている間に
俺は新たなる戦争へと突入して行った
罪悪感はいまだに彼に付きまとっていた。この時点でメジャーデビューしてたかだか3年の彼から、その前に20年間過ごしてきたコンプトンでの思考パターンが、そうそう簡単に消え去るわけがないのだ。
この曲では、ケンドリックは再び地元に戻り、「Momma」で告白した、世界を回って新しい知識や視点を得る前の、彼にとってまだフッドがすべてだった時代を振り返る。ケンドリックはギャングのメンバーになったことはないが、周りの友人の多くがいずれかのギャングに属していたフッドでは、そこに生きる者たちのメンタリティ、フッドでの駆け引きが、彼らの生活を支配していた。
そして大胆にも、アメリカにおける二大政党制度は、コンプトンのギャングの派閥と何ら変わりないと宣言し、党名を「民主党クリップス(デモクリップス)と共和党ブラッズ(リブラッディカンズ)」。縄張り、もとい支持者が多い州を「赤い州(共和党/ブラッズ)vs.青い州(民主党/クリップス)」と表現してみせる。「フッドに銃やドラッグを与えておいて、俺たちをサグよばわり」という指摘も、言い得て妙だ。
映画『ボーイズ’ン・ザ・フッド』に登場する主人公トレ(キューバ・グッディング・Jr)の父親で、不動産業を営むローレンス・フィッシュバーンの語る言葉が、まさにこのケンドリックのラインの意味を説明している。
「俺たちは飛行機も船も所有してないのに、どうやって銃やドラッグをコミュニティに持ち込める? なぜこの黒人コミュニティにはそこら中に銃販売店、酒屋があるんだ? 彼ら(政府/裏の実力者)は俺たちにお互いに殺し合いをさせたいのさ」
11. How Much a Dollar Cost feat. James Fauntleroy and Ronald Isley
南アフリカを訪ねた際に、高級車を運転していたケンドリックが、あるガソリンスタンドに立ち寄ると、とあるホームレスの男性に出会い、10ランド(1ドル)くれと話しかけられる。どうせ安いドラッグを手に入れるために物乞いをしているのだろうと思ったケンドリックは、断って車のドアを閉める。するとその男は信じられないという顔をしてケンドリックとじっと見つめ、屈辱を覚えたケンドリックには、怒りがこみあげてくる。
すると意外なことにその男は、「(旧約聖書の)出エジプト記第14章(※)について開いたことがあるかね? 我々に必要なのはひとりの謙虚な男だけなのだよ」と言い放つ。ケンドリックは、1ドルの対価について考えさせられる。
コンプトンでの常識で考えながらも、ケンドリックは罪悪感と腹立たしさに苛まれる。するとその男は、1ドルあげることを拒んだばかりに、ケンドリックは天国での居場所を失ったという事実を告げ、「失うことを受け入れるのだ。わたしは神だ」と告げてその場を立ち去る。ケンドリックの心に雷が落ちた瞬間だった。
この教訓を生んだ後のコーラスに、伝説のシンガー、ロナルド・アイズレーを選んだのは、正に天才的としか思えない。ロナルドの声を通して、ケンドリックは自身の未熟さに気づき、その過ちを正すために自分を変える手助けをして欲しいと請い、手を清めて祈りを捧げるのだった。
2015年、オバマ大統領は『People』誌のインタビューで、この曲が今年のお気に入りだと答えている。
(※) 出エジプト記第14章:モーゼが海に向かって手を差し伸べると、主が夜通し強い東風で海を押したことで、海が乾いた土地に代わり、水が分かれて水の壁を作り、恐怖と混乱に陥ったイスラエルの民を導き救ったという、有名な「葦の海の奇跡」のストーリー。
12. Complexion (A Zulu Love) feat. Rapsody
ケンドリックは黒人の様々な肌の色を意味する「Complexion」で、あらゆる肌の色をした黒人女性をみな愛そうというメッセージを伝えている。ヒップホップの認知を高めるために1970年代に作られたユニヴァーサル・ズールー・ネーションを思い起こさせるサブタイトル「A Zulu Love」にも、同じメッセージを感じさせる。
また、ケンドリックがツアーで訪れた南アフリカ最大の民族集団がズールー人であること、そして何より、南アフリカでは異なる色合いを持つ人々が「言葉」で団結している姿をケンドリックが目の当たりにしたことにも、大きな影響を受けたのだろう(正直、ピート・ロックにビートを作らせず、コーラスを歌わせた意外性には驚いたが)。
2ヴァース目でケンドリック自身も認めているように、彼を含めた黒人コミュニティでは、肌の色の違いで女性を選ぶ趣向が少なからず存在する。事実、ケンドリックの婚約者ホイットニー・アルフォードも、かなり薄い褐色の肌をしている。しかし同じヴァースで、「ウィリー・リンチ説を百万回だって覆してやろうぜ」という興味深いラインを唱える。
ウィリー・リンチ説とは、奴隷所有者であったウィリー・リンチという白人男性が1712年に書いた手紙で、植民地で奴隷主人が奴隷黒人をうまくコントロールするには、年齢や肌の色など、奴隷たちにまつわる「違い」を利用することで互いに対抗させる必要があり、この方法で少なくとも300年は奴隷をコントロールできると保証したというものだ。残酷にも、そして不幸にも、その方法と思想教育は、300年を超えた今日でも、特に黒人コミュニティ内で色濃く残っている印象を受ける。
ケンドリックが長年客演を依頼したかったラプソディが、黒人女性としてこのテーマを語っていることも、この曲で非常に重要な役割を果たしている。子供の頃、自分の姉妹より肌の色が濃かった彼女は、自分の肌は黒すぎると感じていたという。しかし大人になるにつれて自分の中の洗脳を解いていくことで、カラリズム(肌の色の濃さを理由として起きる差別)のばからしさ、自分の肌の美しさに気づき、自分を愛することを学んでいく、この曲では、肌の色の濃淡に関わらず、黒人全体をひとつのチームとして受け入れる素晴らしさを、同胞たちにコンシャス、かつポジティヴに訴えかけている。
13. The Blacker The Berry
このアルバムの中で、いや、おそらくケンドリック史上最も強い怒りと敵意を露わにしたのが、この曲だろう。直訳で「果実が黒いほど汁は甘い」という意味を持つこのフレーズは、肌の色が濃い黒人ほど、より強くはつらつとしていて、社会的困難に直面しながらも、黒人の伝統に誇りを持っているという意味で使われる。
では、ケンドリックはどういう想いでこの曲を作ったのだろうか? 2012年、南部フロリダ州のある町に、父とその婚約者を訪ねていたトレイヴォン・マーティンという17歳の黒人青年がいた。コンビニでキャンディを買った帰り道、フーディを着てストリートを歩いていたトレイヴォンを見て、自称自警団のジョージ・ジマーマンというヒスパニック系の男性が、黒人に対する憎しみを表現しながら、「不審者」がいると通報した。警察には彼を追い掛けるなと注意されたにも関わらず、ジマーマンはトレイヴォンをつけ回した結果、口論の末に取っ組み合いとなり、トレイヴォンを撃ち殺してしまう。
そのTVニュースをツアーバスの中で見たケンドリックは、怒りではらわたが煮えくり返り、すぐさまリリックを書き上げる。その時書いた下書きが、3年後にこのアルバムに収録されることになる。
長い間黒人を抑圧してきたアメリカ社会が、黒人に向けてきたありとあらゆる嫌悪や憎しみ、侮辱を拾い上げ、「俺のこと嫌いなんだろ? 俺たち黒人が大嫌い、俺の文化を終わらせようとしてる~俺の同胞が嫌いなんだろ? 俺を見る時のびびり具合で分かるさ」と、大音量のドラムに乗せて、苦虫を嚙み潰したような声でまくしたてる。
しかし3つのヴァースの頭で繰り返す「俺は2015年最大の偽善者」というラインからもうかがえるように、その怒りは彼自身にも向けられている。3ヴァース目の終わりで、なぜ彼はトレイヴォンの死に涙を流したのかと自問しながらも、「ギャング・バンギンが俺より肌の黒いニガを殺してるのに、偽善者めが!」と自分に叩きつける(自分たちだって同胞を殺しているのに、非黒人を責められるのか?)。
この発言は、一部の同胞から激しい批判を浴びた。黒人コミュニティが人種差別による殺人に嘆き悲しんでいる時に、黒人コミュニティを責めるとは何事か、と。しかしMTVのインタビューでも語っているが、これはケンドリックが自分自身の経験、人生を語っているのであり、文脈を無視した反応だと反論する。
「俺は黒人コミュニティに向かって語っているんでも、黒人コミュニティについて語っているんでもない。俺は黒人コミュニティそのものなんだ~このラインは自分の心を癒すためのものだ。俺はいろんな辛い経験をしてきた。いまだに、いつだって、俺のパートナーを殺した近所の男に憎しみを抱いている~でも彼が黒人である限りはリスペクトを捧げる必要がある。そいつのギャングカラー(赤か青か)とは関係なくね」
ダンスホール・レゲエ・アーティスト(DJ)のアサシンを客演に迎える選択も秀悦で、ケンドリックの怒りをさらに増長し、黒人に対して行われてきた非道な暴力行為を非難する。
先述の「Alight」で取り上げたグラミー賞でもパフォーマンスされたこの曲では、ケンドリックと何人かが鎖に繋がれた囚人となって額に汗を浮かべて登場し、会場に緊張感が走る。その怒りは、観ているこちらの息が苦しくなるくらい激しく表現されている。刑務所の監房の中から演奏するテラス・マーティンのブルージーなトランペットも、まるで人間が泣き叫んでいるかのように悲しく響く。
2024年にドレイクとケンドリックの世紀のビーフ合戦がヒップホップ界を盛り上げたが、ドレイクが応戦した「Family Matters」という曲の中で、「いつも奴隷を解放させるようなラップしやがって/活動家のように振る舞ってるだけ」とディスるラインがある。『To Pimp A Butterfly』の中でも特にこの「The Blacker The Berry」はその標的になっているように感じられるが、この発言は、ドレイクがカルチャーとしてのヒップホップや、アメリカという国で黒人が置かれてきた環境や現状にはあまり興味がないという印象を際立たせている。
「The Blacker The Berry」だけに限らず、物議を呼ぶ発言にしても、自分を癒す必要性を挙げた点、聴き手に思考の糧を与えるという点でも、ケンドリックはやはり、彼の世代を代表する真のリーダーの格があると感じさせる。
14. You Ain’t Gotta Lie (Momma Said)
2パックの「Lie To Kick It」(1997)へのオマージュでもあるこの曲は、ケンドリックの性格を知り尽くしている母が、彼の虚勢を簡単に見破ってしまうストーリーから始まり、自分の強さを必死で証明するための鎧を脱ぎ、仮面を剥すよう聴き手に語りかけていく。
嘘なんてつかないで、リラックスして自分らしく、本来の自分でいればいいんだよ。嫉妬したり、感情的になったり、自分を低く評価してネガティヴ思考になったり、自分の言動に嘘偽りがないと言明したり、というのは、すべてコンプレックスの仕業。大声で叫ぶ者ほど弱虫で、多くを知っている者ほどひけらかさない。
見栄、虚勢、誇示する人たちを散々見てきた、付き合ってきたケンドリックだからこそ伝えられるメッセージだ。アルバムの終焉に近づくにつれて、心が段々軽くなっていく様子が感じられる。
15. i
アルバムの前半で「自分を愛すること複雑だ」と苦しみを吐露した「u」とは対照的に、ケンドリックは「i」で、はじけるように「自分を愛してる!」と繰り返す。美しい女性との出会いに心躍らせる、アイズレー・ブラザーズの「That Lady」のサンプリングも、ケンドリックの心の軽やかさを引き立てる。アルバムのリリース前に発表されたファースト・シングルになったことからも、いかに重要な曲なのかがうかがえる。
さらに興味深いのは、アルバムに収録された「i」は、ロナルド・アイズレーもカメオ出演したMVになり、グラミー賞(優秀ラップ・ソング賞と最優秀ラップ・パフォーマンス賞)も受賞したスタジオ盤シングの「i」とは大分異なり、フリースタイルが加わったライブ盤の音源になっているところだ。
ツアーで世界を回り、新しい経験と価値観を吸収して大きく成長を遂げたケンドリックは、地元のコンサートでみなに歓迎されながら、「i」のパフォーマンスを行う。すると観客席で喧嘩が始まり、ショウが中断される。ケンドリックはすぐに喧嘩を止めるべく、「俺がここにいる間は喧嘩は許さない。もう犠牲者を演じるのも、出すのも止めよう。団結して与えられた命に感謝しよう。みんなを愛してるぜ」と観客に呼びかけ、とあるアカペラのヴァースを披露する。
黒人の若者世代の間では、仲間同士に親しみを込めて「ニガ(Nigga)」と呼び合う文化がある。しかし元々は、奴隷主人が奴隷に侮辱を込めて「ニガー(Nigger)」と呼んだところに語源があり、その意味を逆転させて新しい意味を生み出したのが「ニガ(Nigga)」というスラングだと言われている。
祖国アフリカを訪ねて西洋教育の歪みに気づかされたケンドリックは、もう「ニガ」という言葉は使わないと宣言し、このいわゆるNワードにいかに自分たちがコントロールされているかを訴える。そこで彼は、エチオピアから伝えられた、忠誠心、黒人皇帝、王、支配者を意味する、「ニーガス(Negus)」という言葉を紹介する。黒人の本来の姿を再定義したのだ。
16. Mortal Man
ケンドリックは南アフリカを訪れた際に、反アパルトヘイト運動に身を投じたことで終身刑となり、27年間獄中生活を送ったネルソン・マンデラ元大統領の独房を訪ねている。この曲で彼は、「ネルソンのように俺を愛して欲しい」と伝えながら、ファンに「俺の身に何が起こってもサポートしてくれるかい?」と問いかける。キング牧師、マルコム・X、ヒューイ・ニュートン(ブラックパンサー党のリーダー)、マイケル・ジャクソンなどの黒人リーダーの死に触れることで、彼らと同等レヴェルのリーダーではないにせよ、彼の世代のリーダーとなる覚悟を意識させる。
「俺の身に何が起こってもサポートしてくれるかい?」を意味する「When shit hit the fan, is you still a fan?」というラインがあり、直訳すると「う〇こが扇風機に当たっても、俺のファンでいてくれるかい?」という意味になる。想像するとゾッとするが、扇風機にう〇こを投げると、風で全部自分の顔に帰ってくるということだ。
個人的な話で恐縮だが、わたしがアメリカに滞在するために必要な永住権申請が困難を極めていた時、弁護士に「When shit hits the fanって言い回し、聞いたことあるかい? 君は今その状態だよ」と言われたことがある。確かこのアルバムのリリックを訳した後だったので、「大変な事態になる、困ったことになる」を意味するこの言葉が、実体験から身に染みて理解できた思い出がある。ケンドリックも、彼がしくじったり困難にぶち当たっても、「支えてくれるかい?」と心から確かめたい気持ちが伝わってくる。
そしてこのアルバムで曲を追うごとに少しずつラインを追加していった詩の全貌が、ついにここで明かされる。以下が最後に追加されたラインだ。
アパルトヘイトと差別に基づいた戦争
地元に帰って俺が学んだことを教えてやりたくなった
それは尊敬という言葉だった
自分とは違う色のギャングだからって
そいつを黒人として尊敬できないってことにはならない
ストリートでお互いに引き起こした痛みと傷をすべて忘れること
俺がお前を尊敬すれば、俺たちは団結して俺たちを殺す敵を止められるんだ
でもどうかな、俺は不死身の人間じゃないし、
単なるニガにすぎないのかもな
詩が完結すると、どうやらケンドリックは、この詩をある人物に向かって朗読していたことが明らかになる。そこからケンドリックが、他界しているはずの、彼が尊敬する2パックにインタビューし始めたのだ。冗談抜きで、これを初めて聴いたときは、顎が外れるかと思ったくらいびっくりしたことを思い出す。
ふたりは、MCとしての業界での経験や見解、社会観、精神性、黒人男性、黒人コミュニティの現在と未来などについて語り合う。まるで、本当にそこで面と向かって会話をしているかのように。これはマッツ・ニーラシャーというスウェーデンのジャーナリストが1994年に行ったインタビューであり、2パックを英雄として尊敬するケンドリックにぜひ使って欲しいと提供してくれたことで実現した、夢のような、そして運命的な対談だ。
対談が終わると、ケンドリックは友人が書いたと言う新たな詩をパックの前で朗読し始める。このアルバムのテーマとなっている蝶の幼虫である青虫の見解や経験をもとに、このアルバムを要約した詩が展開していく。その新しい詩に関する見解をパックに尋ねると、もう答えは帰ってこないのだった…。
ケンドリックが成功から経験した奮闘や成長、音楽業界やアメリカ社会から搾取されてきた歴史や現状を辿った曲が展開していく間中、彼が英雄として尊敬してきた2パックをオーディエンスとして、このアルバムのストーリーを語っていたのだろうか? このアルバムのタイトルを、元々は2パック(Tupac)がその頭文字となる『To Pimp A Caterpillar(青虫を搾取するには)』にしようとしていた事実を思い起こすと、タイトルこそ変更されたが、パックへのリスペクトはしっかりとこのアルバムに息づいていたことに気づかされる。
ケンドリックは2010年9月13日の早朝、パックが夢枕に立ち、「俺を死なせないでくれ」と告げたという。恐ろしく怯えてその理由を聞くと、「なぜならお前が…」とだけ答えたのだった。パックの命日からちょうど14年後、ケンドリックが23歳の時のことである。
その5年後、この『To Pimp a Butterfly』は世にリリースされることになる。ブラックリーダーの遺産は、間違いなくケンドリックに引き継がれたのだ。ケンドリックが海外で学んだ経験を『To Pimp A Butterfly』を通して、コンプトンや若い世代に持ち帰った。その経験が、結果的にケンドリック自身を癒すことにも繋がったのだ。
Written By 塚田桂子
参考資料:『バタフライ・エフェクト: ケンドリック・ラマー伝』(河出書房新社)マーカス・J・ムーア (著), 塚田桂子 (翻訳)
ケンドリック・ラマー『To Pimp A Butterfly』』
2015年3月15日発売
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