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ケンドリック・ラマー『Mr. Morale & the Big Steppers』徹底解説:たどり着いた“自己開示”
日本時間2025年2月10日に開催されるアメリカ最大の視聴率を誇る第59回NFLスーパーボウルのハーフタイムショーへの出演が決定しているケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)。
彼の個々の作品について、ケンドリックのアルバム『good kid, m.A.A.d city』から『Mr. Morale & the Big Steppers』までの日本盤ライナーノーツのリリック対訳を担当し、『バタフライ・エフェクト:ケンドリック・ラマー伝』(河出書房新社、2021年)の翻訳を担当したヒップホップジャーナリストの塚田桂子さんに連載として徹底解説いただきます。
第6回は、2022年に発売された『Mr. Morale & the Big Steppers』ついて。
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ケンドリック・ラマーを育て上げたTDEからリリースされる最後の作品にして、通算5作目となる『Mr. Morale & the Big Steppers』は、世界を恐怖に陥れたコロナ・パンデミックがほぼ収束しながらも、まだ昔と同じように生活することに躊躇していた時代(2022年5月13日)にリリースされた。
本作を一言で表すなら、ケンドリックが自分にとことん正直に向き合ってたどり着いた「自己開示」だろう。それ故に、バンギンなビートで盛り上がれる曲や、ケンドリックに救世主の役割を求めていたファンにとっては、期待外れな作品であったかもしれない。
しかしその「自己開示」では、いったいどれだけ抱えてきたのかと驚くほど、何層にも重なるトラウマを、まるで玉ねぎの皮を一枚一枚剝がすかのように内面に向き合ってきた様子が明らかになっていく。そのレヴェルの深さに触れると、この作品には、好きとか嫌いとか、ヒップホップであるか否かとか、そういう括りさえ無意味に感じられる。
このアルバムは、各曲がセラピーのセッションのように機能し、クライアント(相談者)であるケンドリックが、それぞれのテーマについてセラピストに心の内を告白するようにストーリーが進んでいく。そのプロセスの中で、パートナーのホイットニーがナレーションとして参加していて、彼の問題に家族ぐるみで関わってきたことがうかがえる。
思い返せば彼は、今までの作品で、ずっといかに自分の仲間、コミュニティ、フッドを救うかに、多大なる愛情と労力を注いできた。しかし、誰か彼のために祈っていただろうか? 彼の愛情を認識して、感謝、尊敬してきただろうか? 結果的にボロボロになってしまった彼は、多くが期待する救世主としての役割を降り、所詮自分は人間であるという事実を受け入れ、自分を優先することを選んでいる。
『Big Steppers』と『Mr. Morale』に分かれたダブルアルバムの中で、彼がセッションを通してたどり着いた境地を、ひとつひとつ一緒に体験してみよう。
『Big Steppers』
1. United in Grief
前作『DAMN.』から1855日、実に5年1カ月ぶりとなる本作、「悲しみを分かち合おう、悲しみの中の団結」と掲げた1曲目で、若干脅迫気味にパートナーのホイットニーに「ほら、本当のこと言いなさいよ」とせかされながら、この5年間で経験してきたことを打ち明けるようとするケンドリック。
しかしこの曲を聴き進めていくと、どうやら曲名が示唆するように、悲しみを抱えた人たちと直接団結しようとしているわけではないようだ。女々しい男や傷ついた女、傷つけ合う親戚、邪悪な大統領(当時はトランプ)、地元のチクり野郎、成功の証として宝石をつけたラッパー、崩壊した家族について皮肉を込めたトーンで触れた後、実はセラピーに行き始めたことを告白するケンドリック。袋小路の世界、人生の混乱に触れながら、「自分はいったい頭がおかしいのか? 傲慢なのか?」と自問する。
どんなに成功して高価なベンツに乗っても、警察に「どこから来た?」と止められ、彼の肌の色から盗難を疑われる現実。莫大な税金を払い、大邸宅を買い、親戚に大金を配り、公の場では着けたこともなかった宝石を今さらのように着けてみる。大量のカネを手に入れたのに、なぜセラピーが必要なのか?
悲しみをどう受け入れ、どう対処するか。その方法が人とは違う、と断ってからする彼の告白は、衝撃的だ。高校の頃から付き合ってきたホイットニーという女性がいながら、ケンドリックは浮気していたのだ。『good kid m.A.A.d city』の北米ツアー中に出会った、「月明かりが差し込んだような緑の瞳」がきれいなモデルの女性だった。
母に愛されず、父は刑務所入り、若くして殺された兄を持つ彼女のトラウマに共感しながら、ケンドリックは地元で起こった事故、祖母の他界、親友の死を思い返す。彼女との「セックスはきっと悲しみを消し去ってくれる」と自分を説得しながら。
そして本当はたいして興味はないのに、ロレックスや豪華なプールやポルシェも買ってみる。「カネがきっと涙を抜き去ってくれる」と自分を説得しながら。しかしセックスも、カネも、結局は彼に、一時的な心の安らぎしか与えなかったのだ。
2. N95
元々は鉱山労働者のために開発されたN95は、コロナ対策用の強い味方として、アメリカでは広く普及した強度の使い捨てマスクで、多くの人たちが安全と安心を得るために買い求めた。しかしこれを装着すると非常に息苦しい。しかもこのマスクをしたからといって、必ずしもコロナ感染者は減少しなかった。
このアルバムで最も人気のある曲「N95」で、ケンドリックはこのマスクが象徴する矛盾になぞらえながら、表面的な生き方を非難し、真実を覆い隠す仮面を外すようにリスナーを促す。
インフルエンサーやインターネットの世界、見栄やはったりで出世しようとする人たち。アイドル崇拝、富の誇示、ディープなふり、社会意識高いふり。ゴシップもブランド品もぜんぶ捨てちまえ。そうしたらお前にはいったい何が残るんだ? 上辺だけの世界をこきころし、「現実の世界に目を向けろ」と諭す。最近のアメリカではかなり多くの子供たちが、「大人になったらSNSのインフルエンサーになりたい」と考えているという統計も出ている。
TikTokやインスタグラムなどのSNSは、きれいなところだけを切り取り、自信がないところにはフィルターをかけ、ハッピーな自分を演出することを容易にした。でもカメラの裏側は? ケンドリックはマスクを外した素顔を「クソみたいに醜い」とバカにする。それは、「魅力のない人でもマスクをかぶれば魅力的に見える」というコンセプトそのものを皮肉っているようにも聞こえる。
そしてこのアルバム前半のテーマである「ビッグ・ステッパー」と称した自分を登場させる。「ビッグ・ステッパー」とは、スラングで、自信に満ち、強く堂々と自分を貫く人を指す。しかし前半の9曲を聴いていると、カウンセリングのセッションを通して自分と向き合い、醜くも美しい事実をひとつひとつ開示していくことで、いくつもの「大きなステップ」を踏み出し、「大きな進歩」をしていく様子を描いているようにも見える。
3ヴァース目では「失うものは何もない」と、次々と問題を暴露していく。そしてアウトロでは、もう偽りの生き方なんてやめろと訴え、「キャンセルカルチャー(SNS上の排斥文化)って何だよ、俺は言いたいことを言うぜ」というパンチラインでキメている。彼はSNSをやらない人としても有名だが、だからこそ、現代人のこうした側面を冷静に観察できるのかもしれない。
メディアに滅多に出ない上に、コロナ社会ですっかり姿を消していたケンドリックがこのMVをドロップしたときには、ファンは狂喜し、まるで十字架にかけられたイエス・キリストのように太平洋に浮かぶ姿も話題を呼んだ。
3. Worldwide Steppers
ケンドリックは、一見意外に思えるコダック・ブラックを、ナレーション役も含めて4曲に渡って本作に登場させている。そしてもうひとりの予期せぬ客は、エックハルト・トールという精神世界に精通した著名なドイツ人作家だ。コダックが後に登場するエックハルトを紹介し、ビッグ・ステッパーのストーリーが始まる。
この曲におけるケンドリックの新たな暴露もまた、衝撃的だ。彼は本作を出すまでの5年間、世間からほぼ隔離されていたが、その間に子供をふたりもうけた。そして2年間スランプに陥り、まったくリリックが書けない時期があったが、神に「自分を通して語ってほしい」と頼んだことで、アルバムの制作が実現したことを明かす。衝撃的なのはこの後だ。
続いて彼は、ふたりの白人女性とセックスした過去を打ち明ける。1回目は16歳の高校生の時で、学校で金持ちエリアに遠征に行った時のこと。ベンツに乗る彼女はケンドリックのおじを刑務所に入れた保安官の娘であり、それはおじへの報復だったと後付けの言い訳をしているが、実はあまりのとまどいに「どう感じでいいのか分からなかった」とも語っている。
2回目は『good kid, m.A.A.d city』でコペンハーゲンをツアー中の時のこと。「セックス依存症」の問題を問い正すホイットニーに、「俺は人種差別主義者かもしれない」と、より深い文化現象と結び付け、一見筋違いな返答で自分の行為を正当化しようとする。何世紀も人種差別の抑圧を受けた復讐として、黒人男性が白人女性を「征服」することで勝利感を得たいという、アメリカ人種関係における歪んだ現象を示唆しているのだ。
しかし同時に、「先祖が俺が白人とセックスするのを見ているのは、(自分への)報復のようなものだった」と吐き捨てる。それは黒人男性として、黒人女性のパートナーを裏切って白人女性と関係を持つことの矛盾と大罪を自覚しているのだろう。誰がどの人種の人と付き合おうと本人の自由であるべきだが、この国には、それをなかなか手放しで許すことのできない複雑な歴史があるのだった。
4. Die Hard feat. Blxst and Amanda Reifer
ケンドリックとパートナーのホイットニーはもう20年近い付き合いで、良い時も悪い時も人生を共にし、互いに支え合ってきたてきた関係だ。しかしこの曲では、ケンドリックは恋愛において、正直に相手に接すること、想いを分かち合うことについて感じる不安や葛藤を打ち明ける。それはおそらく、過去の人間関係やトラウマによって生じた感情なのだろう。
この曲では、ケンドリックが浮気をしたことで(一時的に)去ってしまったホイットニーに対して、彼女の愛と信頼を取り戻したいという思いを伝えているようだ。ホイットニーにとも、彼のファンにともとれるメッセージの中で、自分の中の問題を解決しても、もう手遅れかもしれない、相手を待たせ続けた罪悪感、相手が自分の至らなさにどこまで耐えられるのかと不安に思いながらも、それでも自分の中の神を見て欲しい、自分のために待っていて欲しいと願うケンドリック。
そして自分の欠点を自覚しつつ、弱い自分も欠点のある自分もすべて、ありのままの自分を愛して欲しい。自分の問題を見抜いて、前に進んでいくために必要な愛を与えて欲しいと望むケンドリック。生きていれば嘘をつくこともあるが、どんなに複雑であっても、もう自分の真実を隠すことはできない。それには過去を乗り越えていくしかない。自分は、そして自分の愛はDie Hard、粘り強くそうそう簡単に絶えることはないのだ。
5. Father Time feat. Sampha
ケンドリックは今まで、父親不在の家庭が多いコンプトンで、自分には父親がいたことで、いかに道を外さずに生きてこれたかを強調し、感謝してきた。それに偽りはないだろう。しかしこの曲では、代々受け継がれてきた、極端な男らしさについて疑問を投げかける。
本当は父親から「愛してる」と言って欲しかったのに、「弱音を吐くな、感情を隠せ、自己表現するな。金を取りに行け、自分の身は自分で守れ、母親以外誰も信用するな」と教わった。そしてその厳しい愛は、ケンドリックが生まれ持った内気でおとなしい性格で育つことを受け入れなかったのだろう。結果的にケンドリックは、人との関係がぎくしゃくし、誰ともくっつけず、誰かに好意を寄せられても、その愛を拒絶することしか知らなかった。
前作『DAMN.』では、子供の頃に何をやっても「お尻をぶつよ!」と怒っていた母親に対して抱いていた恐怖を、「FEAR.」で告白した。そして父に関するこの曲での告白は、ケンドリック自身も父親になったことがきっかけで、気づきに至ったのかもしれない。
そして、ケンドリックの地元には非常に多かった、父親不在の家庭で育った仲間たちは、弱点や劣等感を過剰に埋め合わせようとして育ち、一人前の男になる方法など教わらず、ギャングスタになることでそれを隠した。父親なしで自力で生きてきた仲間に敬意を示しつつ、彼らの子供に与える影響を懸念しながら、家族を支える女性を助けようと伝えている。
この曲にはもうひとつ、「カニエがドレイクと仲直りした時、俺は少し戸惑った」という、非常に興味深いラインがある。かつてドレイクとビーフを抱えていたプッシャ・Tを、カニエが擁護したと思い込んだドレイクは、カニエと激しいディス応戦を繰り広げた。ドレイクのメンターが仲裁に入り、ふたりの仲はジョイントコンサートを開くまでに回復した。この時にケンドリックが感じた違和感が、このラインに表れているのだ。
2024年に行われたドレイクとケンドリックの世紀のディス合戦においては、スキルの違いももちろんあるだろうが、ヒップホップに対する姿勢において、「カルチャーを重んじるケンドリック」と、「商業ありきのドレイク」という、根本的、かつ決定的な違いが、ケンドリックの圧倒的な勝利を導いたと確信している。
もちろん、ドレイクのヒップホップには巨大な需要と役割があるが、闘う土俵が違っていたというのが、個人的な見解だ。しかし今この「Father Time」を聴き返すと、この曲でケンドリックが指摘するような父から教わった行き過ぎた男らしさが、ドレイクとのビーフに執拗に応戦したケンドリックに、まったく影響していなかったか?と問われると、若干の疑問は残る。ただ、「ヒップホップ文化」に関して言えば、ラップビーフの基盤が、リリックの創造性で自分の優勢を証明することが大前提だと考えると、逆に「男らしさ」を叩き込んだ父の教えはプラスだったという結論になる。
曲の冒頭で「あんたにはマジでセラピーが必要」と言うホイットニーに対し、「大の男にセラピーなんて必要ない、何言ってんだ」と突っぱねるケンドリック。これもまた、父に叩き込まれた男らしさがそう言わせたのだろう。興味深いことに、アルバムリリース後にガーナで行われたインタヴューで彼は、「このラインがこのアルバムで一番好きだ」と答え、こう説明している。
「それが黒人の気持ちだ。俺たちは、セラピーなんて知らない親や祖父母に育てられたんだ。俺たちは人生で経験したことに対して、すぐその場で対処する。または、全く対処しないか。俺たちはそのすべてを抱え込むことを学んだ。正直言って、俺が人にそれを言われたとき、それは俺の得意分野じゃなかった。俺はまだ、セラピーをしなかった親父のところで止まってる。セラピーに行くことに挑戦するっていうのは、まったく新しい世代における、まったく新しいステップのようなもので、成長なんだ」
6. Rich (interlude)
コダック・ブラック主役のこの曲では、ピアノのリフに乗せて、生まれ育った環境からラップ業界で成功するまでの道のりと、その過程で遭遇した数々の苦難をスポークンワードで語っていくのだが、その壮絶な内容には驚かずにはいられない。
「リッチ」というタイトルで彼が語るストーリーは、盗まなければ食事にありつけない程の「貧困(パヴァティ)」で始まり、「不動産(プロパティ)」を所有するほどの経済的成功を収める現実まで駆け上がっていく。
父親がいなかったコダックは、TDEの創立者アンソニー“トップ・ドッグ”ティフィス同様、若くしてドラッグ売買にかかわり、そこで今役に立っているビジネス手腕を培った。想像を絶する貧困の中、生き残るため(飢えで死なないため)には、盗難をしたりギャングになるしか手段がなく、結果的に多くの仲間は刑務所入り。人生のアドヴァイスは年上のギャングからのおさがりで、先輩のいるその世界では上に行けないことを悟り、ラップの世界に入って成功を収める。
このアルバムへのコダックの参加について、「コダックはケンドリックに相応しくない」、という意見を少なからず目にした。おそらくコダックには性的暴行など多くの罪に問われた履歴があるからだろう。何度逮捕されても、彼は自宅軟禁や保護観察処分などで釈放され、実際に刑務所には入っていないようだ。犯罪を肯定するつもりはないが、「Rich」で語られたコダックの人生は、多くに知られるべきだとも思う。ケンドリックとコダックには黒人イスラエライト(*)という共通点があり、ケンドリックはこのアルバムのストーリーを語っていく上で、コダックが必要だという決断を下したのだ。
若かりし頃のジェイ・Zが、確か彼がドラッグ売買していた過去を咎める声に対して、「犯罪そのものを見るんじゃなくて、それを取り囲む社会全体を見るべきだ」と言っていたことがある。ヒップホップは単なる音楽ではなく、聴き手がその作り手を取り囲む社会環境を知り、考える手段、機会でもあるのではないだろうか。
(*)イスラエライトは辞書を引くと、単にイスラエル人、ユダヤ人と出てくるが、聖書によれば「神に選ばれし民」であると同時に「呪われた民」でもあるという。
7. Rich Spirit
コダックが語る経済的な「リッチ」の次にケンドリックが語るのが、この「豊かな精神」を意味する「Rich Spirit」だ。今までの作品でフッドの仲間を救おうとしてきたケンドリックが、数々の苦悩や挫折を乗り越え、やっと自分を取り戻して今を祝福する曲であり、自身の資質を語りながら、鳴りやむことのない批判に立ち向かう姿が描かれている。一般市民には想像もつかないような富を得た今でも、いかに精神のバランスを豊かに保っているかを語る、経験により賢者となった彼の声を表しているようだ。
そしてこの曲は、MVを観ると彼の意図がより分かりやすく伝わってくる。コーラスで繰り返される「俺はリッチなのに携帯は壊れたまま(注:あっても使わない)/バランスを保とうとしてるのさ、気を確かに持ってる」というラインは、このMVの中でバランスを崩しそうになりながら咄嗟に立て直す姿を描き、映像の中では電話線がついたオールドスクールな電話が登場する。
「電話線に繋がれた電話を使っていた時代は、わたしたちはもっと自由だった」という言葉を時々に目にする。これは、スマホの時代になり、せっかく有線電話の前にいなくてもいい自由を手に入れたのに、結局はスマホ画面から何時間も離れることができないという、精神的な奴隷のような状態を皮肉っている。実際わたしたちの世の中は、便利になれば、代わりに何か大切なものを失う、という矛盾もはらんでいる。
中でもスマホやSNSから距離を取ることで知られるケンドリックは、2ヴァース目でこう語る。
「俺は絶対にコンピューター(SNS)に依存した人生を送らない/(承認欲求中毒を生み出す)インスタグラムは銃弾のようにお前の命を奪う/健闘を祈るよ、遠くから愛を送るぜ」
なんていうラインなどは、どっぷりその世界に浸っている自分にとっては、異次元の世界のようでもあり、清々しく羨ましささえ感じてしまう。経済的な富と、精神的な富を手に入れ、その間でバランスを取ろうとしているケンドリックから、わたしたちに思考の糧を与えてくれるメッセージだ。
8. We Cry Together feat. Taylour Paige
これはおそらく、多くのリスナーがスキップしたくなる曲だろう。ケンドリックと女優のテイラー・ペイジが、6分近いトラックの中で、考えられる酷い言葉をこれでもかとお互いに投げ合い、ののしり合い、傷つけ合う、有毒な恋愛関係を表した迫真のパフォーマンスだ。しかし最後には仲直りして、愛し合う場面で終わる。「ふたりで共に泣こう」というタイトルからは、涙を流しながらも仲直りをして、共に苦労を乗り越えて生きていく覚悟が感じられる。これは単なる個人の恋愛ストーリーなのだろうか?
2022年9月にLAで行われた「The Big Steppers Tour」に出かけた際のことだ。公演前にマーチを買う列に並んでいると、「We Cry Together」をテーマにしたTシャツを着ている黒人男性が並んでいて、何気に世間話を始めた。聞けばケンドリックの大ファンで、4日間あるLA公演に毎晩来ているという。
いろいろ話した後に、ふと、彼にとってこの曲がどんな意味を持つのかと聞いてみると、非常に興味深い話をしてくれた。
「誰もが有害な恋愛関係に身を置いたことがある。ああいう愛の言葉は、俺たち黒人コミュニティではとても一般的なものだ。あの歌は、俺たちが適切なコミュニケーションをとる訓練を受けていないと、どのように愛を表現するかを示している。歌の最後に彼らは仲直りした。本当に別れたくはなかったからだ。お互いに厳しい言葉を投げかけ、お互いを操ることで、傷ついているってことを示そうと考えたんだ。毒のある愛の営みは美しいよ。別名、仲直り直りセックスね」
彼の言葉が黒人コミュニティのすべてを表しているわけではないだろうが、ケンドリックと似たような環境で育った黒人には、ある程度理解できる傾向なのかもしれないという印象も受けた。どの文化や人種でも子供は親を見て育つものであり、父と母が交わす会話を見て男女のコミュニケーション方法を学ぶとするならば、大人になったときにそれを繰り返しても何の不思議もない。
そしてこの曲の最後には、ホイットニーの「会話してるときにタップダンスするのは止めて」という言葉と共に、不協和音のピアノに合わせてタップダンスをする音が聞こえてくる。何とも切ない空気感だ。このアルバムでは、何曲かにタップダンスの音が挿入されているが、どうやらケンドリックが抱えている欠点や問題、有毒な行動や考え方に触れる度に聴こえてくるように感じられる。
ちなみにケンドリックとテイラー・ペイジが出演するMVは、MVとして発表される前に、短編映画としてLAの映画館で特別に放映された。
9. Purple Hearts feat. Summer Walker and Ghostface Killah
アルバムが始まって以来、初めて流れる明るいメロディにほっと安堵する、前半『Big Steppers』の最終曲となる「Purple Hearts」には、サマー・ウォーカーとゴーストフェイス・キラーという、この曲に完璧にハマる客演陣が登場する。
「パープル・ハート」とは、任務中に負傷したり死亡した米軍兵士に贈られる軍の勲章であり、犠牲と勇気の象徴として知られている。これをタイトルにすることで、ケンドリックは自分がトラウマをかかえて傷ついていたことを認めているのだ。そして心の痛みや葛藤を乗り越えることができるのは、他ならぬ真の愛の力があるからこそ。真の愛とは許すことであり、犠牲であり、ありのままを受け入れること。そして「神が愛の源なら、俺はその言葉を伝える売人」と表現し、ラップを通して神のメッセージを伝えていることを宣言している。そして、ラッパーである前に、自分はひとりの人間である事実を受け入れているのだ。
コロナ規制に翻弄された社会と絡めて、子供の頃から内気だったケンドリックが、「ソーシャルディスタンスなんて生まれた時からしてた」と言い、サマー・ウォーカーは、愛にあらゆる条件を強制しようとする相手に対して、「だからあたしはマスクが強制される前から、アンチ・エヴリバディだったのよ」と彼女らしいパンチを効かせる。誰よりも自分を愛することを優先するサマー・ウォーカーのメッセージも、また真の愛の形なのだ。
そしてゴーストフェイス・キラーの登場だ。神の愛をテーマにしたこの曲に彼が登場するということは、90年代ヒップホップが好きな方なら、「シュプリーム・マセマティクス(直訳:至高の数学)」を思い浮かべるのではないだろうか。ケンドリックもそこを踏まえての人選だったはず。
イスラム教から生まれてアフリカ系アメリカ人に広がった「ネーション・オブ・イスラム」のさらなる分派を率いたクラレンス13Xという人物が、「この世界では10%のエリートが85%を支配して無知な状態に置き、自分はその85%を啓蒙する知識を持った残りの5%である」と説く、『ファイヴ・パーセント・ネーション』を1963年に結成した。
80年代後半以降、ラキムやウータン・クランなど、これを信仰するヒップホップ・アーティストが非常に多く、この宗教が用いた至高のアルファベットと数字を併用するシステム「シュプリーム・マセマティクス」が、特にNYのヒップホップ・アーティストのリリックに多大なる影響を与えた。「word is bond」、「break it down」、「peace」、「droppin’ science」、「represent」などのフレーズも生み出し、それらは最高にかっこよく聞こえた。
ゴーストフェイス・キラーは3ヴァース目で、そんな「神の愛」をブレイク・イット・ダウン(説明)していく。現代の混沌とした時代と闘うには、神の愛に耳を傾け、自分たちの心には小さな神が宿っていることを知り、神に頭を垂れる。そして神の道をたどるには星のメッセージに耳を傾けろと、サイエンスをドロップ(教育)する。
この曲で、前半の『Big Steppers』の章が終了する。
『Mr. Morale』
10. Count Me Out
ここから後半の、「士気ある人」という意味で、ケンドリック自身を指す『Mr. Morale』の章が幕を開ける。1曲目の「United in Grief」と同じメロディが流れ、今度は「私たちはこの暗い道をどちらに進むべきかわからないかもしれない/くだらないヤツらが事を難しくしてる」というメッセージと共に、「ミスター・ダックワース」とケンドリックの苗字を呼ぶエックハルト・トールの声、そして「セッション10、突破口を見出す」というホイットニーの声に、一筋の光が差し込む。
彼は今まで、自分が学んだこと、手に入れたものをホーミーと共有し、ヒップホップの救世主、世代のリーダーとして必死に闘ってきたが、そんな彼がどん底にいたときには、誰も彼のためには祈ってはくれなかった。
このセッションで、ケンドリックは人のことを気にかけすぎ、考えすぎて行き詰った、常に後悔の念に取りつかれ、ボロボロになってしまった古い自分を葬り去る。そして自分を信頼し、他の誰よりまずは自分を満足させることを優先させ、人とは距離を置いて付き合っていく決意を表明する。そして「これが本当の自分なんだ、ありのままで恵まれている」と受け入れる。これは大きな一歩だ。
鏡の中をのぞき込むと、戦い抜いて血だらけになった自分が映っている。「葬った古い自分の魂を天国に運んでくれ」、と天使たちに伝える。そして鏡の中の自分に話しかける。
あらゆる感情は奪い去られてきた
俺の長所でさえ生き残れなかった
もし俺が自分を愛することを学ばなかったら
自分を100回許してやるよ、ホーミー
それでもなお、この曲の最後で、「ストレスと闘っているヤツはいるか?/何かと闘っているヤツはいるか?」とリスナーに声をかける。そこでまた、タップダンスの音が響き渡る。彼が欠点を認め、手放したサインだ。
11. Crown
「王冠」をタイトルにしたこの曲では、ケンドリックがさらに深い「気づき」にたどり着いた瞬間を描いている。大いなる成功を手に入れ、家族やファンが彼に期待するニーズに応えることは、彼にとって重要な責任であり、それこそが愛だと信じて生きてきた(と士気0%の声で語る)。家族は彼にカネを求め、ファンは彼に定期的なアルバムを期待する。でも頼みごとを断ろうものなら、少しでも姿を消そうものなら、自分が今まで彼らのためにやってきたことは、すべて忘れ去られてしまう。
そこでケンドリックは、「愛とは季節と共に移り変わるもの」であり、叫ぶ声と冷静な声で交互に「すべての人たちを喜ばせることはできない」と繰り返し、悟りの境地に至る。あれだけ夢見ていた成功や王冠を手に入れた見返りは、彼に想像以上の重荷を与えていたのだ。
そんな責任の重みを、以下のシェイクスピアの名言(1行目)と、聖書(以下、2行目:ルカによる福音書第12章48節)からの引用で言い表す。ケンドリックのファンは、わたしも含めて、彼に多くを期待しすぎていたのだろうか?
王冠をいだく頭は、ついに安らかに眠るということがない
すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される
王冠と言えば、このアルバムで重要なのが、ケンドリックがアルバムカヴァーで被っている王冠も話題になった。イエス・キリストが十字架にはりつけの刑にかけられたときに被せられたという、「イバラの冠」を彷彿とさせる。この「イバラの冠」は、受難(苦しみや災いを受けること)の象徴とされている。
ケンドリックが被っている冠は、彼とビジネスパートナーのデイヴ・フリー、ティファニーのコラボ作品として制作されたもの。10ヶ月かけてデザインされたこのヘッドピースは、特注のチタンに50本の棘(苦痛の種を象徴)、8,000石、合計137カラット以上のマイクロ・パヴェ・ダイヤモンドがあしらわれている。ケンドリックにカスタムフィットされたというこの王冠のお値段は、実に300万ドル(約4.5億円)だそうだ。
これはこの曲で表現されている、成功者としての「王冠」であると同時に、「受難」を象徴するものであり、デイヴはこれを、「この王冠は、フッドの哲学を若者が消化しやすいレンズで表現した神々しいもの」と説明している。
アルバムカヴァーでのケンドリックは、この冠を被って家族を守りながら、ベルトに拳銃を忍ばせて、外で狙っているであろう敵への警戒を示している。アルバムの裏では、子供のぬいぐるみが転がる部屋で、敵を狙撃するためのライフル銃を立てかけながら、冠を被ったケンドリックがソファーに座って目をつむっているが、何か考え事をしているようだ。そしてCDの中にあるライナーの写真には、ライフル銃を視界に置きながらも、陽だまりのあたる部屋で、冠を少しずらしたケンドリックが、リラックスしてソファーに横たわっている。しばし闘いを忘れたかのように。
12. Silent Hill feat. Kodak Black
コダック・ブラックを迎え、ケンドリックは「静寂の丘」を意味するこの曲で、成功に伴って近寄ってくる偽りの友人、油断ならないフェイクなヤツらを押しのけようとする。本作が出るまでの沈黙の5年間では、瞑想も学んで静寂の時間を持ったようだ。
コダックのヴァースでは、静寂のテーマではなく、フェイクなヤツらに対するお題を引き継いで、高級車やジュエリーなどの富や銃の誇示をしながらも、そこまでのし上がる前の貧困生活、生き残るために始めたドラッグビジネスや窃盗について語っていくが、常にサヴァイヴァルモード、戦闘モードでなければならなかった日々を振り返る。
そんな彼にも5人の子供がいて、毎週木曜日は娘たちと過ごして父親としてのやる気を高め、毎週日曜日は息子たちに男らしさを教えているという。彼には父親がいなかったが、彼なりに父親の役を果たしているようだ。
静寂と言えば、このアルバムがリリースされる前の年の8月に、ケンドリックが彼のウェブサイト、Oklama.comで、「新たな思考」と題して、手紙をひっそりと公開している。
「俺は日々のほとんどを、つかの間の思考に費やしている。書くこと。聴くこと。そして古いビーチクルーザーを集める。朝自転車に乗ると、俺を『静寂の丘』に導いてくれる。
何カ月も携帯電話なしで暮らしている。愛、喪失、悲しみに俺の快適な空間は乱されたが、神の光は俺の音楽と家族を通して語りかけてくる。俺の周りの世界が進化する一方で、俺は最も重要なことを考える。俺の言葉が次に着地する人生について。
TDE最後のアルバムを制作しながら、17年の時を経て、このような文化的なレーベルの一部になれたことに喜びを感じている。苦闘。成功。そして最も重要なのは、ブラザーフッド(兄弟愛)。至高の神が、率直なクリエイターたちの器としてトップ・ドッグを使い続けてくださいますように。俺が人生の天職を追求し続けるように。
完成には美がある。そして常に未知なるものへの信頼がある。俺のことを考え続けてくれてありがとう。皆のために祈っている。またそのうち会おう」
13. Savior – Interlude
次に続く「救世主」を意味する曲のインタールードとして登場するこの曲で、初めてエックハルト・トールのナレーションが紹介される。そしてこれは、後に続く曲のストーリーにも繋がっていく。
「あなたが被害者であることからアイデンティティを感じているとしますよね。例えば、子供の頃に『悪いこと』をされたとしましょう。するとあなたは、自分に起こった嫌なことに基づいた自己意識が芽生えるのです」
「N95」と「Die Hard」ではプロデューサーとして登場していたベイビー・キームが、ここでは自分の子供の頃や家族に起こった「悪いこと」について語っていく。息をもつかせぬフロウやライミングはMCの魅力となるが、彼の子供時代に起こった出来事はあまりに壮絶すぎて、マジで息がつけない。まず、最初の4ラインでこれだ。
君は割り算の勉強をしている間に自分のお袋がラリってるのを見たことがあるか?
クリスマスの翌日におじさんから物を盗まれたことがあるか?
郡刑務所を訪問したときに、どっちも見たよ
1日と15日(にもらえる生活保護の支給金)だけを信仰してた
特に2行目は、いつ聴いてもめまいがしてしまう。子供が1年で1番楽しみにしているクリスマスでおそらく(願わくば)プレゼントをもらい、その翌日に、そのプレゼントか、または子供が持つそれほど高価ではないであろう所有物を、血の繋がったおじさんに盗まれる状況とは…彼の家族やコミュニティに広がった極限の貧困状態を想像してみる。
そして大人になり、今年43回のコンサートをやって大金を持ち帰ったのに、おじさんには棺桶しか買ってあげられなかった。裁判所でベランダから飛び降りてしまったイトコ。仲間たちよ、安らかに眠ってくれ。この調子でストーリーが2分間続いていく。キームは確かに落ち込んだことだろう。それでも驚くほどの強さがある。どんな環境であろうと、何が起ころうとも、彼はそれを克服したのだ。どんな試練や苦難に苛まれようとも、夢を諦めなかったのだ。転んだ時は、ツキに見放されていただけ。立ち上がらなくちゃな。
14. Savior feat. Baby Keem and Sam Dew
ケンドリックが自身の欠点について触れるときに流れるタップ・ダンスの音が、イントロから始まる「救世主」について語るこの曲。しかも、ケンドリックを始めとする、尊敬するヒップホップ・アーティストに世界を救う救世主の役割を求めているファンとっては、衝撃的なメッセージかもしれない。そしてこのイントロの間中、タップダンスの音がひと際、自己主張を強めている。
ケンドリックは君に考えさせたけど、彼は君の救世主じゃない
コールは君に力を与えたけど、君の救世主じゃない
フューチャーは「紙幣カウンターを手に入れろ」と言ったけど、君の救世主じゃないからね
レブロンは君に敬意を求めたけど、君の救世主じゃない
彼は君の救世主じゃないんだよ
実は、レブロンのラインは、最初は「カニエは大声ではっきり言えと言ったけど、君の救世主じゃない」というラインが予定されていたようだが、アルバムがリリースされると、レブロンのラインに入れ替わっていた。この曲でも取り扱っている「キャンセル・カルチャー」と言えば、精神的な問題からか、物議を呼ぶコメントを連発したカニエがその対象になったことを思い出すが、もしかしたらカニエを擁護しようとしていたのだろうか?
最初のヴァースでは、メディアに踊らされて自分の意見が言えない人たち、メディアに流されたにわかプロ・ブラック(黒人の権利を主張)活動家たちに蹴りを入れ、(世間からは犯罪者だと叩かれる)コダック・ブラックの方がよっぽど俺に近いと、物怖じすることなく主張する。
ケンドリックは今まで、ヒップホップ世代の救世主、リーダーとしての役割を受け入れてきたが、自分だって所詮は人間なんだという事実を受け入れてもらえてない気がして、不安を抱えていた。その不安は、『To Pimp a Butterfly』の「Mortal Man」でも、「俺の身に何が起こってもサポートしてくれるかい?」と表現していた。
そこでベイビー・キームがコーラスで、「俺のために喜んでくれるのか? 俺の顔見て微笑んでるけどさ、俺が目の前からいなくなっても、心から俺のために喜んでくれるのか?」と真意を問い正す。
そして次のヴァースでは、人の批判を恐れるあまり、社会から排除されることを避けるために、本心を言わない(言えない)社会風潮や文化を批判する。その背景には、一昔前は、社会的、政治的、道徳的な観点から適切で正しいことを求める「ポリティカル・コレクトネス」と呼ばれるもの。ここ最近では、特定の人物や団体が社会的に好ましくない発言や行動をした際に、SNSやメディアなどで批判し、社会から排除しようとする「キャンセル・カルチャー」と呼ばれる文化がある。
ケンドリックは、批判が怖くて本心が言えないラッパー、コロナ蔓延により健康が人間にとって重要課題であるにも関わらず、率直な意見を言わない(言えない)文化を例に挙げる。人が面と向かって討論していた時代とは異なり、ネットの普及により相手の顔が見えないからこそ激しく誹謗中傷できる、気に食わない相手はなかったことにしてしまう現代社会や文化の闇も浮き彫りにしているように感じられる。
そしてついに、ケンドリックが爆弾を投下する。「秘密はバレた、俺は君の救世主じゃない」と最後のヴァースで始め、有名なキリスト教の教え「隣人を愛せよ」に相反して、「隣人を愛し難いのと同じくらい難しい」と続ける。そして個人的に、このアルバムの中で最も衝撃的なラインのひとつが、ケンドリックが長年尊敬してきたラッパーに関する、このメッセージだ。
「2パックは死んだんだ、自分の頭で考えろ」
正直、当初はショックと同時に、「本気でそう思ってるの!?」と突っ込みたい自分もいた。しかし今思えば、ある意味これはケンドリックがわたしたちに課したショック療法であり、愛のムチだったのかもしれない、と思えてくる。
15. Auntie Diaries
トランスジェンダー(身体的な性別と自認する性別が一致していない状態)や同性愛者への嫌悪がひと際顕著な黒人コミュニティにおける現実について、勇気と愛を持って語る「Auntie Diaries」は、ケンドリックがいかにストーリーテリングの天才であるかが伝わってくる、美しい曲だ。
イントロでは、「頭」では身体的な性別を認めていても、「心」が求める性別と不一致であることから生まれる苦痛を描き、エックハルト・トールはそれを「人はこうやって人間を概念化している」と説明する。
ケンドリックには、体は女性だが心は男性であるおばさんがいた。社交的でおおらかでズケズケと物をいう彼女は、男になった。いつだってたくさんの女がいた彼は、男たちに妬まれ、親戚に嫌われ、パーティで喧嘩をふっかけられた。
子供の頃は「ファゴット(ホモ、ゲイを意味する差別用語)」という言葉で笑っていた。実年齢よりませていたことから、マンマンと呼ばれていた小学2年生のケンドリックは、男になったおばさんのことが誇りで、小学校に迎えに来てもらうと周りに凝視されたけれど、気にせず一緒に車でDJクイックを聴いていた。そしてケンドリックはその頃、ラップを書く人を初めて見た。ケンドリックはこのおばさんから、ラップを書くことを教わったのだ! その瞬間から、ケンドリックの人生は変わってしまった。おばさんは差別などしないケンドリックに恩返しをし、その振る舞いをケンドリックも見習った。
ケンドリックには、体は男性だが心は女性のデメトリウスというおじさんがいた。彼は高い壁を作って誰も近づけないようにしていたけれど、彼のことが大好きだった。時代的にまだ珍しかった頃に、デメトリウスは女性に性転換してマリアンになった。若気の至りで差別的なヤバいことも平気で言って彼に不快に取られ、遠い存在になってしまった中学生の頃。
マリアンは誰よりまじめに神を信仰していたが、説教師は顕著なトランスジェンダーへの嫌悪から、教会の皆の前でマリアンをさらし者にした。それでも彼女は精油で清めてもらいたくて、勇気を振り絞ってこびへつらった。しかし「デメトリウスはマリアンになった。教会よ、彼のおばさんは男になったのです」と名指しで呼ぶ説教師に、彼女は深く傷ついた。そこでケンドリックは否応なしに立ち上がり、どんどん声が大きくなり、感情が高まっていく。
説教師さん、俺たちは隣人を愛すべきでは?
法律と心、どっちの方が大事なんですか?
彼女には、生まれてこのかたずっと教わってきた学びがあるんです
でもその学びは、俺のイトコが守ってきた想いを受け入れてくれないんですよ
するとその時、マリアンはケンドリックを見て微笑み、言ってくれたのだ。「ありがとう」と。その日ケンドリックは、宗教より人間らしさを選んだのだ。家族が近くなり、すべてが許された。そして若い頃、分別なく発っした「ファゴット」という言葉について話していた。
するとケンドリックは、ある街で行ったコンサートのことを思い出した。白人女性のファンをステージに上げて一緒にラップすると、彼女は何のためらいもなく「ニガ(※)」という言葉が含まれたリリックを歌ったため、彼は曲を止めて彼女には言っちゃいけない言葉があると非難した。ケンドリックは言う。
矛盾の余地はない、愛を本当に理解するには立場を入れ替えてみないと
『ファゴット、ファゴット、ファゴット』、一緒に言ってもいいんだよ
でも、お前が白人の女の子に『ニガ』って言わせてもいいんならね
熱く高まった感情が、最後の1行で一瞬で凍りつく。白人は「ニガ」という言葉を使ってはいけないが、自分は「ファゴット」という差別用語を言っている矛盾に気づいてしまったのだ。人の気持ちは、同じ立場になってみないと、なかなか分からないものだ。
(※)ニガ(Nigga):18世紀のアメリカで奴隷制時代に、白人の奴隷主人が黒人の奴隷を軽蔑を込めて呼ぶ「ニガ―(Nigger)」という言葉を使い始めたが、現在は差別用語とされている。しかし90年代に、主にヒップホップ・コミュニティで、黒人の若者が「ニガ―」という言葉が持つネガティヴな意味を逆転させ、スペルと発音を変え、親しみを込めて同胞を呼ぶ「ニガ(Nigga)」という言葉を使い始め、ヒップホップのリリックでも多用されてきたが、非黒人が使うことは今でもタブーとされている、繊細で複雑な言葉。
16. Mr. Morale feat. Tanna Leone
イントロでは、まるで前曲「Auntie Diaries」の終わりで感じたジレンマに打ち震えるかのような、怒りで煮えたぎる声を取り入れたサンプリングと共に、ケンドリックの唸り声が聴こえてくる。
「Mr. Morale」は、アルバムカヴァーでケンドリックが抱いている娘のウジ、ホイットニーが抱いている息子のエノックに捧げられている。しかしそれは、子守歌のような優しいものではなく、なにか緊張感と緊急性を持って子供たちに伝えていかなければならないメッセージであるようだ。
生まれたばかりの長男エノックに捧げた最初のヴァースで、デトックスをして劇的な変化を遂げたお父さんは、スーパーマンのように悪霊を撃退していく半神半人であり、そんなヒーローのような彼はあらゆる思考が想像的で怖くなるくらい広い心を持っていると表現する。あらゆる葛藤を経験した末に、自分の能力に目覚めた様子が感じられる。
年上のお姉ちゃん、ウジに捧げる次のヴァースは、より深刻だ。この曲の本題、黒人における世代を超えて引き継がれたトラウマという、深いテーマに入っていく。R.ケリーは、天才的なR&Bシンガーとしての才能とキャリアを持ちながら、長年に及ぶ若者への性的虐待行為で有罪判決となった。そんな彼についてケンドリックは、「もし彼が子供の頃に性的ないたずらをされていなかったら、彼の人生は崩壊しただろうか」と問いかける。
トーク番組の司会で世界で最も有力な女性になったオプラ・ウィンフリーは、9歳の時から3年間、19歳の男性に性的虐待を受け、14歳で妊娠、出産しているという。そんな彼女を想いケンドリックは、「オプラは気持ちの整理はついただろうか」と問いかける。そして、自分の母も若い時に虐待された事実を打ち明ける。「黒人が抱えたトラウマの何が分かるって言うんだ?」とつぶやきながら。
黒人の文化や社会の問題を扱った作品を手掛ける映画監督のタイラー・ペリーは、時に黒人女性の描き方について批判される。彼も子供の頃に性的虐待を受けたことを告白している。タイラーと、暴力をテーマに扱う多くのラッパーについて、「実際に起こっていることを暴力を使って隠す」と指摘する。
自身も散々トラウマに悩まされてきたケンドリックは、何が自分の現状を作ったのかを知りたくて前世治療を受けたこともあるという。彼のイトコのベイビー・キームも、薬物中毒の母に苦しんだ経験を持つ。そしてケンドリックは、ついに自身を癒すために、今まで自分を犠牲にして担ってきた救世主としての役割を、捨てる覚悟があることを明らかにしていく。そして最後に、エックハルト・トールがこの状況を説明する。
人々はこの痛みに支配されるのです
このエネルギー領域は、ほぼ独立した生命を持っているからです
定期的に、より多くの不幸を糧にする必要があるのです
R.ケリーが犯した罪は決して許されるものではない。しかし、ケンドリックのようにその犯罪を犯した背景に視野を広げる声は、あまり耳にしない。そしてR.ケリーしかり、子供の頃に性的虐待を受けた人たちは往々にして、「あまりに恐ろしくて、恥ずかしくてたまらなかった」と誰にも打ち明けられなかったことを、その体験に影響を受けて人格形成された大人になってから、明かしている。またR.ケリーは、子供の頃に自殺しようとして自分を撃ったこともあるという。次の曲「Mother I Sober」では、さらにこれらの問題を深く掘り下げていく。
17. Mother I Sober feat. Beth Gibbons
この曲を聴くことは、わたしに相当な覚悟を必要とする。アルバムリリース時にリリックを訳すためにこの曲を聴くたびに、あまりのヘヴィーな内容に、嗚咽と号泣を繰り返してしまうからだ。2年ぶりに聴いて、やはり同じ想いが駆け巡った。しかし、同時にケンドリックが通り抜けた先の精神の変革を追体験できるのも、非常に貴重な体験だ。
「母よ、わたしは酔いから覚めた(冷静になった、落ち着いた)」と母に語りかけるこの曲でケンドリックは、7分近くにわたる長い3つのヴァースの中で、彼の生い立ちとそれに伴うトラウマとなった体験を打ち明けることで、自分のトラウマと正面から向き合っている。ケンドリック史上、最も赤裸々に深い真実をさらけ出した曲だろう。
「The only way out is through」という表現がある。困難な状況や課題に直面したとき、それを克服する最善の方法は、それを避けたり逃げたりすることではなく、直接その課題に立ち向かい、それを克服すること、という意味だ。自分の人生で困難にぶつかったときは、この言葉が頭に浮かぶが、この曲ではその想いが心に響く。
シンプルなピアノの旋律に乗せて、ケンドリックの壮大な旅が始まる。「皆を癒さなければならない」という救世主としてプレッシャーの上に立ち、自分のトラウマを癒すことも、自分の秘密も打ち明けることもできずにいた。5歳の時、母が性的虐待を受けた過去を知る。母を守れなかった悔しさは、大人になったケンドリックに重くのしかかる。最愛の祖母を失った涙も物理欲を満たすことで帳消しにし、心が落ち着くまで悲しみも感じられずにいた。
ポーティスヘッドのベス・ギブソンズが囁くように歌う「自分が他の誰かになれたらいいのに/自分以外の誰かに」という言葉が、ケンドリックの渾身の苦しみを打ち明ける。
自分には天から授かった才能があるのは分かっていた。子供の頃、年上の従兄がケンドリックに性的いたずらをしたと思い込んだ母は、ことあるごとに「彼、あなたに触ったの、ケンドリック?」と尋ねた。ストーリーを語るケンドリックの声が震える。どんなに否定しても信じてもらえない経験は、彼に自己不信を抱かせる。
ライムし始めたのは、沈んだ気持ちを高めるための「対処メカニズム(ストレス対処行動)」でもあった。成功して有名になっても、不安は消えなかった。生涯親戚に疑い続けられて傷ついたケンドリックの従兄は、復讐のためにケンドリックの母の顔を殴り、あざだらけにした。
今日に至るまで彼女の目を見ることができない、痛みに満ちたその目を
自分を責めてしまう、冷静になるまで悲しみをまったく感じられなかった
ケンドリックは今までのアルバムで、なぜドラッグにもアルコールにも手を出さなかったかを語ってきた。だからといって、ストレスがないわけでも、中毒がないわけでもなかったのだ。
「もっと詳しく話そうか」と言って、不安な気持ちを忘れるために他の女性と寝ていたこと、自分には色欲の問題があることを告白する。これには世界は驚いた。「俺が知る中で最も純粋な魂」を持つパートナー、ホイットニーを傷つけてしまい、「わたしはどこで自分を見失ってしまったのでしょうか? 許してもらえるのでしょうか?」と神に祈る。ケンドリックの目をしっかり見て「依存症があるの?」とホイットニーに尋ねられても、「ノー」と嘘をつく。母に「彼、あなたに触ったの?」と聞かれたときは、本当のことを言っていたのに。傷ついてもケンドリックを気遣い、セラピーを勧めるホイットニー。
大人になってから母に、なぜ子供の頃、「従兄からいたずらされてない」と言う自分の言葉を信じてくれなかったのかと聞いてみた。彼女は自身が性的虐待を受けた経験から、同じことが息子の身にも起こることが怖くて、守りたかったことを知る。20年の時を経て、ケンドリックにトラウマが再浮上した。「この曲を書きながらトラウマが増大していく、神経が高ぶって体が震える」と語るケンドリック。「男らしさ」を追い求め、7年間のツアーを終えて家に帰ると、ホイットニーの姿はなかった。手を尽くしても浮気をし続けた結果、ふたりの関係は(一時的に)破局してしまったのだ。
俺たちの子供たちが俺の遺伝や、俺が引き寄せる感情を受け継がないようにと祈る
黒人の家庭では取り上げられることのない会話
精神的ダメージが何世代にも渡って人類を悩ませてきた
(奴隷制時代に)白人が俺たちの母親をレイプし、それから俺たちのシスターをレイプした
彼らは俺たちにそのレイプの様子を見させて、さらにお互いをレイプさせた
俺たちの命に強いられてきた精神的に異常な拷問から、俺たちはまだ回復しちゃいない
奴隷制の頃に強いられた、想像を絶する拷問の数々。しかし奴隷が白人の奴隷主に逆らおうものなら、暴力を振るわれるか、殺される。妻がレイプされても、夫に守ってもらえない妻の心痛、夫へのジレンマ。守ってあげられない夫の心痛、男としての尊厳の喪失。「We Cry Together」で描かれた男女間のコミュニケーションの問題も、奴隷制時代の拷問が生んだ男女間の心理的な歪みに、何らかの影響を受けているのではないだろうか。
両親や祖父母、さらには先祖の記憶は細胞を通じて遺伝すると言われていて、それは時としてネガティブな体質として受け継がれ、数世代にわたって続いていくと聞いたことがある。わたしの黒人の友達の中には、「奴隷制度の頃の記憶を引きずってるわけがない」と言い切る人がいれば、明らかに祖母や母の傷や思考パターンを受け継いでいるように見受けられる人もいる。遺伝は何も身体的特徴だけでなく、ネガティブな体験から受けた心の傷が、細胞に刻み込まれて子孫に受け継がれていたとしても、何ら不思議はないのではないだろうか。ケンドリックの声がどんどん大きくなっていく。
すべてのブラザーたちが妥協を強いられてきた
秘密を知ってるぜ、性的虐待を受けたすべてのラッパーを
彼らが日々、心の痛みをチェーンやタトゥーにうずめようとする姿を目にしている
だから俺たちの行動を批判し始める前に、しっかり耳を傾けるんだ
以前アントワン・ディクソンという、全身くまなくタトゥーを入れた黒人の天才プロスケーターにインタヴューをした際に、タトゥーを愛してやまない理由を尋ねたことがある。すると彼はこう答えた。
「なぜなら痛みを伴うからさ。俺はあらゆる苦しみを経験してきた。どんなことが起ころうと気にしちゃいねえけどな。そんな多くの苦しみを通り抜けるとき、他にどんな特別な苦痛に耐えられるかっていえば、タトゥーがある。タトゥーの痛みが人生の苦しみを分散してくれるのさ。だから俺はタトゥーを入れるんだ」
そのタトゥーの多さは、人生の苦しみの多さも表していた。それは彼の対処メカニズムでもあったのだ。
おじさん(母に疑われたケンドリックの従兄)が学校から甥っこの俺を連れて帰らなければならなかったときはいつでも、俺たちがどう対処してきたかを知ってくれ
彼の怒りは女性憎悪に深く根をはっている
これが心的外傷後の黒人の家族と男色(男性同士の性行為)だ、今日もまだ起こっている
だから俺は、自分で作り出したと思っていた罪悪感から自分を解放する
だから俺は、彼女が恥と呼んで受けてきたすべての傷から母を解放する
だから俺は、お袋が抱えた痛みのために混乱に陥った俺の従兄を解放する
あなた(キームの母)がハキーム(イトコのベイビー・キーム)のことを誇りに思ってくれてることを祈るよ、あなたは無駄死にしたわけじゃないんだ
だから俺は、ホイットニーの力を解放する、彼女が俺たち皆を癒してくれますように
だから俺は、子供たちを解放する、良いカルマで常に神と共にいられますように
だから俺は、憎しみに満ちた心を解放する、俺たちの体が神聖であり続けられるように
俺はお前ら虐待者すべてを解放する、共に変革(Transformation)を遂げていくんだ
すべてをさらけだしたケンドリックのセラピー・セッションが終わると、ホイットニーのあたたかな声が聞こえてくる。
やり遂げたわね、あなたを誇りに思うわ
あなたは何世代にも渡って受け継がれてきた呪いを断ち切ったのよ
『ありがとう、お父さん』って言いなさい
するとウジちゃんに光が差す。
ありがとう、ダディ。ありがとう、マミー。ありがとう、ブラザー
ミスター・モラール
長い長い旅の末、ついに自由の扉が開かれた。
今まで、ここまで魂をさらけ出したラッパーがいただろうか。
今まで、ここまで自分たちのトラウマに向き合ったラッパーがいただろうか。
わたしたちはケンドリックを、真剣に受け止めてきただろうか。
わたしたちはありのままの自分を、愛しているだろうか。
18. Mirror
新たなる大きな成長をとげたケンドリックは、ついに救世主の王冠を外し、彼もひとりの人間であることをわたしたちに伝える。そして彼の答えを待つのではなく、自分で成長していくべきなのだと。まだまだ自分の問題に取り組んでいるし、セラピーだって楽じゃないけれど、彼は自分との長い闘いの末、自分を愛し、自分の心の平穏を優先することを選び、ついにわたしたちに言い放ったのだ。「すまないけど、俺は自分を選ぶよ」と。
自分のために、不平を映す鏡を手に入れてくれないか
自由を映す鏡になるように、それを俺に向けるんだ
白人警官によるジョージ・フロイド殺人事件の後、ブラック・ライヴス・マター運動があらたに活発化したときに、活動家でラッパーのノーネームが、2020年6月に「Song 33」という曲と、その中のリリックを説明したその後のツイートで、「黒人の苦境についてラップするアルバムを出してるくせに、黒人のために立ち上がらない」とトップラッパーたちを批判して話題を呼んだ。自分が名指しされたと感じたJ.コールはすぐに応戦していた。しかしケンドリックは、あれから2年後(!)になって、この曲で今の彼らしい応戦をしている。
自分の欠点と向き合う俺なりのやり方は無視して
そろそろ縁を切る時がきたのかもな
カルチャーから逃れて自分の心に従うよ
ここで注目したいのは、誰に応戦したかということより、あれだけ「カルチャー」を優先していたケンドリックが、そこから逃れて「自分の心に従う」と宣言している点だ。彼は同胞やヒップホップ・カルチャーを救っている場合じゃない、まずは自分を救う必要があったのだ。
そして愛とは人の顔を立てることではなく、無条件なものだと気づいたケンドリックは、ファンにも自立することを期待して、彼はスーパーマンでも救世主でもなく、ひとりの人間であることを思い出させてアルバムの幕を閉じている。
俺が世界を救い出せなくてすまないな、友よ
俺の世界を建て直すのに必死だったんだ
すまないけど、俺は自分を選ぶよ
ケンドリックが自分の幸せを優先して選んでくれたことに、心から安堵を感じている。
Digital bonus track
19. The Heart Part 5
2010年から発表してきた「The Heart」シリーズは、ケンドリックがキャリアの各段階で感じていることをすべて語る、最も生々しく、最も無垢な彼が表現されている。どれもコーラスが少なく、彼の長いヴァースをスピットするKドット寄りなスタイルで、ミックステープの雰囲気で作られているのが特徴だ。
その第5弾となる「The Heart Part 5」のMVが、2022年の5月8日に何の前触れもなくリリースされたときには、ファンは狂喜乱舞し、5年ぶりについにアルバムが出るのか!?と興奮した。案の定、その5日後の5月13日に『Mr. Morale & the Big Steppers』がリリースされた。この「The Heart Part 5」はフィジカル盤のアルバムには含まれず、新作の予告編として受け止められたが、デジタル版(ストリーム)の方にボーナストラックとして後から追加された。
今思えば、MVの最初に出ている「I am. All of us.」(俺はみんなと同じだ)というメッセージは、このアルバムで出した「自分は救世主ではなく、ただの人間であり、自分を優先する」という結論を予告していたように思える。同時にこの曲では、地元に団結を求めているようにも感じられる。
マーヴィン・ゲイの名曲「I Want You」をサンプリングしたこの曲は、無関心や影響力を追い求めることが社会にもたらした悪影響を描きながら、「カルチャー」の現状に疑問を投げかける。同時に、彼が愛してやまない、人々に力を与える本来の「カルチャー」の姿が変わり果ててしまったことへの嘆きも伝わってくる。
悲しげな表情でライムしていたケンドリックは、2ヴァース目から突然、AIのディープフェイク技術を使って、社会に何らかの標的にされてきた黒人男性セレブたち、O.J.シンプソン、カニエ・ウェスト、ジャシー・スモレット、ウィル・スミス、コービー・ブライアント、ニプシー・ハッスルに、まるで憑依したかのように次々と顔が入れ替わり、彼らに関わるストーリーを語っていく。特に3ヴァース目では、地元を愛して貢献した挙句、その地元に殺されてしまったニプシーになり代わり、彼のスピリットを語っていく様子が、尊くも切ない。
繰り返されるコーラスでは、マーヴィンがラヴソングとして歌った「I Want You」(君が欲しい)を、ケンドリックは意味を逆転させて、「フッドにも俺を愛して欲しい、求めて欲しい、尊敬して欲しい。俺がしてあげたことを見てくれよ」と、フッドへの片思いを綴る。
そして曲の最後で、「I want you」というメッセージを伝えている。これは「君が欲しい」という愛の言葉と共に、アメリカで兵士を募集する際に使われるキャッチコピー「I want you」のように、地元やファン、文化全体に、受け取るだけではなく、自身も主体的、能動的に参加する必要性を訴えかけているようにも感じられる。
このアルバムを聴いていると、ヒップホップというよりは、ブルース(元々「憂鬱」を意味する「ブルー」が語源)を聴いているような気分になってくる。悲しみや苦難に満ちた日々の暮らしを歌で表現して、何とかやり過ごしていく、また明日も生きていこうという力を与えてくれる音楽だ。
ヒップホップはその誕生以来、瞬く間に世界中に広がり、わたしたちに力と元気とインスピレーションを与え続け、めでたく50歳を迎えた。この音楽文化のクリエイターであるアメリカ黒人の現状、そして彼らが経験してきた歴史を知ることは、ヒップホップをより高く評価し、感謝することに繋がると実感している。『Mr. Morale & the Big Steppers』は、そんなことをあらためて考えさせてくれた、何世代も後まで聴き継がれる、そしてその価値が再発見され続ける、名盤になるだろう。
Written by 塚田桂子
参考資料
The Story Behind Kendrick Lamar’s Crown of (Tiffany & Co.)Thorns
https://www.vogue.com/article/kendrick-lamar-crown-of-thorns-tiffany-co
A Day in Ghana with Kendrick Lamar https://www.youtube.com/watch?v=UU4q-UqIW38&t=176s
Five-Percent Nation https://en.wikipedia.org/wiki/Five-Percent_Nation
ケンドリック・ラマー『Mr. Morale & the Big Steppers』
2022年5月13日発売
CD&LP / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music