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ケンドリック・ラマー『good kid, m.A.A.d city』徹底解説:“狂気の街に住む善良な子ども”の内容とは

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日本時間2025年2月10日に開催されるアメリカ最大の視聴率を誇る第59回NFLスーパーボウルのハーフタイムショーでの出演が決定しているケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)。

彼の個々の作品について、ケンドリックのアルバム『good kid, m.A.A.d city』から『Mr. Morale & the Big Steppers』までの日本盤ライナーノーツのリリック対訳を担当し、『バタフライ・エフェクト:ケンドリック・ラマー伝』(河出書房新社、2021年)の翻訳を担当したヒップホップジャーナリストの塚田桂子さんに連載として徹底解説いただきます。

第1回は、ケンドリックの2枚目にしてメジャー・デビューとなった2012年発売の『good kid, m.A.A.d city』について。

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『good kid, m.A.A.d city』は、今やヒップホップ界のキングとして君臨するケンドリック・ラマーが、今から15年前にリリースしたメジャーレーベルからのデビュー作である(スタジオアルバムとしては『Section. 80』に続く2枚目)。後世まで聴き継がれていくであろうこの傑作は、ケンドリック・ラマーとはどんな人物なのか、彼がどんな環境で生まれ育ち、どんな葛藤を抱えて生きてきたのかを、世界に紹介するアルバムだ。

本作のエグゼクティヴ・プロデューサーを務めたドクター・ドレーは、最初にケンドリックの音楽を人から薦められた際に、先ずケンドリックのインタヴューを聴いて、「今までコンプトンのことをこんな風に語る奴を聴いたことがない」と関心を持つ。その後電話で話した際に、ドレーはケンドリックがいかに音楽に情熱を持っているかを知り、その後にやっと、初めて彼の音楽を聴くことになる。

スタジオで初めてケンドリックと会ったドレーは、「本当にお前がラップしてるか証明してみろ」とビートを流す。ケンドリックが子供の頃から尊敬してきた同郷コンプトンの英雄の前で試される、世紀の瞬間だ。ケンドリックはその場でリリックを書いてライムし、彼がリアルであることを証明して見せ、このアルバムの制作が始まった。

実は「狂気の街に住む善良な子ども」というアルバムのアイディアについては、ケンドリックは『The Kendrick Lamar EP』(2009)収録の「Jason Keaton & Uncle Bobby」という曲のMVの最後で既に語っている。

「コンプトンの子どもたちのストーリーの半分は、狂った街に住む善良な子どもに関するものだ。俺は狂った街の善良な子どもなんだよ。俺たちは善い行いをしようとしてるけど、取り囲む環境が俺たち自身を作り上げる。別にここにいる誰もが人を殺そうとしてるわけじゃない。そりゃあ、セット・トリップ(異なるセット/フッド出身のギャング同士の暴力や対立)とか、もちろんあるよ? 俺はそこまで過度なことはやったことないけど、成功しようとして同じ状況を経験している。コンプトンではそういうものなんだ。だからみんなが試されるし、正しい判断を下していくしかない」

コンプトンと聞けばすぐに危険な街というイメージを思い浮かべる一般的な反応に抵抗を感じ、長年温めてきた構想だったのだろう。わたしは当時このMVを観て、彼のストーリーテリング術、真摯な人となりにぐっと引き込まれ、彼はコンプトンを担って立つ生徒会長のような存在だなという印象を持った。

カヴァーアートの下にあるアルバムタイトルは、TDE時代のホーミー、スクールボーイ・Qによる手描きだが、そこには「ケンドリック・ラマーによる短編映画」というサブタイトルが書かれている。正に映画のような構成で作られている本作は、映画のリールが回り始める音と共に、自分を罪人と認め、神に救いを求めて祈る場面からストーリーが始まる。

 

1. Sherane a.k.a Master Splinter’s Daughter

17才のケンドリックは、コンプトンのとあるハウスパーティでシェレーンという魅力的な女の子と出会う。彼女には悪名高いギャングメンバーのイトコがいる事実を知りながら、そんなことより彼女とヤることで頭がいっぱい。母親のヴァンを借りて彼女の家に向かうと、手を振る彼女が。しかしそこには黒いフーディを着た2人の男が待ち構えていた。

ケンドリックが思わず固まった瞬間、さらにタイミング悪く母親の「ヴァンを返しなさい、フッドのバカなネズミ女、シェレーンなんかと関わるんじゃないよ」、父親の「ドミノゲームを返せ」コール(留守番電話)が。ケンドリックは夏の間中、彼女と連絡を取り合ってお互いのことを知り、好きになり始めていたのに、彼女にハメられたのだろうか?

Sherane a.k.a Master Splinter’s Daughter

 

2. Bitch, Don’t Kill My Vibe

母親と言い合う父親の「俺のムードをぶち壊すな」という言葉で終わる前曲からのテーマで、自分を罪人と認めて神に許しを請うケンドリックの告白でこの曲は始まる。しかしヒップホップ・カルチャーを心から愛し、自分の才能に確固たる自信がある彼は、一時的なラジオうけ、カネや名声を「成功」とみなすラッパーたちや、ケンドリックの名声に群がる取り巻き、彼の気を散らそうとする者たちに対して、「俺のムードをぶち壊すな」、放っておいてくれ、ネガティヴなエネルギーで邪魔するな、と批判する。

この曲では、そんな彼の神に祈る真摯な面と、ヒップホップの新たな救世主になろうとしている挑戦的な面が交差する。

Kendrick Lamar – Bitch, Don't Kill My Vibe (Explicit)

 

3. Backseat Freestyle

次にバンギンなビートと共に登場するのは、ホーミーたちに誘われて車に乗り込み、後部座席で熱く攻撃的なフリースタイルを始めるKドット(若い頃のラッパー名)だ。ライブでもこの曲のイントロでは花火が打ちあがり、最高に盛り上がるヒットボーイ制作のビートに乗せて、フリースタイルをぶちかましていく。

キング牧師の大きな夢と自分の夢(野望)を比べ、カネと権力への憧れ、俺のアレがエッフェル塔並みにビッグになったらいいのにと豪語し、高級車を飛ばし、女をはべらかす俺と、次から次へとビッグな(架空の)自慢話が止まらない。男友達の前で凄いところを見せたい、デカいことを言って自慢したい。早熟な内容のリリックが並んでいるが、実は周りの友達の影響を非常に受けやすく、真面目でびびり屋な面もあるケンドリックの本当の姿が、次の曲で明かされていく。

Kendrick Lamar – Backseat Freestyle (Explicit)

 

4. The Art of Peer Pressure

本当はドラッグなんてやりたくないのに、酒なんて飲まないのに、トラブルなんてまっぴらなのに、ギャングバンガーなんかじゃないのに、暴力を振るったことなんてなかったのに、本当は平和主義なのに、母にも「いつか身を亡ぼすよ」と言われたのに。ホーミーと一緒にいる時は同調圧力のちからで、あれもこれも誘われるがままに強がってやってしまう自分。

「俺とホーミー」と繰り返すラインからは、諦めと哀しみを秘めたトーンが聴き取れる。罪悪感に苛まれる自分と、グループに適合したい自分が、曲の中で常にせめぎ合う。「同調圧力」という普遍的なテーマも、文化の違いを超えて多くのリスナーから共感を呼ぶのだろう。

この日もホーミーたちと他人の家に不法侵入して盗みを働き、警察に車で追い掛けられて必死で逃げまくるが、運が味方して何とか逃げ切った。挙句の果てに、ホーミーが巻いたブラント(マリファナたばこ)をエンジェル・ダスト(合成麻薬)入りとは知らずに吸い、気絶してしまう。

復活した後も、ヤング・ジージーの曲を歌いながら強気モードになり、シェレーンの家にヤりに行く計画を企て、またホーミーと車に乗り込む。ここで、このアルバムのストーリー構成が必ずしも時系列ではないことにも気づかされる。

The Art of Peer Pressure

 

5. Money Trees feat. Jay Rock

アルバムの中でも最も多くのリスナーに聴かれてきたこの曲では、ケンドリックが自分の過去を振り返り、将来を考え、今まで豪語してきたラッパーのように生きる夢に疑問を持ち始める。現実は、犯罪に手を出して楽にカネを手に入れるか、さもなければ惨めな貧困の現実が待っている。

金のなる木が作ってくれるであろう心地よい木陰(安らぎ)に思いを馳せながらも、金さえあれば、人生思い通りになるかもしれないが、裏切られるかもしれない。金で手に入れたものは心の傷を癒してはくれないが、でも辛い日には金で手に入る快楽に癒しを求めてしまう。しかしあれだけ恋焦がれていたシェレーンと事を済ませてホーミーに報告するも、あまり重要なこととしてとらえられていない。一体ケンドリックに何が起こったのだろうか?

その場の快楽(ハル・ベリー)と、神の信仰(ハレルヤ)、どちらの毒を求めるのか。そしてその後に放つ、「撃ったヤツを一時的にリスペクトするかもしれないが/銃の前で命を失った者こそみんなの記憶に生き続ける」というラインの深い心理描写に、思わずはっとさせられる。どんな過酷な環境で生き延びようとも、やはり人は「死」に慣れることはできないのではないだろうか(心を麻痺させない限りは)。ここでまた、ケンドリックや仲間たちが、日々どんな環境でどんな現実と向かい合っているのかを思い知らされるのだった。親しみを込めて仲間を呼ぶ「ビッチ」を「ビッシュ」に言い変えたスラングの使用も、この曲で話題になった。

しかしジェイ・ロックのサヴァイヴァル・ストーリーもまた、壮絶だ。娘や家族に飯を食わせるためなら、常に危険に身をさらされて犯罪に手を出しながら、考えられることは何だってやる。食うか、食われるか。台所はコカインを売るために重曹を混ぜて薄める調理をする場所であり、感謝祭に七面鳥が焼かれることはない、という彼の言葉には、聴くたびに心が締めつけられる。日本で例えるなら、お正月にお雑煮を調理して食べることもできない寂しさとでも言おうか。そして金のなる木の木陰でいい暮らしをしたいと夢を見る。するとケンドリックの母からまた、車を催促する留守番電話が。父は後ろでハイになり、いい気分で歌っている。

Money Trees

 

6. Poetic Justice feat. Drake

次にジャネット・ジャクソンの「Any Time, Any Place」からのサンプリングを用いて、ジャネットと2パックが主演した、この曲と同タイトルの映画『ポエティック・ジャスティス/愛するということ』をリスナーに連想させながら、ケンドリックはこの曲をシェレーンに捧げている。映画の中では喧嘩しながらも恋に落ちていくふたりに、ケンドリックは自分たちを重ねているのだろうか。

客演には大御所ドレイクが登場し、得意の恋愛テーマで自分の元カノらしき女性に語りかけながら、スムーズなラヴァーボーイぶりを発揮し、曲に花を添える。

「詩的正義」を意味する「ポエティック・ジャスティス」には、詩や演劇にふさわしい善人や美徳を奨励し、悪者や悪徳を懲らしめる意味がある。この曲では、ケンドリックがシェレーンをロマンティックに称賛しながら、想いの丈を伝えている。

しかし、そうそうロマンティックには行かないのが現実というもの。不穏な空気が流れ、また「Sherane a.k.a. Master Splinter’s Daughter」の場面にさかのぼり、ケンドリックはシェレーンに会いに行った先で彼を待ち構えていたふたりの男につかまり、縄張り争い絡みの喧嘩をふっかけられて、ヴァンから下ろされてしまう。その後、彼がボコボコにされてしまったことは、想像に難くないだろう。

Kendrick Lamar – Poetic Justice (Explicit) ft. Drake

 

7. good kid

前曲からがらりと雰囲気が変わり、アルバムのタイトル・トラックの前半部分となるこの曲で、シーンはアルバム後半戦の幕を開ける。

何世代にも渡って若者男性の多くがクリップス(青)かブラッズ(赤)のメンバーになる、ギャング・カルチャーが深く根差したコンプトン。ギャングである友人や親戚に囲まれ、ギャング・カルチャーを熟知してはいたが、ケンドリックはいずれのメンバーにもならず、善良な子どもとして生きてきた。

しかしギャングからは近所の顔なじみだからと、警察からは人種差別的な先入観で、「お前はギャングに決まってる」と決めつけられ、日々ストレスマックスな嫌がらせや攻撃を受ける。

この狂った街で善良な子どもとして生きることの葛藤を、「聖書を学ぶくらいしか自分を立証する手段がない俺なのに」「毎朝目が覚めると自分の潔白さに嫌気がさす」「このストリートじゃ俺がどんなにいい事をしようとしたって台無しにしちまう」と、切ないグッドキッド・ブルースを奏でる。

ファレル・ウィリアムスはこの状況を「これがお前が選んだ場所なんだよ」と歌い、ブルースに拍車をかける。アルバムカヴァーの写真では、乳児のケンドリックが、哺乳瓶、おじたちやアルコール、ギャングサインに囲まれていて、正に彼が育った環境が視覚的に要約されている。

good kid

 

8. m.A.A.d city feat. MC Eiht

「狂気」を意味する「Mad」の代わりに、アルバム、そしてこの曲のタイトルには「m.A.A.d」というスペルが綴られている。ケンドリック曰く、これには「俺の分裂した怒れる青春時代(my angry adolescence divided)」と、「俺の周りにいる天使のような(人は生まれながらにして純粋)仲間や隣人たちがエンジェル・ダストをやる」(my angel’s on angel dust)のふたつの意味があるという。

2部構成になっているこの曲の前半では、ケンドリックがコンプトンという街が彼に与えたネガティヴな影響を振り返る。常に暴力や死と隣り合わせのこの街で、9才のケンドリックは近所のハンバーガー屋である男が銃で脳みそを撃たれる姿を目撃する(5歳の時には自宅アパート前で銃殺現場を目撃している)。無法地帯の戦場に例えられるほど銃や犯罪が氾濫し、人は心の痛みや狂気の沙汰を忘れるために、酒やドラッグに手を出し、溺れていく。

曲の流れが変わる後半では、この曲を語る上で非常にふさわしいコンプトン出身の伝説的なラッパー、MCエイトが登場する。ギャングバンギンで悪名高いフッドで育ち、元クリップスのメンバーであるエイトは、強いドラッグを常用し、常に撃つか、撃たれるかの環境で生きてきたが、それでもいまだにそこを離れられずにいる。問題が起きれば銃で解決する方法しか知らず、コカインとカネにすべてを託す生き様を語っていく。

高校を卒業したケンドリックは、父親に勧められて警備員の仕事に就くも、友人たちの影響で強盗を計画し、クビになってしまう。友人に薦められた人生初のマリファナにはエンジェル・ダストが混ぜられていて、そうとは知らずに吸ったケンドリックは口から泡を吹く目に合ってしまい、もう2度とドラッグには手を出さないと固く誓う。

しかしこの街で生きていくということは、ドラッグやアルコールで神経を麻痺させないとやってられないような現実を、多くの住人に強いるのであった。

m.A.A.d city

 

9. Swimming Pools (Drank)

セカンド・シングルとなったこの曲は、一見アルコールを楽しく飲んで盛り上がる曲のように聴こえるかもしれない。しかし、浴びるほど、もとい、泳ぐほど飲む状況をプールに例え、人々を飲酒に駆り立てる同調圧力や依存してしまう心理、アルコールの威力などについて取り上げている。ヒップホップにおいては一般的に、アルコールを飲んで楽しい時を過ごす内容の曲が多い中、飲酒についてこのようなアプローチを取った曲は、今日でも非常に珍しい。

当のケンドリックは、家族や親戚が酒に溺れてアルコール依存症に苦しむ家庭で育ったことから、気軽に飲むか、酔いつぶれるまで飲むかの選択を迫られ、特別な時にちょっと口をつける以外は手を出さない、という決断に至っている。

例のごとくホーミーたちが集まり、シェレーンに会いに行ってボコられたケンドリックについて話しながら、その仕返しについて計画を企てている。ふと人の気配を感じてホーミーが相手に発砲すると、相手の弾が仲間のデイヴに当たり、彼はケンドリックの腕の中で血を流し、帰らぬ人となってしまう…。

Kendrick Lamar – Swimming Pools (Drank)

 

10. Sing About Me, I’m Dying of Thirst

この曲は、このアルバムの中でも非常に重要な作品であり、個人的にも一番心に響く曲だ。ケンドリックが暗闇の中から立ち上がり、まるで仲間たちの声を代弁することで、彼らの魂を永遠のものにしようとしているかのように彼らのストーリーを伝える姿は、彼が自分の使命に目覚めた瞬間を感じさせる。

2曲構成で12分に及ぶこの作品。前半のSing About Meでは、ケンドリックが死んだデイヴの兄(または弟)の視点からストーリーを語っていく。苦難と試練に満ちた人生を振り返り、デイヴを自分の兄弟のように愛してくれたことをケンドリックに感謝しながら、もしも俺が死んだら俺のストーリーを語ってくれると約束して欲しいと、ケンドリックに託すのだった。そしてまた彼も、このヴァースの終わりで銃弾に倒れてしまう…。

続いてケンドリックは、『Section.80』収録の「Keisha’s Song (Her Pain)」(ケンドリックが彼の妹に教訓として作った曲)に登場する売春婦をして客に殺されたキーシャという人物がいて、その姉(または妹、彼女も売春婦)の視点に立ってストーリーを語る。

彼女は、音楽を通してキーシャをさらし者にしたケンドリックを批判しながらも、両親がおらず(コンプトンではこの世代の多くの子供の両親は、おそらくクラックが蔓延した時代背景により、殺されるか、ヤクの過剰摂取で不在になり、その子供たちは児童養護施設に入れらるか里親に出され、親の指導を受けずに育ったという)、里親が嫌で逃げ出したものの、結局自活していく方法も、自分の体を尊重することも教わらずに育ったため、葛藤を抱えながらも、結局姉のようにストリートに出て安く体を売るやるせない人生を語っていく。ケンドリックは彼女を不快にさせたいのではなく、方向性を変えなければ、彼女の20世代先の子孫まで呪い続けていく影響を懸念しているのだった。

そして最後のヴァースでは、今度はケンドリックが、自分も常に死に囲まれた環境で生きてきた経験から、その複雑な心境について掘り下げていく。この常に湧き上がってくる「いつ死ぬか分からない」という恐怖を集合意識としてこの街の仲間たちと分かち合い、共に向き合っているからこそ、彼らの人生は語られるべきだという使命が、ケンドリックの中に芽生えたのではないだろうか。(これは後に「Real」で母が語るメッセージにも繋がっていく)

ラップを続けなかったら
金やドラッグ、銃に惑わされ続けてたら、俺はどうなってた?
この曲で、命を落としていった仲間の数を数える
このフッドの弱虫や泣き虫を見てみろよ
いつか強くなってくれと祈ってる
間違ってる時だって自分の権利のために闘うんだ
そして俺が死んだら、少なくともお前たちのひとりでも俺のことを歌ってくれることを願うよ
でも、俺にはそれだけの価値があるのか?俺は十分に労力を注いだのか?

後半のI’m Dying of Thirstに移り変わると、デイヴを殺された怒りに興奮する仲間が、今すぐ相手の陣地に乗り込んで復讐しようとまくしたてる。すると追い詰められたデイヴの兄(または弟)は、「もううんざりだ!走るのにも疲れた!俺の兄弟が死んだんだよ、ホーミー!」と崩れ落ち、ケンドリックがその思いを拾いあげていく。

フッドでは経済的、社会的、精神的に限界に追い込まれ、犯罪の絶えないストリートで銃の暴力に次々と同胞が命を落としていく。地獄の中で炎は燃え続け、焼けるような熱さに喉が渇き、干ばつを潤す井戸(救い)を必死に求める。もう走るのも、倒れるのも、うんざりだ。そんな時にふと、ケンドリックは「洗礼の水に入りなさい」と言っていた母の言葉を思い出す。

すると仲間が言い合っている場面に戻り、とある初老の女性が登場する。彼女は怒りの炎に燃えたぎる若者たちの心を鎮めるべく、聖水に入って洗礼を受けるように薦め、共にイエスに祈り始めたのだ。自分たちの罪を認めて悔い改め、イエスに救いを求め、主のために生きることを誓う。新しい、本当の自分で生きる人生の始まりだ。

クレイジーなのは、これはアルバムを作るための架空のストーリーではなく、ケンドリックと仲間たちに本当に起こったストーリーだということだ。おそらくこのアルバムのストーリーの大半がそうなのだろう。真実はポエトリーより奇なり。暗闇をひた走り続けてきたホーミーたちに、一筋の光が下りた瞬間だ。

Sing About Me, I'm Dying Of Thirst

 

11. Real feat. Anna Wise

「本当の自分」に気づいたケンドリックの声からは、希望の光が感じ取れる。そして自分をリアルだと信じている人たち(彼自身にも訴えかけているのかもしれない)に、物質的なものや感情の奴隷になり、刺激を求める生活を愛する者たちに、「でも自分を愛してなかったら、きっとそれは愛じゃない」と究極の切り札を叩きつける。

「リアル」の本当の意味とは? プライドを横に置いて、人を愛する前に、まず自分を愛すること。その真実に気づいたときに、今まで留守電を通してケンドリックに説教していた両親は、声のトーンも優しくなり、温かな愛の言葉を伝えている。友人の死を気遣いながら、リアルというのは責任であり、家族の面倒を見ることであり、神である、と伝える父。

初老の女性に説教されている姿を見かけたと人から聞いたこと、TDEから電話があったことを伝える母。

「自分の過ちから学ぶんだよ。コンプトンの黒人と褐色の肌の子供たちにお前のストーリーを語りなさい。お前もみんなと同じような子供だったこと、でもお前は暴力が溢れる暗い所から立ち上がって、ポジティヴな人間になれたんだって教えてやるんだよ。でも成功したあかつきには、恩返ししなさい、お前の励ましの言葉でね。それが最高の恩返しなんだよ。お前の街にね…愛してるよ、ケンドリック」

ケンドリックの両親の言葉を聞いて思い出したことがある。『Section.80』のリリース直前にケンドリックにインタヴューした際のこと。コンプトンという街で、彼が他の友達や親戚の若者たちと決定的な違いがあったとすれば、それは両親が揃っていたということ。特に家庭に父親がいることはこの街では非常に稀なことであり、ケンドリックがトラブルに手を出したり、巻き込まれそうになると、父親が必ず彼の腕をつかんで引き戻してくれたそうだ。

でも、ほとんどの子供たちは模範にすべき父親の存在が家庭にいなかったため(刑務所に入っているか、死んでいるか、養育に参加していないか)、家の外でギャングのメンバーをしているおじやイトコ、近所の若者をロールモデルとしてリスペクトし、ケンドリックがこのアルバムで語ってきたようなトラブルに巻き込まれ、多くが命を落としてしまう。(以前ケンドリックは、少なくとも16人の友人を亡くしたと語っていたことがある)

本作に戻り、両親の言葉が終わると、また映画のリールが回り始める音が聞こえてくる。新たなる幕開けだ。

Real

 

12. Compton feat. Dr. Dre

輝かしい光が差し込むようなイントロと共に、新生キング・ケンドリックの登場だ。ありのままに伝えたいことを伝え、犯罪を犯すことなくトップの座を征服した彼のバックについているのは、コンプトンという街であり、偉大なる同郷の先輩、ドクター・ドレー。殺人首都コンプトンで逆境をバネにして勝ち上がり、ギャングスタ・ラップを誕生させたキャプテンであるドレーは、この業界で輝かしい勝利を収めてきた。

ふたりで交代しながらヴァースをスピットし合うこのコンプトン賛歌で、ふたりの言葉には、コンプトンという街に誇りを持ち、世界中に自慢したい気持ちが溢れている。そしてケンドリックはドレーに、この街を世界的に有名にしたN.W.Aに、最高のリスペクトを捧げることも忘れない。

コンプトン、コンプトン
俺の街みたいなところは他にありはしないぜ…

すると最後にケンドリックが、「お袋、ヴァン借りるからな。15分で帰るぜ!」と言い放ってドアを閉める音と共に、リールが回る音を忍ばせる。そうすることで、また実に自然に1曲目の「Sherane a.k.a Master Splinter’s Daughter」に戻れる短編映画の構成になっているのだ。

Compton

2011年リリースの前作『Section.80』の「HiiiPoWeR」は、当時のライブで必ず最後にラップして最高に盛り上がる曲としてファンに愛されていた。しかしgood kid, m.A.A.d city』をリリースしてからは、一切パフォーマンスされなくなってしまった。「HiiiPoWeR」が名曲であることに変わりはないが、アルバムを追うごとに果たす成長があまりにも凄まじすぎて、特にメジャーデビュー前の「HiiiPoWeR」については、はるか昔の作品のように感じられるようになったのも事実だった。

しかしその後、何枚名盤と呼ばれるアルバムをリリースしようとも、『good kid, m.A.A.d city』こそがケンドリックの最高傑作だという意見も少なくない。その理由は、当初のドレーが感じたように、コンプトンをこんな風に語った人物が今までいなかったことも大きいだろう。

また、コンプトンを単なるフッド、ゲットー、犯罪の街としてとらえてきた典型的で表層的な先入観を払拭するかのごとく、実際に中に住んでいる生身の人間の葛藤や想い、生き様や現実、苦悩と試練を、外からでも、上からでもなく、その中から同じ目線で語ったストーリーに真正な魂が宿っているからだと実感している。そしてその魂の輝きはどこまでもリアルであり、コンプトンの外に生きるわたしたちと、何ら変わりはないのだ。

Written By 塚田桂子


ケンドリック・ラマー『good kid, m.A.A.d city』ケンドリック・ラマー『good kid, m.A.A.d city』
2012年10月22日発売
CD& LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music


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