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ケンドリック・ラマー『DAMN.』徹底解説:ピューリッツァー賞を受賞した最もダークで内省的な作品

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日本時間2025年2月10日に開催されるアメリカ最大の視聴率を誇る第59回NFLスーパーボウルのハーフタイムショーへの出演が決定しているケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)。

彼の個々の作品について、ケンドリックのアルバム『good kid, m.A.A.d city』から『Mr. Morale & the Big Steppers』までの日本盤ライナーノーツのリリック対訳を担当し、『バタフライ・エフェクト:ケンドリック・ラマー伝』(河出書房新社、2021年)の翻訳を担当したヒップホップジャーナリストの塚田桂子さんに連載として徹底解説いただきます。

第3回は、2017年に発売された4枚目のアルバム『DAMN.』について。

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メジャーアルバム通算3枚目となる『DAMN.』は、これまでのケンドリック・ラマーの作品の中で最もダークな内容だ。もちろんテンションの上がる曲はあるが、彼が抱えていた感情や自己表現を曲名やテーマにして、宗教、罪の償い、和解を通して心の葛藤や孤独感と向き合う様子を描いていく、非常に内省的な内容になっている。

しかもタイトルが『DAMN.』である。これは、「ちくしょう!くそっ!」という忌まわしい気持ちを表す時に使われる言葉だが、キリスト教の信仰では、神が人を永遠に罰したり、地獄に落とし、破滅させ、そして「呪う」ことを意味する。アルバムの内容から考えて、両方の意味を含んでいるように感じられる。

またケンドリックは、今まで音楽部門ではクラシックとジャズの作品だけが受賞してきたピューリッツァー賞を、この『DAMN.』でヒップホップ・アーティストとして初めて受賞するという快挙を成し遂げている。選考委員会は本作を選んだ理由を、「現代のアフリカ系アメリカ人の複雑な生活をとらえた印象的な芸術的小作品を提供し、その人種特有の言葉の信憑性とリズムのダイナミズムによって統一された名人芸的な曲集である」と述べている。要するに、「黒人の複雑な生活をリアルな言葉と力強いリズムでまとめた芸術作品」といったところだろうか。まさに、ヒップホップそのものではないか。

今までピューリッツァー賞にヒップホップの作品が選ばれなかったのは、実はそこまで深い理由があったわけではないようだ(偶然は必然だが)。あるとき審査委員会のひとりが、「今までヒップホップの影響を受けた作品を考慮してきたのに、なぜヒップホップそのものを考慮しないのか?」という疑問を投げかけたという。「だったらケンドリック・ラマーを検討すべき」という声が挙がり、すぐその場でダウンロードして皆で聴いてみたら、技術的に非常に素晴らしい重要作品だということで、ノミネートが決まったという。

アルバムのカヴァーアートでうつむくケンドリックの表情は、すっかり希望をなくし、鬱に陥ったような暗い悲壮感を漂わせ、シンプルな白いTシャツがそのどんよりした気持ちを際立たせる。そして裏ジャケの暗い表情は、怒りや恨みのエネルギーを発している。曲名を通して表現したというケンドリックの様々な感情に注目しながら、彼がこのアルバムでどんなメッセージを伝えようとしているのか、探ってみよう。

 

1. BLOOD.

それは邪悪さか?
それとも弱さなのか?
あなたが決めること
わたしたちは生きるのか、死ぬのか?

プロデューサーとしても参加するビーコンが、曲のテーマやヒントとなるメッセージを何曲かのイントロで歌っていくのだが、この1曲目のイントロは、邪悪さに身を委ねるか、それとも神に身を委ねて弱さを認めるのか、という非常に重要なアルバムのテーマを問いかけている。

本作には聖書の教えに触れるリリックがあり、このアルバムを理解する上で重要になってくるため、キリスト教におけるそれぞれの言葉の意味を調べてみた。「邪悪さ」とは、道徳的に間違っている、あるいは邪悪であるという状態のことであり、しばしば罪と結び付けられる。それは神の性質と意志に反する力である。

また「弱さ」は人間の経験の一部であり、神が人々の人生に働かれる機会となりうる。聖書は、弱さは神への依存を強め、信仰を強め、神を賛美することにつながると述べている。これらの意味を知ったうえでこのアルバムを聴くと、また違った視点でケンドリックの思考や視点を観察することができる。

ある日ケンドリックが道を歩いていると、盲目の女性が何か探し物をしている姿を見かけ、親切心から助けの手を差し伸べようとして、「何かなくされたようですが、見つけるのを手伝いしましょうか?」と話しかける。すると彼女は、「そうそう、あなたが失くしたのよ…あなたの命をね」と答えるや否やケンドリックに銃を放つという、衝撃的な展開で聴き手を驚かせる。

おそらくこの時に流した血がこの曲のタイトルになっているようだが、この女性はいったい何を象徴しているのだろうか? ケンドリックはここで命を失ってしまったのだろうか?

銃声の後に、2015年にケンドリックが披露した「Alright」のパフォーマンスに対し、保守派TV局のFOXニュースでレポーターのジェラルド・リヴェラが、文脈を理解しようともせずに批判した「警察の蛮行に関するこの曲で、ラマーは『俺たちはサツが大嫌い、マジでストリートで俺たちを殺そうとしてる』と述べています」というコメントが、空々しく響く。

BLOOD.

 

2. DNA.

2曲目では、ケンドリックのDNAにはどんな要素が入っているかを情熱的に説明していく。その中には、忠誠心、王族の血、戦争と平和、力、毒、痛み、喜び、野心、フロウ、富、闇、悪、セックス、カネ、殺人などが入っていて、良いものや悪いものもひっくるめてケンドリック・ラマーという人間を形作っている。そしてラッパーの常で、自分の裕福な暮らしやラッパーとしてのスキル自慢を並べていく。

ブリッジでは、前曲に続いてFOXニュースのジェラルド・リヴェラによる、知ったかぶりで無知な批判、「だから言ってるんですよ、ヒップホップは昨今の人種差別主義よりアフリカ系アメリカ人の若者にダメージを与えているとね」というコメントのサンプリングが登場する。しかしケンドリックはそれを否定するかのように、「俺のDNAには忠誠心、王族の血がある」という主張を、リヴェラの声の上に被せている。そして1961年にアメリカ初の宇宙飛行に成功した、マーキュリー3号が宇宙に飛び立つ際のカウントダウンをサンプリングで挿入して勢いづけ、2ヴァース目へと発射して攻撃を続ける。

この曲のMVも非常に興味深く、ここでケンドリックは、カンフー・ケニー(功夫肯尼)という新たなアルターエゴをデビューさせ、カンフーファッションで登場する(後にコンサートにもこのキャラで登場した)。そもそもこのカンフー・ケニーは、俳優ドン・チードルが映画『ラッシュアワー2』で演じたカンフーをマスターしたケニーというキャラから触発されたようだ。ちなみにカンフー映画は、アメリカ黒人の社会的、政治的抑圧の経験を反映していたことから、1970年代に黒人の観客に人気を博した。

MVにはチードルが警官役で登場し、「DNAは『死んだニガ同盟(Dead Nigga Association)の略だ』と言って「お前なんておしまいだ」と言わんばかりにケンドリックをあざ笑う。しかし彼はケンドリックに仕掛けた嘘発見器に触れると感電してしまい、そこからまるでケンドリックのDNAが乗り移ったかのように、共にラップしていく。

その後、ケンドリックは難なく釈放されてグラミー賞のトロフィーが並ぶ自宅に帰宅し、そこにスヌープと2パックの写真が飾られている。2ヴァース目では「セックス、カネ、殺人」というラインが2回繰り返されるのだが、これは黒人ラッパーに与えられた固定観念を皮肉って批判しているようにも感じられる。

またMVの最後では、ホーミーたちに囲まれ、スクールボーイ・Qがクサに火を点けてギャングサインを見せつけながら、ケンドリックが「俺のDNAにはリアルニガ(本物の男)が入ってる、女々しさなんて入っちゃいねえ」という、アルバムに入っていないラインをキメて、貫禄を見せる。

Kendrick Lamar – DNA.

 

3. YAH.

ヒップホップ創成期の立役者のひとりであり、ニューヨークDJのレジェンドであるキッド・カプリが登場し、意気揚々とカンフー・ケニーを紹介する。レジェンドではあるが、ケンドリックとの繋がりがいまいち想像しづらいカプリがなぜ選ばれたのか、ずっと気になっていた。するとラジオ番組の「Big Boy’s Neighborhood」で、その理由は「ヒップホップのハードコアで有機的、アンダーグラウンドな要素を出しつつ、耳に心地よいサウンドが欲しかったから」と答えている。

しかし威勢のいいカプリに比べ、どうやらまた元気がない様子のケンドリック。前の曲で「俺のDNAにはリアルなニガが入ってる」と誇り高く語っていたはずなのに、今度は「リアルなニガの症状だと診断された」と、まるでそれが病気であるかのように告白する。名声に有頂天になったり、インタヴューやニュースのネタにされる暮らしをしているうちに、探知機がそのネガティヴなエネルギーをとらえられるようになり、ケンドリックに警告を鳴らす。

『good kid, m.A.A.d city』では信心深い初老の女性によるイエスへの祈りに救われ、『To Pimp a Butterfly』ではホームレスの男性から聖書の教えを通して謙虚さを学んだりと、ケンドリックは毎回宗教的な教訓を、アルバムの核心に触れるテーマとして忍ばせている。この『DAMN.』も例外ではないようだ。

一見、「YEAH!(イェイ!)」のことかと思った「YAH.」という曲名は、実はヘブライ語で神の御名、ユダヤ教で唯一絶対の神である「Yahweh」のことであり、2ヴァース目にも、「宗教を支持しているわけじゃない/俺はイスラエライトだ、もう俺を黒人と呼ぶな」という興味深いラインがある。このイスラエライトは辞書を引くと、単にイスラエル人、ユダヤ人と出てくるが、聖書によれば「神に選ばれし民」であると同時に「呪われた民」でもあるという。どうやらこのコンセプトは、ケンドリックのイトコであるカールから影響を受けているようだが、詳しくは後ほど「FEAR.」という曲でカールが登場する際に明らかになっていく。

YAH.

 

4. ELEMENT.

再びキッド・カプリが登場し、「誰も俺のために祈っちゃいない/地球で起こったことは地球上にとどまる」という意味深な言葉とともに、また元気よくカンフー・ケニーのハイプマン(※)として登場する。この「地球で起こったことは地球上にとどまる(What happens on Earth stays on Earth)」という言葉は、このアルバムのCDケースの中にも印刷されており、このアルバムにとって重要な意味を持っているようだが、実は『DAMN.』の前にアルバムタイトルにしようと思っていた言葉だったという。

ここまでくると、どうやらこのアルバムでは、キッド・カプリの紹介で参上する意気揚々としているが時に敵意も感じさせる曲と、内省的でダークな曲が交互にやってくることに徐々に気づかされる。そして呪われた民であることを示唆した「YAH.」とは対照的に、いかに自分がラップに命をかけてきたか、最高のラッパーであるかをひたすら豪語していく。

中でも最初のヴァ―スにある「俺はインスタグラムのためじゃない、コンプトンのためにやるのさ」というラインは、SNS社会に象徴される承認欲求のためなどではなく(彼は滅多にSNSに参加しない)、いかに地元コンプトンのために死ぬ覚悟でヒップホップに身も心も捧げているかを表明していて、印象的だ。

またブリッジの「俺はやってもやらなくても呪われる、でもお前がやらなかったら俺たちみんな呪われる、ちくしょう、お前は列の先頭じゃないだろ、道を開けろ」というラインは、人生何をやっても袋小路のような苛立ちと絶望を感じさせる。そしてこの曲のMVは、暴力的なヴィジュアルが多いにも関わらず、スロウモーションの映像が思わず息を呑む美しさで、その芸術性の高さにあらためて感動させられる。

※ハイプマン:ヒップホップのコンサートでアーティストが登場する前に、観客を引きつけて盛り上げ、軌道に乗せるサポートをする人。ケンドリックも売れる前に、ジェイ・ロックのハイプマンを担当していた時代がある。

Kendrick Lamar – ELEMENT.

 

5. FEEL.

「ELEMENT.」から引き続き、「誰も彼のために祈ってくれない」という孤独感を、おそらくアルバムカヴァーの表情でもって、この曲のイントロで繰り返すケンドリック。しかしある女性も、「誰もわたしのために祈ってくれない」と、ケンドリックと交互に語っている。

この女性はチェルシー・ブライズという白人女性で、ケンドリックが所属するTDEと共同事業契約を交わすインタースコープ・レコーズのケンドリック担当のA&R(アーティストの発掘、育成、プロモーション等を担当する役職)コーディネイターだった人物ある。ケンドリックと一緒になって「誰も自分のために祈ってくれない」と唱えることで、音楽業界や彼のマネージメントチームでさえ別に彼のために祈らない、彼の幸福など気にかけていない、という皮肉が感じられる。

タイトルが示唆するように、この曲ではケンドリックが抱えるあらゆるネガティヴな心境を受け入れつつ、いかに自分がトップの座に君臨し、他のラッパーのレヴェルの低さをけなしながらも、結局は自分がいかに孤独に苦しんでいるかという結論にたどり着く。

なぁ、俺息ができない(※)気がするんだ
眠れない気がするんだ
無情な気分なんだ、成功しても
落ちていく感覚、バラバラに
華やかな暮らしに利用される空しさを感じてる

感情は有毒だ、悪霊とボクシングしてる気分だ
モンスター、偽りの預言者の悪巧み
スポンサー、業界の約束事

と、成功が何も約束してくれない虚しさに溺れ、弱音を吐く。

※息ができない:2014年にNYで、警官に禁止されているはずの首の締め技をかけられ、11回にわたって「息ができない」と訴えた末に窒息死した エリック・ガーナ―。2020年にミネアポリスで、警官に首の後ろに8分46秒間膝をついて圧迫され、 何度も「息ができない」と繰り返したが、 死亡したジョージ・フロイド。このふたりの黒人男性が殺された事件から、「息ができない(I can’t breathe)」というフレーズは、ブラック・ライヴズ・マター運動のスローガンにもなった。

FEEL.

 

6. LOYALTY. feat. Rihanna

「忠誠心」を求めるこの曲のイントロで、ブルーノ・マーズのパーティ賛歌「24K Magic」で歌うミスター・トークボックスの歌声がサンプリングされている。その声をチョップした上にさらに逆回転させることで、パーティに集まる女性の華やかさを皮肉るような、ケンドリックに寄せられた人気や信頼は上辺だけのもの、と言いたげなニュアンスを感じさせる。

不信感に苛まれ、精神的にどん底まで落ち込んだケンドリックが、今一番必要としているもの。それが忠誠心(LOYALTY)だ。このアルバムのハイライトのひとつでもあるこの曲では、それを強調するかのようにリアーナを客演に迎えている。

「誰も自分のために祈ってくれない」という悩みを解決するには、秘密結社のように絶対的に信頼できる忠誠心を持つ、ケンドリックのために祈ってくれる誠実な仲間が必要なのだ。ケンドリックは、夢にまで見た大いなる成功と名声と富を手に入れて有頂天になり、まわりに多くの人たちが集まってくるようになったが、その中に本当に信頼できる、自分のために祈ってくれる人がいるのだろうか?という不安と人間不信に苛まれる

リアーナと共演するMVでは、リアーナに復讐しようとする男と闘ってケンドリックが勝ち、ふたりは恋に落ちる。しかしお互いの忠誠心を確かめ合いながらも、ケンドリックは、結局は神こそが忠誠を尽くすべき最も重要な存在だという結論にたどり着く。リアーナは、謙虚でいることは非常に難しいが、神は彼女の努力を知っているという、信頼と安心感に着地している。

ケンドリックが所属していたTDEは、経済的に恵まれない家庭の子供たちにプレゼントするクリスマスのおもちゃを集めるために、毎年LA近郊のワッツ地区でクリスマスコンサートを行っている。『DAMN.』がリリースされた2017年のコンサートでは、リアーナが特別ゲストとして登場し、ケンドリックと「LOYALTY.」をパフォーマンスしている。

Kendrick Lamar – LOYALTY. ft. Rihanna

 

7. PRIDE.

愛はあなたを殺してしまう
でも、プライドはあなたと僕を死に追いやる

またしてもビーコンの教訓的、警告的なイントロで始まる「PRIDE.」で、ケンドリックは暗いトーンで自分のプライドについて内省しながら、内なる邪悪さと向かい合っていく。

ケンドリックはこのアルバムで、自分がいかに最高のラッパーかを繰り返し主張してきたが、その成功が彼にもたらすプライドはどうも、必ずしも彼を幸せにしていないことが、このダークな曲調からも伝わってくる。そして「俺は人に信頼を置くほど愛していない、信じているのは自分のリリックだ」と、殻に閉じこもったような発言をしている。

この精神状態をプライドと呼ぶのなら、なんと傲慢で、なんと寂しい心の状態であろうか。しかしケンドリックは、プライドを持つ現世では「人を気遣うことは教わったが、人と共有することは教わらなかった」と告白する。人を気遣う優しさは知っているのに、自分が手に入れた富や知恵を人と共有することなど、自分にはできないのだと。

そして「前世では人を気遣い、共有することはできていたのに」と続けている。ビーコンが言っている「プライドはあなたと僕を死に追いやる」というのは、この曲の中では邪悪さともとらえられるプライドが、いかに人を精神的な死に追いやるかを伝えようとしているのではないだろうか。

暗い語り口が続くヴァースの中でも、ケンドリックの声がラインごとに高くなったり低くなったり変動していることにも気づかされる。どうやら理想と行動のコントラスト、プライドと謙虚さの狭間で葛藤しているようだ。

自分の才能や出自に自信を持つ「プライド」自体は素晴らしいもののはずだが、ここではその度が過ぎることを問題ととらえているのかもしれない。また、日本語でいう「誇り」とは若干ニュアンスが異なるようだ。キリスト教の世界では、プライドは罪であり、7つの大罪(傲慢[プライド]、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲)のひとつとされている。自分を過剰に愛することと定義され、謙遜とは正反対のものと見なされている。また聖書は、「高慢は神を求める妨げになり、自分の欠点や神への必要性を見失わせる」と述べている。

PRIDE.

 

8. HUMBLE.

そして傲慢なプライドに続き、「謙虚さ」を意味するこの「HUMBLE.」は、このアルバムの中でも最もストリームされ、ライブでも最高に盛り上がる曲だ。しかし謙虚さを掲げるはずこの曲は、皮肉にも大ぼら吹きなリリックがずらりと並び、コーラスでは他のラッパーに「座れよ、謙虚になれ」と上から目線で挑戦状を叩きつけていて、謙虚とは正反対で、大きな矛盾を抱えているように感じられる。いったい何が起こっているのだろうか?

アルバムでは再び「誰も俺のために祈ってくれない」というラインで始まっているが、興味深いことに、この曲のMVでは、1曲目の「BLOOD.」で挙げたこのアルバムのテーマに立ち返り、「邪悪さか、それとも弱さなのか?」という問いに言い換えられている。

ジャズに傾倒した『To Pimp a Butterfly』では生演奏を尊重して、伝説のドラムマシーン808を使うことをご法度としていた。しかしこの「HUMBLE.」の「座れよ、謙虚になれ」というコーラスでは、ヘッドフォンをすると頭蓋骨が振動しそうな、808によるローエンドなベースドラムが際立っている。そしてこの曲のシグニチャーである「座れよ、謙虚になれ」というコーラスについて、ローリング・ストーン誌のインタヴューで「これは自分自身に語り掛けているのか?」と聞かれ、ケンドリックはこう答えている。

「そうだね。エゴだよ。このアルバムの曲名を見ると、これらはすべて俺の感情であり、俺という人間の自己表現なんだ。だからこのような曲を作った。『どうでもいいぜ』 とか、『俺をバカにすんな』 とリスナーに言っている。でも結局のところ、俺は鏡を見ているんだ」

他人に対して命令口調で言っているように聴こえる「座れよ、謙虚になれ」は、実は自分のエゴに向けて語られていたという、ケンドリックお得意の内省鏡トークだったのだ。

MVでは、アティチュードたっぷりだが宗教的な「最後の晩餐」や、近年はまともに水が流れたためしがないLAリヴァーからゴルフをしたり、映画『フライデイ』でいじめっこディーボのように自転車をこいだり、フォトショップで編集した美ではなく自然美を求めるラインや、高級感あるおフランスのマスタードをゲットー風にアレンジしたりと、喜劇的な要素を含んだユーモラスで、かつ映像的にも非常に楽しめる内容になっている。

ちなみにこの曲のMVは、デイヴ・マイヤーズというMV、広告、映画監督と、ザ・リトル・ホーミーズによって監督されている。ザ・リトル・ホーミーズとは、ケンドリックと、高校時代からのホーミーでケンドリックのビジネスパートナー、デイヴ・フリーから成る映像創作ユニットだ。

ふたりの共作MVは2010年の「Ignorance Is Bliss」にまで遡り、2015年に「Alright」のMTVビデオミュージックアウォーズで最優秀監督賞、2018年にこの「HUMBLE.」でグラミーの最優秀MV賞を受賞している。『DAMN.』収録曲のMVはすべて総合監督と共に彼らも監督していて、その完成度の高さと映像美は感嘆に値する。

Kendrick Lamar – HUMBLE.

 

9. LUST.

先述の「7つの大罪」で「プライド(傲慢)」とも並んでいた「欲望、色欲」を意味する非常に性的な「LUST.」では、再びダークな世界(とはいえ人間の基本的な欲望)に引きずり戻される。

最初のヴァースでは、男と女が、深くは考えず、目先の欲望にまかせて人生のシンプルな楽しみを淡々と繰り返しながら、欲望に取りつかれた状態を高揚感やドラッグ中毒に例えている。目当ての女性とはパートナーになりたいわけではなく、「俺を求めて欲しい、無理なお願いかな?」と囁く。彼女に求められる感情、欲望を満たしたいだけであって、彼女という人間を求めてなどいないのだ

次のヴァースでは矛先をケンドリック本人に向けている。ツアーの日々ではいつものルーティンを繰り返すだけで、自分を変えたいと思ってはいるが、結局は変われないまま。2016年の大統領選でドナルド・トランプが当選したニュースに沈み込み、変化を求める気持ちを抱いてみたものの、結局はまた同じルーティンに戻っていく。

欲望に突き動かされているうちに、すべてが矛盾であることに気づき、自己の存在を切望するようになる。そんな欲望はそのうち恐怖に変わり、ヤコブの手紙(新約聖書中の一書)に答えを見出す。

「不貞を行う仲間よ。この世(悪が支配する領域)を愛することは、神に敵対することだとわからないのですか。(神と友になる代わりに)世俗的な友人を大切にしたいなら、その人は自分を神の敵としているのです」

自分で願って手に入れようとするのが欲望であり、神に祈り、神に願い、それが与えられるのを待ち望むことで、焦りもなくなるのだと、ヤコブの手紙は諭している。これはキリスト教や聖書の教えを知らなければ、なかなか理解できないコンセプトだ。ケンドリックはこの手紙に、何を感じたのだろうか。

LUST.

 

10. LOVE feat. Zacari

「愛か、欲望か」という選択で「愛」を、そして「邪悪さか、弱さか」の選択では「弱さ」を選んだケンドリック。しかし「弱さ」(傷つきやすい自分を受け入れる強さ)が「愛」で、「欲望」が「邪悪さ」ととらえると、どうやらつじつまが合いはしないだろうか

おそらく必要としていた癒しをついに体験したからなのか、アルバムで初めて邪悪さも欲望も傲慢さも乗り越えて、前曲の「俺を求めて欲しい」と言っていた「LUST.」とは真逆の感情を表現した「LOVE.」で、「君と一緒にいたい」と純粋な愛情をパートナーに表現する。この曲は、ケンドリックが高校の頃から付き合っている長年のガールフレンド、婚約者であり、二人の子供の母親でもあるパートナー、ホイットニー・アルフォードに捧げたラブソングなのだろう。

単なる恋愛ではなく、物質的な満足感など超えた価値観がふたりを繋いでいるからこそ、ケンドリックは条件付きの愛ではなく、「君には愛してもらうよりむしろ『信頼』して欲しい」と本心を伝える。忠誠心を求めた「LOYALTY.」を思い起こさせながら、ふたりの間には愛より深い絆があることをリスナーに伝えている。

そして「君がいなければ、俺には何もない」と告白するラインは、ジェイムス・ブラウンが「It’s A Man’s Man’s Man’s World」で悲痛に叫ぶ、「ここは男が支配する世界/でも女性や恋人がいなければ、男なんて何の意味もない」と告白するラインを思い起こさせる。ここでもやはり、自分の弱さを認めることこそが、本当の強さなのではないかという結論にたどり着く。

[和訳MV] ケンドリック・ラマー – LOVE. feat. Zacari [公式] #lovedancechallenge

 

11. XXX. feat. U2

教訓的なメッセージを歌うビーコンがイントロに登場し、公平さなど存在しないアメリカの現実を皮肉ってこの曲は始まる。『DAMN.』は前の曲との関連性や対比が非常に重要な構成になっているが、成人向き指定(アダルト)を意味するX-ratedを連想させる「XXX.」は、愛を伝える前曲の「LOVE.」とはまったく対照的に、ノアの箱舟や聖母マリアの祈りなど、再び旧約聖書の教えを散りばめながら、アメリカ社会に氾濫する暴力や汚職、複雑な現実や精神的な混乱などを斬りさばいていく

1ヴァース目では、地上の人々の堕落を洪水で滅ぼし、神に正直に生きた人々を助けるために建設したノアの箱舟を、ケンドリックはゲットー育ちの黒人男性の視点で富と特権の象徴のように表現しながら、怖いもの知らずで人を殺すことも厭わない無情さを持つ、イトコのベイビー・キームを思わせるジョニーという人物を登場させている。

そして一人息子を殺されて取り乱した男が、まるで「Sing About Me」のように、「俺のために祈ってくれるか?」とKドットにすがりつき、ドットは「聖なる塗油」で清めてもらったから神から癒しをもらったのだと信じている。そんなドットは、犯罪と殺人が氾濫するストリートで、俺の家族に指一本触れようものなら撃ち殺す覚悟があると豪語する。

しかしその舌の根も乾かないうちに、しれっと「よーし、子供たち、銃規制について話そうか」と語りかけるケンドリック。するとU2のボノが登場し、鳴りやまない銃声を「ドラム&ベースのサウンド」に例え、銃暴力が絶えないアメリカ社会を描写する

2ヴァース目では、聖母マリアの祈りに2パックの「Hail Mary」(『Makaveli』)を髣髴とさせ、国内だけでなく外交政策も爆弾に象徴されるような暴力で解決するアメリカを批判しながら、その影響を受けて脅迫障害になっている子供たちの現実を指摘する。ストリートでの殺人とウォール・ストリートの殺人(闇)を並べ、トランプを大統領に迎えた悲劇を憂い、オバマ時代を追憶する。

そして「アメリカは正直か? それとも俺たちは罪を浴びているのか?」と問いかけながら、『To Pimp A Butterfly』の「Hood Politics」でも触れたギャングと政党の類似点を取り上げて、国がフッドに銃を持ち込んでいるというのに、黒人に恐怖を抱かせる右派メディアの洗脳報道に触れて、「アメリカは俺の反射さ、それが鏡の仕事」と締めくくる。

この「それが鏡の仕事(that’s what a mirror does)」を、非常に巧妙に「それがアメリカの仕事さ(that’s what Ameri-does)」と聞こえるように発音することで、鏡は必ずしも真実を映し出さず、それはアメリカも同じであることを示唆するこのパンチラインには、思わず唸らされる。

XXX.

 

12. FEAR.

本作の中でも7分40秒と最も長い「FEAR.」では、ケンドリックが7歳、17歳、27歳の時に経験した恐怖が描かれている。そして「生まれてこのかたずっと腹が減っていた」という、24カラット・ブラックの「Poverty’s Paradise(貧乏人の楽園)」(1973年)からの、魂を揺さぶるような切ない曲のサンプリングで幕を開ける。

そして3曲目の「YAH.」にも登場したケンドリックのイトコのカールが、このアルバムで非常に重要な役割を果たし、留守番電話のメッセージが流れてくる。

「最近いろいろ考え事してるだろ。誰もお前のために祈ってないと感じてることも知ってる。でもいいか、俺たちは『呪われた民』なんだ。申命記第28章28節には、『主は、汝を狂気と盲目と心の驚きで打たれる』とある。いいか、家族よ。だからお前は喧嘩腰な態度を取るんだよ。主の戒めに従うまでは、その気持ちは変わらないのさ…」

そしてケンドリックのもうひとりのイトコであり、コンプトン出身のラッパーであるアモウ・ザ・ウォーチャイルド(銃弾という名の戦争に育てられた子供)が、非常に印象的な低い声で神に深い苦悩を告白する。客演に実のイトコが2人も登場するところも、ケンドリックにとっていかに家族が重要であるかをうかがわせる。

神よ、なぜ俺は苦しまなければならないのか?
心の痛みが重荷を背負い、苦しみに満ちている
神よ、なぜ俺は血を流さなければならないのか?
あなたに投げつけられたすべての石が、俺の足元にある
神よ、なぜ俺は苦しまなければならないのか?
地球はもう終わりだ、このクソ野郎を燃やしてくれないか?
この地球でやってけるとは思えない

すると今度は同じ言葉を語るケンドリックのヴォーカルが、逆回転で流れ出す。この発想には思わず圧倒されるが、続くヴァースで7歳、17歳、27歳の時のケンドリックに溯るために時間を巻き戻しているようにも、あまりの苦しみにのたうち回る様子を表しているようにも感じられる。

最初のヴァースでは、何をするにも「あんたのお尻をぶつよ!」と脅す厳格な母の下、7歳のケンドリックがいかに恐怖を刷り込まれて育ったかを振り返る。両親、特に母親に見捨てられることは生存の危機に直結する子供にとっては、どれだけの恐怖であったろうか。

背後に流れる「生まれてこのかたずっと腹が減っていた」というサンプリングが、貧困を極めていた生活環境の様子も忍ばせる。クサを吸わないと決めたケンドリックだが、「もし吸って恐怖を取り除けるなら、そいつを巻くぜ」とハイになった気分で歌うコーラスには、哀愁が漂っている

次はビーニー・シーゲルの「Die」(1999年)を大ネタ使いして、17歳のケンドリックは、自分は「無名のまま、ハウスパーティでビッチとヤりながら、敵のブロックに足を踏み入れて派手なことして、殺されるのを待って、ホーミーが言い争ってる噂を広めて、死ぬだろう」と、自分が死ぬシチュエーションをいくつも想像しているのだが、要するに何をするにしても常に死の恐怖を抱えていた現実を告白している。その中には、病気や寿命で死ぬ可能性は考えられていない。しかもその状況を、「17だったらありがちなこと、すべての不安が急いでる、自分でコントロールできればいいのに」と諦めきった声で語っている。

そして『DAMN.』リリース当時29歳だったケンドリックは、27歳になった頃にはさらに積み重なっていた恐怖を振り返る。『good Kid, M.A.A.D City』や『To Pimp a Butterfly』であれだけの成功を収めても、人から受ける称賛を否定し、想像を絶する大金にとまどって使うことを恐れ、母がイライラしていた貧困生活に戻る恐怖に怯え、人を信じられずにいた27歳のケンドリックにとって、最大の恐怖は「すべてを失うこと」であり、「人に評価されること」だった。自分をキングと呼んで自信満々な態度を見せ、他のラッパーをディスってすごんでいたにも関わらず、だ。実は恐怖ゆえに強がらずにはいられなかったのだろうか?

また、今度は『DAMN.』で取り上げられた曲名やテーマをリリックに組み込んだヴァースで、アルバムの趣旨をあらためて表明することで、これらの曲名は彼が葛藤してきた感情であり、それらがいかに「恐怖」に突き動かされていたかが浮き彫りになる。

さらに3ヴァース目の以下のラインで、元々はアルバムタイトルにする予定だった「地球で起きたことは地球にとどまる」には、実はケンドリックが天に召された後にも、彼の作品に込められた想いや葛藤が、世に広まって人々の助けとなることを望んでいることが判明してくる。

恐怖、地球で起きたことは地球にとどまる
この感情はあの世には持っていけない、だから願わくば散っていってほしい(広めたい)
アルバムに収められた14曲の中で
誰かが戻ってくるまで、決意を探している
恐怖、地球で起きたことは地球にとどまる
この感情はあの世には持っていけない、だから願わくば散っていってほしい
レコードに流れる14曲の中で、
俺は恐怖の中で生きているのか、それともラップの中で生きているのか
ちくしょう(Damn)

ちなみに、ケンドリックがまだ無名で貧しかった高校生の頃から支えてきた、もう20年以上の付き合いになるホイットニー・アルフォードについて、婚約後、2015年のインタヴューで尋ねられたことがある。私生活はあまり明かさないケンドリックだが、彼女との繋がりはレーベルの必要性をも超越していて、自分の恋人というより、彼にとっての「親友」であると答えている。さらに「彼女は俺が恐れていること(Fears)を打ち明けられる相手なんだ」と語り、自分を常に支えてきてくれた女性に忠実である必要性を語っている。

3曲目の「YAH.」で、ケンドリックはイスラエライトだと語っていたが、ここでまたイトコのカールの留守電が流れ、この世代にかけられた『呪い』の全貌が明らかになる。アメリカが原住民や移民、マイノリティを抑圧してきた歴史を紐解くカールの解釈を提供し、いかに信仰心が彼らの考え方に深く影響を与えているかがうかがえる。

(アモス書(旧約聖書)第3章)2節には
『地のもろもろのやからのうちで、わたしはただ、あなた方だけを知った。
それゆえ、わたしはあなたがたの
もろもろの罪のため、あなたがたを罰する』と書かれている
これらの戒めに立ち返るまで
俺たちはこのように感じ、この『呪い』の下に置かれる。
主が俺たちを罰すると言われたから
いわゆる黒人、ヒスパニック、ネイティブ・アメリカン・インディアンは
真の『イスラエルの子』(イスラエライト)なんだ
聖書によれば、俺たちはイスラエルの民
イスラエルの子供たちだ
主は俺たちの咎(とが)と不従順のために俺たちを罰するつもりだ
他の神々に従うことを選んだからだ
人が自分の子を懲らしめるように、あなたの神、主もあなたを懲らしめられる
あなたが自分の息子を懲らしめるように、主もあなたを懲らしめられる
主はあなたを愛しておられるからだ
だから、俺たちは今のような立場にいるんだ
これらの律法、法令、戒めに立ち戻るまで
主が言われることを行うまで、俺たちはこれらの呪いをかけられる
俺たちが生きるこの人生において、より底辺に置かれることになる
ここで、今日、アメリカ合衆国でな
家族よ、愛してるぜ、お前のために祈ってるよ
神の祝福を
シャローム(ヘブライ語でユダヤ人の別れの言葉)」

FEAR.

 

13. GOD.

「恐怖」の次に迎えるのが、この「神」だ。長年の努力が実ってやっと手に入れた成功に、「ああ、神ってこういう風に感じてるんだ」と神の境地に達したかのように感慨深く立ち止まる。同時に「俺を評価するな」とも訴える。これは「FEAR.」で、ケンドリックが最大の恐怖は「人に評価されること」だと言っていたことを思い起こさせるが、もしかしたら神に、「罪人である自分を、どうか評価しないでください」という気持ちも込められているのかもしれない

カールを通して神に従うことの重要さを知ったケンドリックは、人生を通して彼を苦しめてきた恐れ、呪いを克服し、ついに心の自由を手に入れることができたようだ。今まであらゆる恐怖に苦しめられてきたケンドリックだが、神だけが唯一、常に恐れるべき、畏敬の念を抱くべき存在ではなかったか。

アメリカではキリスト教徒である人を、よく「God fearing」な人と表現する。これは「神を恐れる」という意味だけでなく、「信心深い、敬けんな」という意味でも使われる。神を信じて畏敬の念を抱くことが、この国における多くの信心深い人たちの精神や人生を支えていて、だからこそある意味、芯をしっかり持って強くいれるのではないかとも感じている。

GOD.

 

14. DUCKWORTH.

ケンドリックが紆余曲折しながらたどり着いた境地を伝えるビーコンのイントロが、悟りを表している。本当の敵は、自分の中にいたのだ。

いつだって『自分対世界』の闘いだった
それが『自分対自分』だとわかるまでは

ケンドリック・ラマー・ダックワース。彼の本名の苗字をタイトルにしたこの曲で明かされる、TDEの創始者であるアンソニー“トップ・ドッグ”ティフィスと、ケンドリックの父親ダッキーの衝撃的、かつ運命的な過去は、『To Pimp a Butterfly』の「Mortal Man」で2パックをインタヴューで登場させたときの衝撃に、勝るとも劣らない。

ケンドリックは名声を得る前に、地元で苦難と危険に満ちた暮らしを送っていた。しかしこの曲では、ラッパー、ケンドリック・ラマーは、ふとした運命のいたずらから生まれたことが明らかになる。

ワッツ地区ニッカ―ソン・ガーデン・プロジェクト(LA最大の低所得者用公営団地[2階建て])出身のアンソニーは、7人兄弟の長男で、母はクラック中毒、親戚はピンプやギャングという環境の中、貧困を極める暮らしを送っていた。生きるために15歳の頃からドラッグを売り始め、20歳になる頃には100万ドル稼ぎ出す一流ハスラーになっていた。殺人事件で逮捕されるも訴訟に勝ち、警察にこの場を去れと言われても無視して、ある日ケンタッキー・フライド・チキンに出かける。

ここのケンタッキーには、肌の色が薄くよく喋るダッキーという男がいた。シカゴのストリート出身、貧困や犯罪で悪名高いロバート・テイラー・ホームズ(低所得者用公営団地[高層])に住んでギャングにも所属していたが、ある女性と500ドルだけ持ってカリフォルニアに移り住む。生まれた息子を大学に行かせたくて、ケンタッキーで働く傍らハスラー業もしながら生活を立てていた。

アンソニーは、プロジェクトの向かい側にあった強盗を企てていたケンタッキーで、以前にも強盗したことがあった。彼の良い面を信じてうまくやっていこうと考えたダッキーは、アンソニーが来る度に毎回無料でチキンと、ビスケットを多めにあげていた。そんなダッキーが好きだったアンソニーは、強盗をした際にもダッキーを殺さなかった。

その20年後、今やTDEの創始者として知られるアンソニー“トップ・ドッグ”ティフィスのスタジオで、ケンドリックはレコーディングをしていた。ある日息子の様子を見にスタジオを訪れたダッキーは、“トップ・ドッグ”がアンソニーと同一人物だったことを知ってびっくり仰天し、ふたりを引き合わせた運命のいたずらに思わず大笑いする。

もしもあのチキン事件でアンソニーがダッキーを殺していたら、終身刑でTDEなど存在しなかったかもしれないし、ケンドリックは父親を知らずに育ち、銃撃戦で命を落としていたかもしれず、偉大なるラッパー、ケンドリック・ラマーは存在していなかったかもしれないのだ。

そこで銃声が鳴り響き、オーディオが再び逆回転で流れ、「LOYALTY.(忠誠心)」の「俺には忠誠心がある」のラインが流れた後に、ケンドリックが盲目の女性に撃たれた「BLOOD.」のイントロまで一気に巻き戻される。『good kid, m.A.A.d city』のエンディングで使われた映画のループ構成を思い起こさせるが、今作のエンディングでは、アンソニーとダッキーに起こった偶然という名の運命の不思議に、神の采配を感じずにはいられない。唐突に表れたように思える「DUCKWORTH.」が、「GOD.」の後に意図的に選ばれたことにも納得がいく。

DUCKWORTH.

 

『DAMN.』というアルバムは、喜びを得るには苦しみを避けることはできず、苦しみを乗り越えるからこそ得られる成長と喜びを、ケンドリックが神の教えと、人生の葛藤とその悟りを通して、映画のように、そして鏡のように見せてくれているのかもしれない。

2011年にケンドリックにインタヴューした際に、東日本大震災で多くの被害者が出た日本の人たちへのメッセージをお願いしたことがある。自然災害は経験したことがないが、コンプトンでホーミーが死んだ時の気持ちを思い浮かべながら相手の痛みを想像し、最後に「逆境はあなたを強くするだけ(what doesn’t kill you makes you stronger / 直訳: あなたを殺さない程度の苦しみはあなたを強くする)」というメッセージで励ましてくれた。

正直、その時はけっこう厳しいメッセージだなと思った。しかし彼の生きてきた環境を知れば、彼の経験が生み出した精いっぱいの思いやりだったことが分かる。そして彼のメッセージを後で何気に調べてみたら、実はドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの名言だったと知り、驚愕した(カニエやジェイ・Zもリリックに使っている)。

ニーチェの名言でもあるが、社会的および/または経済的に不利な環境で育った人たち、多くのヒップホップ・アーティストが、より深い共感を覚える言葉なのかもしれない。いずれにせよ、あらためて文学としてのヒップホップのレヴェルの高さに感動したと同時に、正直、ピューリッツァー賞がこの音楽文化の偉大さに追いつくのに50年近くもかかったのか、とも感じた。それをケンドリックがこの『DAMN.』で実現してくれたのだ。なんとも感慨深いではないか。

Written By 塚田桂子

参考資料:Kendrick Lamar: The Rolling Stone Interview:https://www.rollingstone.com/music/music-features/kendrick-lamar-the-rolling-stone-interview-199817/

『バタフライ・エフェクト; ケンドリック・ラマー伝』(河出書房新社)マーカス・J・ムーア (著), 塚田桂子 (翻訳)

ヤコブ4章1~6節 「なぜ戦いや争いがあるのか」https://otawara-church.com/?p=2555

アモス書 https://www.wordproject.org/bibles/jp/30/3.htm#0


ケンドリック・ラマ―『DAMN.』
2017年4月14日発売
CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / YouTube Music / Amazon Music


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