Join us

Columns

今から間に合うケンドリック・ラマー入門:スーパーボウルに出演するラッパーの何が凄いのか?

Published on

Photo: Larry Busacca/Getty Images for Coachella

2015年に発売した3rdアルバム『To Pimp a Butterfly』以降発売した全てのアルバムすべてが全米1位を獲得し、2024年5月にリリースしたシングル「Not Like Us」が大ヒットを記録し、11月にはアルバム『GNX』をサプライズリリースするなど話題が続いているケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)。

日本時間2025年2月10日に開催されるアメリカ最大の視聴率を誇る第59回NFLスーパーボウルのハーフタイムショーでの出演が決定している彼について池城美菜子による短期連載をスタート。第1回は、改めてケンドリックについて解説いただきました。

<関連記事>
ケンドリック・ラマー『GNX』解説
ケンドリック・ラマーが今、単独でスーパーボウル・ハーフタイムショーに出演する意義
ケンドリック・ラマーのベスト・ソング30:頂点に上り詰めたラッパーによる名曲


 

よく名前を耳にするけれど、いまひとつ実像がつかみづらいラッパーが、ケンドリック・ラマーかもしれない。理由はいくつかある。エミネムみたいに、コーラスが派手な代表曲があるわけではない。スヌープみたいに、声とフロー、キャラクターの強さで広く認知されているわけでもない。ヒップホップのコアなファンや評論家、音楽メディアには手放しでほめられるけれど、「たまにラップも聴く」くらいだと、その真髄がわかりづらいタイプだろう。つまり、小難しい。

ちなみに、カタカナで「ケンドリック・ラマー」と検索ワードに入力すると、「凄さ」という言葉がセットで上がってくる。「何が凄いのか、教えてほしい」とのニーズが多いのだ。天邪鬼だと思いつつ返すと、その「わかりづらさが、ケンドリック・ラマーの凄さ」なのだが。この記事ではケンドリックの基本情報を整理しながら、その凄さを浮き彫りにしてみる。

 

治安が最悪だったコンプトンで育まれた才能

ケンドリック・ラマーを理解する鍵は、まず生い立ちを知り、その心情を想像できるかどうかだと思う。彼は1987年6月17日、ロサンゼルスのコンプトンで生まれている。敬愛する2パック・シャクールが1971年6月16年生まれだから、1日ちがい。LAのダウンタウンの南側に位置するコンプトンは、米国でも古い街だ。ケンドリックが生まれた80年代は住民の7割を黒人が占めていた。それが90年代に50%になり、いまでは4分の1の25%。その代わり、スペイン語を話すラティーノが7割を占めるように。全米の人種別人口比で黒人は15%であるので、多いことには変わりはない。

彼が生まれた80年代からヒップホップがメインストリームになった90年代前半までは、安価なドラッグ、クラックが流行した時代でもあった。違法な薬物売買で大金をつかむために黒人やラテン系住民が多く住む地域では、ギャングの若年化が進む。ロサンゼルスはその最たる場所だった。

公式には50歳を超えたヒップホップを、人種や国境を超えて広めたのがサブ・ジャンルであるギャングスタ・ラップだ。ギャングの構成員としてライフスタイルと、若い黒人男性を目の敵にする警察への憎悪がリリックの核。ギャングスタ・ラップは東海岸のペンシルバニア州フィラデルフィアで生まれたが、爆発的に売り広めたのはロサンゼルスやオークランドの西海岸のラッパーだ。「怒れる黒人たち」とも意訳できるグループ名をもつN.W.A.のメンバーのほとんど、ドクター・ドレー、イージー・E、MCレン、DJイェラがコンプトンで生まれている。

Gファンクの父、DJクィック、ケンドリックと近い年代にはYGやタイガ、若手ではロディ・リッチもコンプトン出身。最新作『GNX』に参加しているDJマスタードも、同郷だ。NBAやNFLのアスリートも多く輩出している。テニスのウィリアムズ姉妹も子ども時代に住んでいたので、父・リチャードの奮闘を描いた映画『ドリーム・プラン』を鑑賞すると、ケンドリックが育った頃の様子がわかりやすい。劇中のウィリアムズ家のように、暮らし向きがよくなったら治安のいい地域に引っ越す人は多かった。

N.W.A. – Straight Outta Compton (Official Music Video)

 

ロサンゼルス暴動と父・ケニーの奮闘

ロサンゼルスは、歴史的に人種間の軋轢が激しかった土地だ。公民権運動が盛んだった1965年に隣のワッツ市(のちにLAに吸収)で6日間にわたるワッツ暴動が、1992年にはコンプトンの隣のサウス・セントラル地区から端を発してロサンゼルス暴動が起きている。同じく6日間続いたロサンゼルス暴動は死者63名を出し、略奪による打ちこわしや火災が起きる惨事となった。5歳だったケンドリックは、店頭が壊され、あちこちから火の手が上がった様子を目撃。この時の印象が、のちの彼の人生観に大きく影響している。

彼の両親はシカゴ出身。父のケニーは元ギャングだったが、成績がオールAの長男には周りの影響を受けさせないと手を尽くす。教会に連れて行き、ゴスペルを中心に聴かせるなど厳しく育てたのだ。

「生まれも育ちもコンプトン」は、ラッパーとしての正統なバックグラウンドとして箔がつく。だが、ジェイ・Zやナズのようなニューヨークのプロジェクト育ちと同様、幼なじみの多くが刑務所に入ったり、亡くなったりする経験をもつことをも意味する。アメリカのギャングは、逮捕されても量刑が軽くなる未成年が最前線に立たされがちだ。高校時代のケンドリックも、同調圧力に負けて巻き込まれそうになる。それを阻止したのは、やはり父・ケニーであった。

 

高校生ラッパーと『Section. 80』

高校時代にケンドリックはK・ドットという名でラッパーとしての活動を本格化させ、ミックステープ作りを始める。始めた当時は大流行していたジェイ・Zやリル・ウェインのフローをまねしていたが、徐々に自分のスタイルを確立。まず、友人のデイヴ・フリーと活動を始め、15歳でトップ・ドッグ・エンターテイメント(以下、TDE)と契約して土台を固める。00年代ミックステープ4枚を作り、地元や業界筋から注目を集めた。デフ・ジャムとソングライターとして契約にこぎつけたが、ジェイ・Zはアーティストとして彼と契約するのを見送っている。

2011年のデビュー作『Section.80』のタイトルは、「80年代生まれ」との意味と、米国政府による家賃サポート・システム「セクション8」を掛けたもの。これは、世帯収入がその地域の平均の半分を切る家庭や、障がい者の人々に向けた家賃の一部を援助する福祉政策だ。ケンドリックは、タイトルで端的に貧しい家庭で育ったことを示したのだ。

TDE関係のプロデューサーを中心に作られたトラックはジャズを多めに引用して、大人びたデビュー作でもあった。それが、レーガン大統領が率いた80〜90年代のアメリカにおいて、インナーシティで育つのはどういう経験だったか、22歳の彼にどういう価値観をもたらしたかというテーマにハマり、注目を集めた。

HiiiPower

 

2010年代前半のシーンと『good kid, m.A.A.d city』

翌年、正式にドクター・ドレーのアフターマス・エンターテインメント/インタースコープと契約。2作目『good kid, m.A.A.d city』でメジャー・デビューを果たす。アメリカ大陸の反対側にいた筆者がケンドリック・ラマーの名前をはっきり認識したのも、このアルバムだ。

『Section 80』よりも、ウエストコーストのシーンを感じさせるサウンド。コンプトンという「狂った街」で育った「良い子」である自分の経験、メンタリティーの描写は前作から始めていた。さらに、周りについ流されてしまう同調圧力(「The Art of Peer Pressure」)や、生きづらさをお酒で紛らわせる弊害(「Swimming Pools (Drank)」)など、より多くの人がわかるトピックも扱っていた。タイラー・ザ・クリエイター率いるオッド・フーチャー周辺から、「オルタナなのに大人気」という動きがヒップホップ、R&Bともに出てきて話題をさらっていた時期だ。さらにケンドリックが出てきて西海岸の勢いを決定づけた。

Kendrick Lamar – Swimming Pools (Drank)

筆者は、最初からケンドリックの才能が突出していると見抜いたわけではない。アトランタの勃興とともに西海岸の変化、とくに自分の内面を吐露するラップが増えてきたことを新鮮に感じつつ、住んでいたニューヨーク近辺のASAPファミリーや、ジョーイ・バッダスの動向のほうが身近でもあった。ケンドリック・ラマーのラップも、一番よく耳にしたのはASAPロッキーの「F**kin’ Problems」だった。ドレイクとアトランタの2チェインズ、ケンドリックとロッキーのマイク・リレーが聴けるポッセ・カットだ。

A$AP ROCKY – F**kin' Problems ft. Drake, 2 Chainz, Kendrick Lamar

メジャー・デビュー作にあたる『good kid, m.A.A.d city』は、長く聴くにつれてより良さがわかってくるタイプのアルバムだった。グラミー賞で7部門もノミネートされたにもかかわらず、無冠に終わったのは驚いたし、腹が立った。これは多くのヒップホップ・ファンの反応であり、最優秀新人賞と最優秀ラップ・アルバムが、よりポップなヒップホップ・デュオ、マックルモア&ライアン・ルイスが受賞したことで、大論争が巻き起きた。

ちなみに、2024年、ビーフのニュースで席巻したドレイクとケンドリックは、最初から不仲だったわけではない。「F**kin’ Problems」以前、2011年のドレイクのセカンド・アルバム『Take Care』にケンドリックは参加しており、そのお返しとばかり『good kid, m.A.A.d city』ではドレイクが「Poetic Justice」でゲスト参加したし、先に売れたドレイクは自らの「Club Paradise Tour」でロッキーとケンドリックをオープニング・アクトとして起用している。

Buried Alive Interlude

だが、2013年のビッグ・ショーンの「Control」に参加した際、ケンドリックはドレイクのみならず、タイラー・ザ・クリエイター、J.コール、ロッキーを含む10人近くのライバルたちの名前を入れて、「I got love for you all, but I’m tryna murder you ni**as / お前らのことは好きだけど 皆殺しにしてやるよ」と、好戦的なヴァースを展開、少しイメージが変わった。シーンを盛り上げるために強気に出ただけとも取れるが、誤解さえ恐れず言葉で斬っていく様は11年後のビーフとも通じる。

Big Sean – Control f. Kendrick Lamar & Jay Electronica

 

『To Pimp a Butterfly』でより文学的に

サード・アルバム『To Pimp a Butterfly』で、ケンドリックは、さらなる脱皮を果たす。アルバムごとにトラックの傾向が変わるのも彼の特徴であり、強みだ。ジャズ畑からロバート・グラスパーやカマシ・ワシントンを招いたこの作品は、ジャズに加えてソウルとファンクの色が濃く、黒人音楽の歴史を意図的に取り入れて高く評価された。

アルバム全体の解説は塚田 桂子さんがすでにまとめているので、ここではシングルでドロップした「i」を中心に短評を。アイズレー・ブラザーズの「That Lady」をサンプリング、さらにロナルド・アイズレー本人をフィーチャーしたソウルフルなトラックと、「I love myself(自分が大好きだ)」と自己肯定感に満ちたリリックが共感を呼び、第57回グラミー賞の最優秀ラップ・ソングとラップ・パフォーマンス部門を制した。

ただし、この「I love myself」も丁寧に聴くと自暴自棄を経たように響く。K.ドットの特徴は、そのいくえにも織り込まれた意味、複雑さだ。ミュージック・ビデオでは子ども時代から目にした警官の暴力のシーンもあり、夜のシーンは緊迫感が漂う。それでも彼は終始、踊り続ける。シングルのアートワークは、それぞれ赤と青の服を着た黒人男性がハートを形作った両手だ。これは、カラー・ギャングのブラッズとクリップスの和解を促したものと大方のファンは理解している。

Kendrick Lamar – i (Official Video)

黒人奴隷の生涯を描いた『ルーツ』の主人公、クンタ・キンテを引き合いに出した「King Kunta」があったり、「警官はあいかわらず暴力をふるってくるけれど大丈夫だよ」と励ます「Alright」がヒットしたりと、とくに社会的なコメンタリーがクローズアップされ、コンシャス・ラップの作品として評価された。

「King Kunta」のミュージック・ビデオはコンプトンで撮影され、ケンドリックの知り合いが出演している。論争に驚いたのか、『To Pimp a Butterfly』は2016年のグラミー賞で11部門にノミネートされ、5部門を獲った。だが、主要4部門は逃している。

Kendrick Lamar – King Kunta

 

『DAMN.』の前代未聞のからくり

コンピレーション・アルバム扱いの実験的な『untitled unmastered.』を挟み、2017年4月14日にリリースされた4作目『DAMN.』は、リリース前から大いに盛り上がった。この盛り上がり自体、メジャー・デビューから5年が経ち、ケンドリック・ラマーが着実にトップスターの仲間入りを果たした事実を示していた。「DNA.」や「HUMBLE.」、リアーナとの「LOYALTY.」など聴きやすい曲が多かったため、音楽メディアからの高評価を得つつ、商業的にも成功した作品である。多くの音楽メディアから2017年のベスト・アルバムに選ばれもした。

リリースからちょうど1年後、ポピュラー・ミュージックでは初となるピューリッツァー賞音楽部門を受賞した。2008年にボブ・ディランが受賞したのはピューリッツァー賞の特別賞である。グラミー賞より40年も古い、もとは優れたジャーナリズムにたいして贈られる権威のある賞。『DAMN.』の歌詞が、時代を鋭く切り取っている点が評価されたのだ。

タイトルは罵り言葉であるが、使うシーンによって「ちくしょう」、「チェッ」、「うわぁ!」のどれにでもなり、汎用性が高い。加えて、キリスト教では神様が人間を地獄に落とす、という呪いの言葉でもある。ケンドリックのオルター・エゴ、カンフー・ケニーの人生が神に呪われている、というコンセプトなのだ。ケンドリックの虚な表情を映したアートワークと多くの取り方ができるタイトルのせいで、リリースされた直後はアルバム全体を貫く真意に気づく人はアメリカでも多くなかったと記憶している。

BLOOD.

カンフー・ケニーが親切心から盲目の老女に声をかけ、発砲される「BLOOD.」からアルバムは始まる。この老女が旧約聖書の一書『申命記』からヒントを得ていて、神様だったと解釈すると頭から聴いても、曲順を逆さにした『DAMN. COLLECTORS EDITION.』通りに最後の曲から聴いても、ケニーの人生は悲劇に見舞われる。「LUST. (淫蕩)」、「PRIDE.(傲慢)」という、キリスト教における7つの大罪と丸かぶりの曲名もある。

Kendrick Lamar – LOYALTY. ft. Rihanna

黒人として受け継いでいる「DNA.」や、「LOYALTY.(忠誠心)」、「LOVE.」といった曲もあるが、自らを罪深き者と捉える姿勢がつねにつきまとう。彼のラストネーム「Duckworth」を冠する締めの曲は、TDEの社長であるアンソニー“トップ・ドッグ”ティフスが90年代に、父親のケニーが働いていたKFCで強盗を働いて殺人を犯してもおかしくなかった、という話が土台だ。もし、そうなっていればアンソニーは刑務所に入ってTDEというレーベルからケンドリックやSZAを世に送り出せなかっただろうし、ケンドリックは父親なしで育ったはずだ。その事態を免れたにもかかわらず、結局、老婆の姿をした神に制裁を受ける、というオチに戦慄する。

DUCKWORTH.

 

哲学者:ケンドリック・ラマー

「ラッパー」の肩書きには、ある種のスティグマ、烙印がついて回る。華やかな存在ではあるが、社会のルールを軽んじていそうな、国家権力から嫌われそうなイメージがある。とくに、警察や裁判所との反目をテーマにしているアメリカの有色人種のラッパーはそのイメージを持たれる。

ケンドリック・ラマーも「BLOOD.」で「And we hate the popo, wanna kill us in the street fo’ sho’/ 警察なんて大嫌いだ  たしかに俺らをストリートで殺したがっている」とラップしている。社会的にけっして恵まれた環境にいないのに、いや、いないからこそ芸術的に優れた曲を作り続ける。みなが行間を探り、文脈を読み取ろうと夢中になるほど奥深く、高度なラップを紡ぎ続ける彼は、端的にいって天才だ。先輩のナズや敬愛する2パックが礎を作った、文学性の高いヒップホップを継承しつつ、そこに宗教観、人生観を織り込んで哲学の域まで高めたのだ。

BLOOD.

2020年代に入ってドロップした『Mr. Morale & the Big Steppers』ではアメリカの黒人の負を部分もえぐり出し、ドレイクとのビーフを経た最新作『GNX』では神と対話では好戦的な自分を反省しつつ、アルバム全体に攻撃の針が仕組まれている。あいわからず、凝りに凝っているのだ。

「ケンドリック・ラマー入門」と銘打ったわりには、あまりわかりやすい文章にできなかった。ポップ・カルチャーでも、わかりやすくまとめたり、切り取ったりできるものがもてはやされるなか、それを許さないのがケンドリック・ラマーの音楽であり、パフォーマンスだ。

一方、深く掘り下げなくても、彼のフローだけでアルバムごと楽しめるのも事実。2025年2月10日、最高視聴率が約束されている13分強のパフォーマンスが楽しみだ。

Written By 池城 美菜子 (noteはこちら)


ケンドリック・ラマ―『GNX』
2024年11月22日発売
iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music


Share this story
Share
日本版uDiscoverSNSをフォローして最新情報をGET!!

uDiscover store

Don't Miss