ヒップホップと資本主義:なぜ、そこまで金銭にこだわるのか【#HIPHOP50】
1973年8月11日はヒップホップ誕生日とされている。クール・ハークと妹のシンディ・キャンベルが、ニューヨークのブロンクスでパーティーを開き、ヒップホップの音楽と文化が誕生した歴史上重要な日とされ、米国上院では8月11日を「ヒップホップ記念日」として制定した。
今年の50周年の日に合わせて、ライター/翻訳家の池城美菜子さんが全5回にわたってヒップホップを紐解く短期集中連載を実施。第2回は「ヒップホップと資本主義」について。
ヒップホップ生誕50周年を記念したプレイリストも公開中(Apple Music / Spotify / YouTube)。
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ヒップホップは欲望に忠実な音楽だ。色欲、物欲、名誉欲。そのなかでもとりわけ強烈なのが、金銭欲。凄まじいほどの金への執着を隠すどころか、メイン・テーマとしてリリックに据えたラッパーたちのなかには、アーティストとして成功する域を越え、実業家として大富豪になった者もいる。
2023年の夏現在、もっとも多く資産をもつラッパーはジェイ・Zだ。総資産、2.5ビリオン(日本円で約3,569億円)。2019年から10億ドル以上(日本円で約1,420億)をもつビリオネアーのリスト入りをしている。
エンターテイナーというより、先進国の会社の社長たちクラスと同じである。ヒップホップ誕生50周年シリーズの第2回目は、カルチャー全体の血流であるお金の流れに着目する。具体的には、なぜ、そこまで金銭にこだわるのか。音楽の売り上げ以外に、ヒップホップ・カルチャーがどのようなビジネスを生んだのかについて、解説する。
リリックのメイン・テーマは「金」
ドウ、チーズ、クリーム、レタス、バンド、デッド・プレジデンツ、ベンジャミン、ラックス、スタッシュ、ルート、ペーパー、ノーツ、フェティ。これらは、すべてがヒップホップのリリックに出てくる「金」を指すスラングである。
ドウはパンやクッキーを作る小麦粉の生地であり、レタスはアメリカのお札が緑色であることからそれが束になっている様子と引っかけている。バンドは札を束ねるゴムバンドで、ラック(ス)も札束を積み上がっている様子で、棚と同じ語源だ。デッド・プレジデンツはお札に昔の大統領が刷られているからであり、ベンジャミンも100ドル札に刷られている建国の父、ベンジャミン・フランクリンのことである。
レタスのたとえを出したのが、デビューしたばかりだったJ.コール。2011年の1作目『Cole World: The Sideline Story』から「Can’t Get Enough」のリリックを引用しよう。
Never fuss or fight,
on the grind, tryna find this lettuce
諍いやケンカはしない
必死こいてレタスを手に入れようとしているんだ
この時期、リアーナの故郷、バルバドスのコンサートでオープニング・アクトを務めたため、このビデオも現地で撮影されている。コーラス担当のトレイ・ソングスと一緒に、リアーナも後半の夜のビーチのシーンで登場する。「クリーム」の言い回しは、90年代のヒップホップが好きな人はすぐにピンとくる、ウー・タン・クランの名曲「C.R.E.A.M.」(1993)から。
cash rules everything around me,
C.R.E.A.M, dollar dollar bill yo
俺の周りではすべてを支配しているのは現金
クリーム 札 札 札 ヨー
アナクロムを取り入れたメソッド・マンのパンチラインは、30年の月日を経てヒップホップ好きの間ではことわざのように浸透している。
ラッパーにとって、新しい例えやスラングを作り出すセンスは重要だ。「ベンジャミン」を有名したのが、元パフ・ダディの「It’s All About The Benjamins」(1997)。盟友、ノトーリアスB.I.Gが亡くなった後にリリースされた『No Way Out』のからのヒット曲で、リミックスにはビギーのヴァースもある。
Now, what y’all wanna do?
Wanna be ballers, shot callers, brawlers?
Who be dippin’ in the Benz with the spoilers?
さぁ、お前らどうしたいんだって?
羽振りがいい奴、上に立つ奴、喧嘩が強い奴になりたいか?
贅沢に慣れた奴らとベンツに深く腰掛けるのはだれだ?
ザ・ロックスやリル・キムが参加したリミックスが知られているが、ミニ・ムーヴィー仕立てのロック・リミックスのビデオの監督は、奇才スパイク・ジョーンズ。この少し後に『マルコビッチの穴』を撮り、『かいじゅうたちのいるところ』などを発表していく。
ラッパーの起業家精神
こういったなりふり構わない拝金主義にたいし、清貧を美しいものと捉える文化圏の人間は少し違和感をもつかもしれない。だが、根底にあるのは被差別側からの巻き返しを図る気もちと、起業家精神だ。
現金の長所は、もつ相手を選ばないこと。育ちや肌の色で教育や就職の機会を制限される不平等を、手っ取り早くひっくり返すには、まず金を作るのが大事という姿勢なのだ。そのためには、入口がドラッグ・ディーリング、それから合法的にラッパーになるのがひとつの勝ち上がり方となる。ちなみに、「羽振りのいい奴」と訳した「ボーラー/baller」は、元々、プロのバスケット・ボール、アメリカン・フットボール、野球など、大金を稼げる球技選手(ボーラー)が原義である。
マリファナやコカイン、クラックなどの売買を、仮につかまっても罪が軽い未成年から始めたラッパーは多い。ドラッグが絡むリリックが多いのも、ヒップホップの特徴だ。また、奴隷制の時代から搾取されてきたため、「システム」と呼ぶ社会構造に懐疑的で、決して盲信しないという特徴もある。そのため、アーティストとして売り出す方法も、独立心に富んでいる。
ラッパーとして生計を立てられるようになるには、どうしたらいいのか。前世紀なら地元で評判と取る、すでにキャリアのあるプロデューサーやDJに音源を聴いてもらう、今世紀ではミックステープを作る、インターネット(MySpace〜Tumblr〜SoundCloud〜YouTube)でまずファンを獲得する、などキャリアの始め方はいろいろある。最初の目標は、ほかのジャンルのアーティスト同様、大企業のレコード会社とのアーティスト契約を勝ち取ることだ。
だが、ラッパーの多くは、その先に「自分のレーベルを立ち上げる」という目標も掲げる。以前、邦訳もされた『All You Need to Know About the Music Business』という、アメリカの音楽業界のバイブルと称されるベストセラーがある。「音楽ビジネスで知らなければならないこと」というタイトルで、おもに業界の仕組みと権利関係を解説している。1991年に刊行されて以来、すでに11版も改訂しているこの本は、ラッパーたちの必読書なのだ。ここにも、「搾取されたくない」という強い決意が見て取れる。
ジェイ・Zがデーモン・ダッシュ、カリーム・バーグと立ち上げたRoc-A-Fella Recordsは、あちこちのレーベルから断られた挙句、自分たちで始めたレーベルだ。1995年のデビュー・アルバム『Reasonable Doubt』は流通会社のPriority Records経由で発売し、じわじわ売れて1997年には50%ずつ持ち合う形でデフ・ジャムと契約。ここから元カニエ・ウェストや、ハーレムのジュエルズ・サンタナなどを売り出している。
インディペンデント・レーベルのままバカ売れしたのが、マスター・P率いるNo Limit Recordsである。ルイジアナ州ニューオーリンズを拠点に、自分自身や弟のCマーダーやシルク・ザ・ショッカーを売り出した。南部では絶大な人気を誇り、1998年にDeath Row Recoardから離れたスヌープ・ドッグを獲得したため、大きな話題になった。ブラック・オウンド(黒人が所有している)・ビジネスという点で黒人の人々に希望を与え、最盛期は我が事のようにインタビューでNo Limitについて言及するラッパーが多かった。
ファッション:広告塔から自分のブランドへ
ヒップホップ・カルチャーはライフスタイルを包括した文化だ。当然、ファッションとも密接な関係がある。ニューヨークのラッパーおよびファンのあいだでは、80年代からラルフ・ローレンのポロやトミー・ヒルフィガーなど、パキッとした色合いのカジュアル・ウェアが人気を集めた。ロゴが目立ち、一目で値段がわかる高めの価格帯の服が好まれたが、偽物も多かった。
80年代後半から、ヒップホップ・ファンに特化したブランドも生まれた。Def Jamの創設者、ラッセル・シモンズは1992年にプレッピー・スタイルを取り入れたPhat Farm(ファット・ファーム)を売り出した。「For Us Buy Us(俺たちのために俺たちから買おう)」とブラック・オウンド・ビジネスをサポートする重要性を強調したF.U.B.U(フーブー)、ブルックリンのフラットブッシュからスタートしたKarl Kani(カール・カナイ)、ユダヤ系アメリカ人のマーク・エコーが始めたEcho Unltd(エコー・アンリミテッド)など、ラッパーを広告塔にしたキャンペーンを展開した。エコーは2002年にコンプレックス・マガジンも始めている。
90年代から00年代にかけて、ブラック・コミュニティからの支持を得てヒップホップに取り込まれたGuessやNorth Faceといったデニムやアウトドアのブランドもあれば、ジェイ・ZのRocawear、元パフ・ダディのSean Johnなど、ラッパーたちのブランドも人気を集めた。
ブランドとはつまり記号である。白人やアジア系など、黒人ではないファンたちにとっても、好きな音楽を端的に表現できる手段でもあった。まだ影響力が強かった雑誌との親和性も高かった。The Source(ザ・ソース)、Vibe(ヴァイブ)、XXLの雑誌は、ラッパーのインタビューを読むのと同時に、彼らの服装、ライフスタイルをビジュアルで見せ、売り上げを伸ばした。
清涼飲料とアルコール
清涼飲料水のCMにもラッパーが起用され、売り上げが伸びる現象もあった。1994年、米コカ・コーラ社はスプライトの「Obey Your Thirst (乾きには屈しろ)」というキャンペーンを始め、NasやLL・クール・J、ア・トライブ・コールド・クエスト、NBAプレーヤーのグラント・ヒル(R&Bシンガーのタミアの夫)、コービー・ブライアントらが出演した。このシリーズは大成功し、いまでもリメイクされるなど文化的な影響が大きい。
CMに出演して商品の顔になるだけでなく、次の段階まで持っていくのも、ラッパーの起業家精神のなせる技だろう。2003年にデビューして爆発的な人気を誇った50セントが目をつけたのが、ビタミンウォーターだった。
アルコールを飲まず、筋トレ好きのイメージがあった彼は、発売元のグラソー(Glaceau)にアプローチ、2004年に10%を受け取る契約を結ぶ。リリックにビタミンウォーターを織り込んだり、自らが出演するリーボックのCMでも飲んだりと猛プッシュした結果、売り上げを7倍に伸ばしたのだ。3年後、コカ・コーラ社がグラソーの買収に乗り出し、功労者の50セントも大金を手にして、大きなニュースになった。
50セントとビタミンウォーターは特別にうまく行った事例であり、リル・ウェインとマウンテン・デューはそこまでうまくいかなかった。CMに起用されたものの、リル・ウェインのリリックの内容に懸念を示したペプシコが契約を打ち切ってしまったのだ。
現在、ジェイ・Zの次に資産を持っている元パフ・ダディことショーン“ディディ“コムズは、バッドボーイ・レコーズから多くのアーティストを売り出しただけでなく、凄腕実業家である。彼が力を入れたのが、ウォッカのシロック。
ジョニー・ウォーカーやタンカレー、ギネスなどを造っているイギリスの酒造会社ディアジロの商品である。本来、原料は穀物であるウォッカを、ぶどうで作ったところが珍しかったものの、なかなか人気が出なかった。2007年からコムズが関わり、ヒップホップ特有のストリート・プロモーションの手法を使ってプロモーションをした。
業界パーティーやクラブで振る舞ったり、ラッパーたちもリリックに登場させたり、ミュージック・ビデオにさりげなく映り込ませたりしたのだ。その甲斐もあり、「ヒップホップ・ファンに好かれている酒」というイメージの定着に成功、売り上げも伸びた。だが、16年が経った2023年、一緒に力を入れていたテキーラのDeLeonの売り上げがいまいちであるのは、ディアジオ社の差別的な対応が理由、とコムズは不服を表明、裁判沙汰になっている。
成功例を多く書いてきたが、ファッションやシャンペンのブランドが「ヒップホップのリリックに出されて、イメージがつくのは不本意」だと表明した途端、不買運動が起こった例も多い。
本業の延長線上と変わるアドバイス
ドクター・ドレーの「Beats by Dr. Dre」のヘッドフォンや、ジェイ・Zのストリーミング・サーヴィスのTidalやコンサート・プロモーターのLive Nationとの360度包括契約のRock Nationなど、本業に近いビジネスもある。ラッセル・シモンズは前述のDef JamやPhat Farmを、ジェイ・ZはRocawearを売却しており、自分たちが育てた企業でも容赦なく現金化する傾向もある。
成熟期を迎えたラッパーたちのリリックには、同胞たちに経済的自立の大切さを諭す内容も出てきた。Nasは、ヒットボーイとの連作『King’s Disease Ⅲ』(2022)に収録されている「Legit」で合法的に稼げるようになった話をしながら、同胞に向かって家を買う重要性を説く。
Originality I seek out, let’s clean house
To black homeowners, check it out
To black homeowners, take over and throw the lease out
求めているのはオリジナリティ 家の掃除でもしようか
黒人のホームオーナーたち 聞いていて
黒人のホームオーナーたち 買い取るんだ 賃貸契約書は捨てて
ジェイ・Zは、『4:44』(2017)の「The Story of O.J.」のコーラスで、「肌の濃淡にかかわらず、黒人は黒人だ」と醒めた前置きをしてから、投資でお金を増やす大切さをラップしている。
Financial freedom my only hope
Fuck livin’ rich and dyin’ broke
I bought some artwork for one million
Two years later, that shit worth two million
Few years later, that shit worth eight million
I can’t wait to give this shit to my children
Y’all think it’s bougie, I’m like, it’s fine
But I’m tryin’ to give you a million dollars worth of game for $9.99
経済的な自由が俺の唯一の希望
羽振りよく生きて一文なしで死ぬとかとんでもない
100万ドルで絵画を買ったんだ
2年後 そいつは200万ドルになった
数年後 そいつは800万ドルになった
自分の子どもたちに受け継がせるのが楽しみだよ
ブルジョア趣味とか思ってんだろう 別にいいけどね
この9.99ドルのアルバムで100万ドルの価値があるゲームのやり方を教えようとしているんだよ
なぜ、ヒップホップが金銭に執着するのか、すべての答えがあるヴァースだろう。これに続いて、レコード会社との契約金をインスタグラムで見せびらかすより本物のチャンスをつかめ、ともラップしている。それにたいし、ドレイクやフーチャーなど後輩たちはわざと耳元に札束を積んだ写真をインスタグラムで投稿して反撃してみせた。そういった遊び心を含めて、金の話を堂々とするのがヒップホップのおもしろさだ。
Written By 池城 美菜子(noteはこちら)
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