ヒップホップの地域分類:ウエストコーストとサウス編【#HIPHOP50】
1973年8月11日はクール・ハークと妹のシンディ・キャンベルが、ニューヨークのブロンクスでパーティーを開き、ヒップホップの音楽と文化が誕生した歴史上重要な日とされ、米国上院では8月11日を「ヒップホップ記念日」として制定した。
今年の50周年の日に合わせて、ライター/翻訳家の池城美菜子さんが全5回にわたってヒップホップを紐解く短期集中連載を実施。第4回は「ウエストコーストとサウス」について。
ヒップホップ生誕50周年を記念したプレイリストも公開中(Apple Music / Spotify / YouTube)。
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50周年を迎えたヒップホップを、いくつかの角度から総括するこの特集も佳境に入った。連載3回目であった前回は4つのリージョン(地域)ごとに特徴を取り上げ、まずイーストとミッドウエストのシーンを解説した。後半にあたる今回は、ハリウッドと深く関わって発展したカリフォルニア州を中心としたウエストコースト・ヒップホップと、21世紀のヒップホップの主な舞台となったサウス・ヒップホップに焦点を当てる。
行政の地域分割では、西部も南部もかなり広大だ。西部(ウエスト)は、北はカナダに、南はメキシコに隣接し、ハワイ州も含む。ヒップホップ史の観点ではどうしても海岸沿いのウエストコースト、とくにカリフォルニア州に話が偏ってしまう。西部はネイティブ・アメリカンとメキシコをはじめとした南米からの移民が多く、それぞれの文化を持ち込んでいる。
南部は南北戦争の傷跡とキリスト教の影響で保守的な面がある一方、ニューオーリンズやメンフィスといった音楽の都を擁しているだけあり、革新的なサウンドが生まれやすい点を基礎知識として押さえておこう。
ウエストコースト・ヒップホップ
2022年2月のNFLの決勝、スーパーボウルのハーフタイム・ショーはアメリカのポップ・カルチャーに残る13分間であった。通算56回目だったにもかかわらず、ヒップホップ・アクトがメインを張ったのが初めてだったのだ。主役は、ドクター・ドレー。ウエストコーストの王である。
2015年、N.W.A.の伝記映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』の大ヒット、ヘッドフォン『Beats by Dr. Dre』の爆発的人気。なによりも、90年代にスヌープ、00年代にエミネム、2010年代にケンドリック・ラマーと30年間に渡ってトップ・プレーヤーたちと契約して大舞台に押し上げた功績は大きい。もっとも多くのアメリカ国民がテレビを観るスーパーボウルで、ドレー再評価の動きを一旦、完結させたことになる。
映画はドレー、アイス・キューブ、イージー・Eらの出会いや確執、スヌープ、故2パックの関わり、デス・ロウ・レコーズの光と闇、そして80年代後半から90年代にかけてのロサンゼルスの状況まで映して鮮烈であった。ヒップホップが地域性の色濃い音楽であるのは、その土地のライフスタイルをサウンドやリリックにくっきり焼き付けるからである。地元や、近い環境の人は自分たちの生活感情を代弁してくれる曲がもちろん、好きだ。一方、離れた場所に住む人は、好奇心と憧れをもってそれらの曲を聴く。ロサンゼルスを中心としたウエストコースト・ヒップホップは、まず天候の良い海沿いの開放的なライフスタイルで私たちを惹きつける。
そのなかでも、ヒップホップの歴史においていち早くミリオン・セールスを記録したギャングスタ・ラップは、LAの開放感と過酷なギャング・カルチャーとの強烈なコントラストで、世界を驚かせた。80年代半ば、シーンの黎明期を作ったN.W.A.の面々は、警察官の横暴を「F**k Tha Police」というどストレートな曲にした。日頃のうっぷんを晴らすために作った曲だが、1992年にロサンゼルス暴動が起きたとき、あの曲を知っていた人と知らなかった人では、ニュースの捉え方が異なったはずだ。ヒップホップは出来事を羅列するだけの報道よりも、ときに感情を含めた細部まで伝えてくれる。
同時期にリリースされたドクター・ドレーの1992年の金字塔『The Chronic』と、1993年のスヌープのデビュー作『Doggystyle』はよりメロディアスで聴きやすく、アメリカ国内外でヒップホップ・ファンを増やした。ハリウッドがあるのも、ウエストコースト・ヒップホップの強みだ。N.W.A.のヒット曲と同タイトルの『ボーイズ’ン・ザ・フッド』は1991年に公開された。
デビュー作ながらジョン・シングルトンはアカデミー賞の監督賞と脚本賞でノミネートされ、主演のキューバ・グッディ・ジュニア、アイス・キューブの好演も高く評価された。キューブやウィル・スミス、LLクール・Jなどは俳優としても成功し、後輩たちに「ラッパーとして世に出てから、俳優業で国際的なスターになる」という青写真を見せたのだ。
同じカリフォルニアでも、黒人の人口が多く、ロサンゼルスと同じくらい古くからヒップホップが生まれていたにもかかわらず、なかなか注目されなかったのが州のサンフランシスコ湾を望むオークランド周辺のベイ・エリアだ。トゥー・ショートやE-40といったパイオニアも、ギャングスタ・ラップの雄である。また、ネイティヴ・タンのように親しみやすく、日本でも人気があったデル・ザ・ファンキー・ホモサピエン(彼はアイス・キューブのいとこである)や、ソウル・オブ・ミスチーフらが属していたハイエログラフィクスの面々もオークランドが拠点である。
ウエストコーストの代表的なラッパーの曲を紹介しよう。
ドクター・ドレー「Nothin‘but a ‘G’ Thang」(1992)
前述『The Chronic』が生んだヒップホップ・クラシック。ビートとともにバウンスする車体を低くしたロー・ライダー、BBQ、ビーチ・バレーにモルト・リカーで盛り上がるハウス・パーティーを、ミュージック・ビデオで観たときは新鮮だった。
一見、平和に映るが、当時のMTVではぼかされた箇所も多い。スヌープ・ドッグの出世作でもあり、ウォーレン・Gやドッグ・パウンドのコラプトなど、ギャングスタ・ラップのなかでもとりわけGファンクの主要人物も多数出演。
トゥー・ショート「Blow the Whistle」(2006)
オークランドのドン、トゥー・ショートの代表曲。ローランドTR808の音色と、「笛を吹け」という単純なフックが印象的だ。チャートには入っていないが、2016年にドレイクがDJキャレドとの「For Free」でサンプリングするなど、長く愛されている。K-PopのBLACKPINKの「WHISTLE」を初めて聴いたとき、筆者はフックの類似性とBPMの近さでこの曲を思い出した。
プロデューサーは、アトランタのリル・ジョン。ベイ・エリアは新しい流行の種が生まれたり、大資本に頼らない起業家精神が強かったりする特徴もある。この連載の第2回目に取り上げた、マスター・Pのノー・リミット・レコードも、リッチモンドでスタートしてからニューオーリンズに引っ越している。
また、ハイパーアクティブを意味するハイフィー(Hyphy)も、90年代の終わりにオークランドのキーク・ダ・スニーク(Keak da Sneak)の「Super Hyphy」で知られるサブ・ジャンルだ。この知る人ぞ知るハイフィーが、のちにサウスで爆発するトラップの源流だと見る人は多い。
ニプシー・ハッスル feat. YG「Last Time That I Checc’d」(2018)
ロサンゼルスのクレンショー出身のニプシー・ハッスルは、元ギャングから起業家、地域を活性する活動家へと転身したラッパーである。00年代にミックステープで知られるものの、契約したエピック・レコーズのゴタゴタに巻き込まれ、2018年の『Victory Lap』でやっと陽の目を見た。だが、2019年3月に昔の恨みが原因で、射殺されてしまう。
語り口、スヌープをほうふつとさせる身のこなしはいかにもLAの人だ。このミュージック・ビデオでは、コンプトン出身のYGとそれぞれ出身のギャング・カラーを身につけている。NFLのロサンゼルス・ラムズの試合や、映画『クリード 過去の逆襲』でも使用されている曲だ。
タイラー・ザ・クリエイター「Who Dat Boy」(2017)
ロサンゼルスのシーンは、ギャングスタ・ラップだけではもちろん、ない。マッドリブやピーナッツ・バター・ウルフを中心としたストーン・スロウ・レコーズ周辺のエクスペリメンタル・ヒップホップや、00年代後半、音楽の主戦場がインターネットになってから爆発的に広がったオルタナティヴ・ヒップホップも層が厚い。
後者にあたる、タイラー・ザ・クリエイター率いるオッド・フーチャー一派は、活動の方法からして新鮮だった。YouTubeを始めとしたヴィジュアル・アーツ、ファッション、言葉の選び方。タイラーたちは独特のセンスでカルト的なファンをつかんで離さない。性的嗜好の流動性を含め、タイラーおよびオッド・フーチャーのメンバーたちが、軽やかに取り払った壁は多い。
サウス・ヒップホップ
16もの州が南部に区分されているが、ヒップホップの観点で重要なのはジョージア州アトランタ、ルイジアナ州ニューオーリンズ、テキサス州ヒューストン、テネシー州メンフィス、フロリダ州のマイアミだろう。
東と西のヒップホップ・シーンばかり注目されていた80年代の後半、ヒューストンから出てきたゲトー・ボーイズだ。サウスのドン、スカーフェイスと小人症のブッシュウィック・ビル、ウィリー・Dのトリオで強烈な存在感を放った。90年代に入り、アウトキャストとプロダクション・チーム、オーガナイズド・ノイズが作ったダンジョン・ファミリーがアトランタへ耳目を集めた。
黒人の人口が多く、コカ・コーラの本社やCNNがあるアトランタは、新しくビジネスを起こしやすい土壌がある。天才ソングライター/シンガーのベイビーフェイスと、LAリードが作ったラフェイス・レコーズは、クライヴ・デイヴィスのアリスタ傘下に入り、アウトキャストやアッシャー、TLCといったスターを世に送り出した。また、ジャーメイン・デュプリは、19歳だった1992年にキッズ・グループのクリス・クロスの「Jump」を大ヒットさせ、ソー・ソー・デフ・レコーズを起こして、シーンを牽引し続けている。
アウトキャストに続き、アトランタからリュダクリスやT.I.といった元気キャラのラッパーが出て、人気を博した。起業家精神に溢れているのもサウスの特徴だ。人口の7割弱が黒人であるルイジアナ州のニューオーリンズからは、マスター・P率いるノー・リミット・レコーズと、バードマン率いるキャッシュ・マネーが台頭した。
キャッシュ・マネーは90年代後半からジュヴィナイルやB.G.、そして14歳だったリル・ウェインなど、独特なフローをもつラッパーをまず送り出した。その後、トロントのドレイクや、ブロンクスのニッキ・ミナージュなど地域問わず、新しい才能を発掘するレーベルに成長する。デフ・ジャムもサウスの特異性に目をつけ、1999年にデフ・ジャム・サウスを設立、ヤング・ジーズィーらを売り出した(2012年に統廃合)。
ニューオーリンズのバウンス・ミュージック、フロリダの2ライヴ・クルーを代表とするベース・ミュージック、前述のリル・ジョンが広めたクランクなどサブ・ジャンルも多くある。ベース・ミュージックは土地柄、カリブ海のキューバやドミニカ共和国、ブラジルのファンクまで飲み込んだもの。どちらもBPMが速く、ハウス・ミュージックとの親和性が高い。
「盛り上がる/酩酊する」を意味する「クランク」も、そこから派生したサブ・ジャンルだ。メンフィルのスリー・6・マフィアやDJポールが1990年代に形作り、00年代にリル・ジョンがイーストサイド・ボーイズとメインストリームでのヒットを放った。
そして、00年代に出現して2010年代の主役となったトラップ。前述したように、サウンドはベイ・エリアのハイフィー、ベース・ミュージック、クランクまでの要素を含み、特徴的なフローをもつ。ドラッグを製造するトラップ・ハウスから名前が取られている通り、ドラッグの売買の話を中心とし、ギャングスタ・ラップにもつながる暴力的でかつマテリアリズム(物質主義/ブランド信仰)が強いリリックも特徴である。
だが、2023年現在、R&Bやレゲトン、はてはEDMにまでビートが転用されているので、本格的なヒップホップのサブ・ジャンルとしてのトラップと、ビートを拝借したポップ・ミュージックは分けて考えるべきだろう。前世紀からサウスのヒップホップの進化系でもあるので、昔から聴いているファンにとっては耳になじみやすい。
サウスの代表的な曲をあげていこう。
アウトキャスト「B.O.B.」(2000)
アウトキャストの4作目『Stankonia』からのリード・シングル。イギリスのドラムン・ベースから着想したBPM155という速いトラックと、「結果を考えて行動しろ」というメッセージを含んだリリックでゲーム・チェンジャーになった。
言葉遊びのつもりで選んだ「バグダッドに爆弾が落ちる(Bomb Over Bagdad)」というタイトルとラインは本来、政治的な意味はなかった。だが、2年後にイラク戦争が起きた際、政治利用されてより広がった。トラックを作ったのもアンドレ3000とビッグ・ボーイの本人たちとミスター・DJ。
リル・ジョン&ジ・イーストサイド・ボーイズ feat. イン・ヤン・ツインズ「Get Low」(2003)
クラブDJとしてキャリアをスタートしたのち、ジャーメイン・デュプリのソー・ソー・デフでA&Rを務め、ベース・ミュージックのコンピレーションを編集していたのがリル・ジョンである。ドレッド、金歯、語るラップより全編フックでほとんど叫んでいるスタイルで人気を博した。だが、筆者がジャマイカのモンティゴ・ベイのクラブで会ったときは、とても落ち着いた人だったので、意図的に演じているキャラかもしれない。
これは『King of Crunk』(2002)からのヒット。ストリップ・クラブが重要な交流の場であるサウスらしいビデオだ。リリック通りのフリをつける流行は、エレファント・マンらダンスホール・レゲエのアーティストが始めたもの。ブロンクスではファット・ジョーが肩を斜めに下げる「Lean Back」でフロアーの人々を一斉に踊らせた。このクランクの要素を取り入れたのが、リル・ジョンがR&Bのアッシャーに作った「Yeah!」であり、まんまと2004年を代表するメガ・ヒットになった。
スリー・6・マフィア「Stay Fly」(2005)
テネシー州メンフィスのスリー・6・マフィアは、独特のひきずるようなフローと、初期のクランクやヒューストンで生まれた手法、チョップド・アンド・スクリュードを早めに紹介した功績で知られる。この曲は、ウィリー・ハッチのモータウンからのヒット、「Tell Me Why Has Our Love Turned Cold」をサンプリングしていて、いつ聴いても気もちがいい。
メンバー・チェンジが激しいが、中心人物のDJポールとジューシー・Jはどちらも独特のサウンドとフローを生み出したパイオニアである。2005年の映画『ハッスル&フロー』の「It’s Hard out Here for a Pimp」で、エミネムに続きヒップホップの曲で2回目のアカデミー賞オリジナル・ソング部門も受賞している。
リル・ウェイン「A Milli」(2008)
11歳でキャッシュ・マネーと契約、ホット・ボーイズの一員として14歳でデビューしているため、実年齢とキャリアの長さがバグるのが、リル・ウェインである。この曲は、2008年『Tha Carter III』からのモンスター・ヒット。R&Bも手がけるバングラディッシュが作った中毒性の高いトラックに、話題がどんどん変わるリル・ウェインらしいラップが冴える。
この曲の前にシングル・カットした、「Lollipop」はケンタッキー州出身のR&Bトリオ、プレイヤの故スタティック・メージャーをフィーチャー。どちらも社会現象と呼べるほど、アメリカのラジオを席巻した。
ミーゴス feat. リル・ウージー・ヴァート「Bad and Boujee」(2016)
アトランタのヒップホップ・トリオ、ミーゴスとリル・ウージー・ヴァートともに初のビルボードNo.1をもたらした曲。プロデュースはメトロ・ブーミンとG・クープ。タイトルの「Boujee/ブージー」は「Bourgeois/ブルジョワ」を縮めたスラングで、物質的な高級志向を指す。インターネットでミーム化されて、バイラル・ヒットになった点も新しかった。
ミーゴスのほか、じつはダンション・ファミリー出身のフーチャー、リル・ベイビーらはアトランタ、トラヴィス・スコットはヒューストン…と、サウスの人気ラッパーは枚挙にいとまがない。それだけ、層が厚いとも言えるし、デジタルでできることが多くなったため、前世紀ほどはシーンが地域に縛られなくなった面もあるだろう。
だが、やはり生活感情を言葉にするのがヒップホップの醍醐味であるのは変わらない。ウエストコーストのヒップホップはビーチ・ライフを、サウスはニューオーリンズや海を隔てたカリブ海のカーニヴァルから派生したお祭り文化を感じる。ラッパーの出身地に注意しながら聴いて、ヴァーチャルな旅行に出発してみるのもいいだろう。
最終回の次回は、オルタナティヴ・ヒップホップを取り上げる。
Written By 池城 美菜子(noteはこちら)
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