フェイ・ウォンの経歴と魅力:改めてその凄さ、そして音楽を振り返る

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ギネスブックに「広東語のアルバム累計売り上げ」で世界一と認定、主演映画『恋する惑星』もヒットし、『ファイナルファンタジーVIII』の主題歌「Eyes On Me」を担当するなど、日本でも高い知名度を誇るフェイ・ウォン(Faye Wong/王 菲)。

そんな彼女の4つのアルバムが2023年9月25日にLP化で発売された。これは、2021年2月発売されると瞬く間に完売となった『天空』『夢遊』『ザ・ベスト・オブ・ベスト』の限定生産国内盤LPに続くもの。今年9月に発売されるのは『背影(討好自己)』『マイ・フェイヴァリット』『DI-DAR』『ANXIETY(浮躁)』の4タイトルとなる。

この発売に合わせて、中華圏の音楽が専門の音楽評論家、関谷 元子さんにフェイ・ウォンについて解説頂きました。

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1. 90年代の香港での人気

1990年代以降、中華圏で最も成功し人気の女性シンガーを一人、といわれたら、間違いなくほとんどの人がフェイ・ウォンを挙げるだろう。彼女の存在はそれほど大きく刺激的であり、そして今も圧倒的な注目度をキープしている。

フェイ・ウォン(王菲)は、1969年北京生まれ。小さい頃から歌がうまく、北京にいる時すでに何枚かのアルバムをリリースしている。そしてその中にはテレサ・テン(鄧麗君)をカヴァーしたアルバムもあるという。と同時に、当時とてもアクティヴだった北京のロック・シーンのミュージシャンとの交流もあり、後にしばしばこの北京の人脈によって、香港の言葉=広東語の曲とはまた違うテイストの中国語作品を作っている。

フェイは、香港でメジャー・デビューした。というのも、アメリカに留学を目指しまずは香港に行ったのだが、香港には移住後1年滞在しないと海外へは行けないという決まりがあり香港に滞在することになる。その時に習った歌の先生の紹介で、香港シネポリー・レコードに認められ、デビューとなった。

1989年、シャーリー・ウォン(王靖雯)という名前でデビュー。この頃の香港は、まだ中国返還への実感もうすく「北京から来た女の子」といったキャッチフレーズで出したデビュー作の売れ行きは悪くないといった感じだった。当時は香港こそが都会的なポップスとスター・システムで中華圏を席捲しており、香港スターが圧倒的な人気だった。香港人にとって北京はまだあまり強く意識する所ではなかったのだ。

フェイは、留学へと向かう。しかしまだ香港シネポリー・レコードとの契約が残っていたためレコーディングした一枚が彼女をスターに押し上げた1992年の『Coming Home』で、ここに収録されていた曲「容易受傷的女人(傷つきやすい女)」が大ヒットする。この曲は、中島みゆきが作詞作曲しちあきなおみに提供した曲「ルージュ」のカヴァーだ。

ここからフェイの快進撃が始まる。

1993年のアルバム『十萬個為什麼(十万回のなぜ)』は日本でも当時リリースされ、フェイの雄たけびから始まるスピード感あふれる曲「流非飛」の出だしと、ジャケットにあるカジュアルでおしゃれな姿はフェイのキャラクターを決定づけた。

そして、このキャラクターは、翌年の、日本でも大ヒットした映画『恋する惑星』と重なるのである。

何故、フェイがそれほど人気だったのか。彼女が持つ唯一無二の声であることは間違いない。と同時に、彼女は「香港スター」らしくなかったからなのだ。香港は圧倒的にスター・システムの世界だった。お客様は神様でありスターは社会の規範だった。そんなことを気にもかけないように、フェイは奔放だった。それが新しいと思われたのだ。

音楽的にも香港の創造性高いスタッフが作る大都市らしい洗練に満ちたサウンドで、一方本物のロックは北京にあると言われた北京ロック・シーンのアーティストたちも積極的に登用し、骨太で挑戦的な音を作った。そして、ここが大切なのだが、フェイは、中華圏の人々が最も愛するしっとりとしたバラードを見事なヴォーカルで歌いこなす。その絶妙なバランスで、中華圏全体の老若男女にとって最高の存在になったのだった。

 

2. 当時の日本での人気:恋する惑星~Eyes on Me

1990年代前半、香港映画は、中華圏の中で、いや世界的にも存在感があったが、その中でもウォン・カーワイ(王家衛)監督の作品は、ひときわスタイリッシュで使用される音楽もセンス抜群だった。デビュー作の『いますぐ抱きしめたい』から世界で注目されたウォン監督が、香港スターを並べ若者の退廃を美しく描いた『欲望の翼』に続いて作ったのが、1994年の『恋する惑星』だった。

この映画は2つのエピソードから成り、フェイ・ウォンのお相手は、後にカンヌで男優賞をとり、先日ベネチア映画祭で生涯功労賞を受賞した香港を代表する俳優トニー・レオン(梁朝偉)だったが、フェイはそのトニーとわたり合い、奔放でチャーミングな役を見事に演じ、ストックホルム国際映画祭では主演女優賞を受賞した。

そしてこの映画で使われたのが、フェイが歌った、クランベリーズの「Dreams」のカヴァー「夢中人」。この曲は、トニーの部屋に勝手に入って模様替えをするアブナイ(笑)フェイと共に流れる。ちなみにやる気なさそうな店員フェイのお店で流れるのがママス&パパスの「夢のカリフォルニア」。それもトニーとの会話もままならないほどの大音量で来るのが面白い。そういえば、この映画でフェイが乗る、セントラル(中環)にある長いエスカレーターは、当時多くの日本人がロケ地めぐりに行った。

この映画を観たら誰もがフェイに惹かれる。フェイの歌も最高で、それは日本でも同じだった。この映画でフェイより多くの人に知られるようになる。

フェイは日本での活動も積極的で、1999年には日本武道館で2デイズ・コンサートを行ない、2001年にはフジテレビ系のドラマ「ウソコイ」に主演するが、なんといってもフェイの日本での大きな成功は、プレイステーション用ゲームソフト「ファイナルファンタジーVIII」の主題歌になった1999年の「Eyes On Me」だ。英語で歌われたこの曲は、オリコン洋楽シングル・チャートで19週連続1位、結果50万枚を売る大ヒットとなった。

当時、フェイのスタッフのかたに聞いたことを覚えているが、このゲーム会社のかたが誰を主題歌にしようと考えていた所、たまたまフェイの声を聴き一発で決めたという。それだけフェイ・ウォンの声は特別だったのだ。

 

3. 今でも人気がある理由

今思えば、中華圏のトップ・アーティストがこれだけ日本で多岐にわたって活躍したことはなかったかもしれない。

結果、『恋する惑星』は2022年に4Kレストア版で上映されたし、プレイステーションの人気はいまもあり、私が教えている大学の学生たちも知ってる!と言っていたくらいだ。

また、フェイ・ウォンの名前で検索していたら、この8月に行なった日本のファッション・ブランド「フェティコ」の2024年の春夏コレクションでは、デザイナーの舟山瑛美さんがフェイの当時のイメージを着想の源に「今季のミューズ」とした、というニュースも見た。舟山さんはフェイのステージ衣装に影響を受けたようだが、確かに以前香港コロシアムで観た彼女の衣装やメイクは、これでもかというくらいに攻めたものだった記憶がある。

そうやってフェイは時代を超え人々の心の中に入り込んでくる魅力があるのだ。

ちなみに、中華圏では、今でもフェイが動けば芸能面のトップ記事になる、特別な存在であり続けている。

 

4. LPで再発される4作品

では、最後に、フェイ・ウォンが今回LPとして日本でリリースする4作品をご紹介しよう。

『背影(討好自己)』(1994年)

まずは『背影』。中国語の原題は『討好自己』。1994年12月に香港でリリースされた、フェイにとって10枚目のアルバム。広東語としては王靖雯名義を含めると8枚目になる。1曲だけ中国語あり。

ここでちょっと言語の話になるが、香港で使われる言語は広東語で、これは中国では広東省で話される地方語だ。中国には地方語はたくさんあって、反対に中国人全員がわかるのが私たちが中国語と言う、いわゆる中国の標準語。当時香港スターは中華圏全体で人気だったので、同じ曲を広東語と中国語2ヴァージョンでリリースするのなどは当たり前だった。

フェイも、両言語でアルバムを出しているが、それぞれの言語に音楽的特徴を持たせているのがすごいところだ。つまり香港制作と北京制作でスタッフも替えている。それも当時最高の制作陣で、だ。

『背影』には1曲だけ中国語曲があると書いたが、これは元・旦那様(このアルバム発売時点では結婚前)でフェイの武道館ライヴではドラムをたたいていたドウウェイ(竇唯/中国ロック・シーンの重要人物)がフェイが作詞作曲した曲の編曲に関わっているし、中国のプロデューサーの第一人者チャン・ヤートン(張亞東/彼もフェイの武道館ではバンマスを勤めた)も編曲をしており、フェイの今後の方向性を示唆する重要なアルバムになっている。

 

『マイ・フェイヴァリット』(1995年)

続いては『マイ・フェイヴァリット』。原題は『菲靡靡之音』。1995年7月にリリースされた、フェイにとって11枚目のアルバム、中国語としては3枚目になる。

全曲テレサ・テンのカヴァーである。中華圏でのテレサは絶大な人気があり、私が90年代初期に北京のロック・ミュージシャンにインタヴューをした時彼らが初めてテレサの声に出会った時の衝撃を何度も聞いたことがある。そんなテレサのファンであることをフェイも公言していた。そして、実はレコード会社としてはテレサの曲をいろいろな歌手が歌うアルバムを計画していたが、結果フェイが一人ですべての曲をレコーディングしたという。

ちなみに最初にフェイが北京で出したものにテレサのカヴァー・アルバムがあると言ったが、この『マイ・フェイヴァリット』と2曲ダブっている。1曲の元歌が「又見炊煙」で日本の「里の秋」、もう1曲が梓みちよの「渚のSha La La」のカヴァー「一個小心願」だ。

そしてこのアルバムの原題『菲靡靡之音』だが、あまりに中国でのテレサの人気に当時の政府はテレサを「退廃・みだら(靡靡)」だとし、禁止した。そんな背景があり、フェイは「菲」と「非」をかけ、テレサへのリスペクトをタイトルにしている。

決してテレサのヒット曲だけを選んだわけではない、まさにフェイならではのテレサ・テン・カヴァー・アルバムになっている。

そして、そのレコーディングがの1週間後にテレサの訃報が入ったという。

 

『Di-Dar』(1995年)

1995年12月にリリースされた、フェイ12枚目のアルバム。9枚目の広東語のアルバムになる。ここでも、さきほどの北京のドウウェイとチャン・ヤートンが登場する。

ヤートンは、2曲を編曲、作曲も1曲している。北京ロックらしいダークな空気感があるバンド・サウンドが魅力だ。今聞いてもかなりロックでかっこいい。と当時に、香港側のスタッフも忘れてはいけない。こちらもいつもクリエイティヴなメンバーを揃えているのがすごいと思う。『十万回のなぜ』はじめ、メジャー・アーティストに常に新しさを吹き込んできた香港最高の作曲家C.Y.コンの名前が見えるし、歌詞は第一人者の林夕だ。

鈴木祥子の「あの空に帰ろう」のカヴァー「享受」も収録されている香港でとてもヒットした作品。

 

『ANXIATY』(1996年)

原題は『浮躁』。フェイにとって13枚目、14枚目の中国語のアルバムだ。1996年6月リリース。

これまでは2曲ぐらいずつ担当していたチャン・ヤートンがプロデューサーとしてクレジットされ作詞作曲編曲でも活躍、かつドウウェイも3曲を編曲するというかなり北京ロックに寄り添ったアルバムだ。

当時このアルバムが出た時、「フェイは売れることを放棄し、音楽のコンセプトを追求したアルバム」、「このアルバムを支持することができればディープなファン」といった言葉がメディアにあったが……今聴いてみてほしい。古臭さなどは微塵もなく、開かれたアルバムになっている。フェイの変幻自在なヴォーカルも聴き逃せない。

ちなみにジャケットには、「見ざる聞かざる言わざる」の「聞かざる」以外のフェイの写真があるのも面白かった。

そして、中華圏でも音楽ファンにはとても人気だったコクトー・トゥインズがフェイに2曲を書き下ろしているのも話題。ちなみにほかの曲は全部フェイ作による。

 

今回日本LPとしてリリースされたフェイ・ウォンのこの4枚は、フェイが香港をはじめ中華圏で大成功しトップ・シンガーに君臨した直後の作品になる。それだけにフェイが最も「したいことができた」アルバムたちだと言える。

そして同時に、唯一無二の美しい声のヴォーカルとともに、フェイの音楽制作のセンスも圧倒的であることがわかる作品になっている。

Written By 関谷 元子



フェイ・ウォン 4タイトルLP国内生産
『背影(討好自己)』『マイ・フェイヴァリット』『DI-DAR』『ANXIETY(浮躁)』
2023年9月27日発売
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