【ネタバレなし】映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』事前にこれだけは押さえておきたい4つの知識

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海外で2024年2月14日に劇場公開され全米興行収入2週連続1位を記録、英仏ではあの『ボヘミアン・ラプソディ』を超える初日興行収入、母国ジャマイカでは初日興行収入としては史上最高数を記録したボブ・マーリー(Bob Marley)の伝記映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』。

日本では2024年5月17日に公開されることを記念して、ライター/翻訳家の池城美菜子さんによるボブ・マーリーの生涯と功績についての連載企画を掲載。

第5回目は、映画を見る前に知っておくと映画をより楽しめるボブ・マーリーやジャマイカの知識について。

・連載第1回「改めてボブ・マーリー、そしてレゲエとは」
・連載第2回「ボブ・マーリーの音楽のどこが時代を超えて人々の胸を打つのか」
・連載第3回「ボブ・マーリーの11人の子供と100人近い孫」
・連載第4回「ボブ・マーリーを巡る音楽関係者」

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2010年代からミュージシャンの伝記映画(バイオピック)やドキュメンタリーがブームだ。ヒップホップ・グループN.W.A.の『ストレイト・アウタ・コンプトン』(2015)や、生前のフレディ・マーキュリーを知らない人たちまでも魅了したクィーンの『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)の大ヒットもブームを牽引した。一方、つめこみ過ぎて焦点が少しボケてしまった作品もある。このパターンでは、遺族や関係者の意向を優先させ過ぎたケースが目立つ。

バイオピック・ブームのなかでも、『ボブ・マーリー:ONE LOVE』は大本命。ボブの生涯は36年と短かったものの、妻のリタ・マーリー、バンド・メンバーを含めた関係者、それから多くの子孫がいる。そのため、じつは筆者は多方面に気を使い過ぎて冗長になるのでは、と少し心配していた。だが、そこはブラッド・ピット率いるプラン・Bの制作。1976年から1978年の出来事を中心にしつつ、それ以前の生い立ちや音楽キャリアの前半は回想形式で構成している。

舞台はイギリス・ロンドンとジャマイカ。私たちは欧米の歴史や風習にはなじみがあるものの、それ以外の西インド諸島と呼ばれるカリブ海に浮かぶ島々や、アフリカの歴史は知らないことが多い。長年のレゲエ・ファンにとってもそのあたりがいまひとつ分かりづらい、との意見があったため、映画を観る前に押さえておきたい4つの事柄を解説しよう。

 

1. 黒人の誇りと、アフリカ回帰の願いを込めたドレッド・ロックス

ボブが信奉したラスタファリズムは、よく宗教と取られるが正確には思想運動である。まず、土台にパン・アフリカズム=汎アフリカ主義がある。これは20世紀に入り、かつて奴隷としてアフリカから強制的に欧米やカリブ海諸国に連れられた人々が、植民地化していたアフリカの国々が独立した後でアフリカ大陸に帰ろうとする思想運動である。

1900年には、各国の代表や活動家を集めた第1回目の汎アフリカ会議が開かれた。奴隷制度は撤廃されたものの、根強い人種差別に苦しんでいた黒人の人々がそれぞれの国で権利のために闘いつつ、アフリカに帰る道を模索していたのだ。

1930年のジャマイカで生まれたのが、この汎アフリカ主義とキリスト教信仰を掛け合わせてラスタファリ運動だ。きっかけは、同国出身の指導者、マーカス・ガーベイによる1920年の「やがて黒人の王が戴冠し、救世主になるだろう」との発言。

これが予言として受け止められ、エチオピアでラス・タファリが黒人初の皇帝となり、ハイレ・セラシエ1世を名乗ったとき、彼を神様と崇めるようになったのだ。「ジャー(JAH)」は聖書で唯一神を指す。ヤハウェやエホヴァなど、各言語で呼び名が異なる神の名前の短縮系のひとつである。レゲエの曲で「セラシァーイ!」や「ジャー!」とかけ声が入るのは、神に呼びかけているのだ。

当のハイレ・セラシエ1世自身は自らを神とは名乗らず、エチオピアの人々も人間の皇帝だとしている点で矛盾があるが、1966年にセラシエ自身はジャマイカを訪れている。現在、ジャマイカのラスタファリアンの人と話すと、「ラスタファリズムはライフスタイル」とよく説明される。菜食主義をはじめとしたより自然に近い生活様式で、ナイヤビンギと呼ばれるドラムを叩いてチャント(祝詞)を唱える集会を行う。

外見の特徴としては、聖書の教えを忠実に守って頭髪を自然に任せることから生まれたドレッド・ロックスが有名だろう。ただし、ドレッド・ロックス自体は紀元前、古代文明の時代から存在する髪型だ。ロックス(毛束)が絡み合っているため、専用のシャンプーで頭皮を中心に洗髪する。

Photo by Adrian Boot (Fifty Six Hope Road Music Ltd)

 

2. ボブ・マーリーと女性たち

映画では、妻のリタ以外に多くの女性と交際した描写が出てくる。いまの日本の物差しで測れば、ボブはかなりの浮気者だ。生きていれば、今年で79歳。ミュージシャンだからモテたとか、時代が違うといったわかりやすい理由もあるが、それ以前に奴隷制度があった国の複雑な社会背景を理解する必要がある。

15世紀末にクリストファー・コロンブスが到着して、ジャマイカはスペインの植民地になった。それから300年、スペインとイギリスに支配され、男性の奴隷はサトウキビ畑の農園主にとって道具に近い働き手であり、家庭をもつべき「父親」ではなかった。体裁としてはキリスト教国家に準じた父系社会で、奴隷同士の結婚も認められていたものの、男性は奴隷主の指図ひとつで簡単に移動させられ、つぎの世代の奴隷を産み、育てるのは女性であった。元にいた西アフリカも母系社会であり、男性は複数の女性と自由に関係を持てたのだ

1838年に奴隷制度が廃止されて以降は、黒人の中間層が生まれた。白人と黒人の混血も進み、教育など新たな特権をもつ人々が現れた。1962年にイギリスから独立しても、ヨーロッパから来たキリスト教的な一夫一妻制と、アフリカから伝わった内縁を土台にした母系社会が混在し、その名残はいまでも色濃い。

また、女性のほうが高学歴であるため、中間層でも世帯主が母であるケースが多い。出生率は日本より高いものの、死亡率も高く、移民や出稼ぎなど海外に流出する人口もずっと多い。なんだか社会科の教科書のようになってきた。つまり、日本の常識や物差しでまったく異なる歴史や文化を抱える国の人々の生き方を判断しても、あまり意味がないのだ。ボブは多くの女性を愛した。映画に出てくるように、リタも辛かった時期はほかに恋人を作った。その子どもや孫たちは大体、仲よくしている。そういうことだ

 

3. 国際的な背景があるジャマイカの政情不安

平和を訴えるメッセージを込めた曲を歌っていたボブ・マーリーと、政治家や政党に雇われたギャングとの関わりもわかりづらいだろう。ボブがスタートして活躍する以前の1940年代から、保守的で市場経済を重視するジャマイカ労働党(JLP)と、社会民主主義を標榜する左派寄りの人民国家党(PNP)が2大政党として競っていた。

ボブ・マーリーはPNPのマイケル・マンリー寄りだと目されたことから、JLPを率いたエドワード・シアガとそのシンパのギャングに狙われたとする説が有力だ。ちなみに、シアガは元音楽プロデューサーで、1950年代はボブのメンターであったジョー・ヒッグスと一緒にヒット曲を作っている。

独立後の1970年代は2党間の争いが激化し、首都のキングストンは暴力がはびこっていた。与党だった時期にマイケル・マンリーが共産主義国のキューバのカストロ首相と2国間外交を密にしたことから、アメリカもCIAの諜報員をキングストンに送り込んでいた。経済や人口に比して、異常な数の銃が出回ったのは、さまざまな思惑が入り乱れて武器を供給する背景があったのだ

ボブは自分の権利を主張し、精神を鼓舞する曲を歌っていたが、あくまでもラスタファリアンの思想に基づくものであり、政治的な意図はなかった。だが、アイランド・レコードと契約してスーパー・スターになったことから、有力者たちに警戒されるようになる。1976年12月3日の自宅襲撃は、2日後に行われた「The Smile Jamaica concert」を阻止するためであった。

ボブは前年にスティーヴィー・ワンダーがジャマイカで目の不自由な子どもたちのためにコンサートを開催したことに触発され、似たような無料コンサートを計画した。選挙の年で緊張感が高まるなか、開催を告知した途端、ボブが以前にサポートしたマンリーが選挙日(12月20日)を告知してしまった。そのため、一般市民のためのコンサートが政治的な意味を帯びてしまったのだ。1970〜80年代ほどではないが、現在のジャマイカでも選挙の年にそれぞれの政党カラーであるオレンジと緑の服は着ないほうが無難である。

 

4. ボブ・マーリーの死因

ボブ・マーリーの早すぎた死について、暗殺も含めて諸説が出た。現在は、足の親指にできた悪性黒色腫(メラノーマ)による皮膚がんとの結論が出ている。希少かつ悪性が強い癌で、切断しか治療法がなかった。1979年頃の彼はかなりの痛みを抱えながらステージに立っていたと言われる。ラスタとしての生き方や性格、そして何よりも思い通りにステージに立てなくなるのを嫌がり、切断は受け入れなかった。

伝記『So Much Things To Say』(2017)には、北米ツアーの際に痛み止めのためにかなり強いマリファナが入った特製ドリンクを飲んでいたとの証言が出てくる。ホーンのグレン・ダコスタによると、同じホーン隊のデヴィッド・マッデンがまちがえて飲んでしまったとき、のびてしまったそう。

症状が進んでからボブは放射線治療を受けたり、代替え治療のためにドイツを訪れたりして癌と闘ったが、遅すぎた。1981年5月11日にマイアミで亡くなり、10日後ジャマイカの国立競技場で国葬された。遺体は生誕したナイン・マイルのボブ・マーリー・マウソレウム(霊廟)にある。育った家のレプリカとともに、見学できる。

Written By 池城 美菜子(noteはこちら

※2は、大西英之氏の研究ノート『ジャマイカにおける女性社会-ジェンダーが提起するジャマイカ社会の諸問題』(2001)を参考にしました。


ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ
『One Love: Original Motion Picture Soundtrack』
2024年2月9日配信
日本のみフィジカル(CD、LP)発売決定
CD&LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music


映画情報

『ボブ・マーリー:ONE LOVE』

2024年5月17日日本劇場公開決定
公式サイト / X

■監督:レイナルド・マーカス・グリーン(『ドリームプラン』)
■出演:キングズリー・ベン=アディル(『あの夜、マイアミで』)、ラシャーナ・リンチ(『キャプテン・マーベル』)
■脚本:テレンス・ウィンター(『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』)、フランク・E ・フラワーズ、ザック・ベイリン(『グランツーリスモ』)、レイナルド・マーカス・グリーン
■全米公開:2024年2月14日
■日本公開:2024年
■原題:Bob Marley: One Love
■配給:東和ピクチャーズ
■コピーライト:© 2024 PARAMOUNT PICTURE



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