ヴィキングル・オラフソンという、とんでもない才能を持ったピアニスト

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©Ari Magg / DG

洋楽ファン、特にオルタナティブ・ロックやポスト・ロックに関心のあるリスナーならば、たとえアイスランド語がわからなくても、ビョークやシガー・ロスやアウスゲイルの音楽には日常的に親しんでいると思うし、あるいは映画ファン、特にサントラ好きならば、2018年の突然の死が世界中に衝撃を与えたヨハン・ヨハンソンや、『ジョーカー』でアカデミー作曲賞を受賞したヒドゥル・グドナドッティルの名前を知らない者はいないだろう。

いまさら指摘するまでもなく、アイスランド出身のアーティストたちは過去30年近くにわたって世界の音楽シーンを牽引し続け、多くのファンを生み出してきた。これらのアーティストの華々しい活躍に比べると、アイスランドのクラシック・アーティストはどちらかというと地味な存在だったかもしれない。

ヴィキングル・オラフソンという、とんでもない才能を持ったピアニストが現れるまでは。


ビョークとの共演

百聞は一見にしかず、まずは1本の動画をご覧いただきたい。2009年、アイスランドのテレビ番組に出演したビョークがスタジオで《オーシャニア》(アルバム『メダラ』収録曲)を歌った時、ピアノ2台が彼女の歌を伴奏していた。

画面左側の第1ピアノを弾いている若い青年が、ヴィキングル・オラフソンである。ビョークのファンなら、原曲のコーラスのサンプリングを見事にピアノに置き換え、超絶的な演奏テクニックで再現していることがわかるだろう。

この映像だけでも彼の非凡な才能が伝わってくるが、ビョークとの共演を果たした時点で、ヴィキングル・オラフソンの名を知る者はアイスランド国外にほとんどいなかった。

レーベルを立ち上げ、さらにフェスまで作ってしまう

1984年2月14日レイキャビークに生まれたヴィキングル・オラフソン(アイスランドには姓という概念がない。ヴィキングルが彼自身の名前、オラフソンは「オラフの息子」の意味で、父の名がオラフ)は、作曲もする建築家の父とピアノ教師の母を持ち、ニューヨークの名門ジュリアード音楽院でピアノを学んだ。

普通ならこの後、著名な国際ピアノ・コンクールに出場し、コンクールでの受賞歴を引っ提げて華々しくデビューを飾るところだが、ヴィキングルはそういう道を歩まなかった。より正確に言うと、アイスランド国内の音楽賞を受賞した以外、彼はコンクールというものにほとんど関心を示さず、さらに自分の音楽に磨きをかける努力を地道に続けていったのである。

そして、先に触れたビョークとの共演と同じ年の2009年、なんと自主レーベル「Dirrindí」を設立し、ほぼ1年に1枚のペースで計3枚のアルバムをリリース。そして2012年には、アイスランド出身の演奏家を全面的にフィーチャーしたレイキャビーク・ミッドサマー音楽祭を創設し、自らアーティスティック・ディレクターに就任した。

つまり、いつ受賞できるかわからない国際コンクールなどに目もくれず、自分の音楽を届けるためにレーベルを立ち上げ、さらにフェスまで作ってしまうというのが、ヴィキングルのスタイルなのである。ポップスならともかく、クラシックでこういうキャリアを歩んでいるアーティストは、ほとんど前例がないと思う。

時にモーツァルトのように、時にシューマンのように、時にドビュッシーのように

そんな彼が2016年、クラシックの名門中の名門であるドイツ・グラモフォン(DG)と専属契約を結び、翌2017年にメジャー・デビュー・アルバムをリリースした。

普通のピアニストならショパンのような名曲を録音するのに、ヴィキングルは敢えてそういう道を選ばず、『フィリップ・グラス:ピアノ・ワークス』つまりミニマルの巨匠グラスのピアノ作品集で勝負に出た。そのアルバムの反響の大きさを知りたければ、録音を聴いた坂本龍一の次のコメントを引用すれば充分だろう。

「実はぼくはフィリップ・グラスのあまりいいリスナーではなかった。執拗に繰り返される単純な音型に、食傷気味となることも多かった。しかしこのヴィキングル・オラフソンの弾くグラスは、静謐で軽やかなタッチが心地よく、時にモーツァルトのように、時にシューマンのように、時にドビュッシーのように、つまりとても上品な音楽にきこえてくるから不思議である。彼はグラス音楽の新しい魅力を引き出したと言っても過言ではあるまい」。 

DG第2弾『バッハ・カレイドスコープ』はバッハの小品を集めたアルバムだが、これも凡百のクラシックのピアニストが思いつかないようなユニークな構成でリスナーの度肝を抜いた。普通のピアニストがバッハを録音する場合、例えば『平均律クラヴィーア曲集』や『インヴェンションとシンフォニア』といった曲集をまるまるコンプリートで演奏することが多い。

しかしヴィキングルは「そんな全曲集をまとめて聴かされるなんて、似たような曲ばかりでつまらない」と正直に(!)宣言すると、さまざまな年代の小品をシャッフルし、あたかもプレイリストを作るように配列し直した上で、全体があたかもひとつの巨大な作品のようなアルバムを作り上げてしまったのである。

リワークはバッハを理解するために必要不可欠な要素

ここまでは、まだ他のピアニストも真似できるかもしれない。だが、ヴィキングルはその先を行き、『バッハ・カレイドスコープ』をリワークしたアルバム『バッハ・ワークス&リワークス』をリリースした。

「そもそもバッハ自身、ヴィヴァルディをはじめとする他人の作品を数多くリワークしているのだから、リワークはバッハを理解するために必要不可欠な要素。リワークをしないほうが、むしろ不自然」というのが、ヴィキングルの主張だ。その考えに賛同した坂本龍一や、同郷の作曲家でもあるヒドゥル・グドナドッティルなど、豪華なメンバーが『バッハ・ワークス&リワークス』に参加している。

もちろん、ヴィキングル自身も他のアーティストのリワークに積極的だ。ヨハン・ヨハンソンの遺作となった『エングラボルン(天使たち)リマスタード&ヴァリエーションズ』のために、ヴィキングルはヨハンソン立ち会いのもと、アルバム・タイトル曲のピアノ・ヴァージョンを録音した。

その後も予定されていたというヨハンソンとのコラボは、2018年2月のヨハンソンの死で唐突に打ち切られてしまったが、突然の訃報から1ヶ月後の2018年3月にはヨハンソンの《フライト・フロム・ザ・シティ》をピアノでリワークし、故人の霊前に捧げている。

ヴィキングルのユニークな才能が発揮された『ドビュッシー-ラモー』

僕がヴィキングルの実演を生で聴いたのは、2018年6月の初来日公演で『フィリップ・グラス:ピアノ・ワークス』と『バッハ・カレイドスコープ』の抜粋を弾いたソロ・リサイタルだが、単に2人の作品を弾くだけでなく、200年近く離れた2人の共通点を演奏によって明らかにしていくヴィキングルの解釈に衝撃を覚えた。

つまり、バッハがミニマルのように聴こえ、グラスがバロックのように聴こえてくるのである。どちらがどちらの音楽なのか、全く区別がつかない。このように、一見すると無関係に思える作曲家を並べ、そこから意外な発見をリスナーにもたらすヴィキングルのユニークな才能が存分に発揮されたのが、アルバム『ドビュッシー-ラモー』だ。

フランス印象派を代表するドビュッシーと、どちらかといえば知名度が低いバロック作曲家ラモーの作品を並べ、ドビュッシーがいかにラモーをリスペクトしていたか、ヴィキングルは2人の音楽に共通する絵画性に焦点を当てながら、両者が持つデリケートでチャーミングな魅力を見事に表現している。

以上述べてきたように、ヴィキングル・オラフソンというアーティストは、単なるクラシック演奏家というより、プレイリストとリワークが当たり前になった現代の音楽シーンに見事に合致した、おそらく史上初のクラシック・アーティストではないかと思う。

クラシック・ピアニストとしては、異例のストリーミング再生回数を誇っているヴィキングル・オラフソンに、時代が追いついたのである。

Interviewed & Written By  前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)


ヴィキングル・オラフソン
『リフレクションズ』
2021年3月12日発売
CD / iTunes / Amazon MusicApple Music / Spotify



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