《白鳥の湖》:チャイコフスキーのロマンティックなバレエの傑作ガイド
《白鳥の湖》は、ロシア・バレエの黄金時代を築いたチャイコフスキーの3つのバレエ(他の2つは《眠れる森の美女》と《くるみ割り人形》)のうち、最初に作られた作品で、クラシック・バレエの中でも最も人気のある作品の一つだ。
1875年から1876年にかけて作曲された全4幕のロマンティック・バレエで、1877年3月4日にモスクワのボリショイ劇場でユリウス・ライジンガーの振付けで初演された。しかし、現在最もよく目にするのは、チャイコフスキーの死から2年後の1895年1月27日にサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で初演されたマリウス・プティパとその弟子、レフ・イワノフの振付による改訂版である。
チャイコフスキーの《白鳥の湖》は、おすすめの録音、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるバレエ組曲をお聴きいただきたい。
白鳥の湖:チャイコフスキーのロマンティックなバレエの傑作ガイド
ロマンティック・バレエの最高峰である《白鳥の湖》は、これほど有名な作品でありながら、その成り立ちは意外にも曖昧だ。チャイコフスキーは毎年夏に、同じ3つの場所や友人を訪ねる習慣があった。彼が交響曲第2番と第3番、そして《白鳥の湖》を書いたのはこれらの場所であった。
家族によれば、1871年の夏にはチャイコフスキーが姪や甥のために書いた《白鳥の湖》というバレエが私的に上演されたという。チャイコフスキーの妹アレクサンドラ・ダヴィドヴァのカメンカ(ウクライナ)の屋敷で行われた。ある情報提供者は、後のバレエでおなじみの「白鳥の主題」がこの時期に初めて登場したと主張している。他方では、1867年の夏に作曲されたという主張もある。
また、バレエのリブレット(台本)を誰が作ったのかも不明だ。ロシアの文化は昔から童話を多用しているが、《白鳥の湖》の出典としてよく挙げられる2、3の童話は、舞台で踊られる物語とは似ても似つかないものだ。
ライジンガーが台本を作ったという説と、モスクワ帝国劇場の館長であるウラジーミル・ベギチェフがダンサーのワシリー・ゲルツェルと共同で作ったという説がある。印刷されたリブレットには、引用された文献が書かれていない。
チャイコフスキーはバレエ音楽“専門”の作曲家の作品を学んだ
しかし、1875年5月に800ルーブルの報酬で楽譜を依頼したのはベギチェフであったことがわかっている。また、チャイコフスキーは仕事を始める前に、チェーザレ・プーニ(1802-70)やルートヴィヒ・ミンクス(1826-1917)といったバレエ音楽専門の作曲家の音楽を勉強していたこともわかっている。
これらの作曲家は、軽快なリズムで旋律的だが、芸術性のあまり高くない作品を多く書いていた。チャイコフスキーが最も尊敬していた2人のバレエ音楽の作曲家は、フランス人だった。アドルフ・アダンとレオ・ドリーブである。アダンが1844年に作曲した《ジゼル》は、現在でも最も有名なレパートリーのひとつであり、チャイコフスキーのお気に入りのバレエだ。
アダンは、《白鳥の湖》や《眠れる森の美女》でチャイコフスキーが採用したライトモティーフ(ある音楽のテーマを特定の人物や感情と結びつける手法)を用いている。ドリーブについては、後にチャイコフスキーが弟子の作曲家セルゲイ・タネーエフに宛てた手紙の中で、「ドリーブのバレエ《シルヴィア》を聴いた……何と魅力的で、何と優雅で、何と豊かなメロディ、リズム、ハーモニーだろう。なんと恥ずかしい。もしこの音楽を知っていたら、私は《白鳥の湖》を書かなかっただろう」と書いている。
1875年7月18日から8月中旬にかけて、チャイコフスキーは交響曲第3番を完成させ、《白鳥の湖》の2幕を書き上げた。そして1876年4月に遂に完成させた。10年以上後に作曲された《眠れる森の美女》とは異なり、チャイコフスキーとバレエマスター(バレエ団の上演責任者。
新作の振付けやレッスンなどを行う芸術監督的役割を指す)のライジンガーとの間では、音楽の詳細についてのやりとりはあまり行われなかった。不思議なことに、チャイコフスキーは当時モスクワに住んでいたにもかかわらず、1876年の大半のリハーサル期間中、関わった記録がないのである。また、《白鳥の湖》の楽譜は、バレエマスターが自由に繰り返したり、削除したりできるようになっている。リハーサル資料や演奏譜は残っていない。
主な役柄
主な役柄は以下の通り。
オデット(別名:白鳥の女王、白鳥)、ロットバルトによって白鳥に変えられた
ジークフリート王子、オデットと恋に落ちるハンサムな王子
フォン・ロットバルト男爵、オデットに魔法をかける悪の魔術師
オディール(黒鳥)、ロットバルトの娘
ベンノ(フォン・ゾンマーシュテルン)、王子の友人
王妃(別名:クイーン・マザー)、ジークフリート王子の母
ヴォルフガング(王子の家庭教師)
演出によってストーリーのヴァージョンや解釈は異なるが、本質的な要素は変わらない。
第1幕 宮殿の前の広大な公園
ジークフリート王子が誕生日を迎え、祝福されている。そこにはワインが流れ、ヴォルフガングが戯れており、皆が踊っている。祭りが王妃によって中断され、息子の気ままな生活を心配して翌日の夜までに結婚相手を選ばなければならないと告げる。
王妃は去り、祝宴は再開されるが、ジークフリートは当然のことながら、恋愛をすることなく結婚しなくてはならないと落ち込む。夜になるとベンノはジークフリートの気分を盛り上げようと、頭上に白鳥の群れが飛んでいるのを見て、白鳥狩りに行こうと提案する。
第2幕 廃墟となった礼拝堂の近くの森の中の湖畔の空き地
友人たちと別れたジークフリートは、白鳥が頭上を飛ぶ頃に空き地に到着する。ジークフリートは石弓で狙いを定めるが、白鳥の一羽が美しい乙女に姿を変えたので凍りついてしまう。彼女はオデットといい、自分たちは悪魔ロットバルトにかけられた呪いの犠牲者であると説明する。
この呪いを解くことができるのは、これまで一度も愛したことがなく、オデットを永遠に愛すると誓った者だけである。白鳥の乙女たちが平原に現れると、ジークフリートはクロスボウを壊して、オデットへの永遠の愛を宣言する。しかし、夜が明け、呪文は彼女と仲間たちを白鳥に戻してしまう。
第3幕 宮殿の華麗な舞踏会
宮殿にゲストたちが到着し、6人の王女がジークフリートに花嫁候補として紹介される。彼は誰も選ばないが、そこへロットバルトが、オデットに似せた娘オディールを連れてやってくる。オデットも現れ、ジークフリートにこの策略を警告しようとするが、ジークフリートはオデットに気づかず、オディールと結婚すると宣言してしまう。
ロットバルトはオディールの手をジークフリートに取らせ、オデットの魔法の幻影を見せる。自分の過ちに気づいたジークフリートは、悲しみのあまり湖に逃げ込む。
第4幕 湖のほとり
白鳥の乙女たちに慰められたオデットは取り乱している。そこへジークフリートが現れ、彼女に許しを請う。オデットは許すが、彼の裏切りによって魔法が解けなくなってしまった。そこに嵐が起こる。オデットは白鳥として永遠に生きるのではなく、死を選択する。
ジークフリートは彼女と一緒に死ぬことを選び、彼の腕の中に落ちた二人は海の底に消えていく(作品によっては、神格化されて天に昇ることもある)。これでロットバルトの白鳥の乙女たちへの呪いは解け、邪悪な力を失ったロットバルトは死ぬ。嵐が去り、月が出て、静かな湖に白鳥の群れが現れる。
チャイコフスキーの《白鳥の湖》の壮大な楽譜は革命的だった
チャイコフスキーの《白鳥の湖》の壮大なスコアは、今では当たり前のように使われているが、当時としては画期的なものであった。大規模なオーケストラのために作曲され、33のパートがある(例えば、ワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」で使われるオーケストラよりも使用される楽器が5つ多いのだ)。
それまでのバレエ専門の作曲家のように、舞台上の人物や出来事だけを描くのではなく、また物語に関係のない踊りを並べた音楽ではなくなった。また、チャイコフスキーは、フル・オーケストラ・スコア以外にも、数え切れないほどの魔法のようなオーケストレーションを行っており、さまざまな調性を巧みに使用することで、物語のさまざまな要素をまとまりのある全体像に結びつけている(例えば白鳥にはロ短調、ロットバルトにはヘ短調を使用)。
《白鳥の湖》の初演は大失敗だった
しかしこのような状況の中、1877年3月4日(金)にモスクワのボリショイ劇場で行われた《白鳥の湖》の初演は大失敗に終わった。指揮者は複雑な楽譜をうまく表現できず、舞台装置や振付けは二流で、さらに、主役のオデットを演じる予定だった優秀なバレリーナ、アンナ・ソベシチャンスカヤが、モスクワの高官からの結婚を承諾した後、プレゼントされた宝石をすべて持ち出して売り、仲間のダンサーと駆け落ちしたと告発され、解任されてしまったのである。
作曲家の弟、モデスト・チャイコフスキーは、「作品の貧しさ、優れたダンサーの不在、バレエマスターの想像力の弱さ、そして最後にオーケストラ……これらすべてが相まって、(チャイコフスキーは)失敗の責任を他人に負わせることができたのだ」と記している。
しかしながら-これはあまり語られていないのだが-、《白鳥の湖》のプロダクションは6年間レパートリーとして生き残り、ボリショイの他の多くのバレエのレパートリーよりも多い41回の公演が行われた。
しかし、これはチャイコフスキーの死後、イタリアの作曲家・指揮者であり、長年サンクトペテルブルク帝国バレエ団の音楽監督を務めたリッカルド・ドリーゴ(1846-1930)による改訂版による成功によるところが大きい。
リブレットには様々な変更が加えられ(上記参照)、4幕構成は3幕構成になった(第2幕は第1幕第2場に変更された)。新しい《白鳥の湖》は、1895年1月27日(金)にサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で初演され、温かく迎えられた。
最後に1点。バレエ全体の中で最も有名な部分の一つは、チャイコフスキーの後付けの部分で、オリジナルの演出では含まれておらず、改訂版で踊られているものだ。そして第3幕では、ジークフリートとオディールが踊るパ・ド・ドゥがあり、オディールによる有名な「32回のグラン・フェッテ(回転しながら脚を曲げたり伸ばしたりする動作)」で終わる。
この曲と、第1幕の優美な「ワルツ」、第2幕の楽しい「白鳥の踊り」は、この偉大な作品の最もよく知られた音楽的なハイライトである。
Written By uDiscover Team