ラン・ラン、『サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番、組曲《動物の謝肉祭》他』を語る最新インタビュー
2024年3月に、カミーユ・サン=サーンスをはじめとするフランス人作曲家に焦点を当てた新作『サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番、組曲《動物の謝肉祭》他』をリリースしたピアニスト、ラン・ラン。
新作は、サン=サーンスの作品「組曲《動物の謝肉祭》」「ピアノ協奏曲第2番」のほか、ドビュッシーやラヴェルの小品、さらにリリ・ブーランジェといったフランス人女性作曲家たちの作品を収録している。指揮者アンドリス・ネルソンス率いるゲヴァントハウス管弦楽団、そして妻でピアニストのジーナ・アリスといった豪華な演奏キャストと共にお届けする、まさにフランス作品の“カーニバル”のようなアルバムだ。
ラン・ランは、新作にどんな思いを込めたのだろうか。音楽ライター、高坂はる香さんによるインタビュー。
—今回はフランス作品ばかりを集めた、これまでと一味違ったアルバムをリリースされました。
私は長らく、フランス音楽のアルバムを録音したいと思っていました。ただうまく選曲しないと、全体を聴いたときにぼんやりとした印象になってしまうのではないか、骨のない、過剰な香水のようになるのではという心配があったのです。そこで、印象派だけでなく構造のしっかりとした作品もバランスよく取り入れたプログラムを考えました。
以前、広く親しまれる作品を集めた『ピアノ・ブック』というアルバムを録音しましたが、これはそのフランス版です。朝目覚めたとき、夜眠りにつく前、あるいは忙しく働いたあと心を落ち着かせたいときに、ちょうど合うと思います。心を慰め、一息つかせてくれるアルバムです。
—フランス音楽に合う音を鳴らすうえで大切なことはありますか?
フランス音楽を録音するため、私は機が熟するのを待っていたところがあります。中国で生まれ育ち、アメリカで学び、ドイツで長い時間を過ごした私にとって、フランス文化は特別で人々の感覚も全く別物なので、その感性をよく知る必要がありました。
そんな中、結婚してからパリで過ごす時間が増えて、フランスの友人が増えたことで、少しずつフランス社会に親近感を覚えるという変化がありました。まだフランス語は話せませんけれど。そうして彼らの感性を知るにつれて、そこにアジア風、東洋風の要素を感じるようになりました。例えば彼らはアジアの哲学や寺院に関心を持ち、日本画も好みます。東洋的な感性を持つヨーロッパ人といえるのです。
フランスの芸術からは、水彩画のような雰囲気、ささやくような精神を感じます。音楽で、目覚めと眠りの間のような感覚、目を開けているようでほとんど閉じているようでもある、さまざまな色や次元のレイヤーを表現することが得意です。私はこうした、やわらかく、無理をする必要のない、ささやくような音による演奏でイリュージョンを生み出すことが好きです。血肉を感じるドイツ音楽やロシア音楽とは全く別の感覚ですね。
音符の背後にあるものを感じさせながら表現するのは、とても東洋的な感性だと思います。こればかり毎日演奏していたらトゥーマッチに感じるかもしれませんが(笑)、折に触れてフランス音楽から異なる香りを味わうことが、私は大好きです。
—シノワズリの流行など、フランス人の中国趣味は古くから続くことですね。ラン・ランさんからみて、彼らがシノワズリに魅了されるのはなぜだと思いますか?
昔も今も、フランス人は常に他とは違った何かを求めている人たちです。彼らは常に、イギリスでもドイツでもアメリカでもない、彼ら自身として、自分で決断をしたい。そのため外国の文化を持つ者が溶け込もうとすると、最初は難しく感じますが、いったん入ってしまえば、彼らがとても素敵な人たちだとわかります。芸術的、個性的でありながらも、アグレッシブというよりはエレガントさを持っています。“私に構わないでください、そのことはわかっていますから”という態度だけれど、決して頑ななわけではなく、流動的に受け入れてくれます。
特にアーティストに対してはとてもフレンドリーです。パリは時代を超越して魅力のある街で、暮らしていたら誰もがアートを生み出したいと思うのではないでしょうか。
例えば、カフェでコーヒーを飲むにしても、誰も急いでいない。人々が仕事に追われている忙しい街とは違って、ゆっくりしたテンポで物事が進んでいます。それは彼らの音楽、アート、ファッションに結果として表れているように思います。急いでいないからこそ、信じられないようなものを生み出すことができるのでしょう。
—ドビュッシー「小組曲」とサン=サーンス《動物の謝肉祭》で、奥様でピアニストのジーナ・アリスさんと共演されています。ご夫婦でのレコーディングはいかがでしたか?
お互いをよく知り理解しあっていますから、その点はよかったですね。一方で難しいところもありました。今回の収録曲を、私はかつてダニエル・バレンボイムやマルタ・アルゲリッチと弾いたことがあるんですよ。いわば、世界最高峰の音楽家と一緒に演奏した作品を、最初のスケッチから組み立て直さなくてはならなかったわけで、4手ピアノとしてのシナジー、コントロール、バランスを一定レベルまでもっていくのは長い道のりでした。
でもジーナはとてもよくやってくれたと思います。この種の音楽をユニークな仕上がりにするのは簡単なことではありません!
—サン=サーンスのピアノ協奏曲第2番は、ラン・ランさんの演奏で聴くと、とても華やかで美しい作品だということがわかります。それなのになかなか演奏機会がないのは、なぜだと思いますか?
本当に、なぜなのかわからないですよね! 昨年ウィーンフィルと共演しましたが、彼らはこのレパートリーを演奏するのが60年ぶりだと言っていました(笑)。結果的にその素晴らしさに気づいて驚いたと言ってくれたので、よかったですけれど。
私は以前からサン=サーンスのピアノ協奏曲が大好きで、なかでも第2番は、地球上で最高のピアノ協奏曲の一つだと思っています。メンデルスゾーンとJ.S.バッハの要素も含み、そこにフランスらしい風味があわさっています。
—サン=サーンスは長命で、気鋭として新しい作風を打ち立てた頃から重鎮となった晩年まで、大きく変容するフランス音楽界のなかで立ち位置が変化していったと思います。彼の存在についてどう感じますか?
サン=サーンスはフランス音楽界でとても重要な役割を果たしました。協奏曲にはドイツ的でアカデミックな手法を取り入れていますが、同時にとてもフランス的な感性を生かし、フランスのロマン派音楽に自由をもたらしました。とてもロマンティックな人物だったことが、音楽から伝わってきます。
ただその後のフランスの作曲家たち、例えばドビュッシーなどは、全く新しい独自のスタイルを確立しています。その意味では、サン=サーンスは伝統的かつ古典的な作曲家だったといえます。今回私がこの録音をライプツィヒで行ったのは、サン=サーンスの作品の多くがライプツィヒのゲヴァントハウスで初演されているからです。このオーケストラは彼とつながりがあり、作品にも愛着を持っています。
サン=サーンスは偉大なオルガン奏者で、作品にオルガン的な表現を多く取り入れました。同時にピアノの名手でもあり、協奏曲でもソロパートが充実していて、彼自身、とても即興的なスタイルで自由に演奏していたことが伝えられています。
—《動物の謝肉祭》については、どんなところに魅力を感じますか?
これは決して子供向けの簡単な作品ではなく、すばらしい傑作だと私は思っています。だからこそ、録音するなら優れたオーケストラが必要でした。
—サン=サーンスは生前、《動物の謝肉祭》の「白鳥」以外は出版、演奏を禁止したそうですよね。やはりその気持ちはわかりますか?
そうですね、他の作曲家をからかうような、下品なジョークや皮肉を次々繰り出しているような作品だから、あとでちょっと気まずくなったのかもしれません(笑)。
—さらに今回のアルバムには、フランスの女性作曲家たちの作品も収録されています。知られざる名曲を世の中に紹介することへの使命感はありますか?
はい、私はいつも、聴き手が何か新しいものに出会い、アイデアを広げる助けになったらいいなと思っています。
今回は5人の驚くべき才能を持つ女性作曲家を取り上げました。こうした作品は、自分自身と精神的、身体的につながりを感じるものでなくてはいけません。そうでなくては良い演奏はできませんから。知られざる作品を演奏するということが目的になってしまうことは避けるべきです。自分が深く繋がっている作品でなければ、その良さを人に伝えることはできませんからね。
アルバム全体を通じて、まったく異なるいろいろな種類の音楽の香りを感じていただけたら嬉しいです。そして、カラフルで幻想的で夢のようなフランス音楽の世界を、存分に味わってほしいと思います。
Written & Interviewed by 高坂はる香
■リリース情報
2024年 3月1日 (金)発売
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