ストラヴィンスキーの《春の祭典》初演時の暴動

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Photo: David Ramos/Getty Images

イーゴリ・ストラヴィンスキーの《春の祭典》の初演は、1913年5月29日、パリのシャンゼリゼ劇場でディアギレフ率いるバレエ・リュスによって初演された。このバレエは、有名な暴動を引き起こした。ストラヴィンスキーの前衛的な楽譜とニジンスキーの振付けに観客は激怒し、多くの人々が「まるで狂人の仕業のようだ」と考えた。

ストラヴィンスキーの《春の祭典(Le Sacre Du Printemps)》は、エサ=ペッカ・サロネン指揮のロサンゼルス・フィルハーモニックが演奏している。


ストラヴィンスキーの《春の祭典》初演時の暴動

《春の祭典》初演時の暴動は、音楽や振付けの衝撃だけが理由ではなかった。当時のパリのバレエ団の観客は、美しい音楽と伝統的な演目を期待する、裕福でファッショナブルな層と、新しいものを求めるボヘミアン層の2つに分かれていた。

指揮者のピエール・モントゥーは、この賛成派と反対派の2つのグループがお互いに攻撃を始めたことがトラブルの始まりだと考えていた。そのときのことについて、「使えるものはすべて我々の方向に投げられたが、我々は演奏を続けた」と語っている。

「狂人の仕業……完全な不協和音だ」-プッチーニ

バレエの第1部が終わったときには、すでに警察が到着しており、およそ40人が逮捕されていた。このような騒動の中でも、公演は中断することなく続けられた。第2部になると騒動はかなり収まり、最後には何度もカーテンコールが行われた。作曲家のプッチーニは「狂人の仕業……完全な不協和音だ」と書いている。

ストラヴィンスキーは自伝(『私の人生の年代記』)の中で、初演時《春の祭典》の「序奏」の最初の小節を迎えたときの嘲笑的な笑い声に嫌気がさし、客席を離れて舞台袖から残りの演奏を見たと書いている。

ストラヴィンスキーは、ディアギレフに誘われてバレエ・リュスのための作品を書いたときまだ、無名の若手作曲家であった。《春の祭典》は、《火の鳥》(1910年)、《ペトルーシュカ》(1911年)に続く、ストラヴィンスキーのバレエ・リュスのための第3のプロジェクトであった。

ストラヴィンスキーは《火の鳥》を作曲していた1910年には《春の祭典》のアイディアを思いついていたが、《ペトルーシュカ》を作曲するために1年間これを保留し、1911年の夏に《春の祭典》の作曲に没頭したのである。

「《春の祭典》では、私は何のシステムにも導かれなかった」-ストラヴィンスキー

ストラヴィンスキーがインスピレーションを得たのは、やはりロシアの民間伝承であった。春の到来を祝うさまざまな原始的な儀式の後、少女がいけにえとして選ばれ、死ぬまで踊り続けるのである。《春の祭典》の前衛的な楽譜は、音楽的にはあらゆる規則に反するものであった。

楽譜には、調性、拍子、解決せず緊張し続ける和声、そして不協和音(通常の和声の意味をなさない音の組み合わせ)の実験など、当時としては斬新な要素が多く含まれている。冒頭でファゴットが奏するリトアニア民謡「私の妹」の旋律からすでに楽器の音域的に厳しい(高すぎる)音が意図的に使用され、音楽はまったく前例のない方法でリズム的に複雑になっている。

さらに深いところでは、人間の感情を表現するという、多くの人にとって音楽の意味を与えているものを否定しているのだ。ストラヴィンスキーの言葉を借りれば、「《春の祭典》には、心の中を見つめる領域がない」ということになる。

1961年、イーゴリ・ストラヴィンスキーは、「《Le Sacre Du Printemps(春の祭典)》では、何のシステムにも導かれなかった」と書いている。「私には耳だけが頼りで、聞いたことを書いた。私は《春の祭典》を通過させた器にすぎない」という。

《春の祭典》の初演で、ニジンスキーの振付けは観客にとって本当に衝撃的だったようだ。彼らの足取りの重いステップは、伝統的で優雅なバレエとはかけ離れていた。

初演から1年後、パリで演奏会用の作品として初演されたとき、ストラヴィンスキーはファンに肩車されて大喝采を浴びたという。《春の祭典》は舞台用に作られた作品ではあるが、コンサートホールでより大きな影響を与えたというのが、多数の解説者による意見である。

「20世紀で最も重要な音楽」-レナード・バーンスタイン

《春の祭典》は、1913年の初演時にはスキャンダルを引き起こしたが、現在では20世紀の最も影響力のある音楽作品のひとつとして広く知られている。伝統的な作曲法による秩序立ったハーモニーや心地よい響きを大胆に否定したモダニズムの代表作となったのだ。レナード・バーンスタインは《春の祭典》を「20世紀で最も重要な音楽」と表現している。

『《春の祭典》は音楽の歴史を変えた……』-エサ=ペッカ・サロネン

ストラヴィンスキーの《春の祭典》でおすすめの録音の指揮者であるエサ=ペッカ・サロネンのインタビューをぜひお聞きいただきたい。彼は、「《春の祭典》は一種のバイブルであり、私に多大な影響を与えた作品である……《春の祭典》は音楽の歴史を変えた」と語っている。

 

おすすめの録音

ストラヴィンスキー《春の祭典》のおすすめの録音は、エサ=ペッカ・サロネン指揮ロサンゼルス・フィルハーモニックの演奏だ。

「《春の祭典》の複雑な楽器のディテールがこれほど明らかにされているのを聞いたことあるだろうか……序奏の木管が絶妙に、実に不気味なほど厳密に分離して響いている……」-『BBCミュージック・マガジン』

「ストラヴィンスキーの衝撃的な《祭典》は、素晴らしい録音のおかげで、この作品のオーケストラの独創性をこれほどまでに感じさせてくれる。これほどの演奏にはそう出会えない”-アップル・ミュージック

エサ=ペッカ・サロネン指揮、ロサンゼルス・フィルハーモニックによるストラヴィンスキーの《春の祭典》はこちらからお聴きいただくことが可能だ。

ストラヴィンスキーの定盤

ストラヴィンスキーの定盤はこちらからお求めいただくことができる。

Written By uDiscover Team




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