ルドヴィコ・エイナウディが語る、夏の思い出を詰め込んだ最新作『サマー・ポートレイト』
イタリアのコンポーザー・ピアニスト、ルドヴィコ・エイナウディから約3年ぶりとなるオリジナル・アルバム『サマー・ポートレイト』が届けられた。
近年では「世界でもっともストリーミング再生されているクラシック・アーティスト」として知られるエイナウディだが、累計ストリーミング再生数390億超という驚異的な数字は、彼の音楽がいかに多くの人々の日常に溶け込み、心に寄り添ってきたかの証左だろう。
新作ではどんな心象風景を私たちに見せてくれるのだろうか。インスピレーションを与えた経験や、少年時代の大切な夏の思い出、アルバムの制作過程、そして4月に控えた来日ツアーについて、オンラインで話を伺った。
◆子ども時代の大切な夏の日の記憶から
――前作『アンダーウォーター』はパンデミックに覆われた世界に安らぎを与えるようなソロ・ピアノ・アルバムでしたが、今作はオーケストラもフィーチャーされて音数が増え、とても開放的なアルバムになりましたね。
とくに前作との対比を意識したわけではありませんが、ソロ・ピアノ・アルバムの次は、さまざまな楽器を使ってカラフルな音色をキャンバスに描くような、広がりのあるサウンドにするのがいいかなと考えました。アルバムごとに色合いを変えてみたかったんです。
――アルバムを作る際は、最初に全体のコンセプトから固めていくのでしょうか? それとも手元に書き溜めた曲が集まって一枚のアルバムになるのでしょうか?
その両方だと言えるでしょうね。私はほぼ毎日、なにかしら録音をしているので、つねにたくさんのアイデアが手元にあります。そのほとんどは未完成で、ツアーでのサウンドチェックや自宅での作業中に思いついて録りためた、ちょっとしたスケッチのようなもの。昨夜もスマートフォンに録音しましたよ。そういったアイデアにはまだ方向性はありませんが、だからこそ、どんな方向にも進める無限の可能性を秘めているのです。
その一方で、私は日々の生活において音楽以外にも目を向けて、インスピレーションを与えてくれるものを探しています。たとえば本の中や家の中にも、想像力を刺激してくれるなにかを見つけることがあります。
――今作は、イタリア・エルバ島の古い民家で見つけた絵画からインスピレーションを受けたそうですね。
昨年の夏、家族と休暇を過ごすために借りた小さな家の寝室に、6枚の木板に描かれたとても美しい油絵がかかっていました。人物は描かれておらず、家や庭、海、木々といった自然の風景が描かれていました。貸別荘に飾られている絵の多くはただ壁を飾るだけのものだったりしますが、その油絵からは「人の魂」が感じられたんです。絵について聞いたところ、1950年代にその家を訪れていた女性が夏の間に描いたものだと教えられました。
その話を聞いて、彼女と家族がどんな夏を過ごしていたのかに思いを馳せました。彼女は絵を描き、子どもたちは海で遊ぶ……そんな光景が思い浮かんで、自然と僕自身の子どもの頃の夏の思い出につながっていきました。
毎年、夏になると私の家族は3ヶ月間ほど海辺の家で過ごしていました。父はずっといるわけではありませんでしたが、母と姉妹と過ごす夏は本当に特別でした。長い夏の1日はまるで1ヶ月、いや1年にも感じられるようだった。ただの休暇ではなく、私にとっては世界を知る最高に豊かな時間でした。
夏は朝7時には太陽が昇り、夜10時ぐらいまで明るかったので、友だちと裸足で自転車を乗り回し、なににも縛られず、気ままに過ごしました。雨に降られて濡れることも、自転車から落ちで怪我をすることもありましたが、それさえも楽しくて、すべてが美しい経験でした。私の世界のすべてはあの夏の日々にあったのだと思うほど、特別な時間が流れていました。それ以外の時期は街に戻り、学校に通ったり、いろんな義務をこなす日常が待っています。光も夏ほど明るくはありません。でも夏はすべてが自由で、私はその日々を心から愛していました。
――イタリアの夏とは違いますが、自分が経験した夏の記憶の断片……海の匂いや、生い茂った草が皮膚に触れる感覚などが、エイナウディさんの音楽を聴いているとよみがってくるようです。
それは素晴らしいですね。私だけでなく、多くの人の心に「夏の日の記憶」があるのではないかと思いました。そして、音楽がリスナーをその世界に引き込んでくれる。あとはそれぞれが自分なりの形で、自由に音楽と繋がっていくことを目指しました。
◆オペラ指揮者だった祖父に捧げた一曲
――アルバムには「Punta Bianca」や「Rose Bay」など、土地の名前がつけられた曲がありますね。場所と、そこに紐づいた記憶、そして音楽。その3者の関係についてどう考えますか?
たしかに、ある場所が遠い日の記憶を呼び起こすことはありますね。「Punta Bianca(プンタ・ビアンカ)」はシチリア島にあるビーチで、友人や家族と一緒に夏を過ごした思い出の地です。
「Rose Bay(ローズ・ベイ)」はオーストラリアのシドニー郊外のビーチですが、私の母方の祖父は1930年代に政治的理由でイタリアを離れ、シドニーに移住したんです。やがて戦争が始まり、その後も体調を崩してイタリアに戻ることなく、生涯をシドニーで暮らしました。
昨年1月、私はシドニー・オペラハウスに出演したとき、夕陽が沈むシドニー湾を行き交う船を眺めながら、楽屋のピアノでコードを弾きました。それをあとで聴き返し、祖父へのオマージュとして曲に仕上げることにした。それが「Rose Bay」という曲です。一度も会ったことのない祖父ですが、母から聞く話を通してずっと繋がりを感じていました。
――「Maria Callas」という曲もありますが、奇しくもシドニーに移住したお祖父様はオペラの指揮者だったそうですね。
祖父はオペラの指揮者で、エンリコ・カルーソーとも友人でした。そんな祖父との思い出を大切にするため、母はいつも家でイタリア・オペラを聴いていました。もちろん、マリア・カラスもそのひとつでした。
とはいえ「Maria Callas」という曲が生まれたのは偶然です。ある日、いつものように曲のアイデアをある場所で録音しました。その場所というのが、スマートフォンの位置情報から「マリア・カラス広場」だとわかったので、音源のタイトルを仮に「Maria Callas」としておいたんです。あとで聴き返すと、どこかオペラ・アリアのような音楽だったので、チェロに声楽パートを歌わせようと思い、ピアノとチェロの曲に仕上げました。そして、曲名はそのまま「Maria Callas」にしました。この曲の生い立ちを考えると、それがピッタリだと思ったから。
――お祖父様が引き合わせたのかもしれませんね。
そうですね。
◆バンドとアレンジを組み上げていくことも
――今作はロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のストリングスとのレコーディングですが、作曲の時点でオーケストレーションも同時に考えていくのでしょうか? それとも曲を書き上げたあとで振り分けていくのでしょうか?
まずは骨組みとなるアイデアを練り、ピアノで弾いて曲にします。その後、「ここはストリングスでやろう」とか「ここにはヴァイオリンのソロを入れよう」といったアレンジのイメージを具現化していきます。でも、ミュージシャンたちとスタジオで一緒にアレンジを作り上げていくこともあります。そういうときはベースからはじめ、楽器を少しずつ重ね、キャンバスが完成するまで進めていきます。
――クラシックのようにすべて譜面に書くこともあれば、バンド的な発想でオーケストレーションしていくこともあると?
どちらのケースもありますね。自分のなかでアレンジについて明確なアイデアがあるときは楽譜を用意します。もしくは、あまりレコーディングの時間がないときも、きちんと楽譜に書き出してからスタジオに入ります。そういう場合は、あとで修正を加えたとしてもわずかです。
一方で、より即興的なアプローチをしたいときは、私がピアノで「このフレーズを試してみよう」と提案し、それをヴァイオリンが弾いて「もう少し遅くしよう」といったようにアイデアを出しながら決めていきます。こういったオープンなやり取りができるのは自分のバンドだからです。
――バロック・ヴァイオリニストのテオティム・ラングロワ・ド・スワルテが参加していますが、彼とは以前からコラボレートしているのですか?
今回がはじめてでしたが、これまでも彼の演奏はずっと聴いていました。とくにヴィヴァルディのアルバムは本当に美しかった。それでInstagramでメッセージを送ったら、彼も僕の音楽のファンだったという返信があり、すぐに「何か一緒にやろう!」と盛り上がりました。
バロック風のテクスチャーが感じられる曲の断片があったので、さっそく彼に送ってみました。まずは電話でアイデアを交換し、実際のレコーディングはロンドンのアビー・ロード・スタジオで行ないました。「Sequence」「Pathos」「To Be Sun」という3曲で、素晴らしいヴァイオリンを弾いてくれました。
◆世界に寄せる愛のすべてを音楽に
――いよいよ4月には、待望の来日公演が予定されています。ベースやパーカッションを加えたバンド編成でのライヴも多くやっていらっしゃいますが、今回はどのような編成になりますか?
チェロ、ヴァイオリン、アコーディオン、パーカッション、そして僕のピアノという5人編成のバンドでのライヴになります。2020年の公演はパンデミックの影響で中止になってしまったので、日本は2018年以来7年ぶり。『サマー・ポートレイト』からの曲はもちろんですが、以前のアルバムからの曲も演奏しようと思っています。大好きな日本にようやく戻れることがとても嬉しい。今回は公演後、家族と少し日本で休暇を楽しむ予定でいるんですよ。
――エイナウディさんにとって、ライヴとレコーディングは別ものですか?
まったく違うものだと捉えています。というのも私たちのサイクルでは多くの場合、アルバムをリリースしてからツアーに出るので、作曲してからすぐにレコーディングしなければなりません。作曲 → ライヴ → レコーディング という順番にはどうしてもならないんです。
でも音楽というのは、ライヴを重ねていくうちに想像以上に成長していくものです。レコーディングしたときは最高だと思っていても、演奏し続けることでさらに深いレベルへと進化していく。ときにには私自身が思いもよらなかった新しいアイデアが生まれて、その要素を加えることもあります。半年もツアーを続けていると、もう1枚アルバムを作れるぐらいになるのです。
――世界を見渡すと暗いニュースが多い今、エイナウディさんはご自分の音楽がどんなふうに聴き手に届くことを願っていますか?
私は自分が見たいと願う理想の世界を、音楽に込めているのだと思います。願うのは平和な世界、誰もが自分の居場所を持てる世界、貧しさがなくなり、すべての人々や文化が平等に存在する世界です。違いを持った者たちはその世界で共存し、争うことがない。自然が尊ばれ、美しい楽園の中で人々は平和に暮らす――。この地球は美しい楽園です。そこに暮らす人間はなんと恵まれていることか。私たちはそれを壊してはならないのです。そうした世界に寄せる愛のすべてを私は音楽に込めていますし、そのメッセージが聴いてくださる皆さんに伝わることを願っています。
――たくさんの興味深いお話をありがとうございます。
こちらこそ。日本に行くのを本当に楽しみにしています。素敵な会話をありがとう。
Interviewed & Written by 音楽ジャーナリスト 原典子
■プロフィール
現在、イタリア政府音楽大使を務めるルドヴィコ・エイナウディは1955年11月23日、トリノの名門に生まれた。
祖父ルイージ・エイナウディはイタリア共和国第2代大統領を務めた経済学者、父ジュリオ・エイナウディは老舗出版社「ジュリオ・エイナウディ・エディトーレ」(現在はベルルスコーニ一族が率いる大手出版社モンダドーリ傘下)の創立者。ミラノのジュゼッペ・ヴェルディ音楽院でアツィオ・コルギに作曲を師事。
1982年に卒業後、同音楽院大学院生として20世紀現代音楽を代表する作曲家のひとりルチアーノ・ベリオに師事した。このまま行けばクラシックの作曲家として大成するところだが、エイナウディはそうした道を進まなかった。1960年代に多感な少年時代を過ごした彼は、当然のことながらビートルズの洗礼を受け、かなり早い時期からギターを弾き始めていたのである。彼が最初に買ったアルバムがビートルズの『リボルバー』だったというのは、非常に象徴的だ。というのも、『リボルバー』には弦楽八重奏をバックに用いた《エリナー・リグビー》があり、シタールやタブラといったインドの民俗楽器を使った《ラブ・ユー・トゥ》があり、要するに「ロック」の一言では収まりきらないアルバムに仕上がっている。そうした特徴は、後年のエイナウディにもそのまま受け継がれていく。
クラシックをベースにあらゆるジャンルを取り入れ映像的で美しいミニマルミュージックを作り上げるエイナウディは、今もっともお洒落なインストゥルメンタルとして若者を中心にヨーロッパでは大反響。数々のCM音楽やサウンドトラックを手掛け、これまでにリリースした楽曲は累計390億再生超を記録。ストリーミングで最も聴かれているクラシック・アーティストとして活躍を続けている。
日本では2011年映画『最強のふたり』の音楽制作を手掛けた作曲家ピアニストとして多くの人に知られるようになり、2017年には映画『三度目の殺人』(監督:是枝裕和)の音楽を手掛けたことでも大きな話題を呼んだ。
■来日公演情報
Ludovico Einaudi Concert in Osaka 2025
2025年4月15日(火) 会場:The Symphony Hall
Open 18:00 / Start 19:00
詳細はこちら
Ludovico Einaudi Concert in Tokyo 2025
2025年4月17日(木) 会場: LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)
Open18:00 / Start19:00
詳細はこちら
■リリース情報
2025年1月31日リリース
Apple Music /Amazon Music / Spotify / YouTube Music / iTunes
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- ルドヴィコ・エイナウディ アーティスト・ページ
- ルドヴィコ・エイナウディ オフィシャル・ページ
- ルドヴィコ・エイナウディとは?ストリーミング390億再生超えの巨匠を紐解く5つのポイント
- TikTokで最も再生された作曲家のひとり、ルドヴィコ・エイナウディとは
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