ヒラリー・ハーン最新インタビュー:長期休暇を経て生まれた新作『エクリプス』について語る
21世紀を代表するヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーン。これまでにグラミー賞を3度受賞し、圧倒的な技術・音楽性で人々を魅了してきた彼女だが、2019年よりサバティカル(長期休暇)を取っていた。
そんな休暇に入った直後、新型コロナウイルス(COVID-19)が世界中で猛威を振るう。
当初は2020年の秋に活動を再開する予定だったところ、感染症の影響で「休暇が予想以上に伸びてしまった」と語るヒラリーは、約2年に渡る長期休暇を経て2022年10月7日に新アルバム『エクリプス』を発売。本アルバムは長期休暇明け初の録音となる。
予定していたプロジェクトや公演がキャンセルになってしまった日々。そのような状況の中でどのように過ごし、何を感じていたのか。音楽人生の節目となるアルバム『エクリプス』を通し、彼女の持つ音楽観や人間性に迫る。門岡明弥さんによるインタビュー。
予定より長引いた休暇を経て得られたもの
――今回長いお休みを取ろうと思ったきっかけを教えてください。
演奏会を始めとした音楽活動は何年も先まで決まっていましたが、やはり日常生活の中でもエキサイティングなことは一杯あって、これまでも約10年ごとに長めのお休みを取るようには心がけていました。
私自身の個人的な関心に思いを馳せて、自身を見つめ直す時間を持つこと。それによって、新しい角度から物事を見られたり、新しい考えやアイデアと出会えたりすることがあるんですよね。そのようなことを見つけ、私自身のこれからの道をクリアにするためにも、今回お休みを取ろうと思いました。
――新型コロナウイルスの影響で、お休みが予定よりも長引いてしまったかと思います。その中で何を感じ、どのようなことに取り組んで過ごされていたのでしょうか。
長期休暇の間は毎週のように友人のコンサートに行きましたし、何かしら文化的なものに関わり続けるようにはしていたのですけれど、やはりコロナ禍になってからは外に足を運ぶことが難しくなってしまって。
ただ、会場に足を運べないからこそ、自分が観客になった立場で音楽とどう向き合うことができるのか。そんなことを意識して音楽と繋がるようにしていました。コロナ禍でも、オンライン配信で聴けるコンサートはたくさんありましたし!
また、その間に自分の国の歴史についても学ぶようになりました。当時はさまざまな社会的問題もあった時期でしたので、この国の成り立ちについて深く知り、考え、その中で今後私がどんなプロジェクトを作り上げていくのか……。そして、私がどんな声を発して、世の中に何を伝えられるのか、この長期休暇を経て見つめ直せたと思っています。
ヒラリー・ハーン-無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第1番 BWV 1002 ロ短調 4b: Double
――長期休暇中は、音楽以外のことに触れる機会もありましたか。
いわゆる芸術(アート)と人々がどのように繋がっているか、アートとはそもそも何を目的に存在し、表現しているものなのか。深く探求する楽しさを覚えましたね。
それはもちろん本や映画であったり、SNSや人との会話だったりするのですが、アートそのものの存在意義を考えて生活する中で、そもそも私は「なぜ音楽をやっているのだろう」とふと思ったときがありました。音楽のどんな部分を特に重要だと感じ、演奏しているのか……と言うか。
――ヒラリーさんのような方でも、演奏する理由について立ち止まって考えることがあるのですね。
今までも演奏することは大好きだったけど、「なんのために、なぜ音楽をやっているのか」はイマイチ分かっていなかったんです。しかし、今回実際に演奏ができなかった期間を通して、やはり演奏する場所というのは私にとって非常に心地がいい場所だったことにも気付けました。
考えていることや感情を形にして、自分を伝えること。それができることによって、自分自身が前に進むわけで。そんな自分の内面を表現するために私は演奏していたんだなと、改めて分かりました。私にとって音楽がどんな存在か、そして私自身が演奏する目的や意味についても再発見できた期間だったとも感じています。
異なる3人の作曲家を選んだ理由
――『エクリプス』には、ドヴォルザーク、サラサーテ、ヒナステラの作品が収録されていますね。特にヒナステラのヴァイオリン協奏曲が収録されていたことには驚きました。
まずヒナステラに関しては、本当にある日突然思いついて演奏することに決めました。舞い降りてきた、とでも言うのかな(笑)。
ヒナステラ:ヴァイオリン協奏曲 作品30 Ia: Cadenza
ヒナステラの作品はスタンダードなものから特殊なアレンジが施された作品も多いんですね。パワフルで混沌としたフレーズがありつつも、感情に深く入っていくようなフレーズも存在する、そんな緊張感と解放感のバランスが私に合っていたように感じました。
初めてヒナステラのヴァイオリン協奏曲を聴いたときに、これは私のために書かれた音楽ではないか?と思うほどに感情が入っていったことも覚えています。
――初めて聴いた瞬間から、惹かれる部分があったと。
世の中いろんなことが平行して起きていますよね。素敵なことがあれば気持ち悪い出来事もあるように、ヒナステラの曲の中にもそんな両面が存在していて、それがとてもリアルに感じられて。また、技術的にも素晴らしく魅力的な作品でもあるため、「ヒナステラは天才だ!」と感じて彼の作品に取り組みました。ヒナステラは今後、私の人生とともに歩いていく作曲家であると感じています。
そして、そんな彼の作品を演奏するにあたって、共演するのはどんなオーケストラ、指揮者が合うのだろう……と思ったときに浮かんだのがフランクフルト放送交響楽団、指揮者アンドレス・オロスコ=エストラーダでした。彼らとは長いお付き合いがありましたし、一緒に素晴らしい演奏を追求できるのではないかと思ったのです。
――ドヴォルザークはどのようにして決まったのでしょうか。
私とオーケストラ、アンドレスの強み、それらを3つの円としたときに全てが重なって交わる部分はなんだろうと考えた末に決まったのが、ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲だったのです。フランクフルト放送響とアンドレスはドヴォルザークのフレーズ感や色彩感、形式に対してお互いに共通理解を持っています。それを主導するアンドレス自身もまた、ドヴォルザークへの深い理解を持つ方なので、ピッタリだと感じました。
ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品53 III. Finale
ドヴォルザークの音楽はそう簡単に理解し切れるものではありませんが、それを踏まえたうえで、ドヴォルザークに深い理解を持つ彼らと共にドヴォルザークの音楽を愛し、疑わずに演奏すること。それは私にとって非常に大きな力になると感じ、今回演奏しました。
――サラサーテの作品の中でも、あえて《カルメン幻想曲》を選んだ理由も気になります。
この曲にはヴァイオリンの超絶技巧的なフレーズがたくさん盛り込まれていて、実はずっと前から弾いてみたいと思っていたんです!
サラサーテ:カルメン幻想曲 作品25 I. Moderato
今回初めて取り組むにあたって、やはりオペラ《カルメン》をよく知っているオーケストラ、指揮者と一緒に演奏したいと考えていたのですが、アンドレスは指揮者としてこのオペラを何回も指揮していましたし、彼はもともと歌のトレーニングも受けていたので、オペラに対して造詣が深くて。
もちろんオーケストラの皆さんも、カルメンは何回も演奏したことがあったため、作品のことを十分に知っていました。
――実際に音源を聴かせていただいたのですが、言葉がないにも関わらずまるで“歌”を聴いているかのような感覚がありました。
元々はオペラ作品なので、カルメンの女性としての性格であったり、歌い方や歌詞の意味であったり……。歌や言葉の持つ繊細さや音楽性をヴァイオリンで表現できるよう工夫したところも、感じていただけたなら嬉しいです。
時代に合わせて変化する表現の形
――最近ではSNSを活用した発信活動も精力的に行っていると思います。TwoSetViolinのおふたりとフラフープを回しながら演奏する動画も拝見しました。
彼らとは何度か動画でも共演させていただいたことがあったのですが、ある演奏会でゲスト出演する際に、1番盛り上がる企画はなんだろう……とあれこれアイデアを練っていました。そのとき、ふと私が「フラフープを回しながら演奏できるんだけど、あなたたちはできる?」って彼らに言ったら、「できないけど頑張って練習します!」と言ってくれて(笑)。
その結果、一緒にフラフープを回しながらパガニーニの《24のカプリース》を演奏することになりました。
――ヒラリーさんのひとことによって実現した企画だったとは!
チェロだったらさすがにできませんでしたが、ヴァイオリンだからこそできたことだなって(笑)。
TwoSetViolin: Paganini 24 Hula Hoop (with Hilary Hahn)
それに、TwoSetViolinのふたりは本当に素敵な人達で、世のために何か貢献できないかな?といったことを常に考えているんです。彼らはクラシック音楽の素晴らしさを世界中に教え、広めてくれていると言うか。まるで一般の人をクラシックの世界に招待してくれているようなね。そんな素晴らしい側面を持ったアーティストと一緒だったからこそ、実現した企画だと感じています。
――最後に、今後の展望を教えてください。
まず何よりも、今は『エクリプス』の発売が本当に嬉しくて! 発売日の朝、子ども達が起きる前にストリーミング・プラットフォームを見てみたら、「ああ、自分のアルバムが現実の世界に存在するんだ!」と思って興奮しました。そんな“今”を、まずは大切にしたいと思っています。
しかし、そのうえで『エクリプス』の指揮者であるアンドレスと、今回共演したフランクフルト放送響とは今後も共演する予定がありますし、各地のホールのアーティスティック・チームとも協力して、コンサートよりも大きなものを作り上げることにも力を入れていて。これから実現するさまざまなプロジェクトやコンサートも、とても楽しみです!
音楽には“継続性があるからこそ生まれる何か”があると、私は思います。このような関係を大切にして、これからも演奏を続けていきたいです。
Interviewed & Written By 門岡明弥
■リリース情報
ヒラリー・ハーン『エクリプス』
2022年10月7日発売
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- ヒラリー・ハーン アーティスト・ページ
- ヒラリー・ハーン オフィシャル・サイト
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