ベスト・クラシック・ピアニスト:史上最高の25人 Vol.2

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史上最高のクラシック・ピアニストは誰か?伝説的な名手と今日の若いスターをフィーチャーした、最高のピアニストのセレクションをご覧頂きたい。

セルゲイ・ラフマニノフ、ヴラディーミル・ホロヴィッツ、アルトゥール・ルービンシュタインなどの伝説的な名手と、ラン・ラン、ユジャ・ワン、ベンジャミン・グローヴナーなどの今日、まばゆいばかりの活躍を見せる若いスター全25人をリストアップ。年代順に3回に分けてご紹介する。今回はその第2回目となる。(第1回第3回


最高のクラシック・ピアニスト:史上最高の25人 Vol.2

エミール・ギレリス(1916-1985)

ギレリスの特別なサウンドは、その音量の幅と音色の豊かさにおいて、実際オーケストラのようなものであった。彼の名声は、1938年にブリュッセルで開催された、イザイ国際コンクール(現:エリザベート王妃国際音楽コンクール)で優勝して高まったものの、戦争の勃発によって、すぐに彼のキャリアプランを保留しなくてはならなかった。

戦争中、彼は1944年にモスクワでプロコフィエフのピアノ・ソナタ第8番の世界初演を行った。彼がアメリカ・デビューを果たし、西への旅行を許可された最初のソビエトの芸術家の一人になったのは1955年のことであった。ギレリスのレパートリーは、ウィーン古典派が中心であり、同国人のリヒターよりも多様ではなかった。彼はブラームスとベートーヴェンの演奏で高い評価を受けていたが、彼の最も有名な録音の1つは、グリーグの《抒情小曲集》であった。

ディヌ・リパッティ(1917-1950)

わずか33歳でディヌ・リパッティが亡くなったことで、最も愛されているクラシック・ピアニストの一人の世界が奪われてしまった。彼の演奏は、音楽への深い愛情に満ち、作品の世界を壊すことなく輝かせる、純粋で焦点を絞ったシンプルな美しさを示していた。

リパッティはブカレストの音楽一家に生まれた。偉大な音楽家であるジョルジェ・エネスクは彼の名付け親であり、アルフレッド・コルトーやポール・デュカスに師事した。最初は第二次世界大戦の勃発、次に彼の命を奪った病であるホジキンリンパ腫によって演奏活動を妨げられ、リパッティのキャリアは約15年という短いものであった。

最後のリサイタルの際、ショパンの最後のワルツを演奏するには体調があまりにも悪かったため、彼はマイラ・ヘス編曲によるバッハの《主よ、人の望みの喜びよ》に変更している。

アルフレッド・ブレンデル(1931年生まれ)

最高のクラシック・ピアニストの一人であるブレンデルは徐々に名声を博し、クイーン・エリザベス・ホールで行ったベートーヴェンのリサイタルで一気に知名度を高めた。

それ以来、ベートーヴェンと深い関係が結ばれているが、彼のレパートリーはバッハからシェーンベルクにまで及び、彼の鋭い知性とウィットは、ハイドンやリストの作品や、故ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとの共演による歌曲といったレパートリーにおける異彩を放つアプローチにつながっている。彼はまた、音楽や詩に関する本の著名な著者でもある。

ブレンデルは正式に演奏活動から引退したが、シューベルトやベートーヴェンをはじめとした作曲家についての講演を行うなど、ステージではまだおなじみの人物である。

グレン・グールド (1932-1982)

偉大なピアニストの一人で、とらえどころのないカナダのグレン・グールドのように、これまでにこのようなカルトを達成したピアニストはほとんどいない。彼の並外れた知性と想像力が彼を異常な方向へと導いたのだ。

演奏キャリアの印象的なスタートの後、彼は公開演奏会から完全に撤退し、レコーディングに専念した。他の演奏家はライヴの聴衆から離れることでアドレナリンの効果を失ってしまうかもしれないが、グールドはレコーディング・スタジオを、彼の音楽における完璧主義を実現するための最良の方法と見なしたのである。

彼の心気症、ピアノの低い座席、そして彼の幅広い思考による輝きがもたらす魅力的なキャラクターは、多くの異なる映画製作者から注目を集めた。グールドのレパートリーは膨大で、レコーディングの量も多かったものの、今日最も知られているのはバッハの演奏である。

マルタ・アルゲリッチ(1941年生まれ)

最高のピアニストの一人であるマルタ・アルゲリッチは、ブエノスアイレスで生まれ、8歳でデビュー。1965年にワルシャワのショパン国際ピアノ・コンクールで優勝した。彼女は、作品に燃えるようなエネルギーと深い視点をもって演奏する。アルゲリッチは惜しみなく妙技を発揮しているが、彼女の本当の魅力は作品に対する新鮮な感覚と音楽への純粋な情熱である。

アルゲリッチはコンサートをよくキャンセルすることで有名だが、それは1990年に受けたメラノーマの治療を受けたことによる健康上の問題が大半の理由を占めている。ソロの録音がどれも傑作であるのにもかかわらず、彼女は現在、協奏曲や室内楽の演奏に傾倒し、ソロのリサイタルよりも、ステージを仲間たちと共有することを好んでいる。

ダニエル・バレンボイム(1942年生まれ)

バレンボイムは常に指揮者及びピアニストという2つのキャリアを同時に重ね、それぞれの専門知識が相互作用をもたらしている。彼は故郷のブエノスアイレスで父にピアノの手ほどきを受け、7歳で最初の公開演奏会を開きデビューを果たしている。

26歳のときにはベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲を録音した。ピアニストとしての彼の音楽性は、指揮のときに見られるのと同じような知的な厳密さ、色彩感覚、感情を音で表現することで発揮されている。ベートーヴェンやシューベルトのピアノ・ソナタ全曲などのシリーズの演奏や、ワーグナーの《ニーベルングの指環》全曲の指揮は、長年にわたって歴史的な偉業といえる。

ラドゥ・ルプー(1945生まれ)

1945年にルーマニアで生まれたラドゥ・ルプーは、偉大な知恵、美しさ、静けさのある解釈で賞賛されている。モスクワの有名な音楽教師であるネイガウス親子に師事した彼は、1960年代後半からその名を知られるようになり、1966年にヴァン・クライバーン国際コンクール、1967年にエネスコ国際コンクール、そして1969年リーズ国際ピアノ・コンクールと3年以内に3つの権威あるコンクールで優勝。

リーズ国際ピアノ・コンクール優勝後にデッカからリリースしたディスクでさらに注目を集めるようになる。彼のレパートリーは、ベートーヴェン、ブラームス、モーツァルト、シューベルト、シューマンなどのオーストリアとドイツの古典派である。マスコミ嫌いのとらえどころのないキャラクターで、異端的な天才と見なされている。彼は最近演奏活動を引退した。

マレイ・ペライア(b.1947)

最も偉大なピアニストの一人であるペライアは、ブロンクスで生まれ、1972年にリーズ国際ピアノ・コンクールで優勝した。彼が受けた影響は、師匠であるミエチスラフ・ホルショフスキの薄明りのようで詩的な演奏から、ヴラディーミル・ホロヴィッツのダイナミズムにまで及ぶ。

ペライアはホロヴィッツが彼に言ったことを思い起こす。「君がさらに優れた名人になりたいなら、まずは名人になることだ」。さらに重要な影響は、ハインリヒ・シェンカーの音楽理論である。これは、ペライアが演奏する音楽とマスタークラスでの指導の両方に適用され、多くの場合、刺激的な結果をもたらす。

しかし、最終的には、彼の詩的な資質が聴衆の心をつかんだのである。タッチの軽やかさ、音色の美しさと親密さ、そして間違いなく賢明で繊細な解釈である。最近はヘンレ原典版によるベートーヴェンのピアノ・ソナタの一連の新版を準備しているところだ。

Written By uDiscover Team


■リリース情報

ダニエル・バレンボイム『ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集』
2020年12月16日発売
CD / iTunes /Amazon Music / Apple Music / Spotify



 

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