アリス=紗良・オット、新作『Echoes Of Life』について語る最新インタビューを公開
ピアニストとして、人間として、自身のスタイルを持ってまっすぐに歩みを続けるアリス=紗良・オット。
クリエイティヴな才能で世界中のファンを魅了する彼女の3年ぶりとなる新作『Echoes Of Life エコーズ・オヴ・ライフ』は、ショパンの《24の前奏曲 作品28》に7つの現代作品を織り込んだコンセプト・アルバム。これまでの人生におけるさまざまな場面を映し出すストーリー仕立てのパーソナルな作品でもある。新作にどのような想いをこめたのか、じっくり話を聞いた。
―前作『ナイトフォール』から、コンセプチュアルな選曲においても、独自のアプローチを打ち出した演奏においても、アリスさんは新たなステージに進んだように感じるのですが、音楽に対する向き合い方は変わりましたか?
私自身は伝統的な、いわゆる正統派の教育を受けてきました。その世界における優先順位は、なんといっても素晴らしい、過去から培われてきたレガシーとも言えるレパートリーを学ぶことです。それらを学ぶ厳しい練習の日々、教えてくださった先生方にはとても感謝しています。
けれど同時に、現代の人々の生活スタイルや、社会のなかで人々が求めているものに、クラシック音楽というものは必ずしも合致しないのではないかと思うようにもなりました。
そして5~6年ほど前からでしょうか、私は自身と多くの人たちに問いかけはじめました。私のアーティスティックなアイデンティティとはなにか? と。100%ドイツ人でもなく、100%日本人でもない私は、ずっと自分がどこか浮遊したような存在であると感じていました。
クラシック音楽というものは、非常に限定された、社会的エリート層や特定の年齢層を対象としている部分が強くあります。そのような社会において、私が果たすべき役割はなにか? 何百年も前に作られた傑作を、現代という枠組みのなかでどのようにプレゼンしていったらいいのか、あらゆる層に音楽を届けるにはどうしたらいいのかを考えるようになったのです。
―その問いかけに対するひとつの答えが、今回の『エコーズ・オヴ・ライフ』だったと。ショパンの《24の前奏曲》をテーマに選んだ理由は?
《24の前奏曲》は大好きな作品で、ずっと録音したいと思っていました。けれど、この作品はもう、いろいろなピアニストによる録音が山ほどあるので、それを私が出す意味はなにか? ということが問われました。
パーソナルなタッチを加えない限り、出す意味はないのではないかと。そこで、《24の前奏曲》に7つの間奏曲(インタールード)を置くという構成を思いついたのです。
ここ数年で、人々の音楽の聴き方は大きく変わりました。Apple MusicやSpotifyでプレイリストを作って聴いているリスナーも多いですよね。勉強のときはこれを聴く、ディナーのときはこれ、出かけるときはこれといったように、それぞれが自分だけのサウンドトラックを作っています。そういったことが可能な時代に、必ずしも作品を頭から番号順に録音していく必要はないのではないかと思います。
私にとって《24の前奏曲》は、人生そのものを表わしているように感じられます。24の小さな作品それぞれがすごく違った個性を持っていながら、ひとつの大きな共通項を持ったまとまりとして存在している。
それは、そのまま人生に置きかえられるのではないでしょうか。ひとつの事象が起きて、その事象が次の出来事の前奏曲のような存在になる。人生ってそういうことの繰り返しで、ときには行き止まりに突き当たることもあるし、予定していた道とはまったく反対の方向に進むこともある。
私の人生で起きてきたいろいろな変化、その瞬間瞬間がこの前奏曲のなかにリフレクション(反映)されているような気がしました。
―《24の前奏曲》の合間に織り交ぜた7つの現代作品はどのように決めていったのですか?
7つの作品のなかには日頃から親しんでいたものも多くありましたので、とても自然な流れで決まりました。《24の前奏曲》を現代の作品でつないでいくと、どのように響き合って、一体となるのか。実験的な試みでもありましたが、できあがったアルバムを通して聴いて、いかにショパンの作品が現代の音楽と刺激し合えるかを実感できるものに仕上がったと思います。
※以下に、7つの現代作品についてアリスのコメントを紹介。それぞれの曲には、自身の人生の場面を物語る副題がつけられている。
<イン・ザ・ビギニング・ワズ>
フランチェスコ・トリスターノ:イン・ザ・ビギニング・ワズ
友人のフランチェスコ・トリスターノに曲を書いてもらおうと、はじめから決めていました。私の音楽人生において、バッハの音楽というものはつねに大切な存在です。そういった意味で、ショパンがバッハに敬意を持って書いた《24の前奏曲》の幕開けに、バッハの前奏曲につながるような現代的な作品を書いてほしいとお願いしました。
<インファント・レベリオン>
ジェルジュ・リゲティ:ムジカ・リチェルカータ 第1曲
「子ども時代の反抗期」という副題をつけましたが、リゲティのこの曲はひとつの音からいろいろなリズムへと広がり、大きく展開していきます。そこに子ども時代の音との出会い、その後の広がりに通じるものを感じました。
<ウェン・ザ・グラス・ワズ・グリーナー>
ニーノ・ロータ:ワルツ
フェリーニやヴィスコンティの映画でニーノ・ロータの音楽は大好きでしたが、最初にこの神秘的な《ワルツ》を聴いたとき、じつはショパンの作品かと思いました。あとでロータの作品だと知ってびっくりしたのを覚えています。
<ノー・ロードマップ・トゥ・アダルトフッド>
チリー・ゴンザレス:前奏曲 嬰ハ長調
チリー・ゴンザレスとは友人で、ミュンヘンでのチャリティ・コンサートに誘われたこともあります。ネットで彼の《前奏曲 嬰ハ長調》という曲を見つけたとき、バッハをリフレクションするような作品だと思いました。アルバムの真ん中に置いて、ひとつの章の終わりを表わすのにぴったりだと。副題のとおり「大人への第一歩」ですね。
<アイデンティティ>
武満徹:リタニ ―マイケル・ヴァイナーの追憶に―第1曲
前の前奏曲第18番から、境目がはっきりしないぐらい自然に《リタニ》へと入っていきます。先ほど私は自身のアイデンティティを探してきたと話しましたが、今はアイデンティティは国籍や見た目で決まるものではない、自分がどのような行動をし、どういう形で人々とコネクトしていくかで表わすことができるものだと考えるようになりました。西洋音楽のなかに日本的な要素を入れた武満さんもまた、自身のアイデンティティを模索し、格闘し、獲得した作曲家であったと思います。
<ア・パス・トゥ・ウェア>
アルヴォ・ペルト:アリーナのために
《アリーナのために》は非常に細かい音符と、その間にある空間の微妙なニュアンスから成り立っていて、全神経を集中しないと聴き落としてしまうような作品です。ちょうどそれは、私が多発性硬化症と診断された時期の状態に似ていました。
自分の身体や心から発せられるあらゆる声に、つねにしっかりと耳を澄ませていなければならず、とても厳しい時期ではありましたが、深いところまで潜って自分を見つめたり、肉体的にも自分のことをよりよく知ろうとしたりすることで、新しい場所へと入っていきました。そういった要素が、この作品にもあるんですね。潜在意識も含めた自分の意識をフルに投入しなければ弾けない作品です。
<ララバイ・トゥ・エターニティ>
アリス=紗良・オット:ララバイ・トゥ・エターニティ ―モーツァルトのレクイエム ニ短調 K.626から ラクリモーサの断片による
モーツァルトの書いた8小節をベースに、自分でクリエイトした作品です。《レクイエム》というと死を弔う作品ですが、ここでは人生に対するさまざまな問いへの答えとして、この曲を最後に持ってきました。人間は不老不死ではないけれど、永遠を求めますよね。
副題は、その問いへの子守歌という意味です。私はもともとモーツァルトの《レクイエム》が好きで、いつか自分のアルバムに入れたいと思っていたのですが、今回この曲を作り終えてから、ショパンが「自分が死んだら、お葬式にはモーツァルトの《レクイエム》を演奏してほしい」と言ったということを知り、ますます縁を感じました。
―アリスさんの人生の軌跡が刻み込まれたアルバム、実演で聴くのも楽しみです。
この作品を持って旅をして、そこから新しく生まれる物語というのもあると思います。もしかしたら2~3年後にはまったく違う物語が紡ぎ出されるかもしれません。そこが人生の面白さでもあると思います。
―興味深いお話をありがとうございました。
Interviewed & Written By 原 典子
■リリース情報
2021年8月6日発売
アリス=紗良・オット『Echoes Of Life エコーズ・オヴ・ライフ』
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