ショパン国際ピアノ・コンクール第2位、アレクサンダー・ガジェヴが語る音楽の「即興性と自由さ」
2021年、コロナ禍という厳しい状況下で開催されたシドニー国際ピアノ・コンクールとショパン国際ピアノ・コンクール。両コンクールにて、それぞれ第1位・第2位およびクリスチャン・ツィメルマン賞(ソナタ最優秀演奏賞)という目覚ましい成績を残したアレクサンダー・ガジェヴが、DECCAよりデビュー・アルバムとなる『アレクサンダー・ガジェヴ〜ライヴ』をリリースした。
これは、オンライン形式で開催されたシドニー国際ピアノ・コンクールのために収録されたリサイタル音源から抜粋で収めたものであり、彼の広い音楽的視野を感じ取ることのできる一枚となっている。選曲や録音にかけた思い、そして二つのコンクールへの挑戦と展望などを語ってもらった。
全編レコーディングで臨んだシドニー国際コンクール
—コロナのパンデミック下にある2021年、ガジェヴさんは「シドニー」と「ショパン」という二つの国際コンクールで見事な成績を残されましたね。
どちらも象徴的なコンクールですから、受けることに迷いはありませんでした。こうしたコンクールを通じて、多くの聴衆と繋がることができますから、それが私にとっての大きな目的でした。
—今回の「シドニー」では、1次審査〜ファイナルまで、全ての審査がオンラインで行われ、そのレコーディングもコンテスタント自身が手配しなければいけなかったので、大変な挑戦だったと思います。ガジェヴさんは三つのステージとも、録音の場所もピアノも変えて臨まれましたね。それぞれカワイ、ファツィオリ、スタインウェイを使われました。
ピアニストは演奏する先々で楽器もホールも変わってしまいますから、対応できる力を身につける上でも良い経験ですし、私にとっては自分で楽器も場所も選べたのは、とても良かったです。今回は使いたい楽器をまず考えて、それに合わせて収録できるホールを押さえ、プログラムを決めていきました。
1次予選ではカワイのピアノを選びました。カワイならフランス的な響きや、印象派の流れを組んだ表現を出せると考え、ショパン、メシアン、カール・ヴァインの作品を選曲しました。
セミ・ファイナルはファツィオリです。この楽器は20世紀のレパートリーが適していると感じました。また、このラウンドからは自分でテーマを設定し、口頭でそれについて論じる必要もありました。私が掲げたテーマは「ロシア音楽における西ヨーロッパ音楽の影響」です。ショスタコーヴィチの「前奏曲とフーガ」は彼がライプツィヒで行われたバッハ・コンクールの審査を行ったあとに書かれた作品で、明らかにバッハの影響を受けています。また、プロコフィエフのソナタ第7番を選曲しました。彼は独自のスタイルを切り開いた作曲家ですが、ソナタという形式を用いる上では確実に伝統的な西洋の語法の研究がなされています。また特に特定の音階や和声使いにドビュッシーの影響が見られ、とてもフランス的な世界を想起させます。
ファイナルではスタインウェイを用いました。リサイタルのテーマは「葬送」です。強いリズム構造を持った葬送行進曲は、荘厳で、神聖な曲想を帯びています。リストの《詩的で宗教的な調べ》より「葬送」、ショパンのソナタ第2番(第3楽章が「葬送」として知られていますね)、そしてベートーヴェンの交響曲第7番のリストによるピアノ編曲版(第2楽章が葬送のキャラクターを持っています)などをプログラミングしました。
—すべてがオンラインで行われた今回のコンクールについて、どのように感じましたか?
短所と長所がありますが、個人的にはマイナス面が大きかったかな。というのも、私はオーストラリアに行ってみたかったんです。シドニーで演奏できることを楽しみにしていたので、行けないのはとても残念でしたね。ピアニスト仲間たちにも会えなかったですし。
一方で、とても良かったのは、やはりレコーディングを準備して臨むというのが、自分にとって新しい経験になったということです。今はまだわからないけれど、きっと将来的に何かの糧になる体験をしたと思います。長いプログラムを、客席に聴衆がいない状態で演奏し続けるというのも新しいチャレンジでした。静かに集中して演奏できた面もあったので、その経験には価値があると思います。
間を開けずに臨んだショパン国際コンクール
第18回ショパン国際ピアノ・コンクール 第3ステージ
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 作品35
—シドニーのファイナル・ステージのライブ収録が2021年5月30日に行われましたが、その2ヶ月後にはポーランドでショパン国際コンクールの予備予選がありました。2ヶ月を切っていたわけですが、準備や気持ちの切り替えといったところで、大変さはありましたか?
う〜ん……その2ヶ月……何をしていたかな。私は毎日違うことをしているので、あまり覚えていません(笑)。たぶん、たくさんコンサートもあったけど、2ヶ月もあれば十分です。たとえ時間が短くても、集中できるという利点があります。7月の予備予選から10月の本選までの間、9月に日本にツアーで訪れたりもしました。私はひとつのことに絞るよりも、同時にいくつかのことを進めていく方が好きだしモチベーションもあがるので、問題はなかったですね。
—そうなりますと、ショパンの作品だけに絞るショパン・コンクールというのは、マルチタスクをお得意とするガジェヴさんにとって、特殊な内容ではありますね。
そうですね、ショパンだけを弾き続けるというのは、通常ならまったくしませんから、私の性質とは正反対のことをした経験です。その意味ではこれも新しい挑戦で、たくさんのことを学べました。ショパンの作品はほとんど全て弾いてきましたが、彼の初期作品から後期作品までをあらためて俯瞰し、ショパンに対する知識やスタイルを見直し、テクニックを磨き、基礎的なことにしっかり向き合いました。ショパンという枠組みはあっても、どのソナタを選ぶか、どのバラードを選ぶかという自由はありましたし、ショパンを巡る旅を楽しむことができました。
自由と生み、調和を伝えるガジェヴの音楽
—実際にワルシャワの会場でガジェヴさんの演奏を拝聴いたしました。自然でみずみずしい解釈・表現が次々と繰り出され、無限にある引き出しから音楽がその場で生まれてくるようで、大変感動的でした。楽譜をじっくりと読んでアイディアをフィックスさせることもおありでしょうが、やはりその時々の自由な表現を大切にされていらっしゃるのでしょうか。
自由さというのは、私がここ数年、大きな関心を抱いているポイントです。自分はいったい何者で、どうピアノを弾くかといった、音楽に対する全般的な態度と関係していると思います。即興性や自由さは、自分が音楽的に成長していく中で培われていくものですね。単に指や耳をテクニカルに磨いていくだけではなく、精神性をある意味そこから分離させて養っていくことも大切です。そのためには、一つの考えに偏らないように、異なる音楽性をもったピアニストと語り合ったり、他方で他者の考えにとらわれず自分のアイディアを突き詰めることも重要です。
—ショパン・コンクールのファイナルでは、協奏曲第2番を演奏されました。オーケストラに呼応するガジェヴさんの音楽が、オーケストラの共鳴力をも喚起する。その循環が美しいハーモニーを生み出し、世界の調和の縮図がそこにあるようでした。アンサンブルの演奏活動も積極的に行っていきたいですか?
私はとても社交的な性格ですから、同じステージで人々と音楽を分かち合い、表現していくことも大好きです。コンクールでは一人45分しかリハーサル時間が取れなくて、もっと時間をかければもっと磨きあげることができたとは思いましたが、オーケストラの皆さんと集中して演奏できました。これから協奏曲はもちろん、室内楽などアンサンブルももっとやっていきたいですね。
第18回ショパン国際ピアノ・コンクール ファイナル
ショパン:ピアノ協奏曲 第2番 へ短調 作品21
—ガジェヴさんの今後の展望をお聞かせください。
今私は、自分が新しい段階を迎えているのを感じています。これからの活動を展開していくために、さまざまなチャンスを活かし、挑戦していきたいですね。8月にはワルシャワで、ポーランドの作曲家アンジェイ・パヌフニクのピアノ協奏曲を演奏する予定です。現代作曲家たちとのコラボレーションも積極的にやりたいです。もちろん伝統的なスタイルのリサイタルやコンサートも。そして、今回のこうしたインタビューのように、人々と言葉を通じて、音楽や人生について考えを巡らせる機会を大切にしたいです。フォーマルなものからカジュアルで自然なものまで、音楽や言葉を通じて表現し、人と繋がる。世界的な規模で、そうした展開を進めていければと思っています。
Interviewed & Written By クラシック音楽ファシリテーター飯田有抄
■公演情報
●富士山静岡交響楽団/広上淳一指揮
2022年6月25日(土)静岡市清水文化会館
2022年6月26日(日)アクトシティ浜松 中ホール
●リサイタル
2022年6月29日(水)東京オペラシティ コンサートホール ほか
詳細はこちら:https://www.novellette-arts.com/
■リリース情報
2022年1月19日発売
アレクサンダー・ガジェヴ『アレクサンダー・ガジェヴ~ライヴ』
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