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ブロンディの飛躍のきっかけとなった1977年クリサリスとのレコード契約
ブロンディのキャリアの初期には、いくつものキーとなるポイントがあった。1974年に、短命だったエンジェル&スネークから名前を変えたのがまずひとつ、そして1976年にインディペンデント・レーベルのプライヴェート・ストックと契約したのがもうひとつの転機だった。しかし、いくらインディーとはいえ、プロト・パンクだった初期のブロンディのサウンドは、フランキー・ヴァリやデヴィッド・ソウルなどが所属するレーベルにぴったりはまるとは言えなかった。そして1977年9月1日にクリサリス・レコードとの契約が成立し、それがブロンディにとっての成功のきっかけとなった。
1976年終わりに1枚目となるセルフ・タイトルのアルバム『Blondie(邦題:妖女ブロンディ)』をプライヴェート・ストックからリリース。このアルバムには、初期のライヴで人気だったシングル「X Offender」、「In The Flesh(邦題:愛してほしい)」そして「Rip Her To Shreds(邦題:汚れた天使)」が収録されていた。70年代後半にポップの世界で頂点に立った時には素晴らしいと称賛されることになるが、1976年当時はブロンディのライヴ・シーンにおける格好良さは素晴らしかったが、アルバムにしろシングルにしろ、アメリカでもイギリスでも商業的な成功を成し遂げることはできなかった。
クリサリスと契約をしてすぐに、新境地でファースト・アルバム『Blondie』をリイシューし、1978年前半に再リリースした。その間、彼らは本当の意味で彼らの到来を見せしめることになる『Plastic Letters(邦題:囁きのブロンディ)』の制作にとりかかっており、プロデューサーに再びリチャード・ゴッテラーを起用し、「Denis」や「(I’m Always Touched By Your) Presence, Dear」などのヒット曲を生んだ。後者はオリジナルのベーシスト、ゲイリー・ヴァレンタインが書いたが、彼は1977年にバンドを脱退し、後任としてフランク・インファンテが加入した。同年の終わりにはフランク・インファンテはリズムギターに移り、イギリス人のベーシスト、ナイジェル・ハリソンが新たに加わった。
クリサリスと契約してすぐ後にイギリスの音楽マガジン「ジグザグ」で特集されたことで、ブロンディのアメリカとイギリスのファンベースに明らかに違いが見受けられるようになった。ジグザグはデボラ・ハリーのヴィジュアルに着目していたと話す一方で、イギリスではブロンディはテレヴィジョンとともにツアーをしていた。「多くのライターもお客さんも彼らの音楽を興味深いと感じていた」とアイラ・ロビンスは誌面で書いている。「ブロードウェイとデーヴ・クラーク・ファイヴをブレンドしたような、ブロンディのユニークなスタイルへの熱狂がすごかった」。
Written by Paul Sexton
ブロンディ『Plastic Letters』