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ワイト島フェスティバル:1968年から3年連続で行われた伝説的音楽フェスを映像で振り返る

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Photo by Tony Russell/Redferns - courtesy of Getty Images

イギリスのフェスティバルの主催者たちは、他のフェスと日程がバッティングをしないように常に週末を取り合いしていたようなものだった。そんな中、最初のワイト島フェスティバル(Isle Of Wight Festivals)は1968年に開催され、主催者はイギリスの伝統的な祝日である8月最後の週末をこのイベントのために確保した。

1968年:第1回

第1回目のフェスティバルは土曜日の午後から日曜日の午前中まで開催され、集まった観客は約15,000人、ラインナップは非常にバラエティに富んだものだった。サポートアクトには、プラスチック・ペニー、ザ・ミラージュ(彼らは後にエルトン・ジョンのバンドとして活躍するディー・マレーがギターで参加していたことで有名)、ブロンド・オン・ブロンド、エインズレー・ダンバー・リタリエイション、地元バンドのハルシオン・オーダー、クリス・スペディングがギターで参加したスマイル、フェアポート・コンベンションなどが参加していた。

日が昇り始めた頃、ヘッドライナーのフェアポート・コンベンションが登場した。この時点ではイアン・マシューズとサンディ・デニーがヴォーカルを担当していた時代だった。

ザ・プリティ・シングス、ザ・ムーヴ、クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンや、T・レックスに改名前のティラノサウルス・レックスも参加していた。

英国以外のアーティストとしては、リード・シンガーのグレース・スリックとマーティ・バリン、ギターのポール・カントナー、そしてバッキング・ヴォーカルが参加したジェファーソン・エアプレインがいた。バンドの残りのメンバーはギターのヨーマ・カウコネン、ベーシストのジャック・キャサディ、ドラマーのスペンサー・ドライデンだった。この時点でジェファーソン・エアプレインに匹敵するバンドは世界にはほとんどいなかったといっても過言ではないだろう。悪天候にもかかわらず、このライヴを見た人は全員誇りに思っているはずだ。

 

1969年:第2回

第2回目となった1969年のワイト島フェスティバルは、ウッドストック・フェスティバルが行われた数週間後に開催された2日間のイベントで、ボブ・ディランとザ・バンドがヘッドラインを務めた。サポートバンドの中には、ブロードウィン・ピッグ、エクレクション、ファミリー、ファット・マットレス、フリー、ザ・ニース、トム・パクストン、ムーディ・ブルース、ペンタングル、そしてハイドパークでローリング・ストーンズと共演したばかりのキング・クリムゾンが含まれていた。

また、ウッドストックで演奏したことのある3組のアーティストも参加していたが、この時点ではウッドストックは開催されたばかりで、その伝説的な演奏の音源や映像が伝わってはいなかった。その3組とは、リッチー・ヘイヴンズ、ジョー・コッカー、そして2日目のヘッドライナーであったザ・フーだ。ロジャー・ダルトリーは有名なフリンジ付きのジャケットを着ており、ピートは白いボイラー・スーツを着ていたが、残念ながら彼らが演奏した時はまだ明るかったので、その効果の多くは失われていた。

金曜日はアコースティック/フォークの日でディランとザ・バンドがその日のヘッドライナーにもかかわらず、チケット代は2ポンドだった(ディランのギャラは3.5万ポンドだと言われている)。ムーディ・ブルースが2番目に出演した日曜日のチケットはたったの1.25ポンドで、週末全体のチケットは2.50ポンドだった。

Bob Dylan at the Isle of Wight Festival 1969 [HD COLOR FOOTAGE with clip of "Maggie's Farm"]

ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターのほか、キース・リチャーズ、チャーリー・ワッツもディランの演奏を見に来ていた。ジョージはこのイベントに触発されディランに捧げた曲「Behind That Locked Door」を制作。その曲はジョージのアルバム『All Things Must Pass』に収録されている。

Isle Of Wight Pop Festival (1969)

1970年:第3回

1970年の第3回にてワイト島フェスティバルの規模は大きく成長したが、それから32年間、ワイト島では再び大規模な音楽イベントが開催されることはなかった。1970年の観客数は50万人をはるかに超えていたと推定されている。大西洋の両岸からアーティストが参加したこのフェスティバルは、イギリスで開催されたフェスティバルの中でも最も野心的なラインナップの一つであり、ファンはそれに惹きつけられていった。

フェスティバルが正式にオープンする前にもかかわらず、マイティ・ベイビー、クリス・クリストファーソン、スーパートランプ、グラウンドホッグス、テリー・リード、ジルベルト・ジルなどのバンドが水曜日と木曜日に無料で演奏していた。

金曜日のフェスでは、ファミリー、テイスト、プロコル・ハルム、ジェームス・テイラーなどのサポートを受けてシカゴがトップを飾ったほか、アライバル、フェアフィールド・パーラー、カクタス、ライトハウスなども参加していた。

Taste – What's Going On (Live At The Isle Of Wight)

また、1960年4月にリリースされたアルバム『Bitches Brew』をきっかけにジャズ・ロック・アーティストとして再出発したマイルス・デイヴィスのバンドにはチック・コリアやキース・ジャレットが参加。マイルスのバンドにはチック・コリア、キース・ジャレットが参加していた。他にもタイニー・ティム、ELP(セットには「Pictures at an Exhibition」も演奏)、ジョン・セバスチャンなども演奏していた。

Miles Davis – Call It Anything (Miles Electric)

ジョン・セバスチャンは、当時のイギリスでプレミア上映されたばかりのウッドストックのドキュメンタリー映画に出演した他のスターたちとともに大きな話題を呼んでいた中の一組が参加し、数週間前にマシューズ・サザンコンフォートによる楽曲「Woodstock」がチャートのトップに立ったこともあり、1970年のワイト島フェスティバルの魅力をさらに高めていた。まるで次のウッドストックを見逃すことはできないかのような事前の盛り上がりだった。

これらのアクトの間に挟まれていたのはキャット・マザー(彼らは実際には演奏しなかった)やスライ&ザ・ファミリー・ストーン、ジョニ・ミッチェルだった。当時は観客の一部が暴徒化したことで野次がとび、何度か中断されて騒然とした雰囲気になってしまい、後に彼女は「野獣の餌にされた」と語っている。

Joni Mitchell – Both Sides Now (Live At The Isle Of Wight Festival 1970)

ウッドストックへ出演していたテン・イヤーズ・アフターは、特にギタリストのアルビン・リーを興行的に成功させた。ザ・ドアーズも参加したが誰が見ても後者の最高の状態ではなく、その後、1年もしないうちにジム・モリソンは亡くなってしまった。

Isle of Wight Festival (1970) – Ten Years After – I Can't Keep From Crying (Live)
The Doors – Light My Fire (Live At The Isle Of Wight Festival 1970)

土曜日が印象的だったとすれば、日曜日は輝かしいものだった。メラニー、フリー、ムーディ・ブルース、ドノヴァン、レナード・コーエン、リッチー・ヘイヴンズ、ジョーン・バエズ、ジェスロ・タル、ジミ・ヘンドリックスを筆頭に大物たちが出演した。このような才能あるミュージシャンたちが一堂に会することは並外れたことではなかったといえる。

Jethro Tull – Nothing Is Easy (Nothing Is Easy – Live At The Isle Of Wight 1970)

Written By Richard Havers



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