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ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズのギタリスト、ウォルター・ルー逝去。その半生を辿る
ニューヨーク・パンクのレジェンド・バンド、ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ(Johnny Thunders and the Heartbreakers)のギタリスト、ウォルター・ルー(Walter Lure)が2020年8月22日に71歳で逝去した。ウォルターは2020年7月に肝臓がんと肺がんと診断されたあと症状が急速に悪化、がんに関連した合併症のため家族に囲まれた病院で穏やかに息を引き取った。
この訃報は、ロサンゼルスのクラブ「The Starwood」のFacebookの投稿で発表された。その投稿ではこう書かれていた。
「ウォルター・ルー(1949年4月22日 – 2020年8月22日)、私たちの親愛なる友人が亡くなりました」「彼は誰からも愛され、音楽の世界に貢献し、尊敬されていました。とても寂しくなります。彼の家族、友人、ファンに心からの哀悼の意を表します」
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ウォルター・ルーは1975年にザ・ハートブレイカーズに加入、ニューヨークのパンクシーンが爆発的に盛り上がり始めた頃に発売された、名盤として評価されているデビュー・アルバムであり唯一のスタジオ・アルバム『L.A.M.F.』に参加している。
ウォルターは2014年のClassic Rockのインタビューでこう語っている。
「ニューヨークのシーンで、デボラ・ハリーやデヴィッド・バーンたちと実際につるんでいたかどうかに関わらず、俺たちはその事象の一部でした。のちにライバル関係にはなったけど、ザ・ハートブレイカーズとほぼ真逆の関係にあったトーキング・ヘッズやテレビジョンのようなバンドもいたりしてシーンはかなり多様でした。当時はマネージメントもなかったですしね」
「肝心なことは、俺たちは皆、速いソリッドなロックンロールを食べて、飲んで、呼吸して育ってきたということです。それが俺たちの大好きなものでした。俺たちがこの街で唯一のオーセンティックなロックバンドと言えるかもしれない。特にニューヨーク・ドールズから進化した俺たちは、ニューヨークの原始的なバンドだったんです」
ザ・ハートブレイカーズは1976年12月にセックス・ピストルズ、ザ・クラッシュ、ザ・ダムドを含んだラインナップにてイギリスで行われた悪名高き「アナーキー」ツアーにも参加していた。その時のことをウォルターはこう振り返る。
「シーン全体が狂気の沙汰でした。安全ピンを持った子供たちや染めた髪はニューヨーク・ドールズを思い出させた。ジョニー・ロットンはツアー中、卑劣な人間としての人格を確立するために、意地悪な小僧になろうとしていました。ホテルのバーでぶらぶらしている時はいい奴だったけど、外から誰かが入ってくるとすぐに性格が変わってしまうんです」
「スティーブ・ジョーンズとポール・クックにロビーで会った最初の夜、彼らは後ろのほうに隠れていた。彼らは俺たちに不愉快なことをしようとしているのかと思ったけど、後になってわかったことは、彼らのアイドルだった(ザ・ハートブレイカーズの)ジョニー・サンダースとジェリー・ノーランに何て挨拶したらいいのか、わからなかっただけだった」
ウォルター・ルーは1991年にジョニー・サンダースが亡くなるまでザ・ハートブレイカーズで時折演奏を続け、またザ・ラモーンズの80年代半ばのアルバム『Subterranean Jungle』や『Too Tough to Die』ではギタリストとして録音に参加していた。
1991年にジョニー・サンダース、1992年にドラマーのジェリー・ノーラン、2014年にビリー・ラスが亡くなった後、彼は『L.A.M.F.』を制作したザ・ハートブレイカーズのメンバーで最後の生き残りとなった(ザ・ハートブレイカーズの創設メンバーだったが、アルバムがレコーディング前に脱退したリチャード・ヘルはまだ存命)。ウォルターはその後も音楽活動を続け、自身のバンド、ウォルター・ルー & ザ・ウォルドスを率いていた。
ウォール街の株式ブローカーとしてのキャリアも楽しみながらもウォルターはライブ活動を続け、2016年にはニューヨークのライヴ・ハウスBowery Electricのステージに立ち、ブロンディのドラマーのクレム・バーク、元ザ・リプレイスメンツやガンズ・アンド・ローゼズのベーシスト、トミー・スティンソン、MC5のギタリスト、ウェイン・クレイマーらと一緒に『L.A.M.F.』を披露している。
ガンズ・アンド・ローゼズのベーシスト、ダフ・マッカガンは2019年のClassic Rockにこう語っている。
「数週間前にウォルター・ルーの『L.A.M.F.』のライブを見に行ったんです。LAのダウンタウンに一人で行きました、通りの向かいに5ドルの駐車場があって車を停めて。中に入って”Pirate Love”、”Born To Lose”、”Chinese Rocks”を見た。もうそれだけで十分だった。素晴らしかったです。このレコードは私に大きな影響を与えましたからね」
Written By Tim Peacock
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