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マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルによる名曲「Ain’t No Mountain High Enough」制作裏話

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繊細なオープニングから強烈なクライマックスに至るこの曲は、1960年代に生まれたポップ・ミュージックの輝かしい傑作のひとつと言える。1960年代は「ラブ・ジェネレーション」と呼ばれることもあるが、これはまさに徹頭徹尾、愛の讃歌だった。ソウル・ミュージックが肉体的な情熱をゴスペルの形で表現したものであるのなら、この曲はその最たるものだといえよう。マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルの「Ain’t No Mountain High Enough」は実に完成度が高く、究極のポップ・ソングとなっている。

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Ain't No Mountain High Enough (extra HQ) – Marvin Gaye & Tammi Terrell

この曲のルーツはゴスペルにあるが、曲そのもののヒントになったのはマンハッタンのセントラルパークでの散歩だった。曲名にある「山(Mountain)」とはマンハッタンの超高層ビルのことであり、また作者であるニック・アシュフォードの野心をも表現していた。

ニック・アシュフォードは1964年にハーレムの教会でヴァレリー・シンプソンと出会い、やがてふたりは結婚し、ソングライター・コンビとして曲を作るようになった。そして仲間のソングライター、ジョー・アームステッドと3人で共作した「Let’s Go Get Stoned」がレイ・チャールズの録音でヒットし、大きな成功を手にする。しかしアシュフォード&シンプソンはモータウンとの契約を狙っていた。

彼らの新曲「Ain’t No Mountain High Enough」はアシュフォードの言葉を借りれば「金の卵」だった。この曲にはダスティ・スプリングフィールドも目をつけたが、抜け目のないアシュフォード&シンプソンは録音を許可せず、これはむしろモータウンでヒット曲になるだろうと信じていた。そして、その考えは正しかった。

 

「僕ちはこれが素晴らしい曲だと思った」

タミー・テレルはマーヴィン・ゲイがモータウンで組んだ3人目の女性デュエット・パートナーだ。彼は既にメリー・ウェルズやキム・ウェストンとのデュエットでヒットを放っていたが、このふたりがモータウンを退社したため、ソロ活動に専念しており、マーヴィン本人も自分のことをソロ・アーティストだと考えていた。

「俺はグループで活動を始めたわけじゃない。最初からソロ・ミュージシャンでした。昔、教会の合唱隊で歌っていたときも、神父からの使命で度々ソロで歌うことになっていた……。最初のうちはおっかなびっくりでしたが、段々と度胸がついてきたんじゃないかな」

モータウンは、1965年にシンガーのタミー・モンゴメリーと契約を結んだ。彼女は以前ジェームス・ブラウン・レビューに所属していた歌手で、他のレーベルでシングルを数枚リリースした経験もあった。モータウンは彼女にタミー・テレルという新しい芸名を与えた。そしてタミーがソロでささやかなヒット・シングルを何枚かリリースしたあと、マーヴィンの新たなデュエット相手として起用することになった。そのふたりの最初のデュエット曲として選ばれたのが「Ain’t No Mountain High Enough」だった。マーヴィンは次のように語っている。

「あれはとても良いスタートでした。というのも、こちらはタミーがあんなにいい歌手だとは知らなかったからね。それまで彼女の歌声を聞くチャンスがなかったんです。(モータウンの一部の)スタッフが彼女の声質が気に入っていて、それで僕と彼女が組めば良いデュエットになるかもしれないと考えた。ニック・アシュフォードとヴァレリー・シンプソンが“Ain’t No Mountain High Enough”という曲を作り、僕らはこれが素晴らしい曲だと思ったんです。とてつもない名曲だとね

マーヴィンとタミーはこの曲を別々に吹き込み、プロデューサーのジョニー・ブリストルとハーヴェイ・フークアがそれを編集で繋ぎ合わせた。現在ではインターネット経由で音声ファイルをやり取りするのが普通になり、アーティストたちが顔を合わせることすらなくコラボレーションを行うことがめずらしくない。しかし1967年の段階では、デュエットは通常ふたりで一緒に吹き込むものだった。

別々に吹き込まれたとはいえ、このレコードを聴くと、あたかもマーヴィンとタミーがスタジオの中で一緒に曲を歌い、互いに互いをどんどん高めあってるような印象を受けてしまう。これほど陶酔感にあふれ、本当の恋人同士のように聞こえるポップ・ソングはそれまで存在しなかった。

The Motown Story: Marvin Gaye

 

誰にも越えられない絶対的な決定版

1967年4月20日に発表されたこの曲は、アメリカのシングル・チャートでは最高19位という不満の残る結果に終わったが、それでも名曲として高く評価されている。マーヴィンは、タミーが自分のデュエット相手として完璧だとすぐに理解した。またモータウンも、ふたりを60年代後期の理想的な若者カップルとして売り出していった。

しかし悲劇が訪れる。1967年10月14日、マーヴィンと共にステージに立っていたタミーが突然倒れたのである。彼女は脳腫瘍と診断され、1970年3月16日に24歳の若さでこの世を去った。彼女は亡くなるまでのあいだ、健康状態が悪化する中で、実に高揚感あふれるレコードを何枚も吹き込んでいた。マーヴィン・ゲイがうつ病で苦しむようになったひとつの原因は彼女の死にあったといわれている。そうして苦しんだ経験を踏まえて生まれたのが、マーヴィンの傑作『What’s Going On』だった。

「Ain’t No Mountain High Enough」という曲は、その後もかなりの人気を誇っている。1968年にはシュープリームスとテンプテーションズが一緒に吹き込み、ダイアナ・ロスとデニス・エドワーズ(当時テンプテーションズに加入したばかりのパワフルなリード・シンガー)がリード・パートを担当していた。また念願叶ってモータウンのスタッフの一員となったアシュフォード&シンプソンは、ダイアナ・ロスがソロでカヴァーしたヴァージョンを野心的なシンフォニック・アレンジで仕上げている。これは1970年にチャートの首位に到達した。

それからも、この曲は幾度となくカヴァーされ、サンプリングされている。サンプリングの代表例としては、エイミー・ワインハウスが挙げられるだろう。彼女はマーヴィン&タミーのヴァージョンをサンプリングし、荒涼たるバラードの名作「Tears Dry On Their Own」を作り上げていた。しかし多くのファンにとって、マーヴィン&タミーのオリジナル・ヴァージョンこそが誰にも越えられない絶対的な決定版となっている。

Amy Winehouse – Tears Dry On Their Own

Written By Ian McCann




 

 

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