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マリリン・マンソン『Holy Wood』解説:コロンバイン高校銃乱射事件を扱った野心的作品
4作目のアルバム『Holy Wood (In The Shadow Of The Valley Of Death)』は2000年11月13日にリリースされたが、その前の一時期はマリリン・マンソン(Marilyn Manson)に大変な逆風が吹いていた。それは、もともとマンソンの活動の主たる目的は、世間を騒がして物議を醸し出すことにあったのかもしれない。
しかし1999年に起きた出来事は、単に物議を醸し出す以上の衝撃的なものだった。この年コロンバイン高校で銃の乱射事件が起こると、アメリカのマスメディアは彼をスケープゴートにした。あの事件の犯人たちに大きなインスピレーションを与えたのはマリリン・マンソンだったと大々的に報じられたのだ。実のところ、犯人たちはマンソンのファンではなかったのにも関わらずだ。しかしこうした非難がきっかけとなり、「ファックの神 / God Of Fuck」ことマンソンはコンサートの日程を一部キャンセルした。そしてしばらくのあいだ表舞台から姿を消し、インタビューを受けることも一切なかった。
しかしマリリン・マンソンはパワフルなアーティストであり、世間の厳しい目にさらされてもエネルギーを失うような人物ではなかった。それどころか、戦闘的な姿勢で最前線に戻ってきたのだ。
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アルバム『Holy Wood (In The Shadow Of The Valley Of Death)』は、『Antichrist Superstar』と『Mechanical Animals』に続く3部作の3作目に当たる(ただし作品内の時代設定によれば、このアルバムでは最初期の物語が語られる)。作品コンセプトのインスピレーションとなったのは、アダム・カドモンだった。
アダムは、ユダヤ教の聖書(旧約聖書)では地上に初めて現れた人間とされている。しかしマンソンのレンズを通せば、青臭く音楽を通じて革命を起こそうと考えている人間となっている。このアルバムは、前作のグラム・ロック・サウンドを捨て去り、以前のインダストリアルでメタリックなパンク・サウンドに回帰している。しかしそれだけにとどまらない。ここでマンソンは、件のコロンバイン高校銃乱射事件を直接扱おうとしていた。
このアルバムからリリースされた最初のシングル「Disposable Teens」は、ロックンロールが西洋文明の没落の引き金となり、現在のティーンエイジャーたちが反抗しようとしている社会そのものを作り出したという主張を皮肉っている。この曲が遠回しに銃乱射事件に触れた曲だとすれば、アルバム『Holy Wood (In The Shadow Of The Valley Of Death)』からの不気味でダークなサード・シングル「The Nobodies」はもっと直接的な内容になっている。ここで主張されるのは、犯人たちはあのような残虐極まりない事件を引き起こして歴史にその名を刻むまでは、社会から忘れ去られた若者だったという考えである。この「奪われた青春期」というテーマは、この全19曲の大作アルバム全体に染み渡っていた。
クリエイティヴィティの絶頂期に達したマリリン・マンソン
「Godeatgod」の憂鬱なオープニング・リフレインを聞くだけでわかることだが、マリリン・マンソンは過去3枚のアルバムを制作するうちに学んだ曲作りのありとあらゆるニュアンスをこの作品に注ぎ込んでいた。そして言うまでもないことだが、善と悪の対立というテーマは、「The Love Song」や「The Fight Song」だけでなく、ディスコ風のグループに乗った「The Death Song」 にも現れていた。
アルバムの録音場所は、それぞれの曲の雰囲気に合わせて意図的に選ばれている。荒涼としたデスバレーの風景、ハリウッドの華やかで虚飾に満ちた街並みは、「Target Audience (Narcissus Narcosis)」や「In The Shadow Of The Valley Of Death」や「Valentine’s Day」と言った殺伐とした曲、あるいはグランジっぽい「King Kill 33」、享楽的な「Born Again」、脅迫的な「Burning Flag」の内容を反映していた。
この時のマリリン・マンソンは高尚な野心を抱いていた。『Holy Wood (In The Shadow Of The Valley Of Death)』を単なる音楽作品としてだけでなく、ビジュアル的なプロジェクトとして押し進めようとしていたのである。元々の構想では、このアルバムのコンセプトをいかした映画を製作し、さらにはグラフィックノベルや写真集といった方面でも展開する予定になっていた。
実際、このアルバムの複雑で象徴的な内容や込み入ったストーリーラインは、マンソンの思考過程に深く入り込む魅惑的な素材だった。とはいえ最終的にはこうしたサイドプロジェクトは実現せず、『Holy Wood (In The Shadow Of The Valley Of Death)』は前作までの商業的な成功を再現できずに終わった。ただしマリリン・マンソンは、この時クリエイティブな絶頂期に達していたといっていいであろう。
「この件に関しては、目の前に大きな喧嘩沙汰が控えている」
マンソンをめぐる出来事によって、アメリカは燃え尽きたのかもしれない。しかし彼の方は引き下がるつもりは毛頭なかった。2000年9月に、彼は雑誌『NME』のインタビューに答え、次のように語っている。
「1999年は重要な年でした。俺が生まれた1969年と同じように。このふたつの年には共通点がたくさんある。ウッドストック’99は、オルタモントの悲劇の再現になりました。そしてコロンバイン高校銃乱射事件は、俺たちの世代のチャールズ・マンソン事件になってしまった。音楽制作を辞めたくなるような出来事が色々起こりました。しかし、音楽を辞める代わりに、俺は表舞台に出ると決めたんです。俺を怒らせるような真似をした連中全員を罰してやるって。この件に関しては、目の前に大きな喧嘩沙汰が控えています。とことんやり抜くつもりです」
Written By Caren Gibson
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