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「7月4日」と「8月4日」、2つ存在したルイ・アームストロングの誕生日

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「ルイ・アームストロング。1900年7月4日、ニューオリンズ、バック・オー・タウン(ジェーン・アレイ)産まれ」

これは、1969年にルイ・アームストロング(Louis Armstrong)自身が半生を綴った著書の冒頭の一節であり、これによると彼の人生はこのクレセント・シティ(三日月の街)で始まり、彼の最後の自宅ニューヨーク・クィーンズ地区の赤レンガの家まで一直線の旅ではなかった。彼の人生は実は道徳的説教の連続でもあったのだ。

ただここで彼はひとつ致命的な間違いを記しているのである。それは彼の生まれた日付だ。彼は、実は7月4日のアメリカ独立記念日に生まれたわけでもなければ、20世紀の始まる年に生まれたわけでもない。生涯自分の誕生日の7月4日に全てのアメリカ人と祝い続けたが、ほとんどの人々は彼の誕生日よりも独立記念日を祝っていたのだ。

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ルイ・アームストロングの生誕に関する真実が発見されたのは、彼の死後20年が経ってからだった。ニューオリンズにあるカトリック教会で、洗礼の記録を誰かが調べている時に真実が発見されたのだ。ルイ・アームストロングの誕生日は1901年8月4日。19歳のハンサムなウィリアム(ウィリー)・アームストロングと通称メイ・アンことメアリー・アン・アルバートの間に生まれたのだった。

ウィリー・アームストロングは薬品工場に勤めており、一方ルイの母は15歳で田舎で召使いとして働いていたが、職を探しに街へ移って来たのだった。さらにルイが知らなかったのは、実は彼はカトリック教徒として洗礼を受けていたことだった。ルイが知っていたのは、彼が洗礼を受けた頃には父親は既に母を捨て、他の女の元へ行ってしまったことだった。

ルイ・アームストロングは自分の本当の誕生日を知っていたのではないか? それも考えにくいが、ではなぜ彼は愛国心という観点と1901年より響きが良いということ以外に1900年7月4日という日を選んだのだろうか。当時、貧しいブラック・アメリカンの間で名誉誕生日を選ぶことが流行しており、それが彼らに安定した居場所を与えると考えられていた。だからこそこのような記念すべき日を選んだとも考えられるだろう。

今日インターネットで検索すると、どの記事やソースを見るかによって、それぞれの誕生日が記載されている。ウィキペディアは長い間1900年7月4日を彼の誕生日と記していた。しかし、誕生日がいつであれ、ルイ少年はジャズ生誕の地と言われるニューオリンズのフレンチ・クオーターの目と鼻の先、ジェーン・アレイ723で育った。活気にあふれ、やかましく、乱れた喧騒の街が、彼の人生とキャリアを形成する重要な要素だったことは間違いない。

Written by Richard Havers


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