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新人ビリー・アイリッシュが大成功をおさめた現代的な8つの理由
現在18歳のポップの神童、ビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)はすでに次世代のスターになるための登竜門を通過した。若者たちは彼女の放つ一語一句に注目し、親世代は彼女が何者なのかを知る余地もない。だが、そんな状況も変わりつつある。2015年に自費リリースしたシングル「Ocean Eye」によって、“ポップ界の新たなイット・ガール”と呼ばれるようになった彼女は、ポップ・ミュージックという景観において、名声への全く新しい道を切り開いていった。
ベッドルームでだらだらと過ごしていた少女が、いかにして数十億回の楽曲ストリーミングと1,500万人ものインスタグラムのフォロワーを獲得することができたのか?ここにビリー・アイリッシュの成功までの8つのステップをお教えしよう。
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1. 若い時からスタートすること
女性アーティストのロード(Lorde)が出現してからというもの、音楽業界はその非常に才能のあるポップ・スターに熱狂した。一方で、ビリー・アイリッシュの躍進について取り上げた多くのメディアは、彼女の年齢にばかりにフォーカスし、彼女の作品の完成度の高さやリリックの成熟度などに触れることはなかった。彼女は8歳になる頃には、名門ロサンゼルス児童合唱団で歌い、共にホームスクールで学んでいた兄のフィニアスと一緒に曲を書き始めていた。13歳になった時、2人は幻想的な楽曲「Ocean Eyes」をサウンドクラウドにアップロードし、一夜にしてその曲は爆発的なヒットを記録し、Spotifyでは実に2億回以上の再生回数を獲得することになる。
2. DIY(自分たちでやること)
「Ocean Eyes」のヒットによってビリー・アイリッシュの周辺は一変したが、その曲はこの兄妹デュオがイギリス拠点のA&R会社であるPlatoonと、後の2016年にインタースコープ・レコードと契約する前に自費リリースした唯一の楽曲ではなかった。メジャー・レーベルの支援を受けながら、彼女は兄と共に曲作りと録音を自宅のベッドルーム・スタジオで続け、そこでデビュー・アルバム『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO? 』を完成させた。彼女はツアーのビジュアルからアルバム・ジャケットやツアー・グッズのデザイン、そして巨大なフォロワーを誇る自身のソーシャル・メディアの管理までキャリアにおける全ての側面に関わっている。
3. レコード会社に挑戦すること
ビリー・アイリッシュの成功は、如何にストリーミングが世の中の音楽的嗜好に影響を与えているかということと密接に関係している。それこそが、まだデビュー・アルバムの発売前だったにも拘らず、彼女が数十億回のストリーミング再生を達成できた要因なのである。ファースト・シングルから2017年のEP『don’t smile at me』に至るまで、彼女は因習やジャンルなどは全く無視している。彼女はポップ・スター像そのものを塗り替えているわけだが、一体“現代におけるポップ・ミュージックとは何なのか?” などと彼女のファンはそんなこと気に留めてさえいないのではないだろうか。ゾッとするような「bury a friend」から、ホンキー・トンク・カントリー調の「bellyache」、そしてカリードをフィーチャリングした繊細なバラード曲「lovely」まで、ビリー・アイリッシュは型に嵌められるのを拒否しながら、新曲をリリースする度に、新たなサウンドを提示してきた。彼女の美学は、自分をコントロールするようなマネージャーや彼女のイメージや音楽をポップ・スターはこうあるべきという既成概念に当てはめようとするようなレコード会社の重役を持たないことなのである。
4. 自らを曝け出すこと
ソーシャル・メディアやネット・ニュースの発達によって、ミュージシャン達は以前に比べるとよりプライベートを曝け出すことを求められるようになった。カーディ・Bやアリアナ・グランデは、彼女達の作品と同じくらいファンはアーティストの人柄に結びつきを感じることを証明した。ビリー・アイリッシュの場合は、年齢の点においてもまさしくその通りで、彼女のティーンのファンは、彼女のことを謎めいたアイドルというよりは、同世代の仲間のように思っている。彼女は自らが患っているトゥレット症候群や、有名になることからの苦悩、XXXテンタシオントといった友人たちを亡くした悲しみについて綴る。彼女は若手スターというよりは、超然とした、自信たっぷりのサウンドクラウド・ラッパーなのである。彼女はよく、自分の音楽は楽曲自らがメッセージを発信し、作品は自由に解釈されるべきだと語っている。「音楽づくりの一番楽しいところのひとつは、みんなが私の音楽を好き勝手に解釈すること。私にはそれをどうすることもできない」と彼女はネット番組“Hot Ones”のホスト、シーン・エバンスに語っていた。
5. 地に足をつけること
世界的ポップ・スターとして超多忙なスケジュールと常時メディアに詮索されるような生活の中でも、ビリー・アイリッシュはティーンエイジャーならではの無邪気さは失うことはない。自分の歯科矯正治療について語ったり、車の中で友人たちとパニック・アット・ザ・ディスコを熱唱したりと、ティーンエイジ・ライフの装いを保ち続けているのだ。そんな生活こそが彼女に自由なイマジネーションを与え、彼女がまだ経験したことのない出来事さえも曲にすることができる秘訣なのかもしれない。「小さい頃は、曲作りがゲームみたいだったわ。なんでも自分の好きなようにやるの」と彼女はFaderの取材に答えている。
6. オリジナルであり続けること
タイラー・ザ・クリエイターやパーティネクストドア、21サヴェージらの影響が見られるように、ビリー・アイリッシュはミュージシャンとしてクリエイティヴ全般に関わりながらキャリアを切り開いていくことを志しているのは明白である。流行に敏感な彼女は敢えてその流行を逆行する独自のファッションへのこだわりも持っている。表現豊かな彼女のスタイルには、大好きな日本のアニメ、ストリートや90年代のレイヴ・カルチャーなどが反映されている。ビジュアル的にも、音楽的にも、彼女の存在は同世代の中でひときわ目立っているのだ。ナパームの空や友達を埋葬することについて歌う17歳は他にいるだろうか?ビリー・アイリッシュのホラーへの愛や実際の悪夢からインスパイアされたメランコリックなポップ・ミュージックは、現実と夢の間の境界線をあやふやにさせる。
7. 全てを吸収すること
幼い頃からホーム・スクールで育ったビリー・アイリッシュは湧き起こる創作意欲を爆発させる自由を与えられ、ありとあらゆる種類のアートを吸収することを奨励された。彼女の父は、グリーンデイからザ・ビートルズまで様々なアーティストの楽曲がフィーチャリングされたミックステープを彼女のために作り、9歳だった彼女はホーム・スクールの学芸会で「Happiness Is A Warm Gun」のパフォーマンスを披露した。成長につれ、独自の音楽的嗜好を持つようになった彼女は、ヒップ・ホップやアール・スウェットシャツやチャイルディッシュ・ガンビーノといった既成のジャンルに抗うアーティストたちに夢中になっていった
8. 創り続けること
多くの同世代の仲間たち同様に、ビリー・アイリッシュはリアルタイムで独自のスタイルを見つけていく世代のアーティストだ。全てを日誌に書き記す代わりに、彼女のアーティストとしての進化はオンライン上に記録されていく。彼女がずっと晒されているもの、そしてファンとの関わり方から見ても、ビリー・アイリッシュはインターネットの産物だと言えるだろう。アーティストはマルチな肩書きを持つことが当たり前だとされる時代において、彼女が征服しようとしているのは音楽の世界だけではない。彼女は近い将来、自身のファッション・ブランドの立ち上げやミュージック・ビデオの監督についても考えていると語っている。最近では日本を代表する現代アーティスト、村上隆とコラボしたアニメーション・ビデオ「you should see me in a crown」を発表し、彼女が常に時代を先駆け、大いなるキャリアが彼女を待ち構えていることを露呈した。
Written By Laura Stavropoulos
ビリー・アイリッシュ『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』
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- ビリー・アイリッシュ アーティスト・ページ
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