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映画『ザ・ダート: モトリー・クルー自伝』レビュー:破天荒と破天荒の間の余白に佇む虚無 by 武田砂鉄
2019年3月22日にNETFLIXでモトリー・クルーの伝記映画『ザ・ダート: モトリー・クルー自伝』が公開となりました。この映画についてライターとして活躍され、この4月からTBSラジオで始まる新番組『ACTION』金曜日パーソナリティーにも決定した武田砂鉄さんに寄稿いただきました。
*作品詳細はこちら *音楽評論家増田勇一さんによるレビューはこちら
予想はしていた。予想はしていたけれど、予想していた以上に「酷い」映画だ。冒頭から相次ぐ性描写、ただひたすらドラッグ摂取、おびただしい酒、繰り返される喧嘩、とにもかくにも器物破壊、これだけで映画の過半数が埋め尽くされている。バンドの歴史を実際の映像を用いたドキュメンタリーではなくドラマ仕立てで追うスタイルなので、大ヒットした映画『ボヘミアン・ラプソディ』と比較されることもあるのだろうが、音楽そのものへの信頼を最後まで実直に持ち続けることによって大きな熱狂を生み出すあの映画とは異なり、この映画では音楽への信頼が細切れになる。
だが、細切れになったように見えても、消えはしない。薄い線でつながる。ギリギリ消えなかったからこそ、私たちが知るモトリー・クルーの通史がある。LAメタルという産物はロックの歴史の中で軽視されることも多い。とにかく金の匂いがする。そして、メディアが操縦して盛り立てた痕跡が残る。不良性だけがビジュアルとして記憶され、今、その不良性を剥いだかつてのスターバンドが、重くなった体を引きずりながら生き長らえている様子もその軽視に拍車をかける。でも、なぜだろう。なぜ、モトリー・クルーの「酷さ」だけが、純化した形で生き延びているのだろう。
1982年生まれの自分は、主たるハードロック・ヘヴィメタルバンドとの出会い方が押し並べて不幸なタイミングとなった。グランジ・オルタナが席巻した90年代前半は、ハードロック・ヘヴィメタルバンドの面々が悩み、自分たちの音楽はこれでいいのか、もっと時代にすり寄っていくべきなのかと信念が揺らぎ、結果的に、プライドを捨てきれない中途半端な作品を発表し、80年代からのファンを失望させていた。90年代後半になってくると、ようやく揺り戻しが起きてくる。モトリー・クルーの再結成もそのひとつだ。とはいえ、97年にリリースされたアルバム『Generation Swine』は、全盛期の頃の突き抜ける爽快感に欠けるし、不要なインダストリアル色も濃く、陰鬱な雰囲気が充満していた。それでも、再始動したことを知らせる「Shout At The Devil ’97」には興奮したし、ザック・ワイルド、スティーヴ・ヴァイと共に開催された「Rock Around The Bay ’97」は、日本のハードロック・シーンで久方ぶりに開かれるロックフェス形態のライブということもあり、大きな注目を集めた。毎週録画していた伊藤政則氏のTV番組でその模様を繰り返し見た。
自分にとってモトリーの歴史はここから始まっている。要するに後期だけを知っている。何度かの離脱や再集結を経て歴史が閉じられたかと思いきや、今回、映画に合わせて新曲を発表した。数年前には、もちろん、ヴィンスのせいではないけれど、ヴィンス・ニールが出演するはずだった「L.A. METAL SUMMIT in TOKYO」がチケットの売れ行き不調で中止となった。彼らの足跡を見ていると、「まだうまくいかない」「まだ揉める」「まだやりつくしていない」など、複数の「まだ」が浮上してくる。
もっと上手な生き方、作り方、儲け方があったはずである。でも彼らが上手な生き方をしていたら、彼らは存在しなかったのである。言葉としては矛盾するけれど、その不器用さを器用に更新し続けてくれたからこそ、モトリー・クルーはモトリー・クルーたりえたのである。映画を見ながらそのことを繰り返し確認する。
本映画でも重要なシーンとして描かれるが、1984年12月8日の夜、ハノイ・ロックスのドラマー、ラズルを乗せて飲酒運転していたヴィンスの車が、中央分離帯を越えて対向車と正面衝突する事故を起こし、ヴィンスは30日間の入獄を余儀なくされた。1987年にはヘロインの大量注入でニッキー・シックスが仮死状態に陥り、ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュとスティーヴン・アドラーが病院に担ぎ込み、九死に一生を得た。バンドは繰り返し崩壊を続けてきた。繰り返し崩壊って、再び、言葉として矛盾している。立ち直ってもいないのに崩壊する。それでも、ロックンロールを信じたバンドが立ち上がった、という物語でもない。彼らはセックスのため、ドラッグのため、その日の快楽のためにステージに立ち、明日になれば、その明日の快楽のために体を動かした。
セックス描写やドラッグ摂取の場面が続くのは、時に不快だ。親との確執、その時々のパートナーとの破綻、マネジメントとの攻防、メンバー間のいざこざ、私たちがあらかじめ予測できるこのバンドの内実がそのまま描かれている映画ではある。この映画の魅力は、享楽的なバンドの、そして、崩壊していくバンドの、狭間にある些細な感情描写にある。どれだけぶっ壊れても野心が残る。どれだけスターになろうとも孤独が残る。『Theatre of Pain』収録の「Home Sweet Home」、『Girls Girls Girls』収録の「Nona」など、破天荒極まる生活を送っていた頃に放たれた彼らのバラードは繊細な心象を明らかにする存在だが、破天荒と破天荒の間の余白に佇む虚無、それをそれぞれが抱え込む場面がこの映画の見所である。「酷い」場面の余白を見る。乱痴気騒ぎの後、白熱のライブの後、それぞれの俳優が見せる表情に吸い込まれる。
執拗にドラッグを吸引するシーンを映す。執拗にセックスシーンを映す。一面的に捉えようとすれば、「酷い」映画、そういう結論が出る。だが、モトリー・クルーというバンドの紆余曲折の歴史を思い返せば、このストーリーは断片にすぎない。更なる裏側で何が行われていたのか。表舞台での私たちが見てきたロックンロールがどれほどに屈強な瞬間であったかが、同時に立ち上がってくる。『ボヘミアン・ラプソディ』のように、聴衆を圧倒させるライブシーンがあるわけではない(もうちょっと入れてよ、とは思った)。淡々と破天荒を映し出すことで、彼らのロックンロールが輪郭となっていく。この荒れた日々から、あの純化されたロックンロールが生まれてきたという強固な事実を浴びる。この映画に合わせて新曲を発表した彼ら。ここから続く歴史、始まる歴史はあるのだろうか。混沌から生まれ出た純真なロックンロールは、どうもまだ終わっていないような気がしてくる。
Written By 武田砂鉄
NETFLIX映画『ザ・ダート: モトリー・クルー自伝』
武田砂鉄
1982年生まれ。ライター。東京都出身。大学卒業後、出版社で主に時事問題・ノンフィクション本の編集に携わり、2014年秋よりフリーへ。インタビュー・書籍構成も手掛ける。
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