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ビートルズの名作を手掛けたエンジニア、ジェフ・エメリック72歳で逝去
ザ・ビートルズの有名なアルバムとシングルを数多く手掛けた伝説のレコーディング・エンジニア、ジェフ・エメリックが72歳で逝去した。
この訃報は彼のマネージャであるウィリアム・サバレタからのショート・ビデオの中で報告され、彼はジェフ・エメリックが病気で倒れた時、電話で話していたという。すぐに救急車を呼んだが、彼を救えなかったというウィリアム・サバレタの報告によると、ジェフ・エメリックの死因は心臓発作だったとみられている。
ジェフ・エメリックの代理人、デヴィッド・マイダは、後日彼の公式サイトに声明文を公開した。「ジェフ・エメリック、今までありがとう。私の心は悲しみに痛んでいますが、貴方の存在は多くの人々の心に永遠に残るでしょう。私は、貴方と知り合えて、沢山の笑いに溢れた素晴らしい話を聞くことができて、本当に幸運でした。貴方は革新者であり、素晴らしい人でした。私の人生の中では、貴方はいつまでも騎士ですので、サー・ジェフ・エメリックと呼べて幸せでした。友よ、安らかにお眠りください」。
ポール・マッカトニーは自身の公式サイトで、彼の友人や仲間たちを代表して哀悼の意を共有した。
「大好きな彼のことは一生忘れません。そして、彼が手掛けた作品は、これからも音のプロたちによって長く記憶に残されていくことでしょう」
ザ・ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンの伝記を執筆したケネス・ウォマック博士は、ローリング・ストーン誌に声明を共有した。
「ジェフ・エメリックは革新的なエンジニアで、アーティストの願望を叶えるためなら、何事も厭わない熱意に溢れていた。有名な話に、彼は”Revolver”に収録された’Tomorrow Never Knows’でジョン・レノンの声をダライ・ラマが山頂から詠唱しているかのように録音したことがあった。アルバム”Abbey Road”ではザ・ビートルズのキャリアを見事に締め括った。彼の師匠でプロデューサーのジョージ・マーティンがそうだったように、ジェフ・エメリックはいつだってアーティストが作ったトラックから最大限のものを引き出すことに集中し続けていたんだ。その粒子レベルの繊細な仕事で、彼の時代における最高のエンジニアであることを証明していたよ」
ザ・ビートルズの公式フェイスブックでは、「ジェフ・エメリックを亡くした悲しみと共に、彼のご家族とご友人に心よりお悔やみ申し上げます。ジェフ・エメリックのオーディオ・エンジニアとしての仕事は多くのグラミー賞を受賞した彼らの作品にとって無くてはならないものでした」と綴られている。
ジェフ・エメリックは、わずか15歳だった1962年にアヴィ・ロード・スタジオでそのキャリアをスタートさせ、ザ・ビートルズの名曲「Love Me Do」「She Loves You」「A Hard Day’s Night」、そして「I Want To Hold Your Hand」などのストリング・パートのアシスタント・エンジニアだった。
18歳の時に、バンドのメイン・エンジニアになり、”Magical Mystery Tour”や”The White Album”にも関わりながら、『Revolver』や『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』、そして『Abbey Road』を担当した。
ジェフ・エメリックは、その輝かしいキャリアを通して、ポール・マッカートニー&ウイングスや、ジェントル・ジャイアント、エルヴィス・コステロ、そしてチープ・トリックらの作品にも関わった。彼は、1968年の『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』、1970年の『Abbey Road』、そしてポール・マッカートニー&ウイングスの1975年作品『Band On The Run』においてグラミー賞 最優秀アルバム技術賞(クラシック以外)を受賞し、2014年にはグラミー賞 特別功労賞技術賞を授与された。
2006年にはジェフ・エメリックによる回顧録『Here, There and Everywhere: My Life Recording The Music Of The Beatles』がGotham Booksから出版。グラハム・ナッシュはこの本についてこう語る。
「ジェフはザ・ビートルズが社会現象になり、音楽の存在そのものを変えたその歴史を最初から見てきた目撃者だった。あの頃何が起きていたのか知りたいのなら、この本を読むといい。あのとても特別な時代の驚くべき実態を知ることができる」
この本の最終章でジェフ・エメリックはこう記している。
「時折、僕は心から”あんなことができて僕はなんてラッキーな人間だったんだろう”と感じることがある。1962年9月に、ジョン、ポール、ジョージ、そしてリンゴが、初めてアビー・ロード・スタジオに姿を現した時のこと、それから7年後くらいに、彼らが重い足取りで最後にスタジオを後にした時、それまでのセッション全てが、不気味な感じさえするんだ」
Written by Tim Peacock
— Paul McCartney (@PaulMcCartney) 2018年10月3日
— #RingoStarr (@ringostarrmusic) 2018年10月4日
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