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シカゴ・ブルースの大御所、オーティス・ラッシュが84歳で逝去
エリック・クラプトンやジミー・ペイジ、そしてカルロス・サンタナといった後世の偉大なアーティスト達に影響を与えたシカゴ・ブルースの大御所、オーティス・ラッシュが2018年9月29日に84歳で逝去した。長年マネージャーを務めたリック・ベイツによると、2003年に脳卒中で倒れてから合併症を苦しんでいたという。
オーティス・ラッシュは、一般的には1956年にコブラ・レコードからリリースしたウィリー・ディクソンのカヴァー曲「I Can’t Quit You Baby」でよく知られている。ポップ・マーケットに参入するまでには至らなかったが、この楽曲のヒットにより、ロックの殿堂入りを果たした。
現代のギタリストたちはオーティス・ラッシュの死を知り、感謝の意をもって彼を追悼している。ジョー・ボナマッサは、「最も偉大で、最後の真の巨匠のひとりだったオーティス・ラッシュ、安らかにお眠りください。貴方には沢山のご恩があります」と綴った。ケニー・ウェイン・シェファードは、「彼のブルースへの貢献はとてつもなく偉大です。逆さま弾きの左利きのギタリストでもありました。僕が16歳の時に共演させてもらいましたが、本当に紳士な方でした」と語った。
エリック・クラプトンは自身の名前がタイトルになった自叙伝の中で、オーティス・ラッシュについて、エレクトリック・シカゴ・ブルースの偉大なる伝道者のひとりとして記している。1960年初頭の自身の音楽活動を振り返る中で、「モダン・シカゴ・ブルースは僕にとって新たな憧れの音楽となった。このジャンルにおける偉大なギタリストを何人か挙げるならば、オーティス・ラッシュ、バディ・ガイ、エルモア・ジェームス、ヒューバート・サムリン、ロバート・ロックウッド・ジュニア、アール・フッカーらである」と語った。
オーティス・ラッシュは1934年4月29日ミシシッピ州のフィラデルフィアに生まれ、シカゴに移り住んでからは、その左利きのアグレッシブなギターと情熱的な歌声で頭角を現していった。彼はバディ・ガイやマジック・サム、そしてフレディ・キングといった”ウエスト・サイド”スタイルの新たな伝道者たちと共に、ブルース・シーンでその名を上げていった。
彼が1960年代初頭にチェス・レコードやデューク・レコード名義でレコーディングした作品は、ザ・ブルースブレイカーズで「I Can’t Quit You Baby」をカヴァーしたジョン・メイオールを筆頭に、イギリスのブルースの伝道者達によって聴かれ、崇められた。この楽曲はジミー・ペイジの耳にもとまり、レッド・ツェッペリンが1969年1月にリリースしたデビュー・アルバムにも収録されることになる。ジョン・メイオールのバンドは他にも「Double Trouble」や「All Your Love」「So Many Roads」などオーティス・ラッシュの有名曲をカヴァーした。
当時のアメリカでは、ブルース人気が衰退する中で、オーティス・ラッシュはヨーロッパを広くツアーで巡り、度々大学生のために演奏したり、ブルー・ホライゾンやソネット、ブルドッグ、アリゲーターといったレーベル名義でレコーディングを行っていた。1994年に発表した16年振りのスタジオ・アルバム『Ain’t Enough Comin’ 』は彼が再評価されるきっかけを作った作品となった。
オーティス・ラッシュは、1999年にアルバム『Any Place I’m Going』でグラミー賞 最優秀トラディショナル・ブルース・アルバム賞を受賞し、この後もライヴ・アルバムは何作か続いたが、スタジオ・アルバムとしてはこれが最後の作品となった。彼の最後のライヴ・パフォーマンスのひとつが2016年のシカゴ・ブルース・フェスティバルで、この日の出演はシカゴ市によって称えられた。
Written by Paul Sexton
- 史上最も影響力のあるブルース・ソング
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