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後世に影響を残したボ・ディドリー2番目のヒット曲「Diddley Daddy」
ボ・ディドリーのギター・リズムが残した音楽は、60年以上にもわたってミュージシャン達に影響を及ぼしている。しかしながら、ミシシッピ州マコーム出身のこの先駆者が米R&Bシングル・チャートでヒットを記録した曲は数えるほどしかない。
「I’m A Man」とカップリングされたセルフ・タイトル・シングル「Bo Diddley」で鮮烈なデビューを飾った後、1955年7月16日、チェス・レコード傘下のチェッカー・レコードからリリースした続くシングル「Diddley Daddy」でも見事チャート入りを果たした。
中毒性を持ったこの楽曲は、全米R&Bチャートで2週に渡って首位を獲得し、グラミー殿堂賞を受賞したボ・ディドリーのデビュー曲「Bo Diddley」までの成功には至らなかったが、それでも「Diddley Daddy」には当時のオール・スターが参加、ボ・ディドリーの不滅のギターに並んで、R&Bチャートの常連で、代表曲「My Babe」が当時1位を獲得したばかりだったハーモニカーのリトル・ウォーター、そして当時シングル「We Go Together」が3枚目のヒットとなっていたコーラス・グループのザ・ムーングロウズという、当時のチェス・レコードが誇る2組が参加していた。
チェス・レコードとチェッカー・レコード所属アーティストの密接な関係性により、ザ・ムーングロウズの楽曲は「Diddley Daddy」を共作したメンバーのハーヴィー・フークワとのジョイント・リード・ヴォーカルというかたちが採用され、当然その後モータウン初期の繁栄の鍵となるスタイルへと繋がっていった。
大ヒットを記録したデビュー曲と比べて、ボ・ディドリーのニュー・シングル「Diddley Daddy」は4週にわたってチャートに留まり、最高位は11位で終わったが、その後も若い世代に多大な影響を与え続けた。ザ・ローリング・ストーンズもその1組で、1963年2月に彼らが初めて作ったデモ・テープの中で、ブライアン・ジョーンズがリトル・ウォーターのハーモニカ・パートを演奏するこの曲のカヴァーが収められている。
Written By Paul Sexton
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