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映画『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』監督独占インタビュー
『ブルーノート・レコード ジャズを超えて (原題:Blue Note Records: Beyond The Notes)』は、豊かな歴史を誇るジャズ界の最も象徴的で影響力のあるレーベル、ブルーノート・レコードの歴史を記録したソフィー・フーバー脚本・監督による90分間のドキュメンタリー映画である。
俳優兼ミュージシャンのハリー・ディーン・スタントンを生き生きとありのまま描いた2012年公開のドキュメンタリー映画『Partly Fiction』で高い評価を受けたスイス生まれのフーバー監督。そのフーバーが、ドイツ系ユダヤ人移民であり、ジャズ愛好家だったアルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフが会社を起業した1939年から今日までレーベルを追い続けている。映画の物語は、音楽とヴィジュアル・イメージ(フランシス・ウルフの写真とリード・マイルスのアルバム・ジャケット・デザインのおかげでブルーノートは強力なビジュアル・アイデンティを持っていた)、そして語り手にミュージシャンやレーベルと関わりのあった人々が登場する。その中には、60年代初期にレーベルに加入したジャズ界の重鎮、ハービー・ハンコックとウェイン・ショーター、40年代後半からレーベルと関わりのある90歳のルー・ドナルドソン、ブルーノートのサウンドを確立する手助けをしたオーディオ・エンジニアで今は亡きルディ・ヴァン・ゲルダー、ブルーノートの現代表取締役兼プロデューサーのドン・ウォズ、そしてロバート・グラスパーやノラ・ジョーンズ、アンブロー・アキンムシーレ、マルクス・ストリックランドといった現役のアーティストたちも含まれている。
「このドキュメンタリー映画の製作には、素晴らしい編集者とともに多くの作業と時間を要しました」と、4月23日に行われた名誉あるトライベッカ・フィルム・フェスティバルの一部としてニューヨークで上映された映画のプレミア公開に先駆け、ソフィー・フーバーはuDiscovermusicに笑いながら答えてくれた。
「ドキュメンタリー映画を作るプロセスで編集という作業は、本を書くようなものです」と、『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』の製作に3年半かかったことを加えながら彼女は続ける。そのプロセスは多大な時間を要するもので、部外者にとっては、おそらく苦痛なほど骨の折れる過程だったであろう。フーバー曰く、「窓もなにもない小さな暗室で1年間、編集者のラッセル・グリーンと顔を突き合わせ、どうやって全ての断片をつなぎ合わせようかとあれこれ考えていました。まるで巨大なパズルのようでした。なぜなら、編集中にもまだ撮影が同時進行していたからです。すべてが変わる可能性もあったんです」。
ドキュメンタリー製作固有の複雑さにもかかわらず、完成した映画は彼女のオリジナルの構想に忠実なものになったとソフィー・フーバーは言う。「初めに私が思い描いていた形にかなり近いものになりました。それはレーベルの外側にいる音楽史学者やジャーナリストから話をきくのではなく、むしろミュージシャンたちから聞いたことを中心にしたかったんです。このことを通じて、私たちは舞台裏のブルーノートのプライベートな様子、そして各ミュージシャンの創作プロセスや、現場で音楽を作ることの意味にも焦点を合わせるようにしました」。
言うまでもなく彼女は、自発的な即興演奏によって定義されるブルーノートのスタイルとサウンドの核心にある“ジャズの精神”そのものに触れている。何もないところから “瞬間的に” 創作される音楽に対するフーバーの関心を明らかにするために、『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』は、キャピトル・スタジオにてレーベルのスーパーグループ、ブルーノート・オールスターズが、ドン・ウォズのプロデュースで、彼らのアルバム『Our Point Of View』をレコーディングしているセッションに聞き耳を立てているところから始まる。
このセッションをさらに面白くさせたのは、ブルーノートのレジェンドたちであるウェイン・ショーターとハービー・ハンコックが現れたことである。映像は若手たちがブルーノートの巨匠たちと会う瞬間を捉えている。「それは実に魔法ようでした」とフーバーは嬉しそうに言った。「特にウェインとハービーがセッションに参加した日です。部屋の中に刺激的な空気が流れていました。皆、特に若手アーティストたちが非常に興奮したんです」。
ショーターの代表曲「Masqualero」のカバーのためにベテラン2人は若いミュージシャンたちのセッションに参加。彼らは2テイクしか参加しなかったが、ソフィー・フーバーによると、2テイクともそれぞれ全く異なるものになっていたという。「あの部屋で何が起こったのか、あの瞬間に曲はどのように作られていたのか、それに立ち会うことが出来ただけでも本当に素晴らしかったです」と彼女は言う。
レコーディング・セッションはソフィー監督がハンコックとショーターをインタビューした場所で、2人はまるで禅の神秘主義のパワーに心を打たれたお笑いコンビのようだった。「それぞれ別々にインタビューを行う予定だったのですが、十分な時間が取れなかったので2人で一緒にやったんです」とフーバーは説明する。「最高な時間のひとつでした。本当に。なぜなら彼らは信じられないほど存在感があり、好奇心旺盛で、気前がよく、そしてユーモアに溢れていたんです。本当に桁外れでした。そしてどちらかというと、ひとつの話題から次の話題へと続く会話のようでした。彼らには本当に驚かされました」。
スイスの首都ベルンの出身のソフィー・フーバーは、ブルーノートのストーリーの語りに斬新な視点をもたらしている。多くのジャズ・ドキュメンタリーは、概して、エリート主義的で難解といったジャズに関する誰かの誤った認識を支持しながら、アカデミックになりすぎるという間違いを犯してしまっている。しかし幸いなことにソフィー・フーバーはその思い込みを避け、ジャズに関する学問的な知識を持たない人々もジャズの良さを理解することが出来る作品を製作した。しかし彼女は、この作品は神秘性を取り除き、音楽を分かりやすく説明することを試みたわけではないと語る。「その神秘性が好きだから、私はそれを取り除いたほうがいいとは思いませんでした。私の目的はより若い観客にブルーノートを届けることで、特に若い人たちにこの音楽が持つ信じられないほど素晴らしい価値に気付いてもらうことでした」。
このドキュメンタリー映画の一般公開はまだ先だが、試写会の反応は監督の大きな励みとなった。「本当に驚いたのは、必ずしもジャズ好きというわけではなかった人たち、とジャズについて知ってる人たちが、双方ともにすごく良い反応をしてくれたということです」と彼女は言う。
若い観客層が『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』に引き付けられた理由には、ヒップホップで新しいビートを作る時に古いレコードをサンプリングしてきたことが、いかにしてブルーノートを存続させ、大きな影響力のある存在であり続ける手助けをしてきたのかという部分に映画が焦点を当てたところもあるだろう。ヒップホップのプロデューサーであるテラス・マーティンと、ア・トライブ・コールド・クエストのメンバー、アリ・シャヒード・ムハマドとのインタビューで、彼らはヒップホップの台頭と、放課後の音楽教育の資金提供を取りやめたアメリカ政府を結びつけた。「私は驚かされました」とフーバーは言う。「学校のプログラムが廃止されたせいで、黒人街には楽器が不足していたのです。それで、彼らは楽器としてレコードを使用せざるを得なくなったのです」。
ミュージシャンではないが、フーバーのブルーノートに対する興味は彼女の幼少期にさかのぼる。「私の父親がブルーノートのレコードを何枚か所有していました」と彼女は言う。「その一つがアート・ブレイキーの『At The Cafe Bohemia』だったことを覚えています。私はそれを聴き、ベルンのジャズ・フェスティバルに行ったりしていました」。このレーベルについてのドキュメンンタリーを製作しようと彼女を引き込んだものは、最高級の音楽と人目を引くビジュアルの美的感覚だけではない。ヒトラーによるユダヤ人の迫害から逃れるために母国ドイツからアメリカへと逃亡してきたこのレーベルの創設者、アルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフの人生にも興味をそそるものがあったからだ。「ブルーノートについて調べ始めたとき、このレーベルを始めた2人のドイツ系ユダヤ人移民にとても心を動かされました。そして彼らがアフリカ系アメリカ人と協力して、音楽の中に自由をともにに見つけ、そして今も若い人たちに語り継がれる素晴らしい遺産を築いたこと。私はただ映画の中でこの脈略を辿り、人々にとってこの音楽が、自分自身を表現する希望に満ちた方法を見つける入り口であることを見せたかったのです」。
ライオンとウルフは型にはまったレコード会社の人間ではなかった。事実、彼らは利益率よりもアートを優先させるような人間だった。フーバー曰く、「ある意味、ブルーノートを他のレーベルと違ったものにしたのは、アルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフが、ミュージック・ビジネスがどのように成り立っているのか全く知らないただの熱狂的なジャズ・ファンだったということです。彼らは自分たちが聞きたいレコードを作りたかっただけでした。ミュージシャンに対して彼らは敬意と愛情を持ち、彼らのやりたいようにやらせていました。そのアプローチが実に画期的なリリースにつながったのだと思います」。
また、ブルーノートの先駆者的な2人は、金銭的にも芸術的にもリスクを負うことを嫌がらなかった。彼らは1974年、一見すると難易度の高い、前衛的なサウンドが理由で他の一人も手を出さなかったセロニアス・モンクと契約してレコーディングを行った。「当時、誰一人としてモンクをレコーディングした人はいなかった」とフーバーは説明する。「すべてのお金をモンクに投資したとき、レーベルは傾きかけていました。そして彼のレコードはそんなに売れなかった。しかし、今日、彼は非常に重要なミュージシャンです。もし2人がいなければ、私たちがモンクの音楽を聞くことはなかったかもしれないのです」。
人種差別が横行していた当時の社会のなか、黒人には自由が与えられなかった時代に、ライオンとウルフはアフリカ系アメリカ人のジャズ・ミュージシャンたちが自己表現出来る貴重な場所を与えてきた。ベテランのサックス奏者、ルー・ドナルドソンは映画の中で、白人が経営するすべてのレコード・レーベルは “悪党の集まり” だったと言いつつも、“しかしアルフレッドは違った” とコメントはしている。なぜライオンとウルフが黒人ミュージシャンたちからの敬意と好意だけでなく、信頼も得ることができたのかといったことも明らかにされる。
The B-52’sからボブ・ディラン、ザ・ローリング・ストーンズまで手掛けてきた著名プロデューサーのドン・ウォズが2012年、ブルーノートの代表取締役に就任した。ソフィ・フーバーは熱狂的なジャズ・ファン、そしてずっと昔からの熱心なブルーノートの信者であるウォズならレーベルは安泰だと信じている。「ドンは、アフルレッド・ライオンとフランシス・ウルフにとって重要だった音楽の遺産を本当に理解し、彼らの当時の想いに従っていると思います」と彼女は言う。「私が話したミュージシャンは全員、自分たちがやりたいようにやらせてもらえていると言っていたし、ドンが彼らをサポートしているとも言っていました。そしてドン自身がミュージシャンであることが、彼らの信頼に役立っているのです。ですから、私が見たときのセッションはただただ、とても良いヴァイヴでした。彼は本当に音楽のことを大切に思っているのです」。
フーバーは、ゆくゆくはこのドキュメンタリー映像がDVDとして商業的にリリースされることを望んでおり、同様にサウンドトラックのアルバムもあるかもしれないと期待している。「是非やりたいと、ちょうどその話をしているところなんです」と、芸術的な偉業と言えるこの映画の中で使用されたすべての音楽を選び、曲の順序付けも担当したとフーバー監督は明らかにする。そして、すべての良い映画に音楽が欠かせないように、『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』は、観客がすぐさま音楽の中にどっぷりと浸り、より深く繋がりたいと思わせる感動的なドキュメンタリー映画となっている。
この映画の監督ソフィー・フーバーは、過去3年半もの間ずっとブルーノートの音楽にまみれて生活してきたから、もうジャズを聴くのにうんざりしているだろうと思うかもしれない。しかしそれは間違いだ。この映画製作の経験は、彼女曰く、彼女の人生を変え。そして彼女はブルーノートのサウンドの魅力に動じずにはいられなかった。「私はまだ聞きたいんです」と彼女は笑う。「今や数百回も聞いたことがある沢山のレコードですが、音楽はいまも私にとっては信じられないほどパワフルで、私を驚かせるのです」。
ソフィー・フーバー監督ブルーノート・レコードのドキュメンタリー映画『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』は、2018年トライベッカ映画祭で初演される。
映画の日本公開が2019年9月6日に決定。詳細はこちら。
Written By Charles Waring
ドキュメンタリー映画『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』
2019年9月6日(金)、Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開
日本公式サイト
監督:ソフィー・フーバー
出演:ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ルー・ドナルドソン、ノラ・ジョーンズ、ロバート・グラスパー、アンブローズ・アキンムシーレ、ケンドリック・スコット、ドン・ウォズ、アリ・シャヒード・ムハマド(ア・トライブ・コールド・クエスト)、テラス・マーティン、ケンドリック・ラマー(声の出演) etc.
字幕翻訳:行方 均 配給:ポリドール映像販売 協力:スターキャット 2018年 スイス/米/英合作 85分
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