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フランク・シナトラのレーベル、リプリーズ設立と「The Second Time Around」
フランク・シナトラにとって1960年は非常に良い年だった。『カンカン』や『オーシャンと十一人の仲間』といった映画作品などの興行成績の良い作品に恵まれ、そしてシングル「Ol’ MacDonald」が全米で25位に登場するなどポップ・チャート入りした。そして、挙げ句の果てに、その年の12月に彼自身のレコード会社であるリプリーズを設立することを発表、そこでの最初の成果は彼の1961年のシングル「The Second Time Around」だった。
それまでのフランク・シナトラはキャピトル・レコードと契約し、有意義な7年間を過ごしていたが、自己の運命を担うべく、彼は自分のインディペンデント・レーベルを設立することを決心。そしてシナトラはクリエイティヴを完全にコントロールできるようになった。
皮肉なことに、ハリウッドの独立レーベルとして1942年に設立後、1955年には裕福なEMI子会社のメジャー・レーベルへとのし上がったキャピトル・レコード自身の華々しいサクセス・ストーリーは、レコード業界におけるフランク・シナトラ自身の投機的ビジネスにとって刺激的であり、青写真でもあった。音楽の権力者へと転身したフランク・シナトラは20万ドルの自己投資を行い、リプリーズ設立に着手した。レコーディング作品の権利を最終的には所有できるという約束と共に、友人や仲間のラット・パック、ディーン・マーティン、サミー・デイヴィスJr.に、他で受け取っているよりも良い出来高による印税率を提示し、自身のレコード会社に加わるよう勧誘した。
フランク・シナトラは、ジャズ・サックス奏者のベン・ウェブスター、ブルース歌手のアル・ハイブラーやマンス・リップスコーン、ジミー・ウィザースプーン、ジャズ歌手のメイヴィス・リヴァース、トランペット吹奏者のジャック・シェルドン、そしてコメディアンのスーピィ・セールス、レッド・フォックス、ジョー・E・ルイスなど自分のリスニングの好みを反映した豪華なアーティスト・リストを作り始めた。シナトラの娘、ナンシーもまたレーベルに加わった。
リプリーズは1961年2月13日に設立し、その前年の12月21日にレコーディングされた素晴らしいシナトラのシングル「The Second Time Around」と共に正式に始まった。そのタイトルは、シナトラの再来を告げるにふさわしい名前だった。この曲を書いたのは活動的なヒット・メイカー、サミー・カーンとジミー・ヴァン・ヒューゼン。フランク・シナトラの親友であり、50年代にアカデミー受賞曲を2曲 の「All The Way」と「High Hopes」をフランク・シナトラに与えてくれた2人組であり、「Come Fly With Me」や「(Love Is) The Tender Trap」といったシナトラお気に入りの曲も彼らによるものだった。
「The Second Time Around」は唯一、1961年の全米シングルにチャート・インしたフランク・シナトラの曲であり、その年の4月には50位まで上昇。フランク・シナトラは特に、感情豊かで心を打つ解釈でこの曲を紛れもなく自分のものにしていたが、その旋律はシナトラのために書かれたものではなかった。それはベース・バリトン・シンガーが再び愛を見つける男やもめの役で1960年の映画『High Time』に出演するビング・クロスビーのためにサミー・カーンとヴァン・ヒューゼンが書いたものだったのだ。
サミー・カーンいわく、「この曲はかなり早くかけたんだ。僕らはビング・クロスビーに歌って聞かせて、彼はただうなずいていたよ」。また、作曲家はこの曲を “失敗に終わったロマンスに向けた希望の賛美歌” と説明したこともある。この曲には、“love, like youth is wasted on the young / 愛、それは若さと同じように、若者は無駄にする” といったサミー・カーンによる記憶に残る格言的な歌詞が含まれていた。
この曲はリプリーズからリリースされたシナトラのLP『Ring-A-Ding-Ding!』には収録されなかったが、最終的には2枚のレーベル・コンピレーションLP『Sinatra’s Sinatra』(1963年) 『The Man And His Music』(1965年) に収録された。
Written by Charles Waring
フランク・シナトラ『Ultimate Sinatra』