News
R&Bアーティストで作曲家、そしてフィラデルフィア・ソウルの立役者バニー・シグラーが死去
ケニー・ギャンブルとレオン・ハフとともにあの有名なフィラデルフィア・ソウルを築き上げたアーティストでソングライターだったバニー・シグラーが10月6日に心臓発作を起こし、享年76歳で亡くなった。
バニー・シグラー自身の作品はもちろん、オージェイズやパティ・ラベル、ジャッキー・ムーアなど他のソウル・アーティストに提供した作品も含め、彼の楽曲はR&Bコミュニティで広く愛されていた。彼の楽曲で最も成功した作品は「Let The Good Times Roll」の1967年のヴァージョンで「Feel So Good」とのメドレー曲「Let The Good Times Roll & Feel So Good」として、レオン・ハフがプロデュースし、カメオ・パークウェイ・レーベルからリリースしたものだ。全米R&Bチャートで20位を記録しただけでなく、全米シングル・チャートで22位を記録。2013年に撮影されたカリスマ性溢れるバニーのパフォーマンスの動画はこちら。
バニー・シグラーのその他のヒット曲は1973年から1979年の間にトップ40入りした楽曲が5曲あり、ここには1978年8位を記録したヒット「Let Me Party With You (Party, Party, Party)」も含まれる。同年にロレッタ・ハロウェイトとのデュエット「Only You」がR&Bチャート11位を記録。当時のディスコ・サウンドを受け入れてソロ・アーティストとしての最後のソウル・チャートの記録を残したのは、1979年の「By The Way You Dance (I Knew It Was You)」だった。
バニー・シグラーは1941年フィラデルフィア生れのマルチ・インストゥルメンタリスト。彼が初めてレコーディングしたのは10代の頃にVトーン・レコードにおいてで、その後レオン・ハフの推薦でカメオ・パークウェイに移籍した。そこで発売したシングルで成功を収めた後、レオン・ハフとケニー・ギャンプルによって設立されたフィラデルフィア・インターナショナル・レコードで多くの仕事をこなした。オージェイズの名作であり、ゴールド認定された1972年のアルバム『Back Stabbers』に収録されている「When The World’s At Peace」や「Who Am I」、「Sunshine」を共作し、レーベル所属の他のアーティストのためにも楽曲を書き続けた。1974年には自身のアルバム『That’s How Long I’ll Be Loving You』でR&Bアルバム・チャートのトップ30入りを果たしている。
1977年にはゴールド・マインドからアルバム『Let Me Party With You』をリリースし、ソウル・チャートのトップ20入りを果たしている。ちなみに、その2年後に発売したアルバムのタイトル『I’ve Always Wanted To Sing…Not Just Write Songs』(訳:ずっと歌いたいと思っていた…曲を書くだけではなくて)は彼がずっと思っていた野望を表現していたのかもしれない。
ソングライターとしてバニー・シグラーはジョーンズ・ガールズのシャーリー・ジョーンズなど、のちの”フィラデルフィア・ソウル”を代表するアーティストのために曲を書き続け、2006年に発売されたザ・ルーツのアルバム『Game Theory』ではラッパーのピーディ・ピーディとともに「Long Time」に参加してい。
彼は2015年のアルバム『Bundino』まで自身のソロ作品を発表し続け、亡くなる数週間前までYouTubeのチャンネルで曲のアップロードを行っていた。また、バニー・シグラーの作品はノートリアスB.I.G.、ジャスティン・ティンバーレイク、プッシャーT、タイラー・ザ・クリエイターといった幅広いアーティストにサンプリングされていることでも有名だ。
「バニーは最も大好きなプロデューサーでありライターの一人だったよ」とレオン・ハフは声明を発表した。「初期にバニーをフィラデルフィアの音楽のコミュニティ、そして伝説のプロデューサーとソングライターのジョン・マダラとデイヴ・ホワイトに紹介できたことを光栄に思っている。彼の最も成功したヒット曲‘Let the Good Times Roll’をプロデュースできたことを非常に嬉しく思っている。心からバニー・シグラーを愛していたし、本当に寂しい」。
ケニー・ギャンプルは自身の声明でこのように書いている。「親愛なる友人のウォルター・‘バニー’・シグラーが亡くなったことを聞き、本当に深い悲しみに打ちひしがれている。自分がともに仕事をしてきた人の中で、最も才能があり、クリエイティヴで偉大なソングライターでミュージック・プロデューサーの一人だった」。
「彼は最初から我々、フィラデルフィア・インターナショナル・レコードの所属アーティストに多くの楽曲を貢献してくれた。バニーは素晴らしいシンガーでもあり、バック・ヴォーカリストとして数々のヒット曲で見事なパフォーマンスをしてくれた。そして何よりも、我々の家族のようだった。最高だったよ!」
Written by Paul Sexton