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史上最高のジャズ・ドラマー50人

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ドラマーという存在が冗談の対象になることは、これまでに度々あった。その冗談の大半は、ドラマーは太鼓を叩いているだけで音楽の才能はないんじゃないのか、そして単にタイム・キープしているだけなんじゃないのか、というものだ。しかしながら、事実は全く違っている。実際のところ、バンドはドラマーの能力で決まるものであり、最高のジャズ・ドラマーは平均以下だったジャズの楽団をかなりまともなバンドへと奇跡的に変貌させることが可能なのだ。

大衆音楽の中で最も技術的に難しい音楽形式と考えられているジャズ界でのドラマーの役割は、大抵のロックやポップスの分野よりも大変だ。20世紀初頭のジャズが新しいジャンルだった頃において、ワクワクさせるような、著しくダンサブルなグルーヴを伴うリズムをジャズに与えたのは、ドラマーたちだった。だが、音楽が進化するにつれ、ドラマーに要求される内容は変わっていく。ビバップ時代以降にジャズが知性に訴えるものになると、最高のジャズ・ドラマーたちは高度な技術を備えたバンド内のソリストたちの演奏に合わせることを期待された。もはや彼らの役割は、一定のリズミカルな拍子を取ることに専念するだけではなく、違った手法で音楽に貢献しなければならなくなったのだ。例えば、ソリストをサポートしつつ盛り上げ、緊張とドラマを築き、パーカッシヴな色彩を提供し、ある気分や雰囲気を誘い出しながらといったように。

そして、非常に複雑なその音楽的性質により、最高のジャズ・ドラマーたちは熟達したテクニシャンでなければならない。もし2014年公開のアカデミー賞受賞映画『セッション』を観たことがある人なら、ドラマーへの道が楽ではないことをご存じだろう。その基準は厳しく、精密さが要求される。それにも関わらず、あらゆる感情の表明であり、色合いや特色を備えるジャズは、長年に渡り多数の“熱弁者たち”を輩出し、彼らはジャズ・ドラムを高尚な芸術へと変貌させた。

さて、あなたはついて来られるだろうか?我々が選んだ史上最高の50人のジャズ・ドラマーのカウント・ダウンをこれからご紹介しよう。

50: オマー・ハキム(1959年生まれ)
デヴィッド・ボウイスティングケイト・ブッシュ、セリーヌ・ディオン等のポップ・アルバムを含む無数のスタジオ・クレジットに名前が記されているものの、このドラマーの音楽的基盤は80年代におけるウェザー・リポートやマイルス・デイヴィスとの仕事が証明するように、深くジャズに根差している。至高の多才ぶりを誇るオマー・ハキムは、明らかにマルチ・ジャンルに対応可能なドラマーの現代版であり、どの楽曲に取り掛かってもこの上なく素晴らしい演奏を披露できるのだ。

Omar Hakim – drum solo

 

49:デイヴ・ウェックル (1960年生まれ)
このミズーリ州出身のドラマーはマドンナポール・サイモン、ロバート・パーマー等ポップ・アーティスト達とのセッションで演奏してきたが、ジャズ・ファンの間では1985年から1991年にかけて参加していたチック・コリア・エレクトリック・バンドでの作品で最も良く知られている。技術面で卓越しており、圧倒的な感情力も素早く出すことができるデイヴ・ウェックルは、その実力から成し遂げたバンド・リーダーであり、ドラム演奏の技術に関する本や映像を手がけてきた。

Got a Match? Dave Weckl with the Chick Corea Elektric Band 2017

 

48: トニー・オクスレー(1938年生まれ)
ロンドンにあるロニー・スコッツの元ハウス・ドラマーだったシェフィールド生まれのトニー・オクスレーは、スタン・ゲッツソニー・ロリンズジョー・ヘンダーソンを含む多数の正真正銘のジャズ・ジャイアンツと共演してきた。また、トニー・オクスレーは、ペーター・ブロッツマン、アンソニー・ブラクストン、セシル・テイラー、ジョン・サーマンと録音した主要な前衛的作品が証明する通り、フリー・ジャズ界を牽引する代表的存在の1人としても重要視されており、決して月並みな方向へと甘んじることはなく、音楽面でも常に興味深い内容と独自性を備えている。

Cecil Taylor & Tony Oxley, 24 Sep 2009, Amsterdam

 

47: ピート・ラロカ(1938年~2012年)
ハーレム生まれのピート・シムズは、様々なラテン・バンドでティンバレスを担当していた青年時代にピート・ラロカというステージ・ネームをつけた。彼が出演した初の注目すべきギグは、1957年にヴィレッジ・ヴァンガードで“サックス界の巨人”ことソニー・ロリンズとの共演だった。その後、彼は欠かせないサイドマンとなり、ジャッキー・マクリーン、ジョー・ヘンダーソン、フレディ・ハバード、チャールズ・ロイド等と録音した。自由奔放にスウィングできるものの、ピート・ラロカは共演者の支えとなる伴奏者でもあり、バラード曲では快いほど控えめだった。

Sometime Ago – Art Farmer, Jim Hall, Steve Swallow, Pete La Roca

 

46: マヌ・カッチェ (1958年生まれ)
フランスが誇る最高のジャズ・ドラマー、若しくはその1人であるマヌ・カッチェは、単にジャズを演奏するだけではなく、ピーター・ガブリエル、ジョニ・ミッチェル、スティング、ダイアー・ストレイツ、ジェフ・ベック、トレイシー・チャップマンを含む多数のロック/ポップス系アルバムでも、彼の演奏を聴くことができる。ジャズの世界ではハービー・ハンコックやヤン・ガルバレクと演奏し、ECMから自身のリーダー作も数枚リリースしてきた。彼の特徴である演奏スタイルは、正確さ、センスの良さ、そして想像力が見事に調整された融合だ。

Manu Katché – Clubbing (Live New Morning)

 

45: ジェフ・バラード(1963年生まれ)
著名なコンテンポラリー・ジャズ・ピアニスト、ブラッド・メルドーの長年に渡る音楽仲間であるカリフォルニア州生まれのジェフ・バラードは、パット・メセニー、ジョシュア・レッドマン、チック・コリアが率いるアンサンブルでその類まれな才能を証明した。彼の演奏スタイルは著しくダイナミックで、まるで伝染しそうな活気と迸るエネルギーが特徴である。

Pat Metheny and Brad Mehldau Quartet

 

44: ジェフ・“テイン”・ワッツ(1960年生まれ)
コンテンポラリー・ドラマーたちの間でも真の有力者と見られるジェフ・ワッツは、ウィントンとブランフォード・マルサリスの2人と強い関連性を持つペンシルヴァニア出身者である。彼の逞しく、活気溢れる演奏法は、ケニー・ギャレット、アリス・コルトレーンからハリー・コニック・Jr.、インディア・アリーまで幅広いアーティストによる数々の異なる録音作品で聴くことができる。

A FOGGY DAY – Wynton Marsalis

 

43: ラシッド・アリ (1933年~2009年)
1965年にジョン・コルトレーンに起用されたこのフィラデルフィア生まれのドラマーは、『Interstellar Space』を含むジョン・コルトレーンの最も風変りなアルバム数枚に参加した。ラシッド・アリはスウィング感や一定の拍子を取ることを捨てて、抽象的な色彩づけやドラマと独特の雰囲気を創ることを好み、ジャズ・ドラミングの世界に新鮮なアヴァンギャルドさを与えた。

Don Cherry/Blood Ulmer/Rashied Ali

 

42: ノーマン・コナーズ (1947年生まれ)
まだ学生だった16歳の時点で早くも才能を開花させたノーマン・コナーズは、フィラデルフィアで行われたジョン・コルトレーンのギグで、エルヴィン・ジョーンズの代役を務めた。とりわけ70年代初頭のファラオ・サンダースとの共演時代以降の一時期は、スピリチュアル・ジャズこそが彼の天職と思えるほどであった。その後R&Bの分野に移行し、ヒットを出すプロデューサー、そして才能ある有望な新人の発掘者となったが、彼は自身のジャズのルーツを決して忘れなかった。

Norman Connors performs "Butterfly"

 

41: ブライアン・ブレイド(1970年生まれ)
ロック(ジョニ・ミッチェル)からカントリー(エミルー・ハリス)、ポップス(ノラ・ジョーンズ)、フォーク(べス・オートン)まで幅広いジャンルを納得のいくように変形させながら演奏し、音楽の形を変化させる達人であるブライン・ブレイドは、自身が渡ることのできない音楽の障壁など存在しないことを示してきた。サイドマンとしての無数の参加を果たしてきたものの、彼が関わっているプロジェクトで最も感心するのは、自身のジャズ・オリエンテッドなフェローシップ・バンドだろう。

 

40: テリ・リン・キャリントン(1965年生まれ)
ジャズ・ドラムの世界は大半が男性ばかりの領域だが、ジャズとR&Bの両分野をエネルギッシュに演奏するグラミー賞受賞者のテリ・リン・キャリントンは、全くもってこのルールには該当しない。現在バークリー音楽院の教授を務めるテリ・リン・キャリントンは子供時代にはドラムの神童で、スタン・ゲッツやハービー・ハンコック等との共演を経て急速に有名になった。

Berklee Global Jazz Ambassadors ft Terri Lyne Carrington – Insomniac

 

39: ビリー・ハート(1940年生まれ)
ジャズ畑でウェス・モンゴメリー、ジミー・スミス、スタン・ゲッツやウェイン・ショーターと仕事をする以前、ビリー・ハートはオーティス・レディングやサム&デイヴのバック・バンドでR&Bドラマーとしてのキャリアを開始した。彼の多岐に渡る音楽性と様々な異なる音楽様式での演奏力はR&Bやビバップからより抽象的なコンテンポラリー・ジャズまで音楽的境界線によって妨げられないフレキシブルなミュージシャンとして特徴づけている。

Billy Hart: All The Things You Are – Joe Henderson – Woody Shaw – 1987

 

38: エリック・グラヴァット(1947年生まれ)
フィラデルフィア出身のエリック・グラヴァットは、1972年にアルフォンス・ムーゾンの後釜としてウェザー・リポートのドラマーとなり、同バンドが発表した初期のアルバム3枚に参加した。彼の推進力のある、ポリリズム的な演奏スタイルは、疑う余地もなく同グループの音楽(特にアルバム『Live In Tokyo』)に基礎となる激烈なエネルギーを植え付けた。70年代終盤にミュージシャンの収入で家族を養うことができなくなったエリック・グラヴァットは、数年間に渡り刑務所の看守となった。更に最近では、マッコイ・タイナーと共演している。

Eric Kamau Gravatt, McCoy Tyner, Bill Frisell, Gary Bartz

 

37: メル・ルイス (1929年~1990年)
“クールな集団”として知られるバンド、スタン・ケントンの卒業生であるルイス(本名:メルヴィン・ソコロフ)は、トランペッターのサド・ジョーンズと共に60年代、70年代にサド・ジョーンズ =メル・ルイス・オーケストラの共同リーダーを務めて有名になった。そのクリエイティヴなシンバル使用法やドラムの温かいトーンで名高いものの、メル・ルイスはアンサンブルで演奏する際に目立つよりも他のプレイヤーと上手く調和することを好んだため、ドラマーとしては唯一無二の存在だった。

Thad Jones/Mel Lewis Big Band drum solo

 

36. アルバート・“トゥーティ”・ヒース(1935年生まれ)
サックス奏者のジミー・ヒースとモダン・ジャズ・カルテットのベーシスト、パーシー・ヒースの弟であるトゥーティ・ヒースは、1957年にジョン・コルトレーンとの録音でデビューを果たし、その正確なタイムキーピングと独創的な音色の融合により、すぐにジャズ界で最初に声がかかるドラマーとなった。トゥーティ・ヒースは82歳である今日も現役ドラマーとして活動しており、現在ではザ・ホール・ドラム・トゥルースというオールスター・パーカッション・アンサンブルのリーダーを務めている。

Albert "Tootie" Heath with Dexter Gordon Denmark 1967

 

35: ソニー・ペイン (1926年~1979年)
1954年から1965年までの間、ソニー・ペインは誰もがひどく渇望するカウント・ベイシーのビッグ・バンドのドラマーの座を手にして、リズミカルなかっこ良さ、ドラマ、活気のある鋭いセンスを“ジャズ界の伯爵”の音楽にもたらした。彼は、カウント・ベイシーが50年代に発表した名作、『April In Paris』と『The Atomic Mr. Basie』に参加している。

https://www.youtube.com/watch?v=izHspsSHXyg

 

34: シド・カトレット (1910年~1951年)
インディアナ州生まれのシド・カトレットは、1938年にルイ・アームストロングのグループに辿り着く前に、1930年代におけるベニー・カーターやフレッチャー・ヘンダーソンとの仕事で名を成した。スウィング・ジャズとの関わりがあったものの、シド・カトレットは万能ミュージシャンとしての能力を証明し、1945年にディジー・ガレスピーの画期的なバンドで演奏することで、ビバップへの移行を果たした。

Big Sid Catlett & Gene Krupa in "Boy, What a Girl"

 

33:コニー・ケイ (1927年~1994年)
1955年から1974年までモダン・ジャズ・カルテットの要として活躍したコニー・ケイのエレガントな‘余計なものを削ぎ落す’美学とスウィングの崇高なセンスは、彼をバンド外からも声のかかる需要の高いドラマーにした。その多才ぶりはジョー・ターナーによる1954年のR&Bクラシック「Shake, Rattle And Roll」やヴァン・モリソンのアルバム『Astral Weeks』でもドラムを担当し、彼が一度も仕事で困ることがないほど確実なものであった。

"True Blues" (Milt Jackson),Modern Jazz Quartet in London.

 

32: アル・フォスター (1943年生まれ)
バージニア州リッチモンド出身のアル・フォスターは、70年代、80年代にマイルス・デイヴィスの数多くの作品に参加し、その他マッコイ・タイナー、ソニー・ロリンズ、デクスター・ゴードンのセッションでも貢献した。彼の演奏スタイルの礎は、安定しつつもなめらかなグルーヴ感を保つ能力。アル・フォスターは、他のミュージシャンたちが活躍できる場を与え、そこから何か得ることを促す一方で、自身のリズミカルな機微を披露している。

HERBIE HANCOCK & MILES DAVIS – WATERMELON MAN – LIVE +QTY

 

31: ビリー・ヒギンス (1936年~2001年)
このLA出身のドラマーは、フリー・ジャズの因襲打破主義者オーネット・コールマンと50年代後半に初の足跡を残したが、ビートをミスることなく、じきに楽々とハード・バップから最先端のアヴァンギャルドな音楽へと切り替え、頼もしいミュージシャンへと進化した。これまでに掲載された700のスタジオ・クレジットには、ハンク・モブレー、デクスター・ゴードンから、サン・ラー、パット・メセニーまで幅広いアーティストの作品が含まれる。

Billy Higgins: Alias Buster Henry – 1975 (extended Drum Solo)

 

30: ジョー・チェンバース(1942年生まれ)
ドラマーであるだけでなく、作曲家、ヴィブラフォン奏者、ピアニストでもあるジョー・チェンバースは、60年代に需要のあるドラマーとしてマイルス・デイヴィスからフレディ・ハバード、ボビー・ハッチャーソン、チック・コリアまで、あらゆる人達と演奏してきた。ハード・バップに精通していたものの、そのアブストラクトかつ探検的な音楽を演奏できる能力は、彼に願わしい多才性を与えた。

https://www.youtube.com/watch?v=7b_2GkOsrI0

 

29: チック・ウェッブ (1905年~1939年)
今日ではエラ・フィッツジェラルドの歌手としてのキャリアを始める後押しをしたバンド・リーダーとして人々の記憶に残るチック・ウェッブは、1939年に34歳で早死するまでの人生で、革新的かつ影響力のあったドラマーとしても知られている。彼は、30年代と40年代にジャズ界で大規模な人気を得て優勢となったスウィング・スタイルの主な提唱者であった。

Chick Webb.flv

 

28: ハーヴィー・メイソン(1947年生まれ)
多作なセッション・ドラマーであるアトランティック・シティ生まれのハーヴィー・メイソンは、長年続いているスムース・ジャズのスーパー・グループ、フォープレイの創設メンバーである他に、自身の名前で数多くのソロ・アルバムも発表している。タイトで注意深く、細部まで正確である一方で、彼のドラム・トラックはグルーヴと一体化する本能的なセンスも示している。

Harvey Mason: 3RD DEGREE (FOURPLAY: Harvey Mason – Chuck Loeb – Bob James – Nathan East)

 

27: ルイ・ベルソン(1924年~2009年)
イリノイ州ロックフォールズ出身のルイ・ベルソンは、ビッグ・バンド時代にベニー・グッドマン、ハリー・ジェイムス等のバックで経験を積んだ。その後、彼はドラムの名人だけでなく、作曲家、作家へと成長を遂げた。そのダイナミックで最高にスウィングするスリリングな演奏スタイルは、ジョー・ジョーンズの草分け的な業績のお陰である。

Louie Bellson – 1957 Skin Deep Solo

 

26: アート・テイラー(1929年~1995年)
生粋のニューヨーカーで、一般的に無名なアート・テイラーは、50年代にハード・バップ・ドラミングにおける建国の父の1人だった。彼はソニー・ロリンズ、ジャッキー・マクリーン、ジョン・コルトレーンを含む数多くの有名なジャズ・ホーン奏者たちと演奏し、単なるタイム・キーピングを遥かに超えた、重要な伴奏者として機能するドラミング・スタイルを生み出した。

Johnny Griffin & Art Taylor Quartet 1971 – My Little Suede Shoes

 

25: アルフォンス・ムザーン (1948年~2016年)
フュージョン界のスーパー・グループとして知られるウェザー・リポートの初代ドラマーであり、ラリー・コリエル率いるジャズ・ロッカー勢のザ・イレヴンス・ハウスの必須メンバーだったノース・カロライナ州出身のアルフォンス・ムザーンは、ジャズ、ファンク、ロック、R&B の音楽的要素を吸収し、活気に溢れ、ポリリズム的混合物として融合したエネルギッシュな演奏スタイルを誇った。また、彼は陶酔的なグルーヴで快活なサウンドを引き出す名人であった。

Alphonse Mouzon: DRUM SOLO (Jaco Pastorius – Albert Mangelsdorff)

 

24: ソニー・グリアー (1895年~1982年)
このニュージャージー出身のドラム・マイスターは、デューク・エリントンと組んだ初ドラマーとして名誉を得た。1924年にデューク・エリントン楽団に加入し、“ジャズ界の侯爵”と1951年まで行動を共にした。当時、ソニー・グリアーが他のドラマーとは一線を画したのは、ゴングやチャイム、その他エキゾチックな打楽器を駆使して創る音色を好んだことだった。

Duke Ellington – C Jam Blues (1942)

 

23: アイドリス・ムハンマド (1939年~2014年)
イスラム教への改宗前はレオ・モリスという本名だったアイドリス・ムハンマドは、うまくソロ・アーティスト転向(1974年発表アルバム『Power Of Soul』は名作である)を達成する以前はアーマッド・ジャマルやファラオ・サンダース等と共演してきた需要の高いセッション・ドラマーだった。彼の説得力のある演奏スタイルは、ストレート・アヘッドなジャズのみならず、R&Bからも引き出している。

Idris Muhammad

 

22: レニー・ホワイト(1949年)
マイルス・デイヴィスによる大変革をおこした1970年発表のジャズ・ロック系アルバム『Bitches Brew』の参加により19歳にしてレコーディング・デビューを果たしたニューヨーク生まれのレニー・ホワイトは、その後チック・コリアのバンド、リターン・トゥ・フォーエヴァーのドラマーとなった。勢いがあり、エネルギッシュなその演奏スタイルは、ジャズとロック両方の語彙に当てはまり、レニー・ホワイトはジャズ・フュージョン系ドラミングの土台を造った重要建築家となった。

Chick Corea Joe Henderson Stanley Clarke Lenny White – Live!

 

21: ダニー・リッチモンド (1931年~1988年)
ニューヨーク育ちのダニー・リッチモンドは、20代でドラマーに移行する以前はテナー・サックス奏者として音楽活動を始めた。彼はチャールズ・ミンガス・バンドでの合計して21年の長期に渡る実り多いキャリアにおいて、ベーシスト兼作曲家であるチャールズ・ミンガスの名作『Mingus Ah Um』を含む30作品以上で演奏している。しっかり積んでいたサックスの基礎訓練のお陰で、彼はその繊細な陰影づけと巧みなタッチでメロディ・ラインの向上法を把握しており、非常に音楽的なドラマーであることを証明した。

charles mingus dannie richmond

 

20: ピーター・アースキン(1954年生まれ)
4歳からドラムを叩き始めた神童ピーター・アースキンは、スタン・ケントンやメイナード・ファーガソンの元で経験を積み、1978年から1982年までウェザー・リポートに在籍。ジャズやファンクのあらゆる色合いに関する語彙に精通したピーター・アースキンは、技術的にも熟練され、感情的に繊細な独特な演奏スタイルを生み出した。

Peter Erskine: A FINE SWING TUNE – Master at work

 

19: ジョー・モレロ(1928年~2011年)
デイヴ・ブルーベックの長年に渡るサイドマンとして変拍子や奇数拍子で実験することを好んだジョー・モレロは、珍しい拍子記号の演奏に精通するようになった。デイヴ・ブルーベックの代表曲「Take Five」は、4分の5拍子で演奏する上級者クラス向けナンバーである。

Joe Morello: Take 5 Drum Solo

 

18: ジミー・コブ(1929年生まれ)
このワシントンDC出身ドラマーの印象的な履歴書は、まるでジャズ界の紳士録のようである。ジョン・コルトレーン、キャノンボール・アダレイウェス・モンゴメリージョー・ヘンダーソンとの仕事の他、ジミー・コブはマイルス・デイヴィスが1959年に発表した象徴的なアルバム『Kind Of Blue』でのドラミングでも有名である。そのパワーと感受性を調和できたジミー・コブは、落ち着いてスウィングすることも身についていた。

Jimmy Cobb's So What Band – All Blues – Bridgestone Music Festival '09

 

17: ジャック・ディジョネット(1942年生まれ)
チャールズ・ロイドに弟子入り後、ビル・エヴァンス、マイルス・デイヴィスの元で演奏したボストン生まれのジャック・ディジョネットは、あらゆる様式のジャズにも順応し、居心地良く見える折衷的なドラマー。フリー・ジャズ、ビバップ、ワールド・ミュージック、R&B、ロックの要素をシームレスに繋げた彼の演奏スタイルは、非凡であり、極めて雄弁だ。

Jack DeJohnette: Drum Solo Part I

 

16: スティーヴ・ガッド(1945年生まれ)
ストレート・アヘッドなジャズからフュージョン、ロック、R&B、ポップまで何でも演奏できる多才なドラマーであるロチェスター出身のスティーヴ・ガッドは、ドラマーの中のドラマーとして知られている。技術面での卓越さに生まれつきのグルーヴ感と、楽曲がリズム的に何を必要としているかの直感的感覚を合わせたスティーヴ・ガッドは、ソリストとしてスポットライトを浴びるよりも熟練したチーム・プレイヤーとしての役割を好む。

Steve Gadd Drum Solo from Grover Washington Jr Live – Mr Magic 1980

 

15: ポール・モチアン(1931年~2011年)
フィラデルフィア生まれのポール・モチアンは、60年代におけるビル・エヴァンス・トリオでの存在によってジャズ愛好家に注目されるようになり、その後もうひとりの影響力のあるピアニスト、キース・ジャレットと共演した。機微、抑制、そして繊細な色彩づけに熟練した達人であるポール・モチアンは、自身のリズム・トラックで鮮やかな絵画を描くことができた。

Paul Motian & The Electric Bebop Band – Brilliant Corners – Chivas Jazz Festival 2003

 

14: ビリー・コブハム(1944年生まれ)
パナマ生まれのビリー・コブハムは、70年代初頭にジャズ・ロック界の巨獣、マハヴィシュヌ・オーケストラで超人的なドラマーとして有名になる以前はホレス・シルヴァーやマイルス・デイヴィスと演奏していた。ダブル・ベース・ドラムと巨大なゴングを搭載した山のようなドラム・キットを備えたビリー・コブハムの、明らかに肉感的で轟渡る演奏スタイルは、レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムに対するフュージョン界からの返答だった。

Billy Cobham: Tenth Pinn – 1974

 

13: ルイ・ヘイズ (1937年生まれ)
現在80歳でなおも現役のデトロイト出身ドラマーのキャリアは、彼がホレス・シルヴァー、ジョン・コルトレーン、キャノンボール・アダレイ等とレコーディングした50年代後半に始まった。ルイ・ヘイズの専門は、激しくスウィングし、自由に流れ、ソリストが必要とするものに繊細に対応するリズム・トラックを提供できる能力である。

LOUIS HAYES & THE CANNONBALL ADDERLEY LEGACY BAND

 

12: シェリー・マン(1920年~1984年)
‘多才さ’は、まさにシェリー・マンの特徴的な個性。スウィングからビバップ、ディキシーランドから、より深く探検するようなジャズ・スタイルまでを、ささいなドラムスティックの使い方で容易に切り替えることができ、彼の順応性が無数のハリウッド映画やテレビ用スコアの演奏をもたらしたことも驚きではない。彼の独特な演奏スタイルは多彩な影響に反映されており、彼は様々な気分や感情を音で巧妙に伝えるためにドラムを使用したのだ。

Shelly Manne – Speak Low

 

11: フィリー・ジョー・ジョーンズ (1923年~1985年)
ビッグ・バンドのスウィング・ドラマー、ジョー・ジョーンズと混同しないでほしい。こちらのペンシルヴァニア出身の熱弁者は、そのドラム・キットを極度に騒々しく叩くことで有名な、多作なサイドマンだった。彼は、50年代後半にマイルス・デイヴィス・クインテットにダイナミックなスウィング感と活気的なエネルギーを注入したドラマーとして最も良く知られている。

Philly Joe Jones

 

10: チコ・ハミルトン (1921年~2013年)
この多作なLA出身のワンマン・ドラム・オーケストラは、クールなウエストコースト・サウンドの開拓者であった。まるでアート・ブレイキーのように、彼は背後から指揮を取り、鋭い才能発掘者であることを証明した。そのパワーに技巧と微妙な繊細さを融合させることができた彼は、まるで画家のように自身の音楽を異なる音色の色合いをつけながら、ドラムを駆使した。

John Pisano whit Chico Hamilton Quintet on Newport Jazz Festival, 1958

 

9: ジョー・ジョーンズ (1911年~1985年)
1934年から1948年までカウント・ベイシーのバンドで重要メンバーだったシカゴ出身で、時には“パパ”・ジョー・ジョーンズとしても知られるこの革新的なドラマーは、タイム・キーピング用として顕著にハイハットを使用することで、ビッグ・バンド内におけるジャズ・ドラミングの青写真を作った(それ以前は、タイム・キーピング用としてベース・ドラムが使用されていた)。また、彼は静かなスロー・ナンバーでのブラシの使用も開拓した。まさに、多大な影響力を与えたドラマーである。

https://www.youtube.com/watch?v=W8L7JZP97X0

 

8: ジーン・クルーパ (1909年~1973年)
レコーディング・セッションで恐らく初めてベース・ドラムを使用したと言われているビッグ・バンドのスウィング・マイスター、ジーン・クルーパは、現代のドラム・キットの形式に影響を与えたとみられる。また、彼はシンバルとタムタムの人気確立にも貢献した。そして、ジーン・クルーパは、バディ・リッチとの激しい‘ドラム・バトル’でも有名になった。

Buddy Rich – Gene Krupa – Sammy Davis Jr.: The legendary DRUM BATTLE

 

7: バディ・リッチ (1917年~1987年)
バーナード・“バディ”・リッチは、ジャズ界で最も派手なドラマーの1人だった。スピード感、パワー、主要なスウィング感で名高い彼は、後にロック界でも見ることになるロング・ドラム・ソロをその並外れたテクニックで見せつけた先駆者でもあった。

Insane Drum Solo ◦ Buddy Rich

 

6: ロイ・ヘインズ(1925年生まれ)
92歳の現在も好調なロイ・ヘインズは “スナップ・クラックル”のニックネームで知られるが、その愛称は彼が生み出すユニークなスネア・ドラム音を擬音語で近づけたものと言われている。50年代初頭にハード・バップのドラマーとしてそのキャリアを始めた後は、あらゆる種類のジャズ、そして前衛ジャズさえも堂々と演奏できることを示した。

Roy Haynes: Extendend Drum Solo – 1966

 

5: エルヴィン・ジョーンズ(1927年~2004年)
エルヴィン・ジョーンズは、60年代初頭にジョン・コルトレーンの革新的なカルテットへの参加で世に知られるようになり、そのドラミングの動的な力強さでたちまち有名になった。まるで獣のようなパワー同様に機微も備えており、彼は流れるような繊細なリズム・トラックの組み立て方を把握し、楽曲が必要としているものへと敏感に合わせることができた。

Elvin Jones Drum Solo Demonstration

 

4: ケニー・クラーク(1914年~1985年)
‘クルック’という愛称で親しまれていたピッツバーグ生まれのクラークはモダン・ジャズ・カルテットの創立メンバーであり、40年代半ばのビバップの誕生時に立ち会い、このジャンルの初期の成長の主要人物だった。彼の特徴は、スウィングのグルーヴを保つために駆り立てるようなライド・シンバルを叩き出す一方で、バス・ドラムでリズムをシンコペーション(=不規則なオフビート)で強調し始めたことで、ジャズ通たちは、ケニー・クラークを“爆弾のようだ”と絶賛した。彼の演奏法は、全てのモダン・ジャズ・ドラミングのテンプレートを描いた。

Kenny Clarke "Bebop"

 

3: トニー・ウィリアムス(1945年~1997年)
小柄だったものの、トニー・ウィリアムスは間違いなくジャズ・ドラム界における真の巨匠だった。17歳にしてマイルス・デイヴィスのバンドで演奏するようになった彼は、その入り組んだドラム・パターンと見事なリズミック・ディスプレイスメント(=リズムに変化をつける手法)で直ちに先駆者的存在としてみなされるようになる。また、彼は極めて多才で、ストレート・アヘッドなジャズの他に、いとも簡単にフュージョンやロック・ナンバーも演奏することができた。

Tony Williams: Drum Solo – 1989

 

2: マックス・ローチ(1924年~2007年)
マックス・ローチは1940年代後半にビバップ初の重要ドラマーの1人として登場した。彼の主要な特徴のひとつは、リズミカルな拍子を強調させる際のライド・シンバル使用で、それはジャズに流動性と通常よりさり気ない雰囲気のスウィングをもたらす革新となった。彼は、演奏中にドラムセットを駆使して楽曲の異なる要素を強調するために敢えて対照的な音色を作る、表情豊かなドラマーに成長した。

https://www.youtube.com/watch?v=F_voXNIsobs

 

1: アート・ブレイキー(1919年~1990年)
ポリリズム・ドラミングの発電所のようであったアート・ブレイキーは、長年続いた彼のバンド、ザ・ジャズ・メッセンジャーズの原動力となった優れたスウィングとシンコペーションの感覚を備えたワンマン・エンジンルームだった。ドラマーであるだけでなく、カリスマ性のあるバンド・リーダーを務めた彼の特徴は、ターボ過給した激しさを彼の勢いのあるハード・バップのグルーヴ感に注入したような、うねるように増大するドラムロールだった。

アート・ブレイキー&ザ・ジャズメッセンジャーズ チュニジアの夜 Night in Tunisia

Written By Charles Waring


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