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ステッペンウルフの創設メンバー、ゴルディ・マックジョン死去

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カナダの有名ハード・ロック・バンド、ステッペンウルフの創立メンバーであり、彼ら最大のヒット曲「Born To Be Wild(邦題:ワイルドでいこう!)」と「The Pusher」のキーボード奏者として知られるゴルディ・マックジョンが亡くなった。72歳であった。このニュースは彼のFacebookページで公開され、2017年8月1日の朝“ゴルディは突然心臓発作に襲われた”と書かれている。

1945年5月2日生まれの本名ジョン・レイモンド・ゴーズビーは、ジャック・ロンドン&ザ・スパロウズを脱退したシンガーのジョン・ケイとドラマーのジェリー・エドモントンと共に、1967年後半、トロントにてステッペンウルフの結成の手助けをし、その時のメンバーの中には、後にバッファロー・スプリングフィールドに加入するブルース・パーマーも含まれていた。若き頃のゴルディ・マックジョンは、ブルース・パーマーと未来のR&Bスターとなるリック・ジェイムスと共にマイナー・バーズのメンバーだった。バッファロー・スプリングフィールドの重要メンバーであったニール・ヤングも、ゴルディ・マックジョン脱退後のマイナー・バーズで演奏している。

ゴルディの最大の出世作は、彼のヘヴィーなB3オルガンがフィーチャーされた「Born To Be Wild」(USチャート最高2位)と記念すべきホイト・アクストンの「The Pusher」のカヴァーを含む、ステッペンウルフが1968年にリリースしたセルフタイトル・アルバムである。ゴルディ・マックジョンは、オルガンをメタルやハード・ロックで使った先駆者であり卓越した奏者であると記されるようになった。

ゴルディの強烈なオルガンは、またもUS TOP5を記録したステッペンウルフのシングル「Magic Carpet Ride」でもフィーチャーされ、この曲を収録する1968年リリースの『The Second』を含む7枚のアルバムをステッペンウルフとして残している。メンバーとして最後のアルバムとなった1974年の作品『Slow Flux』をリリース後、1975年にバンドを脱退しリーダーのジョン・ケイにその後を託した。

他にもゴルディ・マックジョンは、ステッペンウルフが活動休止していた70年代初頭にドラマーのジェリー・エドモントンと共に、マンビーストというバンドを結成し活動を続けた。後にハンブル・パイの再結成に参加、またジョン・ケイ以外のメンバーによるステッペン・ウルフの再結成ラインナップにも加わっていた。

その後、彼は妻のソンジャと共にワシントンに移住、『New Visions』や『Fugue In D』といったソロ・アルバムをリリースし、さらにゴルディ・マックジョン&フレンズやステッペン・ウルフを彷彿させるボーン・トゥ・ビー・ワイルド&マジック・カーペット・ライドなるバンドを率いていた。最近ではスタンド・アップ・フォー・ザ・ミュージックというチャリティ・イベントに積極的に関わり、亡くなる数時間前にはそのイベントの告知も行っていた。

ゴルディ・マックジョンの死去に際し、彼と親しかったアンソニー・スパダーロは「大変悲しい。我々は皆まだ悲しみに暮れている。ゴルディは素晴らしい魂の持ち主でありとてつもないアーティストであり、ただただ一緒に演奏していて楽しかった。彼の栄光が永遠に生き続けることを祈ります」。

Written by Tim Peacock



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